(2)

「プログラム……だよな」


 トラップにかかった女に、トレーナーの代わりに暗示をかけられるツールを作ればいい。調教用に組み上げられたプログラムが必ずあるはず。そのプログラムで行うのは、トレーナーが受け持っている暗示の強化だけじゃない。暗示がかかっている女たちを遠隔操作したり、ミストでの出来事を記憶から消去するため暗示のオンオフをトリガーしたり……。暗示をかけるだけじゃなく、プログラムを介して女たちをコントロールするシステムになっているはずだ。


 連中のユニットは小さい。だから、調教効率化のためのプログラムは間違いなく存在する。そして個々の女性にどうやってプログラムを適用しているかも、なんとなく見当が付く。ただ……それを実際に確認、証明するのが非常に難しい。思い切りプライバシーが絡んじまうからだ。


「あの手この手で確かめるしかないな」


 もし調教用のツールがあるのなら、トレーナーの役割は違ってくる。女たちに直接暗示を施すことより、ツールの開発および女たちをプログラムに引きずり込むアクションが主になる。それでも、結局動くのはトラッパーとトレーナーだけか……。


 首謀者は、ものすごく用心深い。もし店内にいたとしても、ほとんど気配を消していると言ってもいい。たぶん……そいつは実行役にリスクを負わせる代わりに、報酬の大半を実行役に割り当てているんだろう。調教のノウハウが完成すれば、今度はリスクを報酬で相殺しなくても釣り堀が出来るようになる。今すぐ多額の報酬を得られなくても、後から元が取れる。そういうことなんだろう。あくまでも、ミストは練習用の釣り堀ってことか。


 連中の役割分担を見ると、犯罪行為の可視部分が中核に向かうにしたがってどんどん薄くなっていく。センサーに至っては、その存在の有無さえ確かめられるかどうか分からない。厄介だな……。


 江畑さんの方で特定出来る首謀者はトラッパーだけで、トラッパーは必ずこう供述するだろう。


『客からの求めがあった』


 つまり、トラッパーが主導的に薬を使って何かを企んでいたわけではなく、客から求められて薬を斡旋しただけ。そう主張するに違いない。そうすると、トラップにかかってしまった女性たちが最終的に悪者……犯罪者になってしまう。

 それだけじゃないね。連中は、店にトラップされた女性たちの持っているカネを、暗示がかかっている間に巻き上げているんだろう。その行為は強盗に等しいが、連中はそれをヤクの売り渡しと位置付けるはずだ。女性たちは性被害のみならず金銭的被害を受けているのに、麻薬の購入者として断罪されることになる。

 さらに。ことが売春に関わっているから、話がもっと複雑になる。事実としては準強姦だが、その事実証明が被害者側から出来ないんだ。暗示が効いている間には、明確な記憶がない。強要されたという事実を説明出来ないからね。


 店で女たちから巻き上げるカネ。娼婦としてこき使っている間のアガリ。そして人身売買の代金。資金源を多角化してカネでリスクを相殺し、しかも最終的に違法行為の責任を全部被害者に押し付ける。極めて緻密な、悪魔のシナリオだ。


「くそっ!」


 連中は、ミストでの非道な行為がどこかで露呈することを計画に織り込んである。だから、俺たちがミストという釣り堀を破壊するのは簡単なんだ。でも、連中はミストを失うことにダメージを感じないだろう。すでに裏に移されている人。出荷されてしまった人。それが確定利益を生めば、ミストはもう用済み。あとは、場所を移して新しい釣り堀を始めればいい。


 あまりに周到でえげつない悪魔のシナリオ。だが、それに感情を動かされている場合じゃない。俺は手帳を尻ポケットにねじ込み、脳をフル回転させる。

 すぐに対応を考えなければならないことが二つあるんだ。一つは、被害者になってしまった女性たちのケアをどうするか。もう一つは再発防止。一つ目はフレディに任せるしかない。俺にはケアに回せる人的資源もノウハウもないからな。俺が出来るとすれば、二つ目の方だ。証拠第一主義の警察は、全く動けない。商売上、リスクを最小限に抑えなければならないフレディにも頼めない。そいつは、縛りを一切受けない今の俺にしか出来ないんだよ。

