(4)
武田さんの案件は、佐伯さんの件よりずっとお粗末だった。
ご主人をたらしこんだ青木という女が住んでいる家は、紛れもなく売春宿。女は幼稚園を狩場にして、カモを次々引きずり込んでいた。武田さんのご主人もまんまとその罠にはまったということになる。俺の読み通りだったわけ。
女を操っていたのは高石というヤクザで、女が家で繰り広げていた情事は全て録画されていた。それがあれば、男たちは一切言い逃れが出来ないからな。
幸い、青木という女にとってご主人は単なるキープ君だったらしい。他のもっとカネになりそうな男をしゃぶりつくして、他にいなくなればそっちにするかあという感じ。のぼせ上がったご主人の方が、一方的に女に入れ込んでいたんだ。
背景さえ判明すれば、難しいことはなにもない。ただ淡々と調査結果を並べていくだけでいいからね。俺は、奥さん経由ではなくご主人の携帯に直接電話を入れ、青木という女の正体をタレ込んだ。そいつはヤクザのスケだよってね。しょせん小市民のご主人は、すぐに陥落。事情説明するから会社を休んで家にいてくださいねという俺の指示を守らざるをえなくなった。そらそうだろ。青木から呼び出された時に、どう対応すればいいか分からないだろうからな。俺は白昼堂々と武田さんの家に乗り込み、青木の家に出入りしている男たちと元締めヤクザの写真をご主人の前にずらっと並べた。
「クソ女にうつつを抜かすのはあなたの勝手ですが、ご家族の財産、生命まで巻き添えにするのはいかがなものかと。ヤクザに滅多刺しされてくたばるのは、あなただけにしといてくださいね」
青木が、ヤクザ付きのプロ売春婦であること。その事実を改めて俺に突きつけられ、ご主人は山盛りの塩をぶっかけられたナメクジみたいにくたくたになった。
あのね、ご主人。世の中にそんなうまい話がそうそうあるわけないでしょ。くたびれ切ったおっさんに、一目でフォールインラブする物好きな女なんかどこにもいないって。ったく。
偉そうな態度が木っ端微塵になり、ドブに落ちた野良犬以上に惨めな姿に変わり果てたご主人を見て。奥さんは、面談の時に俺が残した奇妙な予言の真意を理解しただろう。ご主人は許しを乞うのではなく、助けを求めるだろうと言った意味。そして俺が、手切れ金……ヤクザからの手切れ金としては安いものだと言った意味をね。
俺は、青木というクソ女とその背後にいる男をさらっと調査しただけ。連中があからさまにやらかしていることだから、何の手間もかからん。大した調査費用ではないので、ご主人のお小遣いを没収して当ててくださいと言っておいた。もちろん、ヤクザ絡みのどさくさに関わったら絶対にダメだよっていう強い警告と合わせて、ね。
まあ、高石のやらかしてる恐喝はあまりに露骨過ぎる。江畑さん経由でもうマル暴が動いてるみたいだから、すぐに摘発されて手が後ろに回るはずだ。脅迫に使った画像が、今度は犯行の証拠になっちまうからね。脅しに屈して巻き上げられたカネは戻ってこないが、もともと短期決戦のつもりで店を広げていた青木たちが今回のカモに強く執着することはないだろう。俺は、そこは心配していない。だが、ご主人の軽挙妄動に対してしっかり恐怖の重石を乗せて置かないと、示しが付かん。
そして。浮気の後始末をどうするかってのは夫婦間の問題で、俺の関与すべきところではない。あとは夫婦の間でけりをつけてくれ。俺としては、ちゃんと依頼にして調査費用をゲット出来たってことだけで大満足だ。
◇ ◇ ◇
前のおんぼろ事務所で細々とやっていた頃よりは調査料金を引き上げてあるが、それでも有名どころの興信所よりはずっとお安い料金設定にしてある。日数のかからない調査は楽でいいが、儲けにはならん。だが今回は同時進行になってしまったから、それをこなせただけでもよしとしなければならないんだろう。
武田さんの方は、調査報告の時に報告書も一緒に渡してある。支払いもその場で済んでいるので、これで完了。オチについては、麻矢さん発トミー経由で流れてくるだろう。ご主人がカモの一人に過ぎなかったということで、奥さんが少しでも怒りのトーンを下げてくれるといいんだけどね。結末がどうなるかは、神のみぞ知る、だ。
問題は佐伯さんの方だよ。首謀者が退場するから、トラブルの再発はもうない。二度とない。だが、それで終わりにはならんだろう。事件解決を受けて、園長さんは佐伯さんに対するポジションを元に戻すはずだ。佐伯さんの庇護者ではなく、子供を預かる保育園の園長さんというポジションにね。そうすると、佐伯さんがまた一人ぼっちになってしまう。
現時点で、頼りになる近親者や友人が誰かいれば別だよ? そういう人が誰もいないからこそ田中の屋敷をなかなか脱出できず、挙句こういう事態になってしまったんだ。佐伯さんに関しては、むしろアフターケアを考えないとならない。三中さんを貸してもらったから、フレディにこれ以上の負担をかけたくないんだが。どうすべ?
