(2)

 さあてと。こっからが本題だ。


「でね」

「はい」

「事務の仕事は単純作業さ。たいして面白いことはない。だから、暇だって感じるだろ?」

「正直に言えば……」

「それは、仕事をこなしている自分をほめられなくなってるってこと。だからモチベーションが上がんないんだ」

「うん」

「それなら、自分に少しだけ負荷をかけた方がいい。新しく出来ること、自分をほめられることを増やす」

「分かるけど……」

「どうやって、のところだろ?」

「うん」

「私のお勧めが二つある」


 小林さんが、切羽詰まった顔で俺を見つめる。


「一つは、資格を取ること」

「資格……ですか?」

「そう。どんな資格、の部分は小林さんが自分で選んだらいいよ。それは就職に役立つってだけじゃない。資格を取れた自分をほめられるだろ?」

「あ、そっか」

「資格は、持ってるっていう事実だけで十分機能するの。君がどんな性格で、過去で、状況で……そんなの一切関係ない。一番気兼ねなく人に示せて、自慢出来るんだよね」

「うん」

「もう一つは職の選択。今はうちで働いてもらってるけど、無給だろ?」

「うん」

「ここに馴染んだから居続けたいけど、給料なしじゃなあ。そう思うよね?」

「……うん」

「でもうちは、本当は事務員要らないんだ。今でも私一人で間に合っちゃうの。十数年一人でやってきたからね」

「あ、あう」


 ざあっと青ざめる小林さん。


「でね。うちで給料をゲットしたいなら、どうしても他のことが出来るようになって欲しいんだ」

「それ……は?」


 ぐひひ。俺の笑顔は、変顔になっていたかもしれないな。


「調査員」

「うっそおおおおおおおっ!」


 休憩室に小林さんの絶叫が響き渡った。事務室の二人がびっくりしてるかもね。

 まんまひっきー体質の自分に、そんなのできるわけない! 小林さんのオーバーアクションは、びっくりというより絶対拒否に近かったと思う。


「ははは。明日すぐにやれなんて言わないよ。あくまでも本務は事務。でも調査員もこなせる。それを目指して欲しいんだ」

「そんなあ……」

「できっこないと思う?」

「うん!」

「私にできるくらいだから、君にもできるよ」

「わたしは所長と違うよう」

「そうかなあ。じゃあ、単純な比較問題ね」

「比較?」

「そう。もし小林さんがコンビニの店員と調査員。どっちか選ばなければならないとしたら、どっちをやる?」

「あ……」


 対人商売の店員なんか、感情コントロールの下手な小林さんにこなせるわけないじゃん。


「う。ううう。そ、それなら……調査員」

「うくく。でしょ? じゃあ、もう一問。もし、どこかでしてたバイトをクビになった時、すぐ次の仕事先が見つかるのは、店員と調査員、どっち?」


 少し考えた小林さんは、ちゃんと正解にたどりついた。


「そ……か。さっきのアイドルの話と同じだー」

「そう。単純に出来る仕事を埋められる駒はいっぱいあるんだ。競争を勝ち抜くのは大変だよ。でも調査員てのは、経験者しかこなせない。資格を取る必要はないけど、適性と技能が必要なんだ」

「うん」

「しかもね。年齢に関係なくできるの」

「どして?」

「調査員は、調査してるってことを被調査者に覚られないようにしないとダメ。でも、調査員が若い人ばかりだったら、環境によっては調査ができないんだ」

「あ、そうかー。おじさんやおばさんも必要ってことかー」

「ビンゴ!」

「うーん……」


 最初のような、絶対拒否、絶対無理っていう雰囲気ではなくなったけど、乗り気にもなってない。まあ、そんなもんだ。


「何か支障がある?」

「わたし……目立っちゃうし」


 ふむ。容姿に対する自意識はあるわけね。よしよし。


「調査員は素顔なんかさらさないよ。調査員を特定されちゃったら、その時点で調査失敗さ。化ける必要がある」

「化ける、ですかあ?」

「そう。ちょい待ってて」


 俺は一度席を外し、さっと変装をして部屋に戻った。


「ほら」


 ボサ頭のかつらにセルフレームのメガネ。鼻の下にヒゲをつけ、ほうれい線を少しだけメイクで強調する。それだけでがらっと印象が変わり、俺だとは見破られなくなる。


「うわあ! す……ご」


 小林さんの目がこぼれ落ちそうだ。ぐひひ。


「逆コスプレさ」

「そっかあ」

「コスプレは目立つための変身。でも、調査員が変装するのは、目立たないようにするためなの。この変身がキモいおっさんに見えたら失格。でも、まんま冴えないリーマンに見えるだろ?」

「うん。知らなかったー」

「よくスパイ映画なんかで、黒いスーツに黒いサングラスなんてやつが出てくるけど、あんなの論外。どこにでもいるやつに化けないと、すぐ見つかっちゃう」

「なるほどなー」

「だからフレディは、めったに現場に出ないんだよ」


 ばっ! 勢いよく小林さんが立ち上がった。


「それで!」

「顔はどうにでもごまかせるよ。でも、あのガタイはどこにいても目立ちすぎるんだ。フレディが現場に出ると、組んでる調査員がかえってやりにくくなる」


 変装用具を外して、念を押す。


「明日からすぐやれなんて、絶対に言わないよ。でも、チャレンジしてくれるとうれしいかな」

「あのー」

「うん?」

「わたしが調査員やったら、お給料は」

「フルに出す。それだけの仕事量になるからね」

「いくらくらい……」

「業務量による。目標は事務所で月三件以上の受注。それをフルに達成出来たら、手取り十五万くらいになるかな。プラス出来高ってことになると思う。無い袖は振れないから、完全業績連動になるけど」


 ゼロから十五万への大出世だ。小林さんの目の色が変わった。


「所長と……わたしだけですか?」

「いや、それじゃまだ足りない。もう一人欲しいんだ。調査員三名体制。それが目標なの」

「あては……」

「君が引き受けてくれるかどうかで変わる」

「ううう」

「いや、まだゆっくり考えてくれていいよ。さっきも言ったけど、今日明日で決めてっていう話じゃないから」

「……はい」


 それは、まだ単なる打診にすぎない。小林さんが引き受けるかどうかだけでなく、彼女に適性があるか、訓練がうまくいくか……いろんな要素が絡むからだ。でも、虚構の中に逃げ込むことばかり考えていた小林さんに、踏み出す足の着地点が現実の中にあることを示すことはものすごく大事なんだ。中二病からの脱却は、そこからだよ。


 夢や理想を持つことを否定するつもりはないし、それを禁じるのはあまりに味気ない。いいんだよ。こんな風になりたいなあってのがどんなに現実から乖離していたって。ただ、虚構と現実との間を行き来出来ないと、あっち側から戻れなくなるんだ。特に薬物中毒の履歴を負わされてしまった彼女の場合、それが不可逆的に作用したら人生お終いになってしまう恐れがある。

 だから。別世界への旅行代金を真っ当な仕事で稼ぐ……それでいいと思うんだよね。生活の軸足が現実の上にある限り、余計な心配をしなくても済む。


「さて。向こうも説明がそろそろ終わるかな?」


 俺がさっと部屋を出たのを見た小林さんは、慌てて付いてこようとした。


「座布団、片付けといてね」

「あ……」


 そこらへんが、まだ、ね。しゃあない。

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