第五話 アフターケア
(1)
「さて、と」
佐伯さんが三日間の避難生活を終えて勝山さんの部屋から退去する直前に、勝山さんのお宅で解決報告と説明をすることにする。今後のこともあるので、佐伯さんのために骨を折ってくださった園長さんにも同席をお願いした。
佐伯さんを預けた時、俺はタッチアンドゴーだったから、勝山さん、園長さん、佐伯さんの間でどういう会話が交わされたのかが分からない。俺は、それがなかったという前提で話をせざるをえない。
報告開始が夕食前の微妙な時間帯になってしまったが、園長さんや佐伯さんの仕事の都合上そこしか時間が確保できなかった。もっともそれは俺らの都合に過ぎず、勝山さんの生活を一方的にかき乱していいという理由にはならない。本当に申し訳ない。まず、そのお詫びをしなければならない。
「勝山さん、この度は突然ご迷惑をおかけして、大変申し訳ありませんでした」
みんながソファーに着席したところで床に正座し、勝山さんに向って深く頭を下げた。
「いえいえ、困った時はお互い様。わたしも、中村さんには本当にお世話になったから」
「そう言ってくださると、本当に助かります」
正座を崩し、あぐらをかく。話が長くなるからな。
「では、これから調査報告をさせていただきます」
三人の顔を順繰りに見やりながら、報告を始める。
「まず。本件は、通常の依頼と性格がとても異なるということにご留意ください。普通は何かを調べて欲しいという調査依頼を受けて、私と依頼者との間で契約を結んで着手金をお支払いいただき、契約発効後に調査、報告を行って案件が完了します。最後に調査料金を精算していただくという流れになっております」
「ええ」
園長さんが、何度か頷いた。
「ですが本件に関しては、本来被調査者になる佐伯さんのストーカーの正体がすでに特定されているため、調査すべきところが何もありません。つまり、本来は請けられない案件なんです。それなのに、なぜ私が本件を請けたか」
じっくりと間を取る。俺はこの件を単なる同情や正義心から請けたわけじゃない。請けたのは、ちゃんと案件として成立しうるからだ。それを、最初にしっかり理解してもらわなければならない。
「実は、ストーカーたちの指揮者すなわち佐伯さんを加害していた田中という男の後ろに、さらに大物の黒幕がいると予想したから。そいつを調査出来るからなんです」
表情を引き締めて三人を見回す。
「警察が佐伯さんに対するつきまとい行為を止めさせるためには、ストーカーたちの使役者を特定し、その指揮を実証しなければならないんです。でもね、ダイレクトなストーカーですらなかなか制御できない警察は、そこまではやってくれません」
「ええ」
「それでも、警察は佐伯さんから事情を聞いていますから、田中がストーカーの元締めであることはもう分かっています。正式な接近禁止命令でなくても、いい加減にしろという警告くらいは、手下だけでなくその上にいる田中にも出せるはずなんです」
園長さんが不満げに声をあげた。
「ええー? でも、それで行為が止まってませんよね?」
「そりゃそうでしょう。警察がそういう風に動いてませんから」
「何もしなかった、放置したってことですかっ?」
突如ぶち切れる園長さん。気持ちはよーく分かる。
「いいえ。警察は、ストーカーたちへの口頭注意や職務質問という形ではちゃんと対処してくれてる。それに実効がないだけです。指揮系を一つ上がるだけで加害証明がものすごく難しくなる。実証主義の警察は、証拠がない限り動けません」
「そんな!」
「直接のつきまとい行為ならそいつが犯人ですが、人を使っている場合はそうはいかない。黒幕の指示を、誰がどうやって実証します?」
「あ……」
「当たり前ですが、指示役も実行犯も、必ず俺は知らないと言い張るでしょう。下手すると、佐伯さんの被害の訴えが妄想にされてしまう。純粋に被害者であるはずの佐伯さんが、偽計業務妨害の犯罪者扱いされる恐れすらあるんです」
園長さんの不信感丸出しの視線が痛い。だが、事実は事実として認識しておいてもらわないとならない。
「そこが集団犯罪の厄介なところなんですよ。私が如き泡沫探偵は、ヤバい相手とは絶対に対立したくない。私は君子ではありませんが、危ないところには近づきたくないんです。ただね」
「ええ」
「田中が財力にものを言わせて手下にストーキングさせていると考えるには、どうにもこうにも奇妙な点がいっぱいある。連中の手口は、あまりに露骨で雑なんです」
「うーん……」
園長さんが何度も首を傾げた。ぴんと来ないんだろう。
「つまりね。佐伯さんが田中の家を追い出されるまでのビフォー。追い出された佐伯さんが自活し始めてからのアフター。その間の田中の行動に、極端な落差があるんです。私はその落差が、田中よりもっと上に黒幕がいるから生じたと考えたんです」
