(5)
今度は小林さんに向き直る。
「実は君のも同じことなんだよ」
「え?」
小林さんが目を白黒させた。気付いてないか。まあ、しゃあない。
「君の雇用は有償契約さ。どんなに仕事内容がゆるゆるでも、働いてもらう以上、私は賃金を支払わなければならないんだ」
「うん」
「でも、あなたのケアはタダじゃできないよ。さっき言った通り」
「あ……」
小林さんが、力なくうなだれた。
「フォローアップにかかる費用は、あなたの労賃で相殺するっていう形になっているの。わかる?」
「……うん」
「当然、あなたがフォロー要らないってことになれば、働いた分ちゃんとお金ちょうだいよって堂々と言えるよね」
「そっか。それでさっきの」
「そういうこと」
納得できたんだろう。小林さんが、うんと頷いた。
ボランタリーっていうのは、決していいことばかりじゃない。サポートする側には、やってあげてるんだからこのくらいでいいだろっていう見切りの意識が出来ちゃう。逆にサポートを受ける側は、フォローが足りないと思ってもそれを言い出しにくくなる。お金払ってないし……ってね。
たとえそれが善意によるアフターケアであっても契約を交わし、労役に対して賃金を払うというのが正常型だろう。コストベネフィットの関係をちゃんとバランスさせないと、共倒れになりかねない。
「ということで、佐伯さん。確認させてくださいね。先ほど申しました通り、フォローアップが必要ないということであればそうおっしゃってください。もしフォローをして欲しいということであれば、それを別途契約として承ります」
お金がかからないと言っても、契約という形で自他を縛ることになる。佐伯さんの精神に負担がかかるのは言うまでもない。返事はすぐには出てこなかった。だが一分ほどの沈黙の後、佐伯さんがおずおずと顔を上げた。
「あの……お願いできますか?」
そう。それも自分の意思表示なんだよ。さっき三中さんが言った三つの『だま』へのノー。早速それを実行したことになる。俺は大きく頷いた。
「承知いたしました。私にとっても貴重なレッスンになるので、必要経費は積算し、後ほど佐伯さんに提示いたします。それは費用請求しませんが、どのくらいかかるかは相互に知っておいた方がいいですよね」
「はい」
よし。佐伯さん、小林さんだけじゃない。俺も、これでようやく自立した事業所としての一歩を踏み出せたことになる。いささか遅きに失した感はあるが、今さらそれをぼやいたところで意味がないからな。
◇ ◇ ◇
佐伯さんとの間に、調査とは別にフォローアップ契約を結んだ。原則は調査と変わりないが、調査で設定してある基本料金は置かない。フォローアップに必要な実費と、対応に必要な人的資源及び時間報酬を確保することを第一義とした。これまで通り、俺からの持ち出しがない助言については無料サービス。しかしそれを業務の一環としてきちんと位置付けてあるので、俺の意識の上では従来と全く違う。
さらに、俺が依頼人の代わりに手続きや第三者への橋渡しを代行した場合は、それが少額で済んだ場合であっても別途顧問報酬を払ってもらうことにした。顧問報酬ってのはぴんと来ないんだが、カウンセラーとかアドバイザーっていう言い方は、よそよそしくてもっとぴんと来ない。まあ、しゃあないね。
顧問報酬は固定性で一万円。正直それは、儲けには全く寄与しない少額だ。でも、俺にとってはアフターケアを手弁当にしないための貴重な報酬。それでいい。今回の佐伯さんの案件では、顧問報酬とケアにかかった実費を合算し、それを所員研修費用で相殺すると明記した。所員とは誰か。もちろん、俺と小林さんだ。
あまり言いたかないけど、いかなる理由があっても、所員がお客さんに怪我させたら本来は損害賠償もんだよ。お客さんは若い女の子なんだ。もし顔に消せない傷を残してしまったら、とんでもなく高額な賠償費用になっちまう。そこを、契約で塞いでおこうという思惑もある。まあ喧嘩両成敗だから、俺のは考えすぎかもしれないけど。一応ね。
「よし、と」
正副の契約書に署名捺印してもらい、これで契約発効。
「さて。これから佐伯さんのフォローアップを一緒に考えていくことになります。至りませんが、よろしくお願いします」
「よろしくお願いいたします」
佐伯さんが、やや緊張した面持ちで深く頭を下げた。
「私と小林の研修も兼ねていますので、最初に少し座学をさせてください」
「あ、そうですね」
俺は、今まで一度も使うことがなかったホワイドボードを事務所の隅から引っ張り出してきた。俺一人なら、手帳一丁で全てのスケジュール管理ができる。だが、今後はそういうわけにはいかないんだ。これがいつまでも埃をかぶっているようじゃ、未来がない。今後はがんがん活躍させないとな。
何も書かれていないホワイトボードを拳でとんとんと叩いて、第一声。
「まずね、最初に認識していただきたいことがあるんです」
「はい」
佐伯さんが、真剣な表情で頷いた。
「それは……」
俺は、苦笑いとともにそいつを吐き出した。
「ここには、ケアを仕切れるプロがいないってことです」
「え?」
佐伯さんだけでなく、小林さんも目がテン。
「そうでしょ? 私の本職はあくまでも調査業であり、カウンセラーではありません。人様の生き方に、責任もってああせいこうせいと言える何ものも持っておりません」
「あ……」
「佐伯さんだけじゃない。私もしょせん生徒なんですよ。まだ欠点だらけでいっぱい勉強をしないとならない、ね」
「……」
「勝山さんのところで調査報告を行った時に、なぜ私がいろいろ申し上げたか」
「はい」
「あの時私は、あなたに選択肢を提示するだけで済んだからです。つまり、私の提言を活かすのもスルーするのもあなたの意思次第であり、私はその結果には責任を持てません」
ゆっくり佐伯さんを指差す。
「私は、そういう選択肢もあるという言い方をしたはずです。それは、選択の最終責任が佐伯さんご自身にあるという意味だけではありません」
「はい」
「しょせん三流探偵の私のアドバイスなんざ、なんの重みもないんだよ。プロの意見としてではなく、自分と同じところにまで下げて考えてねという警告でもあるんですよ」
佐伯さんの表情に落胆が浮かんだ。でも、俺を神棚に上げられるのは困る。
「ですので、これから佐伯さんのフォローを考えていくにあたって、行動主体があくまでも佐伯さん自身にあるということを、最後まで忘れないでくださいね」
「あ。そういうことか……」
「でしょ? 誰かがああせいこうせいって言ったことを丸呑みすれば、結局佐伯さんご自身がその結果に後悔を残すことになるんです。それはつまんないでしょ?」
「はい」
「ですから、私は一切の指示は出来ませんし、するつもりもありません。私自身も含め、何がベストかを一緒に考える。私も含めこの三人が全て同じ立場であり、相談しあって対応を考えていく。そう考えてくださると嬉しいです」
俺のスタンスに納得してくれたのか、佐伯さんが何度か頷いた。
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