(5)

 俺は、取っ組み合いになる前の二人のやり取りの動画をスマホからパソコンに転送し、ディスプレイ上に映し出した。やり取りを記録されているとは思わなかったんだろう。それを見た二人が真っ青になる。


「佐伯さん。小林さんに、わたしは客だよって文句言ったよね?」

「う……は、はい」

「かちんときたのは、小林さんの横柄な態度がアタマに来たからってだけじゃないんだよ。気付いてる?」

「……」

「自分はこれだけ酷い目にあってるのに、あんたはどうしてそれをつらっとスルーするの? そう思ったでしょ?」

「く……」

「かわいそうな自分を認めてくれない。佐伯さんはいつもそういう意識を抱えているのに、それを出さない。出す必要がないんだ。先生も園長さんも勝山のばあちゃんも職場のおばちゃんたちも、先回りして佐伯さんの心情に配慮してくれるから。そうでしょ?」


 ぐっと唇を噛み締めたまま、佐伯さんが俯き続ける。


「佐伯さんは、小林さんが自分の境遇をつらっと無視したことに腹が立った。佐伯さんが言った文句の真意は、客として扱えじゃない。わたしを怪我人として丁寧に扱ってくれ……そういうリクエストだったはず」

「……」

「でも、そんなことは直接言えない。佐伯さんは、自立してるっていうポーズを取ってるからね。空気が読めない小林さんが遠回りのリクエストを無視したから、ぶちっとキレちゃったんだ」


 今度は、くたくたに萎れている小林さんに話を振る。


「小林さんは、酷い目にあってるのに前向きな佐伯さんの姿勢が偽善に見えてしょうがない。この猫っかぶりのいいかっこしーが! そう思ったんだろ?」


 少しだけ、小林さんが頷く。


「そう。小林さんの見立ては正しい。佐伯さんの姿勢は、まさにいいっかっこしーなんだよ。でも、そうは言わなかったよな。カネ払ってからほざけって、嫌味をぶちかました」


 俯いていた小林さんに、きっちり釘を刺す。


「そっくりそのまま返すよ。自分できちんと稼げるようになってから言いなさいな。君はまだ給料をもらえる仕事をしていない。フルタイムでびっしり働いてる佐伯さんに、偉そうに言えるこっちゃないよ」

「ぐ」

「もちろん、小林さんはそんなこと分かってる。分かってるのに、ぽろっと口から嫌味が出てしまった。なぜ?」

「……」

「小林さん自身が、何も出来ないことをいつも気にしてるからだよ」

「……う」


 改めて、二人を交互に見つめる。


「悩んでいること。気にしていること。辛い、苦しい、悲しいと感じていること。二人揃ってそれを言葉に出来ない。口から出てこない。君らは、恐ろしいくらいそこが似てるんだ。佐伯さんは平気を装う。小林さんは黙る。表現が違うだけで、中身はまるっきり同じなんだよ」


 俺は佐伯さんに向き直った。


「小林さんがごく普通の女の子だったら、そもそも君とは喧嘩にならない。距離を置かれることはあっても、取っ組み合いにはならない」

「どういう……ことですか」


 佐伯さんが、目の端で小林さんをちらっと見る。


「佐伯さんは被害者だけど、彼女もそうなんだよ。高一の時に脅されてヤクザの家に連れ込まれ、犯されシャブ漬けにされた挙句、少女売春婦として売られる寸前だったのさ」

「ひっ」


 佐伯さんの顔から血の気が引いた。自分がされたこととオーバーラップしたんだろう。小林さんがべそべそと泣き出した。

 小林さんの過去を佐伯さんに晒すことには、もちろんリスクがある。でも、相互に過去を知っているようにしておかないと、二人の間に修正不能な優劣意識が生まれてしまう。自分の過去は直視できなくても、他人の過去は客観視できるんだ。互いに鏡像になっているのなら、共感や反発を双方向に使えるようにした方が自分を補正しやすい。小林さんが少し落ち着くのを待って、話を続ける。


「君たちは、本音を誰にも出せず孤立した上に、抵抗できない暴力に翻弄されてしまった。そんな不甲斐ない自分を見るのは嫌。取っ組み合いの引き金を引いたのは、自分自身への嫌悪感だよ。君らは自分のマイナス感情を、これ以上心の中に閉じ込めておけなくなったんだ」


