(4)

 俺はひたすら連中が動くのを待った。その間に、何人かの客がミストに入っていった。若い女性だけではなく、連中が全く興味を示しそうにない年配の女性客もいたが、どう見ても飛び込みの一般客だ。行動を見る限り、その中に客のふりをした一味の関係者が混じっている可能性は低いと思う。

 飛び込みの客は、比較的短時間で店を出た。そして店を出てくる時の表情を見る限り、ミストで過ごした時間で大きな充足感を得たようには見えなかった。たぶん……一般客はミストの異様な雰囲気に居心地の悪さを覚えるんだろう。そういうのも、連中がプロデュースしてるってことだな。潜入した調査員さんに、どういう印象だったかを確認しておかないとならない。


 七時をかなり回って、ミストの周りを行き交う人の流れが徐々にピークアウトしてきた。ミストにトラップされている被害者たちも、客を取らされている女性以外は店内での暗示強化時間がそろそろ終わりつつあるんだろう。出入りの数を差し引きした限り、あまり残っていないはず。飲食店フロアの店でないから、閉店時間は早めに設定されているとみた。連中は、左馬さんを最後まで引っ張るつもりだろうか。


「やばい……な」


 いかに左馬さんが囮役だと言っても、全く無関係な第三者に命に関わるリスクを冒させるのは論外だ。俺は……やっぱり別の方法を考えた方がよかったんだろう。悔やんでも悔やみ切れん。


「!!」


 来たっ!!

 ミストのガラスドアが押し開かれて、そこから二人の人物が姿を現した。先に店を出た左馬さんの背後に張り付いているのは、小柄な老人。


「俺の読み通り……か」


 あれはセンサーじゃない。トレーナーだろう。もう閉店近いということは、トレーナーが出す指示は一つだけ。ミストに来たことを忘れて家に帰れ……だ。トレーナーが店内にいる必然性はもうないんだ。今日はもうご苦労さんということ。そして、お持ち帰りは左馬さん……てか。


「させるかっ!」


 老人の前を歩いている左馬さんの様子は、入店時とは似ても似つかなくなっていた。ミラーサングラスをかけ、携帯にイヤホンをつないで何かを聞いている。それだけ見れば、どこにでもいる若い女性の姿だ。だが俺のように入店前後を見ていれば、その姿が恐ろしく変化したことが分かる。入店時に左馬さんがぶちまかしていたオーラは完全に消えていた。足元がおぼつかず、足取りはよたよた。それに動きが緩慢で、ぼーっとしている。口が薄く開いている。少し猫背になり、覇気が全く感じられない。


「短時間で……落とされちまったってことだな」


 老人は、左馬さんとの距離をぴったり詰めて歩いている。左馬さんに行き先を指示するためだろう。老人の表情は、勝利者、征服者の顔だ。これからうまいメシを食うんだという期待を丸出しにしている。自分の存在を隠すどころか、逆に誇示してやがる。紛うことなく、筋金入りのエロじじいだ。俺の最初の見立て……過去に強制わいせつなどの犯罪に手を染め、ばれて職を失ったエロ医者っていうのは当たっていそうだな。それ以外は大外れだが。


「くそっ!」


 そうなんだよ。ここまで、俺の予想は悪い意味で大きく外れちまってる。でも、全部外れているわけでもない。俺がミストを張って得た新たなファクト。それは、光岡さんからの情報以外何も分からなかった時に比べればはるかに多くの手がかりをくれる。そいつを元に、急いで推論を立て直さないとならない。左馬さんを救出してから、今晩中に明日以降の対策を練り直そう。俺は二人の行動を注視しながら、フレディと江畑さんにメールを流した。


