(8)

「佐伯さんに有効利用の意思があるならば、田中から佐伯さんに支払われた慰謝料と子供の養育費という形で弁護士さんに手続きをしてもらい、あなたの財産管理委託契約を三中さんとの間で結んでいただきます」

「そういうことなんですか」


 園長さんが、びっくりしている。


「佐伯さんがもう成人されているなら、御自身で直接管理できるんですけどね。でも、三中さんのところとは繋がりを確保しておいた方がいい。面倒な法律関係のこととか権利保全のこととか、契約があれば相談しやすくなるでしょう?」

「ああ、確かにそうよね」

「成人後のことも含めて、弁護士さんとよく相談なさってください」

「あの……」


 佐伯さんが、おずおずと確かめた。


「その三中さんという人は……大丈夫なんでしょうか」

「信用出来るかっていうことですね?」

「はい」

「私の姉のトラブルの時も、相手の男との交渉に当たってくれた人です。性犯罪被害者の法的サポートを長年手がけている、猛者もさ中の猛者ですよ」

「わ!」

「ただね」

「はい」

「三中さん、本当に忙しい人なんです。あなたにだけ時間を注ぎ込むということができません。ですから有償契約であっても、事務的なこと、法的なことに限っての助力になります」

「そうか……分かりました」

「お金を取るんですか?」


 園長さんの直球の突っ込みを、そのまま打ち返した。


「私と同じですよ。ボランティアでサポートをやったら、私たちはすぐ餓死します」

「……」

「事情があるから、ただで子供を預かってくれ。そういう懇願があったら、園長さんはそれを引き受けますか?」

「あ、そ、それは……」

「でしょ? 止むをえない事情があってごく短時間の人道的措置で済むならしょうがないかもしれません。でも、それが常態化したら全員共倒れになるんです」


 佐伯さんに向き直る。


「私がさっき、甘くないよと言ったのはそういうことです。田中の残した手切れ金は、確かにどうしようもない腐れ金ですよ。でも、腐れ金だからこそ割り切って使える」


 今回の件の請求書を、みんなから見えるように高々と掲げた。その金額を見て……三人が一斉に溜息を漏らした。

 たった四日間の調査費用。通常なら十数万で済むものが、百万を越している。なぜか。その中には、三中さんに支払う示談交渉依託費、俺の調査の危険手当が含まれているからだ。


「今回の私や三中さんの動員費、今後の資産管理のコンサル費用を、あなたが汗水垂らして稼いだ大事な生活費を消費せずに腐れ金で精算できるんです。それをチャンスと捉えないと、本当に未来がなくなります」

「……はい」

「三千万は大金のように思えるかもしれませんが、子供を育てながらの場合はこれじゃあ全然足りません。あくまでもつなぎ資金と考えて、上手に利用してくださいね」

「分かりました」

「今回の件は緊急性が高く、全ての事務手続きが事後になったんですが、通常の案件と同様に契約書、報告書、請求書を作成し、お渡しいたします。その内容をよく精査した上で、ご納得いただけたら再度来所してください。その時に精算手続きを行いますので」

「ありがとうございます」


 佐伯さんが深々と頭を下げた。うん。本当にしっかりしてるな。礼儀知らずの小林さんに、佐伯さんの爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。


 ただ……。佐伯さん自身が抱えている大きな問題点をどこかで改善しておかないと、今後とても厄介なことになるだろう。それをどうするかだな。


「でね」

「はい?」

「先ほど申しましたように、今お勤めされているところは環境的にあなたに向いていないと思います。今回の事件をオープンにして、子供と自分の安全確保のために止むを得ず退職しますと、言い訳に使ってください」

「……はい」

「その時にね、店長と同僚の方の示す態度をよーく観察してください」

「そ……んな」

「誤解しないでくださいね。あなたにこれまで優しく接してくれた人たちは、二種類に分かれます。あなたを本心から心配してくれた人、好意は上辺だけで内心はあなたをバカにしていた人」

「う……う」

「全部切り捨てる必要はありませんが、選別は必要です」

「どうしてですか?」


 佐伯さんからではなく、園長さんから突っ込みが。


「佐伯さんが、これ以上悲劇に巻き込まれないようにするためです。心が弱っている時には、甘い言葉をかけながら近付いて偽りの同情を寄せ、油断させてあなたから搾取しようとするやつが必ず現れます。それは、必ずしもオトコとは限らない。自称叔母さんのようなクズは、他にもいっぱいいるんですよ」


 ぴっ!

