(4)

 三中さんが、大きく頷いた。


「中村さんの話は、学校じゃ聴けないよ。生き方の勉強だからね」


 ソファーに深く座り直した三中さんが、はあっとでかい溜息をつく。


「私は、被害女性の弁護人もしくはアドバイザーとしていろんな交渉に出向きます。でもだらだら交渉しても、消耗するだけで何のメリットもありません。早期解決のためには、三つの『だま』にノーを言うことが大事なんです。それを、よく覚えておいてくださいね」


 三中さんが、一本ずつ右手の指を立てていった。


「だまる。だまされる。だまになる。三つ目のだまっていうのは、お湯に溶けきれなくてかたまりになってしまった素のこと。クリームスープとかね」

「あ、分かります」


 うんうんと佐伯さんが頷いた。


「一度だまになってしまうと、うまく溶けないでしょう?」

「はい」

「トラブルの時もそうでね。自分がだまになってしまうと、うまく行きません」


 三中さんは、アドバイザーとしての立場から三つのだまがなぜいけないかを分かりやすく説明してくれる。


「一つめ。黙ったらだめです。何をされたのか、それをどう思っているのかを正直に訴えていただかないと、サポーターが動けません。事実と意思の確認は、我々が対策を考える上で絶対に不可欠なんです。お地蔵さんのお手伝いはできないんですよ」


 二人とも、そこがまだまだなんだよな。


「二つめ。騙されたら元も子もありません。世の中に悪い人は少ししかいないと性善説に立つ人ほど、情に流されて騙されやすいんです。そして世の中は、騙したやつより騙された被害者に冷たいんですよ」


 俺にひょいと視線を寄越した三中さんが、そのまま話を続けた。


「何もかも疑えとは申しませんが、真偽を見分けようという意識と勉強はどうしても必要です。さっきの中村さんのもそうですね」

「ええ。そのつもりです」

「三つめ。だまになる。何か起こった場合、一人で自己完結して固まってしまうのがだまになることです。これね、なんの役にも立ちません。だまになった時間が長ければ長いほど、事態打開が困難になります。出来るだけ早く、かつ柔軟に行動することが大切なんです」


 小林さん。よーく聞いとけよ。


「成人すれば誰でも大人扱いしてもらえますが、同時に子供として守られることはなくなります。学校での勉強が不要になった分、自分を守るための勉強は熱心にやってくださいね」


 二人を諭した三中さんは、返す刀で俺までばっさり斬った。


「中村さんも、マネージメントってことから言うとまだまだ甘いね」


 あたたたた。効くなあ。


「そうなんですよ。探偵としてはともかく、事務所の経営者としては三流以下です」


 ふうっ。


「他の事務所と同じことをやってもと思ってましたけど、とんでもない。他の事務所が当たり前のようにこなしていることすらこなせていません。経営に必要なあらゆる資源が足りないので、勉強しながらやりくり算段ですわ」

「ははは。まあ、がんばってください」


 三中さんの直言には、何かとフレディを頼ってきた俺への警告も含まれている。脇の甘さを指摘している俺自身がその体たらくじゃ、説得力もなにもあったもんじゃないぞ、と。どやしは謹んで受けよう。その通りだからな。


◇ ◇ ◇


 三中さんが帰って、事務所に二人の女の子が残った。さっき小林さんにごほうびをあげたから、今度は佐伯さんにごほうびをあげよう。


「さて、佐伯さん。これまでのうちの事務所なら、これで契約完了なんです」

「はい」


 佐伯さんが、すっと頷く。


「でもね、さきほど契約書を見ていただいた時に、手書きで追記されている項目があることにお気付きですか?」


 さっき渡した契約書を慌てて見直した佐伯さんが、最後の追記項目を見て青くなった。


「そんな……」

「だから、契約書は隅々までよく読んでくださいって言ったでしょ? こういうことなんですよ」


 俺は、最後にこう書いておいたんだ。


『なお本案件は調査報告をもって完了とするが、問題解決に向けたサポートを有償で提供する。事後対応不要の場合は、報告完了後に精算を行う』


 佐伯さんが、こわごわ俺を見上げる。


「あの……もっとお金がかかるって……ことですか?」

「これからはね」


 俺は、苦笑いしてみせた。


「今までうちの事務所は、アフターケアがボランティアだったんです。依頼人が調査報告を聞いてこれからどうしようって悩んだ場合、アドバイスはあげるけど実行するのはあなた自身でやって。それがうちのスタンスでした」

「はい」

「でもね、さっき私が三中さんにどやされたみたいに、それじゃ弱小は保たない。他がみんな有料でアフターまでやってるのに、うちは最初からそれやりませんじゃ……ね」

「じゃあ、わたしのは……」

「佐伯さんの案件から、有料ですがフォローアップを提供するってことにしたいんですよ。もちろん、不要ならそう言ってください。その場合は、佐伯さんからの調査費用をいただいた時点で契約終了です」


 佐伯さんが、かちんと固まった。勝山さんの部屋で報告をした時に、俺が提示したアドバイス。佐伯さんは、当然俺が相談に乗ってくれると思っていたんだろう……無料でね。でもそれは、本来虫のいい話なんだよ。佐伯さんがあまりに気の毒な状況にあるから、虫がいいように見えないだけなんだ。

 俺は、佐伯さんから銭こをむしり取るつもりはない。でも、俺のアフターケアを受けることを当然の権利だとも思って欲しくない。少なくとも、その意識は原点に戻しておいて欲しい。


「あの……どのくらいかかるんですか?」


 フォローアップがどのくらいの費用負担になるのか、契約書には明記していないから不安視するのは当然だ。


「これからご説明いたします」


 佐伯さんが嫌いだと言っても、俺のやり口はあまりにえげつないと思ったんだろう。小林さんが嫌味をぶちかました。


「ねー、しょちょー。それって後出しじゃんけんじゃないんですかー?」

「ははは。そう。だから、佐伯さんの案件に関しては、費用請求はしません」

「あれー?」


 小林さん、大混乱。


「つまり。これまで私は、アフターフォローを業務だと思っていなかったんです。純然たる人道的措置。ボランティア」

「はい」

「でも、それじゃあ保たないんですよ。依頼人の方のフォローが全部うちの持ち出しになったら、私だけならともかく事務所のメンバーに払う給料が確保できなくなる。時間とお金がバーターの関係になりますから」

「う……そっかあ」


 小林さん。自分の懐直撃ってことが分かって、とたんに口がシブくなった。


「今後、どのアフターフォローにどの程度の日数とお金がかかるのか。それを依頼人の方にどの程度ご負担いただけるのか。私に全く経験がありませんので、佐伯さんの件で勉強させていただくことにして、その勉強代と必要経費を相殺します」

「じゃあ、タダってことですかー?」


 小林さんが口をとがらせた。


「ただじゃないよ。費用をもらわないということと、相互の支払いを相殺することとは、意味が全く違う」


 椅子に深く座りなおして、大きな溜息をぶちかます。


「はああっ。今まで、調査事務所としての業務範囲をいい加減に考えてきたツケが、こういうところに出るんですよ。お金にならない。宣伝効果がない。プロ意識が育たない。三中さんのさっきの苦言は、当然なんですわ」

「……」

「そういう自分をどやし倒さないと、人を雇えません。私はもう事務所を取り仕切っているので、ちんたら勉強している暇がない。佐伯さんのフォローを生きた教材とすることで、しっかり元を取らせてもらいます」


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