(3)

「三中さん、どんな感じですか?」


 署名、捺印の終わった書類を改めて確認していた三中さんに尋ねる。


「つつがなく終わりました。契約期間は一年。成人と同時に終了ということにも出来るんですが、経済的なことだけでなく、各種相談を承れるようにした方がいいと思いましたので」

「そうですよね。佐伯さんは、納得されました?」

「はい! 助かります」


 佐伯さんが、ほっとした顔で俺に向かって頭を下げた。


「じゃあ、続いて調査費用の精算をさせていただきますね。三中さんに支払い手続き代行をお願いしますが、それでよろしいですか?」

「はい」


 費目説明役の小林さんといきなりファイトしたので、調査費用の内訳は全く聞かされていないはずだ。俺から改めて説明しよう。


「請求内容を説明いたします。小林さん。あなたもちゃんと聞いといてね」

「う。はあい」


 請求書の費目一覧と金額を、一つずつ指差していく。


「着手金。今回は後回しになってしまいましたが、本来はそれを頂いて契約成立ということになります。基本料金十二万円の半額をお支払いいただき、報告書をお渡しする時に残額を清算する形になっています。ですので、本請求書では基本料金の中に合算されています」

「はい」

「続いて、日当。これは、調査期間に調査員に支払う日払い賃金に相当します。アルバイトで言えば日給ですね。当所では、一人当たり一日一万円の負担をお願いしています。それが四日分で四万円」

「基本料金に入れないんですか?」


 三中さんから突っ込まれた。


「ははは。基本料金を上げると、依頼ががくっと減るんです。痛し痒しですね」

「なるほどねえ」


 とほほ。高給取りの弁護士さんには理解できないだろうなあ。


「調査で使用した機材の料金、および調査員の移動にかかった交通費は、実費請求です。本件の場合は現場が近く、機材は当所の備品を用いましたのでほとんどかかっておりません。両方合わせて五千円弱ですね」

「はい」

「あと、報告書制作費。これは、事務処理費用に相当します。案件の軽重に関わらず、一万円のご負担をお願いしています」


 小林さんに話を振る。


「君に支払う賃金の原資が、それだってことね」

「あ……」

「だから、依頼が少ないと事務員に給料が払えないの。そうでしょ?」

「ううう。そっかあ」


 厳しい実態は、きっちり知っといてほしい。


「簡単な素行調査なら、それで終わりなんです。四日間で終了なら、全部足し合わせても二十万に届きません」

「はい」

「でも今回は、それ以外に二種類の経費がかかっています」


 一つは危険手当。もう一つは、三中さんへの示談委託費だ。


「危険手当は、調査に危険を伴うことが予想される場合に限り、前もって頂戴することにしてあります。今回のケースがまさにそれに当たります」


 園長さんにはきっちり説明したが、佐伯さんにもしっかり知っておいてもらおう。


「私どもには警察のような捜査権限はありませんし、武装して自衛することもできません。私どもの生命は一つしかありませんので、命と成果を引き換えるようなリスクは、絶対に負いたくないんです」

「……はい」

「でもね、お客さんにはそれをなかなか理解していただけないんです。なので、大きなリスクを伴う調査はすごく高くつくよという設定にしてあるんです」


 危険手当の項目の上を、とんとんとタップする。


「それは、カネさえ出せばどんな危ないことでも引き受けるって意味じゃありません。私どもの心身に直接危険が及ぶ恐れのある依頼は、最初からお断りしてます。警察に行って相談して……ってね。そうじゃなく、被調査者との直接接触が避けられないケースに限って、危険手当を頂戴することにしてるんです」

「どうして、ですか?」

「私どもが、依頼人のトラブルに巻き込まれてしまうかもしれないからです。今回で言えば、田中のスジですね」

「あ……」


 そういうことなの。


「ハイリスクの調査は決してやりたくないんですが、今回のように止むを得ずお引き受けする場合もあります。ただ、どうしても割高になるということはご承知おきください」

「分かりました」

「それが二十万という金額です。これでも安いんですよ」

「そうなんですか?」


 三中さんが、不思議そうに首を傾げた。フレディのところでは、危険手当という費目がないんだ。調査に危険を伴う案件は絶対に引き受けないからね。


「私が最初に勤めていた沖竹エージェンシーなら、最低でもこの十倍は要求されます」

「ぐえー」


 小林さんが、そんなの信じられないという顔をした。俺も信じられなかったよ。

依頼人から大金ふんだくる上に、調査リスクを俺たち調査員に全部負わせるんだから。それが経営安定策の一環だったということは、今は理解できるけどさ。当時は……ね。


「そして残り八十万ちょっと。これがうちから三中さんに委託した示談交渉の委託費です。ちなみに、うちには一銭も残りません」

「え……」


 佐伯さんと小林さんが揃って絶句。三中さんが苦笑いしながら、俺をフォローしてくれた。


「中村さんは良心的でね。中間マージンを入れないんです。まるっきりボランティアですよ」

「いや、どうしても私には直接出来ないことがありますからね。三中さんに引き受けていただけたのは、本当にありがたいです。あ、佐伯さん」

「はい」

「本件を三中さん以外の弁護士に頼むと、費用も割高になりますが、なによりすごく時間がかかってしまうんです。あなたから一刻も早く危機を遠ざけるために最短時間で体当たり交渉を行ってくれるような弁護士さんは、相当場数を踏んだベテランに限られます」

