(3)

 腹をくくって、腕時計を確認する。


「五時半。第一陣入店だな」


 念のために、ミストからダイレクトに見えそうな範囲から遠ざかる。万一にでも、外部からの監視の視線を連中に覚られるわけにはいかない。


「あれだな」


 ぺちゃくちゃしゃべりながらミストのガラス戸を引いた二人組が、店内に入った。潜入した二人には、店内で通話やメールを含めて一切の通信を行わないように頼んである。飲み物サンプルの回収と偽情報の拡散に徹してもらう。続けて左馬さんが入るから、その前に連中の警戒心を高めるような行動は取れないんだ。


 店に近付けない俺は、かなり離れた場所から店の入り口をじっと注視していたが、六時が近付くにつれて店には勤務帰りという感じの若い女性が続々に入店していく。そして彼女たちの多くが、共通の特徴を持っていた。

 表情がない。動きに無駄が無さすぎる。そして、周囲に視線を巡らさない。吸い寄せられるという表現がぴったりだ。光岡さんだけでなく、トラップにかかっている女性がすでに相当数いるということ。俺の予想通りだったってことが、すぐに分かった。俺の印象は、フレディや江畑さんにも共通だろう。


 入店してしばらくすれば、その何人かはトレーナーの指令を受け、客を取らされるために店を出て行くはずだ。だが……俺たちは、今日はまだ動けない。たった一つでいい。ミストに踏み込めるだけのファクトを手にしてからでないとまるっきり身動き出来ないんだ。


 じりじりする。


「む……」


 おかしい。潜入した二人は十五分ほどで出て来るはずなのに、なかなか姿を現さない。店内で何かヤバいことが起きたんだろうか? フレディに連絡を取ろうとした矢先に、二人が出てきた。でも、明らかに様子がおかしい。若い子の方が、ふらついている。年配の女性が、それを支えるようにしている。


「飲まされたっ?」


 絶対にそういうことが起きないように注意してくれ。俺からもフレディからも何度も警告してあるのに、どうしてだ?


 店を出た二人に、店のマスターらしい男が何度も声をかけている。やっぱり二人をばらそうとしたんだな。ターゲットは若い方だけで、薬をそっちにだけ盛ったんだろう。それにしても、なぜまんまと? 注文した品には口を付けないでくれと、あれほど言っておいたのに! 想定外の事態に、頭の中が激しく混乱する。


 マスターは、まだしつこく二人に話しかけてる。私が医務室に連れて行きましょう……そういう流れにしようとしてるってことか。連れ込もうとしているのは医務室なんかじゃないね。トイレだろう。短時間でヤろうとしてるってことだ。それなら、店を離れる時間を限定出来るからな。本当にえげつない。連中がターゲットにしそうにない組み合わせにしたのに、連中のえげつなさがそれをはるかに凌駕している。こんなのは……まるっきり予想外だ。はらはらしながら状況を見守っていたが、年配の調査員が上手に振り切ったようだ。マスターが渋々店内に戻った。それとほぼ同時に。


「お!」


 左馬さんだ。これまで店内に入っていったロボットのような女性たちとは全くオーラが違う。そこにだけ火が燃え盛っているような、隠しようのない爆裂オーラをぶちまけながらのしのしと店に入っていった。


「おいおい、自分の使命を分かってんのかよ」


 入店の様子を見ていて、頭が痛くなる。それと同時に、俺がここに来る前に抱いていた懸念が一気に現実のものとして膨れ上がった。


『意思が強すぎると、危機を回避出来なくなる』


 十分に警戒していたはずのフレディの調査員ですら、まんまと連中にはめられそうになったんだ。そういう連中なんぞなんぼのもんじゃいと乗り込んだ左馬さんは、闘志が前に出る分注意力が極端に低下する。