 俺は控え室から手鏡を二つ持ってきて、二人に手渡した。


「自分の顔、見てごらん」


 恐る恐る鏡を見た二人が、がっくり肩を落とす。


「ははは。ひどい顔だろ? でもひどい顔だってわかることは、すごく大事なんだよ」

「どうして……ですか?」


 佐伯さんが、手鏡の端からこそっと視線を寄越した。


「何があったか、すぐ分かるだろ?」

「あ……」

「感情や意思を言葉にして示すのは、コミュニケーションの基本中の基本だよ。それをごまかしたり隠してばかりだと、他人から見えないだけじゃなく、自分でも自分がわからなくなる」

「……うん」


 小林さんが、小声で認めた。


「だから、小林さんが最初に来た時、自分の口で申し出ろって言ったのさ」

「あ!」


 小林さんが、さっと顔を上げる。


「そ、それで」

「そう。自分の意思や感情をちゃんと言葉にする。訓練だよ。最初うまく行かないのは全然かまわない。少しずつできるようにすればいい」


 今度は佐伯さんに向き直る。


「あなたもそう。自分のネガを全部隠してしまうと、あなた自身が保たなくなる。もう庇護者がいないんだから、きちんと実像を見せた上で意思や感情をコントロールしないと、隷属体質のあなたはすぐ食い物にされてしまう」

「う……」

「まあ、小林さんと同じでこれも訓練です。最初はうまく言葉にできなくて殴り合いになっちゃったけど、この野郎っていう感情は上辺じゃなくて本心でしょ?」


 顔を上げた二人が、ちらちら視線を合わせた。


「それでいいの。あとは訓練。こんなの、どんなに説明されたって分からない。どうしても実体験が必要なんです。それだけですよ」


◇ ◇ ◇


「さて。大事なお客さんが来るから、支度しましょうか」


 三中さんをびっくりさせてはいけないので、二人に身繕いをやり直させた。その間に、取っ組み合いに至った経緯を整理して手帳に書き込んでいく。


 ものすごくリスキーで荒っぽい地ならしだったけど、それは二人にとってどうしても必要だった。自分の素直な感情を出す重要性を説いたのは、精神を安定させ自立を早めるのに必須だからというだけじゃないんだ。もっとベタな話で、それがどうしてもケアに欠かせない土台だからなんだよ。


 佐伯さんも小林さんも、被害後のサポートには恵まれてる。佐伯さんの場合、高校の先生が受け皿になって奔走してくれた。小林さんの場合、フレディ経由で専門家がケアプランを立て、ご両親が実行役としてケアを支えている。つまり、本来ならもっと厳しい状況になっていてもおかしくない二人は、もうどん底を離れて上昇気流に乗ってるんだよね。二人ともそれは実感していて、だからこそ自分のマイナス感情を出しにくくなっていたんだ。

 それは、決して望ましくない。ケアを受けられることが当たり前のように感じる上に、マイナス感情の処理がどんどん下手くそになるから。


 幸不幸のバランスで言ったら、二人とも不幸99%にいいこと1%さ。ケアを受けていいことが1%増えたところで、たんまり積もっている不幸が帳消しになるはずなんかない。

 ただ。不幸っていう感情は、他人からは見えにくいんだ。どのくらい嬉しそうかはすぐ分かっても、どんなに不幸かってのは言葉や態度で表現されないと分かんない。真っ黒い感情をきちんと見せられるようにしないと、ケアがすぐ上滑りするようになる。


 不幸比べをしてもしょうがないっていうけど、俺は逆だと思うな。どれほど不幸かってのは、他人にはなかなか理解できない。だから、自分のマイナス感情はこれでもかと吐き出した方がいい。それがどんな手段であってもね。新しいものは、吐き出して出来た隙間にしか入らないよ。

 まあ。二人の課題は、俺のマネージメントプランの改善と同じで一朝一夕には解決しない。試行錯誤はまだまだ続く。


 手帳を畳んで、でかい溜息を容赦無く吐き散らかす。


「はああっ! 次のステップで、取っ組み合いから少しは進化させたいけどな」



【第六話 取っ組み合い 了】

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