ひろとの出会い編 第六話 リビルド
(1)
コンビニの前で左馬さんをタクシーから抱え出した俺は、そのまま彼女をずるずる引きずるようにして事務所に入った。がたぴし扉を鳴らす音に反応して、母屋から正平さんがのっそり出て来た。
「なんだ、中村さん。珍しい。女連れかい」
「そんな色っぽいもんじゃないですよ。大失敗です」
「……何かあったんかい」
「ええ。ちょっと急を要します」
「分かった。邪魔してすまんね」
「いいえ」
いつもならのんびり与太を混ぜっ返す俺が一切無駄口を叩かなかったから、正平さんにも緊急事態だってことが分かったんだろう。顔を強張らせたまま、すぐに引っ込んだ。賽銭箱の騒動の時もそうだった。一刻を争っていたからな……。
のびたままの左馬さんをソファーに寝かせて即席変装を解除し、すぐフレディに電話を入れた。
「フレディ? 中村です。調査員さんは大丈夫だった?」
「なんとかな。まさか、いきなりどかんと来るとは思わなかったぜ」
「予想外もいいとこだよ」
「ああ」
「連中、店じまいにかかってる。明日決行しないと裏に移された女性が見つからなくなる」
「分かった。突入は江畑さんの仕事だが、横取りを手際よく進める」
「ああ、頼む。だけどな、連中はバレることも全部計算に入れてる。用心してくれ」
「なんだとっ?」
フレディの狼狽は、はんぱじゃなかった。
「いや、横取りされることをじゃないよ。連中が違法な手段で商売してるのがバレることを、さ」
「……。分からん。どういう意味だ?」
「あいつらは釣り堀を閉めにかかってる。その時にまだ裏に移せないステージの女たちは、もう一斉在庫処分なんだ。つまり、調教に使ったデリヘルの違法部分をわざと表に出して、警察を釣ろうとする。警察のガサ入れが入って客に恥をかかせたら、当然デリヘルの胴元に苦情が行く。その場合ヤの字の怒りは派遣元のじじいにじゃなく、ヘマをしでかした女に向くんだ。被害者が人間の盾になっちまう」
「ひどいな……」
「だから、チームMのアクションは短時間で完璧に済まさないとならない。よろしく頼む」
「分かった!」
よし。次は江畑さんだ。
「もしもし? 江畑さんですか? 中村です」
「えれえこったな……」
「参りました。連中、アクションが派手になってます」
「どういうこった?」
「もうミストを閉めにかかってるんですよ」
「ええっ?」
「俺たちだけじゃなく、調教している女たちの誰かから、ミストで違法なことが行われているという情報が漏れる。連中の計画は、最初から時限付きです。その間に、出荷できる完品がいくつか確保出来れば、あとはどうでもいい」
「く……そ」
「釣り堀の設計や運営に、一定の目処が立ったんでしょう。だらだら釣り堀を続けると、いかに証拠がないと言ってもどこからぼろが出るか分からない。今日の連中の雑なアクションは、もう最終セール間近だったってことですね」
「じゃあ」
「明日しかないです。さっきフレディにも連絡したんですが、一気に行きましょう。検体の分析結果は?」
「それなんだが……」
「……。検体が取れなかったんですか?」
「協力してくれたJDAの調査員さんも、まさかあそこまで強烈に盛られると思ってなかったらしくてな。偽情報を流すのは先にやったんだが、検体の回収が出来なかったんだ」
「ははは。江畑さん。それならそれで打つ手があるんです。調査員さんの尿を検体に回してください」
「!! そうかっ!!」
「二人ともあの店には初めて行ってます。もちろん左馬さんもです。犯罪歴や薬物使用歴が疑われるような過去もありませんから、薬物の痕跡が出ればそれは連中の盛ったヤク以外ありえません。立派に物証になりますよ」
「分かったっ! 分析センターに突っ込んで来るっ!」
「お願いします。フレディは分かってるはずです。もう準備してあるでしょう。左馬さんの意識が戻り次第、そっちもすぐ送ります」
「おおしっ! 予定通り、だな」
「瞬殺しましょう。本番はその後です。連中もいつかガサ入れが入るのは想定しているはずです。でも、あいつらがしでかしていることを証明出来ない限り、俺らは何もできない。あいつら、分かってて挑発してるんですよ」
「く……」
ぎりぎりと、江畑さんが歯を噛み鳴らす音が聞こえた。きっとはらわたが煮えくり返っているだろう。
「なあ、みさちゃん。どうにか……ならんのか?」
「優先順位は、連中に調教されてしまった女性たちの保護が先です。それさえなんとかなれば、連中を追い詰めるための時間は無限にあります」
「逃げられるんじゃないのか?」