「や……ばい」


 フレディの調査員さんの時以上にはらはらしながら見守っていたんだが……。五分、十分、十五分、二十分……待っても待っても出来そうにない。俺の当たって欲しくなかった予感は、当たってしまいそうだ。左馬さんには、入店から十五分以内に必ず店を出てくれと頼んである。確認するのは、薬にやられた時にマスター以外に誰が動くかだけでいい。トレーナーかセンサーを特定する材料だけゲット出来れば、あとはどうにでもなる。さっきの調査員と同様によろけながらでも店を出てきてくれれば、役割としてはもう十分なんだ。でも、六時半を過ぎても左馬さんが店を出て来る気配はなかった。


 左馬さんを案じたのは俺だけじゃなかった。フレディと江畑さんから同時にメールが入った。


『どうする? 突入するか?』


 判断に迷う。だが、今俺らが踏み込んでしまうと全てがぱあだ。まだ一般客の出入りがある以上、左馬さんがミストの店内で性的被害に遭うことはないだろう。一服盛って連中が何かしようとするなら、必ず店からどこかへ連れ出さなければならないはずだ。俺は、フレディと江畑さんに同内容のメールを送った。


『左馬さんの件は、俺が全責任を持つ。それより、ミストの店内から回収した検体の分析を急いで欲しい』


 俺がミストの入り口を注視している間、先に入店していた女性客がぽつぽつと出てきた。暗示を強化され、トレーナーの指令を受けてこれから客を取らされるんだろう。俺はその女性たちの様子を見ていて、ある共通点に気付いた。


「そうか。そういう……ことか」


 もう一度、フレディと江畑さんにメールを流す。


『店を出た女性たちをきっちり追尾してくれ。風営法違反で引っ張るなら、それしか手がない』


 左馬さんがこの状況と俺たちの対応を見たら、きっと激怒するだろう。女はモノじゃないのよっ! なんですぐに止めないのよっ! ……と。

 そうさ。その通りだ。今すぐ彼女たちを保護出来ないのは、本当に辛い。でもファクトを入手出来ない限り、連中がやらかしていることを阻止出来ないんだよ。突入するのは簡単さ。でももし裏へ移されてしまった女性がいたら、突入したことで彼女たちを見つけ出して救出する手立てを失ってしまうかもしれない。俺たちは、そのあと何も出来なくなるんだ。どうしても連中を一時的に全員足止めして、そいつらが持っている情報を強制的に吸い上げる機会が要る。それは、今日じゃない。検体の分析が終わってファクトが出来る明日なんだよ。俺たちは……そこまではじっと我慢しなければならない。


「くそっ!」


 じりじりしている間に徐々に監視の視線が薄れた。フレディも江畑さんも、腹をくくったんだろうな。本番は明日だ。それまでに、ガサ入れに必要なファクトを揃えなければならない。左馬さんから得られるはずの情報は俺に任せる……そう決めたんだろう。


 俺は……左馬さんが出て来るのをひたすら待った。おそらく単独で出て来ることはないと思う。連中は、左馬さんの年齢が調教に値するとは考えないだろう。どんなに若作りしても、光岡さんとの年齢差は歴然なんだ。暗示のかかりが浅い、商品にならないやつを使い捨ててきたように、連中の誰かが左馬さんを味見しようとしている。ワンタイムユーズで彼女を抱こうとしている。それが目的なら。盛る薬の量を増やし、意識を完全に飛ばして、短時間で自我を削り取る強い暗示をかけようとするだろう。だから、コンビをばらすためだけに薬を盛ったフレディの調査員の時よりもずっと時間をかけてる。俺は、そう読んだ。


 それなら、左馬さん単独で出て来ることはない。ホテルに連れ込むために、必ずメンバーの誰かが一緒に出て来るはずだ。

 コンビで出てくるやつは誰か。さっきフレディの調査員にちょっかいを出そうとしていたトラッパーか? いや……俺の勘では、トレーナー。即席暗示の効果が外で切れそうになった時に、暗示をその場でかけ直せるやつじゃないと、連中にとってのリスクが大きくなる。それに、センサーは徹底的に潜ってるはず。そいつは最後まで、リスクを取る行動を起こさないと思う。


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