(2)
お腹いっぱいになった月乃は、すぐにおねむになったようだ。月乃は隼人ほど我を張らないので、本当に助かる。ひろから月乃を受け取り、おねむを邪魔しないよう小声で話をまとめた。
「まず、面談だよ」
「どっちの方?」
「事務員」
「ふうん、おばさん?」
「いや、若い女の子だよ。まだ十八だ」
「げ……」
「容姿ばつぐんのアイドル系。素顔をさらせば外を歩けないくらい、メンもスタイルもいい」
ひろが、露骨にシブい顔になった。
「なんで?」
「そんな上玉が、潰れそうな探偵事務所の事務を……ってことだろ?」
「うん」
「うちくらいしか受け皿がないからさ。見栄えがいいのは側だけだ。中身は……」
「違うの?」
「腐ってんのさ。どうしようもなく、ね」
「なんでそんな子を?」
「タダで使えるから。それ以外の理由はない」
「げー」
まあね。あの子が今後もずっと腐ったままなら、俺は絶対に使わんよ。でも、人ってのは変わるもんだ。それは、俺の持論というより信念に近い。その信念を最後まで貫いたことによって、ブンさんは沖竹所長っていう稀代の名探偵を輩出させた。俺も、ブンさんの遺訓を引き継ぎたいんだ。
あの子に足りないのは、経験。それだけなんだよ。経験を通して、早々に凝り固まってしまった自分の狭い世界を中から壊せれば、自分の魅力を生き方に活かせるはずなんだ。あの光岡さんみたいにね。だから、俺は変化を急かすつもりはない。中から自発的に生じる変化以外は、全く意味がないからね。
じろじろじろ。手の空いたひろが、俺をねめつけるように見回す。ああ、光岡さんの件でひろが妬いた時みたいだな。ははは。
「ひろ、心配いらん」
「何が?」
「その女の子。俺が大っ嫌いなタイプなんだよ」
「なんで?」
「一番ひどかった頃の姉貴以上に、なめくじだからさ」
「げ……」
はあ。あのフレディが持て余したやつを立て直すってのは、ホネなんだよなあ。
「姉貴は、曲がりなりにも働いて、自力で食っていた。いくらだらしないって言ってもね」
「うん」
「だがその女の子は、箸にも棒にもかからんぷーたろーのひっきーだよ」
「学校は?」
「自主退学。もっとも、行けるような状態じゃなかったけどね」
「働いたことは?」
「ない」
「う……わ」
「そういうのを、超筋論者の俺が気にいるとか手を出すとか、ありえるか?」
「ない」
納得したんだろう。ひろの表情が和らいだ。
「正直、そいつにはかまいたくないんだが、俺の方の金銭事情があるからさ」
「ああ、それで無給で……ってことなのね」
「そう。実家にたてこもるのはもう無理。親が叩き出しにかかってる」
「うひー」
「うちで電話番する方が、気分的にずっと楽だろさ」
にやっと笑うひろ。気の毒にと思ってるんだろう。俺でなく、その子が。ちぇ。
「みさちゃんのど突きに耐えられれば、ね」
「ああ、俺はど突かないよ。めんどくさ」
「へえー、珍しい」
「俺にそんな暇があるようじゃ、最初から商売にならんよ」
「あ、そういう意味か」
「ど突きが必要になったら、専用の教師を当てる」
「へー。誰?」
「梅坂ばーちゃん」
両手で頭を抱え込んだひろが、呻いた。
「ううー、それは……きつそー」
「そうならないことを祈りたいけどね。ああ、ひろ」
「うん?」
「明日は休みなんだろ?」
「うん」
「そいつとの面談に立ち会ってくれ。一応、探偵事務所の協同経営者だからな」
どたあん! 今度は派手にぶっこけるひろ。
「ええー?」
「俺は、光岡さんの件でリトルバーズがどんなところかはある程度分かってる。あの後も行き来があったし」
「うん」
「その程度でいいから、ひろも俺の職場の現状を知っといてくれ。これからは、今までとは業態が違うんだ」
ひろが真顔で頷いた。
「分かった。そうだね。わたしも考え方を変えていかないとな」