俺がぶつくさ言いながら夕飯の後片付けをしていたら、隼人を抱いたひろが突っ込んできた。
「例の案件、片付いたの?」
「高崎さん経由の案件は、今日で完了。まあ、よくある調査と解決だ。俺は、あとは知らん」
「ダンナの浮気?」
「そ。いろんな意味で真っ黒け」
「うわ」
「まあ、依頼を出す時点でクロだってことは、向こうにも俺にも分かってる。その後のアクションにつなげるために、ダンナが何をしでかしてたかの確証が欲しいだけさ」
「そっかあ」
「そっちはいいんだが、もう一件がどうなるかだなあ」
「えっ? 二つもあったの?」
「三つ同時だよ。勘弁して欲しい」
「げ……」
俺は、お手上げのポーズで苦笑。
「小林さんの方は、まあまあ目処が立った。あとは慣れだ」
「あ、そっちも案件かあ」
「俺にとってはね。ゾンビがダンゴムシくらいにはなった。今はそれでいい。ただ、残る一つがものすごく厄介だったんだ」
「ふうん。電話依頼?」
「いや、とんでもないところから降ってきたのさ」
「えー? どこ?」
「小鳩保育園」
「はあああっ?」
ひろが、のけぞって驚いてる。
「佐伯さんていうシンママさんが、娘さんを預けにきてるだろ?」
「あ、いるいる。若いけど、すごく感じのいい子だよ。受け答えがだらっとしてない。礼儀もしっかりしてるし」
「その彼女が、ずっとストーカー被害を受けててね。加害者特定を頼まれたんだ」
「……佐伯さんに?」
「あの若さでシンママだぜ? 調査依頼する費用なんざ、どこにもないだろ」
「そう思うんだけど」
「佐伯さんを心配した園長さんからの、遠回しな依頼だったのさ」
「じゃあ、調査費用は園長さんから?」
「んなわきゃないよ」
「ええー? ただ働きぃ?」
ひろの表情がきつくなる。これからまじめに経営に取り組まなければならない俺が、とっ初めからそんなダルなことでどうするの! ああ、それは共同経営者としては当然の非難だよな。もちろん、俺だって分かってるさ。
「俺は」
「うん」
「いかなる事情があっても、ただ働きはしない。園長さんにも佐伯さんにもそう言った」
「ふうん……でももう引き受けたんでしょ? 費用回収出来るの?」
「出来るという目処を立てたから請けたんだ」
「依頼者の財源は?」
「加害者が払う補償金、だよ」
「ええー? そんなの無理でしょ。裁判起こしたってろくにお金取れないんだし、判決確定したって、ばっくれて払わないやつが多いんだし」
ひろも、そういうところだけはいっぱし知識がつきやがったなあ。もっとも、家で俺がそういうことばかりぶつくさ言ってるからなんだが。ははは。
「まあね。でも、確実に補償金は取れる。あとは手続きだけだな」
「ふうん」
「そっちはいいんだ。アフターが問題なのさ」
「アフターって?」
「佐伯さん、孤児なんだよ。身寄りがないんだ。現時点で、頼りになるサポーターが誰もいない」
「……相手の男は?」
「それがストーカーだよ。今後排除するなら、接点は確実に切らないと」
「ああっ!」
「だろ?」
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