床をとんと拳で叩き、三人をぐるっと見回す。
「田中の本当の立場が明らかになれば、どこかに付け入る隙があるかもしれない。それなら佐伯さんが田中から受けた被害を、私の調査料込みで償わせることができると見込んだんです。だから調査をお引き受けしたんですよ。ですので今回私が行ったのは、田中の身辺調査です。犯人の確定や犯罪事実の実証ではありません」
「あの……田中って男を調査することに、どんな意味があるんですか?」
ダイレクトに突っ込んできた園長さんを軽く手で制して、話を続ける。
「田中が総本山でなければ、状況によって田中の立場が変化するんです。命令者のポジションから降ろされれば、田中はただのスケベオヤジに過ぎなくなる。田中の影響力を排除することは何も難しくないんです」
「はあ」
園長さんの表情がなんとも微妙だ。ははは。
「田中のどこが親玉としておかしかったのか。まずそこから行きましょうか。最初に、佐伯さんに伺った話を整理しますね」
「はい」
佐伯さんと園長さんが、ぐっと身を乗り出した。俺は手帳をめくり、田中に関する聞き取り情報を読み上げる。
「貿易会社の社長。仕事が多忙で家にはあまりいない。奥さんはいるが、やはり家にほとんどいない。家政婦は佐伯さん一人だけ。それで合ってますよね?」
「はい」
「でもね、園長さんと佐伯さんにはすでにご説明いたしましたが、金持ちのはずなのに金持ちが絶対に住まないような地味な住戸に住んで、一人だけ家政婦を置く。しかも妻がいるのに。それは、誰から見ても異常そのものなんですよ」
「……あ」
勝山さんの顔色が、さっと変わった。
「そうだ。すごくおかしいわ」
「でしょ? つまり、それは普通の生活をしてますよというカムフラージュのためで、家政婦や奥さんというのは、まともに見せかけるためのパーツに過ぎないんです。その家にいるのは、絶対にまともなやつじゃありません」
右手の三本指を立てて、かざす。
「その場合、よくあるのはヤクザと変質者なんですが」
「ええ」
「ヤクザがなんでもありの連中だって言っても、表立って非合法なことをして警察に目をつけられたらアウトです。悪事がバレないよう、隠し通さなければならない。つまり、加害した佐伯さんを家から追い出すというアクションは、そもそもありえないんです」
指を一つ倒す。残りは二本。
「じゃあ、変質者? もし異常性癖を持った男が一般人のような顔をして暮らすなら、世間に自分の異常性がバレた時点で人生お終いですよ。絶対にバレないよう、女性を徹底して囲い込むでしょう。先ほどと同じで、佐伯さんをリリースするってことはありえないし、奥さんがいるのに堂々と佐伯さんを飼うという感覚もおかしい」
もう一本指を倒し、残りは一本だけ。
「じゃあ、残りは?」
三人揃って、分からないというリアクションをした。
「最初に申しましたように、田中という男すら捨て駒にするようなもっと大物が背後にいる。田中は、その家をあてがわれてるってことなんです」
「なんか……よく分からないんですけど、それって誰なんですか?」
「まあ、総本山は謎の悪役
突き出していた指を引っ込める。
「田中は、必ずしも自分の色欲にかられて佐伯さんに手を出したわけじゃない。初めから狙いがあったんです。田中が本当に欲しかったのは、佐伯さんではなく赤ちゃん。佐伯さんは、合法的に赤ちゃんを得るために田中に使われただけ。私はそう睨んでいます」
「えええっ?」
予想外の展開に、三人とも絶句してる。まあ、そうだろな。
「もし自分が産ませた子に愛情があるなら、田中は赤ちゃんを猫かわいがりしているはず。でも田中は育児を佐伯さんに放り投げて、子供の顔を見ようともしていないんじゃないですか?」
「……はい」
佐伯さんが弱々しく頷いた。やっぱりね。
「それは、どう考えてもおかしい。佐伯さんに対してだけでなく、佐伯さんに産ませた自分の子供に対しても愛情を示さない。佐伯さん親子を、まるで荷物のように扱ってる。逆に言えば、『そうしなければならない立場』に田中がいる……ということなんです」
勝山さんの方を向いて、説明を足す。
「誘拐などの非合法手段ではなく、合法的に子供を得てそれを商品のように扱う。年齢、立場の差はありますが、図式が勝山さんの巻き込まれた事件にとてもよく似ているんですよ」
「そうか……」
園長さんはまだ呆然としていたが、自分も被害を受けた勝山さんにはなんとなく想像が出来たんだろう。佐伯さんを見る視線に、強い心配の色が混じった。
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