(2)
俺は、調査事実を元にどうすればいいかのアドバイスは欠かさなかったよ。報告書だけ渡して、あとはおまえが勝手にしろなんて放り出してきたつもりはない。でもそのアドバイスは、俺の意識の中では金にならない持ち出し。単なるボランティアでしかなかったんだ。
俺の意識がそのレベル止まりだから、フレディにケアを委託した場合でも、俺の斡旋が顧客にとって逃げや丸投げに思えてしまうんだろう。態度が冷たく感じられてしまうんだろう。
「つまり……」
ボールペンのけつで、手帳の紙面を何度も叩く。
アフターケアを標準契約の中に組み入れる。俺には、どうしてもそういう意識の変革が必要だったんだ。探偵としてじゃなく、経営者としてね。資金や人材がないから自力でアフターケアができないという貧乏人の思考を、根底から変える必要がある。案件の範囲を調査からアフターケアまでと定め、コストカットの必要なお客さんの場合は、アフターケアを省略できる。そうすればいい。
実際に俺自身ができるケアが極めて限られていても、契約の中にアフターケアを盛り込めばケアの流れをきちんとコントロールする義務が生じる。俺にそういう意識があれば、依頼人への向き合い方も自然に変わる。ケアを外部委託するにしても、無責任な丸投げとは取られなくなるはずだ。
「はあああっ」
閉じた手帳をぽんと放り出して、でかい溜息をぶちかます。いい年こいたおっさんが、未だにこんな基本的なところでじたばたしてるようじゃなあ。自分のへっぽこさ加減にがっくりくるわ。
もう一度、窓の外に目を移す。佐伯さんの案件は、俺にとっての試金石になる。これから俺がアフターケアを主体的に行う上で、どうしても必要な事柄。それを彼女のアフターケアを通じてきちんと精査し、事務所としてどのように取り組むかを考えよう。調査に関しては費用負担してもらうが、アフターケアにかかる部分は俺の勉強代と相殺だ。そして、俺がロハでアフターケアをするのは佐伯さんを最後にしたい。
「懸案に取り組むだけじゃ全然足らんわ。生き残るために現実と取っ組み合いをする……そう考えんとな」
◇ ◇ ◇
真っ
佐伯さんがなんでも自力でこなせるなら、事件終結とともにすぐにリスタートをかけられただろう。俺がアフターケアに手を出す必要はないんだ。でも佐伯さんは、社会経験が全然足らない上に子供の世話を抱えている。最初は、どうしても第三者によるサポートが不可欠なんだよ。
例えば転職。俺は今勤めている店を辞めた方がいいと勧めたが、辞めろと無理強いするつもりはない。俺がそうさせる権利も義務もない。戦力として頼りにされている仕事を自己都合で辞めることには、強い抵抗を感じるだろうからね。でも店長と田中の魂胆が変わらないことを知れば、店長のセクハラが露骨になった時点で嫌悪感が限界突破するだろう。退職の腹は固まるはずだ。
問題は、辞めるタイミング。職を失うと、収入が途絶えて生活がままならなくなる。次の職が決まっていない状態で離職するわけにはいかないんだ。現時点でまだ店を辞めていないのは、もちろん経済的な理由だろう。でも、子供を抱えて勤務時間外に求職活動をするのは現実的じゃない。仕事を続けていれば求職活動ができず、仕事を辞めれば求職活動できるけど生活が成り立たない。どうしようもないジレンマだ。
田中が残した腐れ金のクリーニングは完了しているが、つなぎ資金として使えるようにするには諸手続きを済ませないとならない。それまでは綱渡りが続くから、どうしても側方支援が要る。
公的な扶助は、自力で動けない最弱者が優先になる。自立寸前の佐伯さんへのサポートがおざなりになるのは見え見えで、最初からあてにならない。だから、事情がよくわかっている人の密接介助がどうしても欲しい。そういうサポートの必要性は、本人も含めて誰も否定しないだろう。問題は、どうやるかなんだよ。
「むーむむむ」