 ただ。俺が対抗策を考えるには、センサーが実在するか否か、実在するならそいつが誰かを明らかにする必要があるんだ。それが判明しないと、俺の動ける範囲や出来ることがいつまでも固まらない。


「そこが……俺らの弱点なんだよな」


 囮の左馬さんで確かめられるのは、トラッパーまでだろう。センサーが誰かを探るのは、素人には無理だ。なんとか、不審人物の有無だけでも俺の方で事前に確かめておきたいんだが……。俺は、意識をミストの監視に戻した。連中に怪しまれずに店内を観察出来るビューポイントを確保したくて、上階のあちこち探し回った。


「だめだ。ほとんど見通しが利かん」


 店内がわずかに覗けるスペースがあると言っても、その範囲で確認出来ることは本当にわずかしかない。フレディや江畑さんも俺と同じ位置に立って、早々に諦めたんだろう。店内に入れなければ、店への人の出入りを監視するくらいしか偵察の手段がない。ちらっと拝んでくるか。


 エスカレーターを降りてミストのあるフロアに戻り、さっきより少し近い距離からミストの全貌をもう一度確認する。


「うーん、なるほど。こらあ厄介だわ」


 店の内部が外から全く見えないわけではない。だけど、店の内外を隔てているのはスモークガラスで、しかも客が座った状態での外からの視線を遮断するように、視線高から下の色がずっと濃くなっていた。店の中を見通すためには、背伸びしてガラスにべったり顔をくっつけないとならない。それじゃ、俺の方が怪しい人物になっちまう。


「ちっ! 店内外の明暗差を悪用してやがる」


 店内の照明をぎりぎりまで落とす。そうすると、たとえガラスが素通しでも店内の光景が外から見えにくくなる。逆に店内から外を見た場合は、明るい売り場が視野に入るから暗さをそれほど感じないんだ。そして。店内照明の調整やガラスにスモークフィルムを貼ることは、どちらもローコストですぐに実行出来る視線カットの手法だ。

 店の入り口はガラス戸。向こう側が透けて見えるはずなんだが、やはりスモークグラスの上に、入り口近くにある腰高のレジカウンターが障壁になってカウンターすら見通せない。うーん、ここまで徹底的に要塞化されていたってのは全くの予想外だ。左馬さんに囮として入店してもらって、誰がトレーナーかを俺が外から確認しようと思ってたけど……どう見ても無理だな。


「これじゃあ、リスクを冒して囮になってもらう意味がない。くそっ!」


 どうする? リスクは、二人組のフレディの調査員さんたちの方がずっと低い。トラッパーの視線を外して検体回収を確実に行うために、二人はカウンターから離れた席に陣取るだろう。ハーブティーは飲むふりすらしなくていい。飲み残してあっても、口に合わなかったと言えば済むから。でも、カウンターに配置した左馬さんには、トラッパーが強いアクションを起こす恐れがあるんだ。どうぞ試飲だけでも……ってね。そして気の強い左馬さんは、その勧めをスムーズに回避出来ないかもしれない。

 左馬さんの分だけ中止にする? 携帯を出した俺は、しばらく迷った。時間に余裕があれば、状況説明が出来る。でも左馬さんは、もう近くでスタンバイしてるだろう。俺とのやり取りを万一連中に覚られると、先行するフレディの調査員さんたちに危険が及びかねない。


「く……」


 しょうがない。計画変更なし。ゴーだ。この件、全ての責任は俺が負うと言ったんだ。その宣言通りに俺が徹底してフォローすればいい。俺は、もう一度ミストの全容を見回した。


 フレディの出してくれた調査員さんには、相手の行動を確認する動作は一切しないでくれと重ねて念を押してある。プロである以上、その指令は厳密に守られるだろう。調査員さんからの情報は期待出来ない。左馬さんにも頼んであることは同じだが、プロじゃない左馬さんはきっと店内の従業員や客の動きに目をやるだろう。その時の印象が左馬さんの記憶のどこかに残ることを祈るしかない。



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