「逃げるってことは、連中が非を認めるってこと。そして、法に抵触する部分はトラッパーのところだけで、そこは最初から切り代。恐ろしく周到に仕組まれてるんですよ。連中は逃げも隠れもしないでしょう。俺たちはただの客で、全く無関係だ。徹底的にそう言い張るに決まってる」
「全部の罪がトラッパーに集まるってことか」
「いえ、全部じゃない。一部だけ。麻薬に関わる部分だけ。それもそいつ主導じゃないと言うはず。客からの要請があったから売っただけだと、そう言い張るだけです。トラッパーの身体からは、麻薬摂取の兆候は出て来ないでしょう。所持だけですね」
「あ……」
「それじゃあ微罪にしかなりません。検察がヤクの出どころをいくら追求しても、やつはのらりくらりとかわすでしょう。何も出て来ない。会議の時にも言いましたけど。連中は、最終的に全責任を被害者たちに押し付けるシナリオを最初から仕組んであるんです」
「く……」
「なにせ、麻薬を摂取させられ暗示をかけられてからは、記憶も自発行動もないのに、その間行われた事実だけが残る」
「売春と麻薬摂取……ってことだな」
「そうです。連中の中で役割分担があるように、連中にトラップされた女性たちも早々に仕分けされてる。自家用、営業用、商品というようにね。そして、連中がもう店じまいを始めたということ。それは……」
「すでに出荷されているのを……覚悟しないとならんということだな」
「そうです。で、そういう連中のアクションを遡って考えると、いろんな状態の女性たちがいることになります」
俺は、深刻な順に挙げていく。
「まず、商品化され国外に移されてしまった女性。次に、調教後段に入ってどこかで仕上げの調教をされている女性。そして、今客を取らされている調教前半の女性。最後が、これから調教に入るために暗示を強化しつつある店へのリピーター。その他に、連中が脈なしと見てつまみ食いした女性が山のようにいるでしょうね」
がつん! 江畑さんがテーブルか何かを叩きつけたんだろう。ものすごい衝撃音が聞こえた。俺は、あえて冷静に話を続けた。
「連中がこそこそ姿を隠す必要がない以上、あいつらを締め上げるのは後回しでいい。監視だけでいいです。それよりも、被害度の深刻な順に女性たちの居所を探り当てて、早急にケアを始めないと死人が出ます。それも、一人二人なんて数じゃなく」
必死に怒りを堪えていたらしい江畑さんが、俺の警告を真正面から受け止めた。
「分かった。これはもう刑事部マターじゃねえ。もっとデカい。バイヤーを急いで探し当て、そいつの渡航歴を全部さらって被害者を特定し、出国先の所在を確認していくしかないからな」
「はい!」
「ガサ入れのあとは、俺はもっぱらそっちの方メインで動く」
「お願いします」
「トラッパー以外の残りの連中はどうするんだ?」
「もちろん、俺が考えてる再発防止策はありますが、まず連中の正体をきちんと確認してからじゃないと……」
「分かった。プランが立ったら教えてくれ」
「了解です」
ふう……。
フレディと江畑さんへの連絡と情報交換が終わった時には、もう九時になっていた。他の女性も光岡さんと同じパターンだとすれば、暗示が切れてくるはず。ただ……。
俺は、ソファーに転がったまま微動だにしなくなった左馬さんを見下ろした。
「トリガーの存在。それが、いつどのタイミングで発動するかで、被害者の行動パターンが変化する。光岡さんの場合、そこが……どうなったかだな」
俺が危惧していた通りのことが、上条社長の家で起こっていたらしい。九時を少し過ぎた頃に、社長から直接電話が来た。
「な、なかむら……はあはあ……さん……はあはあはあ……ですか?」
「そうです。大丈夫ですか?」
「大騒ぎに……はあはあはあ……なりました」
やっぱりか。
「光岡さんは落ち着きました?」
「やっと。まさか……はあはあはあ……スタンガン使う……はあはあはあはあ……はめに……なるなんて」
「済みません。前もってどういう状態になるのかは、私どもにも分からないんです。こっちも……大ごとになってます」
「大ごと……って?」
「左馬さんまで、まんまと一服盛られました。救出はしましたけど、今は……倒れてます」
「う……わ」
「左馬さんは、まだ暗示が浅いので激害はないはずです。私の方で至急ケアします」
「はあはあはあ。あの……明日……は?」
「光岡さんと一緒に、七時前に出社してください。光岡さんには、暴れている間の記憶がありません。その間のことを責めないでくださいね」
「そう……はあはあはあ……ですね」
「出社された後で四人で打ち合わせをし、そのあと光岡さんを医療施設に移します。JDAが、その段取りをしてくれるはずです」
「わ、分かりました」
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