 佐伯さんを指差す。


「敵意や悪意がはっきり見えれば、その向こうまでは見なくても済みます。でもね、好意っていうのは糖衣錠です。砂糖の衣の中に何が入っているのかは、注意深く見ないと分かりません。そのセンサーがいい加減なままだと」


 ゆっくり立ち上がり、痺れた足をほぐしながら警告を重ねた。


「社会経験が浅い上に精神がまだ不安定なあなたは、二度三度……何度でも騙されます。私は、これまでそういうケースをうんざりするほど見てきたんです」


◇ ◇ ◇


 調査報告と今後のことについての助言を終えた俺は、佐伯さんと園長さんを連れてマンションを出た。勝山のばあちゃんは、そのまま佐伯さんに残ってほしそうだったけどね。まあ……もうちょい考える時間がいるだろう。


 車を出し、保育園で園長さんを降ろして、園に預けてあった佐伯さんの赤ちゃんをピックアップした。車内では、佐伯さんはずっと無言。がっくりきているという感じではなかったから、俺の提案や警告の中身を考えていたんだろう。

 投げやりな態度がすぐ表に出る子供っぽい小林さんと違って、佐伯さんはもう大人の思考回路を持ってる。ただ……それをうまく活かせていないんだよな。


「ここでいいですか?」

「はい。今日はありがとうございました」

「連絡をお待ちしてますね」

「わかりました」


 佐伯さんのアパートの近くで親子を降ろして、すぐに車を出した。もう田中の関係者がうろうろしていることはないと思うが、一応念のため。佐伯さんは、俺の車が遠ざかっていくのをじっと見送っていた。それを見て、思わず口走ってしまう。


「これからなんだよなあ」


 三日ぶりに我が家に帰れたと言っても、そこには佐伯さんにおかえりと言ってくれる人がいない。ストーカーを抑え込むために、頻繁に立ち寄ってくれていたお巡りさんの姿も消える。

 監視の視線がなくなるのは喜ばしいことなんだが、恐怖や重圧感が消えた途端に、今度は寂しさや虚しさがどっと押し寄せてくる。佐伯さんにとって、精神的にしんどい状態がしばらく続くと思うけど、それを乗り越えないと次のステップに進めない。


 まあ、今回の調査の精算手続きをしないとならないから、その時に相談に乗ろう。


◇ ◇ ◇


 無人の事務所で、手帳をめくりながらつらつら考える。


「ふうっ……」


 俺のは、JDAがやってるようなごついアフターケアじゃない。ちょっとした助言と、最初の一歩を踏み出すためのどやしに過ぎない。それじゃあ全く後押しが足りないんじゃないのという園長さんの指摘は、確かにその通りさ。でも何から何までお膳立てしてしまうと、かえって足が萎えるんだよ。


 佐伯さんの場合は、性根が曲がってないし、やる気と馬力、根気はあるんだ。それだけ揃っていればばもう十分でしょって、誰からもそう見えてしまうのが一番の問題点なんだよね。

 そいつを解決するには、自分の長所だけでなく短所や弱点をちゃんと晒して等身大の自分を見てもらうことが一番望ましいんだが、不用意に弱みを見せると今度はハイエナどもの餌食になってしまう。そこが本当に難しい。


「おっと」


 俺が最初に懸念した、佐伯さんの抱えている課題をチェックしておこう。


 身寄りがないことは、今更どうしようもない。友人は努力して作るしかないし、子供の問題は是々非々でやるしかない。

 未成年であることはもうすぐ解消するが、成人してもそれに見合った地位や生活がない方がよほど大きな問題だ。

 経済的な困窮は、手切れ金がバックアップしている間は緩和される。ただ、それに今から依存するようでは先々保たないだろう。


 そして、頼りになるアドバイザーの確保が難しい。片手間ではなく密着してということになると、俺や園長さんには荷が重いんだ。


 ただ……どこにも拠り所のない佐伯さんは、きっと勝山さんの後見提案を受け入れるだろう。後見人とアドバイザーはイコールではないが、逆に言えばその役割を分けることで、俺らがアドバイザーを探しやすくなる。そう考えればいい。


 佐伯さんにとって、最初の変化は半強制的なものになる。新たな人々との関わりに対して、強い緊張と気後れを感じるだろう。だが、サポーターの補助輪があるうちに勢いが付けば、本格離陸をうんと前倒し出来る。これからどう自分の生き方を組み上げていくかを、何かに追われるように考えなくて済むんだ。


 まあ、アフターケアはまだ始まったばかりだ。小林さんの案件と同じ。じっくり行こう。


 手帳に書き込んだ『アフターケア』という文字をじっと見つめていて、強い違和感を覚えた。


「ああ、アフターケアってのは言い方がよくない。スタートアップ、だよな」



【第五話 アフターケア 了】


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