第七話 ごほうび
(1)
取っ組み合いした二人が大慌てで身支度を整えてほどなく、三中さんが事務所に着いた。
「三中さん。お忙しいところをお呼び立てして申し訳ありません」
「いえいえ。契約のこともありますからね」
佐伯さんは、三中さんがおじさんではなくほとんどおじいさんであることが分かって、ほっとしたようだった。逆に三中さんは、ずたぼろの佐伯さんを見てひどく驚いていた。
「あの……どうされました?」
彼女からは説明しにくいだろう。フォローしようか。
「ちょっと感情的な行き違いがありまして。さっきうちの小林と、取っ組み合いの大喧嘩をしたんですよ」
「えええっ?」
三中さんが、女の子二人を見比べて絶句してる。そっぽを向き合った二人は、どうにもばつが悪そうだ。ははは。
「いやあ。若いっていいですね」
「なんというか……」
「三中さんも佐伯さんもお仕事に差し支えるでしょうから、打ち合わせはできるだけ短時間で済ませましょう。三中さん、手続きの説明をお願いできますか? 個人情報が絡むでしょうから、私と小林はその間席を外します」
「あ、あの、中村さん。外に……行っちゃうんですか?」
佐伯さんが、慌てて俺に確かめた。
「まさか。三中さんの説明終了後に、私からも話がありますので。そこの控え室で、小林と業務打ち合わせをしています。必要ならいつでも呼び出してください」
「あ、はい」
「佐伯さんは、契約に際して疑問を残さないよう、分からないことはその都度三中さんに確かめてくださいね」
「はい……」
一緒にいてくれないのかという不満を覗かせた佐伯さんだったけど、俺が事務所内に居ると分かって安心したんだろう。こくんと頷いた。
「じゃあ、三中さんよろしくお願いします」
「承知いたしました」
三中さんが鞄から出した書類をテーブルの上に並べ始めたのを見て、俺と小林さんは休憩室に引っ込んだ。
◇ ◇ ◇
「さて」
業務打ち合わせと言ったのは、口から出まかせじゃない。本当に打ち合わせなんだよ。向こうが事務処理しているうちに、こっちも懸案をやっつけておこう。
「小林さんに、ちょい話がある」
座布団にどすんと座ってすぐ、話を切り出した。取っ組み合いのことを咎められると思ったのか、小林さんがくたくたに萎れた。
「わたし……クビですか?」
「は?」
「え?」
「なんで?」
「……」
「そうだなー。君が最初にうちに来てから今までの、流れを考えてもらえばいいかな」
「流れ……ですか?」
「そう。電話番はちゃんとしてくれてるし、情報検索や書類の整理もきちんとこなしてる。小林さんはちゃんと私のオーダーをクリアしてるの。無理しないで出来る範囲でいいって言ったのは雇用主の私だから、それでいいんだ。話っていうのは、ちょっと別件」
なんだろうという顔で、小林さんがひょいと首を傾げた。
「今朝小林さんが出勤してきてすぐ、暇過ぎるのも辛いって言っただろ?」
「あ、はい」
「じゃあ、どうすればいい?」
しばらくじっと考え込んでいた小林さんが、おずおずと確かめる。
「もっと仕事しないとだめ……ってことですか?」
「いや、それは私からは求めない」
「えー?」
「ちょっと考えてみて。最初ここに逃げ込めればいいって考えてた小林さんの意識が、今はちょっと変わってるんだ。それに気づいてる?」
「あ……うん」
「どして?」
「……暇だから」
「どうして暇? マンガも雑誌も読み放題、スマホ見放題だよ?」
黙り込んだ小林さんに向かって、にっと笑いかける。
「君がさっき佐伯さんに激しく噛み付いたのは、その変化があったからなんだよ。分かんない?」
「……うん」
「君が、自分と人を比べるようになったから。外を意識したからさ」
どれ、ぶちかますか。
「小林さんの高校の同級生は、もう高校を卒業して進学したり就職したりしてる。自分のはるか前を行ってる。小林さんはどうしてもそれを考えたくない。だから無理やり家に閉じこもって、自分以外の世界を遮断しようとしてた。でも、ずっとそうするのは絶対に無理だよ」
「う」
「親から警告を受けてここに来た時。君は、新しい逃げ場所だけ確保できればいいやって考えてた。そうだろ?」
「……うん」