『トレーナーが動いた。老人。俺の読み通りだ。やつが連れている左馬さんを回収して、すぐ引き上げる。そのあと、トレーナーの追尾をよろしく』


 俺は、人波に紛れ込んだ二人を見失わないよう注意深く追尾を開始した。


 トレーナーは、勤務が終わったと言っても、まだ暗示のかかりが十分でない左馬さんを連れて遠出はしないだろう。近場のラブホに連れ込もうとするはずだ。人波から外れてしまうと俺の行動が不自然になり、敵に怪しまれることになる。俺はぐずぐずしていられない。後尾行ではなく前尾行に切り替え、老人が左馬さんに進行指示している方向の前に回り込んだ。通行人は決して少なくない。その目を利用するなら今しかない。念のために伊達メガネをかけ、つけ髭を鼻の下に貼って即席変装を施す。これで、俺の人相が相手に覚られにくくなるはずだ。


 よし!


「あれー? 左馬チーフ。こっちで商談ですかー? 遅くまでお疲れさんすー。クレフの件はどうなりましたー?」


 同僚を装って、正面から左馬さんに声をかけた。案の定、老人の顔に激しい狼狽の色が浮かんだ。


「どしたんすか? なんか変ですよ? 左馬チーフ」


 左馬さんの後ろから、老人の小さな命令口調が聞こえた。


「走って振り切れっ!」


 そうは行くか。俺は駆け出そうとした左馬さんの足元に、老人からは見えないように足を出した。けつまずいて倒れかかった左馬さんを抱えるようにして、イヤホンをむしり取る。


 かしゃっ! サングラスが吹っ飛んで、路上で砕けた。


「おっと! 大丈夫すか?」

「ちっ!」


 激しい舌打ちの音。俺は、すかさず後ろにいた老人を威嚇した。


「なんだあ? 薄気味悪いじじいだな。痴漢か? 警察呼ぶぞ!」


 俺をちらっと見た老人は、諦め切れないという未練を垂れ流しながらきびすを返した。そいつの背中が俺の視界から完全に消えたのを確かめて、左馬さんに声をかける。


「おい、大丈夫か?」


 眼振がひどい。ミラーサングラスをかけさせていたのは、それを隠すためか。表情が外から丸見えだと、すぐ通行人に怪しまれるからな。目の前で手を振る。だが、目がそれを追ってこない。だめだ。完全に術にはまっちまってる。


「飲まされた薬の影響が切れるまで待つしかない。受診させるとすれば、その後だな……」


 フレディと江畑さんに、メールで速報を流す。


『左馬さんの回収完了。連中の動きが荒っぽくなってる。帰着後また連絡する』


 長居は禁物だ。あいつらが現場の確認に来たら、俺の面が割れる。さっさと離脱しよう。俺は左馬さんの脇の下に腕を突っ込み、少し抱え上げるようにして路側に引き寄せた。


 手を上げて、タクシーを止める。先に左馬さんを押し込んでから、振り返った中年の運ちゃんに行き先を告げた。


「横田3の2。プレストっていうコンビニが角にあるんだけど、分かる?」

「ちょっと待ってくださいね」


 タクシーの運ちゃんは慣れたものだ。酔っ払ったカノジョを抱えたカレシ。これからどっかにしけこむんでしょ? そんな少し冷やかし混じりの表情で、手際よくナビを操作して画面を示した。


「店の前でいいですか?」

「ああ、それで頼むわ」

「はい」


 ぴっ。賃走の赤いランプが点いて。俺はやっと緊張を緩めた。


 釣り堀の全貌。店内で行われているであろうこと。それは、俺の予想をはみ出していない。奇跡的にほぼ想定内に入っていた。まるっきり俺の予想外だったのは、そこで行われていたことの荒っぽさだ。大胆な犯罪であっても、計画自体は極めて綿密に練られている。だからこそ、ほぼ一年に渡って犯罪行為が外に漏れていなかったんだ。だが、今日俺やフレディが差し向けた囮へのアクション。あまりに粗雑だ。それが何を意味するか。


「……なるほどな」



【第十九話 予想外 了】


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