手帳をぐりぐり見回しながら、うなる。今後佐伯さんに降りかかりそうな危機を遠ざけるためには、佐伯さんの視線を『今』ではなく『先』に向けてもらわないとならない。そのために必要なことを、俺たちが代行してこなすのは決して難しくない。ただ佐伯さんの場合、どんなにサポートしても現状では応急措置にしかならん。そこがどうにもな。
プレハブでも、まともな家は建てられるよ。俺の事務所だってプレハブなんだし。でも、それは土台がしっかりしてるっていう条件付きだ。土台がぐらぐらしている上に立派な建物を盛ったら、かえって崩壊が早くなる。上物はまだ間に合わせでいいから、まず土台をきっちり整備する必要がある。佐伯さんが厄介なのは、土台が脆弱なだけじゃなく、お粗末な土台の怖さをしっかり自覚できていないってことなんだ。
苦悶しながら付箋紙に懸案を書いては剥がし書いては剥がししていたら、出勤してきた小林さんが俺を見て突っ込んできた。
「しょちょー。依頼が入ったんですかー?」
「そうだと嬉しいんだけどな。電話のやつ、妙に口数が少なくてな」
俺が事務机の上の電話を指差したら、笑うかと思った小林さんがくたっとしょげた。
「こっち来たら楽だと思ったけど、やっぱ暇すぎるのもしんどいんですね」
「なんだ、今頃気付いたのか」
「うう」
まあ、それでも一歩前進だ。自分だけ見てたら、時間の意味なんかわからないからな。
「楽ちんで、楽しくやれて、お金になる仕事。そんなのはないなあ」
「そうなんですか?」
「今言った三つのうち、一つでもゲットできたら御の字さ。仕事ってのは、しんどくて、うんざりさせられて、お金にならない。そういうもんだよ」
「げー」
小林さんが、席に着くなり机の上にのへった。
「金になるかどうかは払ってくれる人次第だから、君にはどうにもできないだろ?」
「はい」
「で、残り二つのうち、楽ちんはもうゲットしてる」
「あ、そうかー」
「そしたら、楽しくの部分は自分で工夫するしかないのさ」
「ううー。お金もらえれば、楽しくなんのかなー」
「さあ。それはなんともいえない。でも、マンガ買ったり携帯の通話料払ったりは、お金がないとできないよ」
「う……」
小林さんが、慌てて俯いた。
「今、親がかりになってる部分を、これから自分の責任範囲に切り替えていく。そうすれば、お金になる、の部分はどうしても満たさないとならない」
「……うん」
「その代わりに、楽ちんと楽しくが目減りするってことなるんだろ」
「はあ……」
「まあ、なんでもそうだけど慣らしが大事さ。いきなりエンジン全開にしろっていっても無理だ」
「わたしじゃなくても、みんなそうなんですかー?」
「それこそ、ネットで調べてみたら? みんな、かったるーとかやってらんねーとかぶつくさ言いながらバイトしたり、働いたりしてるよ」
「所長もそうだったんですかー?」
「ぶつくさ言う暇もなかったわ。大学進学と同時に、親がぶっつり生活費切りやがったからな」
がたっ! 真っ青になって、小林さんが立ち上がった。
「う、うそ……」
「うちの親は特殊だよ。そんな鬼親はそうそういないって。今や、入社式にまで親がでしゃばる時代だからね」
「げー」
何がげーだよ。あんたも同じなんだって。全く!
「まあ、早くから自力で生活するスタイルは確立してたから、私は特に困らなかったけどね。それが本当にいいかは別として」
超絶ワーカホリックの俺が、脳内お花畑の小林さんにどんな説教垂れたところで、効果も意味もない。それより現状と近未来の見通しを示しておく方が、リハビリには効果があるだろう。それは俺に強制されることじゃないからね。
「前も言ったけど、今の依頼数では先々経営がしんどくなる。どうしても依頼を取りにいかないとならないから、その分仕事量は増える。暇なのは今だけにしとかんとさ」
「は……い」
「おっと。そろそろ佐伯さんが来るな」
「あの時の女の子ですかー?」
「そう。案件が片付いたから、支払いに来る。三点セットを確認しといてね」
「わかりましたー」
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