「でも、君の意識の中ではここは家じゃない。外なんだよ。結局、外との接点は出来ちゃうんだ。それがどんなにゆるゆるでもね」
「あ……」
「で。君は、その外との接点を拒否しなかった。とりあえず、きちんと現実をこなしてるんだ」
小林さんの顔が、ひょいと上がった。
「そ……か」
「それで十分。上出来なの」
俺がサムズアップしたのを見て、小林さんのこわばっていた表情が緩んだ。
「最初に言っとくね。誰でも、最初から何もかもは出来ない。出来ることが当たり前じゃなくて、出来ないのが当たり前なの」
「うん」
「だったら、出来ないことを考えないで、出来たことを自慢すればいい。それがどんなに些細であってもね」
さっきの話に戻す。
「小林さんが、暇だと感じたこと。それは、今出来ることをこなせるようになったから。それがもし出来ないことなら、ものすごく強いストレスを感じるよ。暇だとは思えないはずさ」
「あ、そっかあ」
「だろ?」
「はい」
「だったら、出来るようになった自分をほめて、もうちょい出来ることを増やせばいい」
「ほめる……ですか」
「そう。誰もほめてくれなくても、自分で自分をほめることは出来るからね」
俺の例を出すことにしようか。
「私は三流の大学を卒業したから、就職口を探すのにものすごく苦労したんだ。調査員になったのは、探偵がやりたかったからじゃなく、それしか働き口がなかったから」
「えええっ?」
予想外だったのか、小林さんがぱかっと大口を開けた。
「ははは。意外だったかい? でも、それが事実なんだ。根気と根性があれば誰でもできる……そういう宣伝文句にまんまと釣られてね」
「へえー」
「でも、朝から晩までびっしりこき使われて、給料は安い、待遇は悪い。しかも、ヘマ一発でクビだ。徹底的にブラックだったなあ」
「うそお!」
疑いのまなこだ。探偵業ってのは、スマートな仕事っていうイメージがあったんだろなあ。んなわきゃないよ。
「でも同期入社したやつで、クビにならずに残れたのは私だけだったの」
「そうなんですか?」
「そう。上司や所長にずーっとどやされ続けて、ほめられたことなんか一度もないよ。それでも調査員として生き残れたのはなぜか」
「うん」
「自分で自分をほめてやれたからさ。なんだ俺以外全員退場かよ。じゃあ、生き残れてる俺ってすげえなって。それが、ものすごく大きな自信になったんだ。そして、自信ていうのはプライドを連れてくるの」
「プライド……かあ」
「小林さんは自分を安易に崩したくない。でも崩せない自分の中身が分からない。分からないものは人に示せないんだ。気難しいってことしか見えなければ、周囲の人は君にうまくアプローチ出来ないのさ」
「……」
「プライドって言うには、この一線は絶対に譲れないっていう具体的に説明できるものが必要なの。それは、自慢できる自分があって初めて形になる」
「うん」
「じゃあ、それをどうやって作るか、さ」
「うー」
小林さんが、頭を抱え込んでしまった。じゃあ、今度は別の例を出そう。
「分かりやすく言おうか?」
「うん」
「アイドルを考えてみたらいいよ。すっごくかわいい女の子は、みんなアイドルになれる?」
「ううん」
「どして?」
「売りが……」
「でしょ? 歌が抜群。すっごい踊れる。お芝居がうまい。性格がキュート。しゃべりやファッションが個性的。ファンサービスが抜群。なんでもいいけど、これなら他の子に負けないっていうものがないとファンが付かないよね?」
「うん。そうだと思う」
「でも、考えることはみんな同じだよ。誰でも何かを売りにしようと考えるから、それが歌でもダンスでも激しい競争になっちゃうんだ」
「うん」
「その時に、自分には出来ない、勝てないって考えちゃったら……」
「あ!」
リアクションが大きい。納得できたかな?
「そこで終わりでしょ?」
「うん。そっか」
「自分は競争で勝てそうなものをもう持ってる。そう考えて、自分をほめてあげて、あとはどこまで上積みできるか。それが成功の秘訣なんだよね」
「う……ん」
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