「そうなんですか」


 もう一度、念を押そう。


「委託費用が割高だとは、決して思わないでくださいね。正直、こんなリーズナブルな費用で厄介な交渉を引き受けてくれる弁護士さんはいません。性犯罪被害者のケアに長年携わってきた三中さんだから、引き受けてくださったんです」

「はい。ありがとうございます」


 三中さんへの信頼醸成をちゃんとやっておかないと、結局佐伯さんが相談しないで我慢しちゃうからね。

 話を聞いていて、弁護士さん最強と思ったのかもしれない。小林さんが真っ直ぐ突っ込んできた。


「しょちょー」

「うん?」

「うちは、弁護士さん雇わないんですかー?」


 うむ。もっともなギモンである。今度は、俺が全力で苦笑いするはめになった。


「まあ、JDAくらい大手になれば、法律事務所との嘱託契約なんか楽勝だと思うけどね。うちみたいな弱小じゃ、契約費用だけで何年か分の儲けが全部吹っ飛ぶわ」

「うわ。そっかあ」


 でも、そう自虐ってばかりもいられない。先々は何か方策を考えないとな。さて。


「請求金額に間違いがないことを確かめていただいて、指定期日までに支払いをよろしくお願いいたします。入金を確認した後で、領収書を書き留めで郵送させていただきます」

「あの……」


 佐伯さんが、首を傾げた。


「それって、わたしに必要なんですか?」


 これだよ。振る舞いはオトナだけど、こういうところに経験不足が顔を出す。お金に困っていることと、お金の怖さを知っていることとは必ずしも一致しないんだ。そこがどうにも……な。

 未熟さが剥き出しになると、ハゲタカどもの格好のエサになってしまう。今のうちにきっちりどやしておこう。小林さんも、よく聞いといてね。


「あのね、佐伯さん。あなたが受け取ることになった田中からの慰謝料。それは、あなたにとって所得になります。高額ですので、その所得には結構な税金がかかります」

「あ!」


 ほらほら。


「田中からそいつを受け取るために弁護士に委託した交渉費用は、必要経費です。あなたが受け取ったお金から必要経費を差し引いておかないと、それだけたくさん税金を納めないとならなくなります」

「そうかあ……」

「領収書は、あなたの出費を公的に証明できるものです。雑に扱わないでくださいね」

「はい」


 もう一度念を押す。


「佐伯さん。あなたは、生活するということにとても前向きに取り組んでおられる。そのひたむきな姿勢は、私だけでなく大勢の人から好意的に評価されるでしょう。でも、それは万能じゃありません」

「え? どうしてですか?」

「ひたむきさには、二種類あるからです」

「二種類……ですか」

「そう。何か目標に向かっている邁進している時のひたむきさ。もう一つは、そうしないと生きていけないという悲壮なひたむきさ」


 がむしゃらはいいの。溺れてるんじゃなければね。でも助けてくれと声を上げなければ、ギャラリーからはそいつが自力で泳ぎ切ろうとしているように見えてしまう。力尽きて沈んでしまってから慌てて助けようとしても、もう手遅れなんだよ。


「本当はね、足を止めた途端に足元が崩れる状況で走り続けることを、必死だとは言ってもひたむきだとは言わないんです。でも、あなたはそれを前向きに見せてしまう。周囲にひたむきだと錯覚させてしまう。そういうポーズは、いつかあなたを破滅させます」

「う……」

「さっき小林さんが見破ったように、あなたのひたむきさにはものすごくポーズが混じってる。そのポーズを努力して小さくしていかないと、あなたのひたむきさは必ず悪用されます。損し続ける一生しか送れなくなるんです」


 佐伯さんが、くたっと首を垂れた。ネタや表現は違うが、俺は何度も同じことを言い続けなければならない。


「さっき、小林さんと喧嘩した時に私がどやしたことを、よく覚えておいてください。自分がなぜこんな目に遭わないとならないのか。そういう不満や不信の感情は、ちゃんと態度に出せるようにしましょう。それには、妥当と不当を自力で仕分けられるようにするための勉強と訓練が要ります」


 事務机の引き出しから何も書かれていない領収書を一枚引っ張り出し、それを佐伯さんと小林さんから見えるように掲げた。


「何かを支払った時。何かを報酬として受け取った時。その金額が妥当か、嘘が書かれていないか、必ず領収書や明細をチェックする癖をつけてください。それは、あなたたちが騙されないようにするための、大事な勉強の一つです」


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