(5)
隼人を抱いた直立不動の姿勢で、ひろがこちこちに固まってしまった。ママのアクションが突然止まったことに腹を立てた隼人が、拳でひろの顔をぽかぽか叩き始めた。
「ぶーぶー! いけー!」
「いでででで。こら、隼人! やめてー」
「ははは。俺が見てやるよ」
キッチンから出て、ひろから隼人をひょいと受け取り、肩車する。
「隼人。俺の頭ならなんぼ叩いてもかまわん。何かアイデアが出るかもしれんし」
「ぎゃははははっ!」
大笑いしながらソファーに腰を下ろしたひろが、そのあと腕組みをしてじっと考え込んだ。
「そうか……厳しいなんてもんじゃないね。それ」
「だろ? どうしても後見人がいる。そっちを確保してやらんと、今回の案件が片付いてもまたトラブルになる」
「佐伯さんは一人暮らし?」
「のようだな。今はストーカー対策で、勝山ばあちゃんのところに避難してもらってるんだ」
「うわ。それはみさちゃんが斡旋したの?」
「事態が切迫してたからな」
「警察は?」
「一応動いてる。でも、警察は護衛官じゃないからね」
「そうか……」
「依頼人とストーカーとの切り離し。佐伯さんの身分の安定化。両方に目処をつけんとならん。どっちも俺の本務ではないんだがな」
「ぶーぶーぶー! いけー!」
肩の上でご機嫌だった隼人だが、すぐに飽きたんだろう。予想通り、俺の頭をぽかぽか叩き始めた。
「いでででで。こいつ、まるっきり手加減というのを知らんな」
「手加減する子供の方がこわいよ」
「わはは! それもそうか」
俺は隼人を下ろしてチャイルドサークルの中に放り込んだ。おもちゃが散乱している空間は隼人の王国だ。しばし、そこで暴虐の限りを尽くしてくれ。
「ばうすっ!」
ブロックを積み上げて作られていたお城が、隼人の手刀一発でばらばらに崩壊した。
「バルス? だれだよ、そんなえげつないこと教えたやつ」
「ああ、みさちゃん。あのね」
「うん?」
ひろが苦笑いしてる。
「覚えて欲しくない言葉ほど伝染するの。保育園てのは、そういうとこね」
◇ ◇ ◇
会話を一旦中断し、気が済むまで隼人を暴れさせた。二歳代でこれなら、成長したらどういうことになるんだか。今から頭が痛い。そのあと子供二人を風呂に入れ、なんとか隼人と月乃を寝かしつけた。紅茶を淹れ、月乃の寝顔を見ながら夫婦の会話を再開する。
「ねえ、さっきの話。どうするわけ?」
「ストーカー対策は目処が立ってる。そっちはいいんだ。問題は……」
「後見の方かあ」
「そう。すでに仕事をしてる佐伯さんのプライドにも配慮しないとならないし、後見してくれる人がいるかどうかという問題も大きい。なにしろ、年齢が本当に微妙なんだ」
「年齢?」
「そう。十九だからね。もうすぐ成人だ。学校に通っている中高生の年代ならともかく、もう自立していておかしくないんだ。健康ですでに就労していれば、行政から後見が本当に必要なのかと懐疑的に見られてしまう」
「うわ、厄介だね」
「そう。でも一番厄介なのは」
「うん」
「佐伯さんの性格なんだよ」
「はあ? すっごくいい子だと思うけど」
「ひろや園長さんの印象は正しいよ。俺もそういう印象を持ってる。でも、もしひろが佐伯さんの立場だったら、そう出来るか?」
「あ……」
ひろの眉間に、ぎゅわっと皺が寄った。
「人っていうのは、その境遇が性格に影響するんだよ。俺やひろの意地っ張りは、親との確執から来てる。それは表面を繕っただけじゃ消せない。どこかに出る」
「うん」
「それが全く見えないっていうのは、おかしいと思わんか? 俺らよりずっと厳しい境遇なんだぜ?」
「確かにそうだ」
何度も何度もひろが頷く。俺は、ブンさんに課された宿題を思い返す。
『見える色の向こうを見ろ』
そう。俺には、まだ佐伯さんの向こうの色がよく見えないんだよ。それをちゃんと見せられるようにすること。それを見てくれる人が後見すること。アフターってのは、そういうことさ。
「まあ、そこは調査報告の時に調整するよ。ひろは、厄介な案件があるっていうことだけ把握しといてくれ」
「おけー。分かった」
◇ ◇ ◇
復職してすぐ激務モードに入りそうなひろは、早めに寝室に消えた。月乃の睡眠間隔が徐々に開いてきたので、夜泣きが減って少しずつ楽になってくるだろう。そうは言っても、独身時代のような自分主体の生活ペースはもう望み得ない。いくら一度走り出すとブレーキがかからないひろだと言っても、以前と同じスタイルに戻せないことは分かっているはずだ。
俺もひろも決して器用な性格ではない。だからこそ自分の理想と現実とのギャップをなかなか埋められず、すぐには解消出来ない大きなストレスを抱え込む。俺はそのストレスを理詰めで徹底的に押さえ込み、ひろはストレスを仕事をこなすエネルギーに変えてぶちまかす。表面上はうまいこと処理できているように見えるが、実はどちらもタイトロープ。綱渡りなんだ。
押さえ込み切れないストレスは、俺の中ですぐに嫌味やどやしに化ける。化けただけでそのままじっとしているならいいが、そいつがどうしても口からにょろにょろ出てきてしまうんだよ。
ひろもそうさ。ストレスを仕事の推進エネルギーに変えるっていやあ聞こえはいいが、その仕事で懸案を抱え込むと、負の相乗効果でストレスの逃げ場がどこにもなくなる。普段極めて精神が安定しているはずのあいつが、露骨に荒れてくるんだ。
俺たちは完全無欠の人間ではない。いや、そんなやつはどこにもいやしない。誰もが負の感情や大きなストレスを抱え、そいつをどうしてくれようかともがき苦しんでいる。
そういう悩んでいる姿が外からちゃんと見えること。悩みを見抜いてくれる人、気付いてくれる人がいること。それこそが、でかいストレスをなんとかやり過ごすカギになるんだよね。俺とひろ、俺とフレディの間もそうだし、正平さんや梅坂ばあちゃんもそうだ。俺がガキの頃の負の遺産に押し潰されずに済んだのは、ひとえに心を汲んでくれる人たちとの得難い出会いに恵まれたからだ。
そして、あまり人様には自慢できない探偵という商売がその貴重な縁を結んでくれたこと。俺は、そこだけは否定したくない。これからも活かしたいんだよ。
「さて、と」
懸案とスケジュールをびっしり書き込んだ手帳を閉じて、じっと目を瞑る。
ひろの育休期間中は、俺の口の悪さが剥き出しになることはほとんどなかった。明日は、二年ぶりにそいつを全開にする必要があるだろう。それは、俺のストレスを晴らすためではない。そうじゃない。
アフターが必要になる二人に、きちんと心を見せるため。自分の感情を解き放つ重要性を、しっかり見せつけるためだ。それは再起への長い
「一気呵成の解決はいいんだが、アフターはそういうわけにいかないからなあ」
【第四話 一気呵成 了】
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