「そうしてほしい。これからが……」
俺は、すっかり寝入った月乃の顔を見つめながら宣言する。
「これからが本当の二人三脚なんだよ。頼むな」
「うん!」
一足す一が二でしかなかった、これまでの中村家。それぞれの持ち分だけをきちんとこなせていれば、それでなんとかなったんだ。これまでは、ね。でも、俺たちは隼人や月乃の未来に責任を持たないとならない。俺は、わたしは、これしか出来ない、これしかやらないじゃ、もう保たないんだよ。家事のことだけでなく、全てのことにおいてね。
「さて。月乃を寝かせてくる」
「隼人の様子も見てきて」
「おっけー」
◇ ◇ ◇
翌朝九時。子供二人を託児所に預けた俺たちは、早々に事務所を開けた。
「へー! プレハブって言っても、外観からはわからないなー。立派だー」
「そうだろ? 技術の進歩ってのはすごいなと思うよ」
ぴかぴかの事務所の外観を興味深げに眺め回していたひろが、ひょいと振り返った。
「その子の来所予定時間は?」
「来るなら十時。来るなら、な」
「そこから……か」
「そう。俺はどっちでもいいんだよ。俺が積極的に押した話じゃない。フレディにねじ込まれたんだ」
「へー」
「まあ、案件の中には、アフターフォローが必要なものが多いんだよ。フレディがそいつに積極対応している以上、世話になった俺も手伝わんとな」
「そっか。わたしが休んでる間は、みさちゃんの方の給料が頼りだったもんね」
「頭のてっぺんにぺんぺん草が生えてる中年のおっさんを、ほいほい雇ってくれるところはないよ。フレディにはどんなに感謝してもし足りない」
俺の自虐ネタに苦笑していたひろの背後で、明るい声が響いた。
「よう、お二人さん」
「あ、正平さん。おはようございます!」
「おはようございます。主人がいつもお世話になってますー」
「はっはっは! お子さんはどうしたい?」
「今日は託児所に預けてきました。これから面談があるので、家内にも立ち会ってもらおうと思ってね」
「面談かい?」
「はい。事務員候補の人との面談です」
「面接じゃないのかい?」
あれ? という風に、正平さんが首を傾げた。
「違います。面談」
「ふうん」
「面接は試験ですよ。それで採否を決める」
「そうだな」
「面談は違います。一種の情報交換ですね。私が来所した依頼人と最初にやること。それと同じ」
「ははあ、なるほどな。一回じゃ決めないってことだな」
さすが、正平さん。俺の意図に一発で気付いてくれた。
「そうです!」
「ははは。信用商売だからな。慎重にやらんとな」
「ええ」
「いい縁があるといいな」
「そうですね。焦らずに行きますわ」
「がんばってな」
「これからロンの散歩ですか?」
「そう。ついでに獣医さんのところで検診を受けて来る」
「どっか不調なんですか?」
見た目は元気そうだけどな……。
「ああ、定期のやつだよ。野良暮らしが長いと、隠れたところに無理が溜まる。それがいつ暴れだすか分からんからね」
「うーん、そうなんですか」
「小型犬の場合、野良になったらせいぜい一年かそこらの寿命なんだってさ。それだけ厳しい負荷がかかってるんだ。ちゃんと考えてやらんとな」
目を細めた正平さんが、ロンの頭を撫でた。
「じゃあな」
「行ってらっしゃい」
「おう」
ゆっくり遠ざかって行く正平さんの背中を見つめていたひろが、ぽつりと言った。
「どこまでも愛してもらえるって、いいね」
「そうだな。ロンの場合、これまでの苦労は全部報われるだろ。ちゃんと苦労に見合った幸福が待ってる……俺はそう考えたいな」
「そだね!」
「じゃあ、中で待とう」
「わあい! おじゃましまーす」
「おいおい」
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