(3)

「俺が独立したばかりの頃に請けた案件で、被調査者に付き合ってくれないかって、告白されたことがあったんだよね」

「ふうん」

「自分の中にこもるタイプの子だったから、それが事態を悪化させたんだぞってがっつりどやしたんだけどさ。どうもマゾ気質があったみたいで」

「なんだかなあ……」

「わはは! まあ、お断りしたけどね。で、その時フレディに突っ込まれたんだ」

「なんだって?」

「どんなタイプが好みなんだ……ってね」

「へえ、どういうタイプが好みなの?」

「好みじゃないよ。俺は、俺より強い女でないと付き合えない」

「へっ?」


 俺の回答が意外だったのか。左馬さんの目がぽんと丸く開かれる。


「その頃よりはいくらかマイルドになったけどさ。やっぱり、心配がどやしになって口から出ちゃう。俺の癖なんだ」

「あ、そうか。控えめな子だと……」

「俺が暴君になっちゃう。釣り合わないよ」

「なるほどなあ」

「俺は、見かけより中身にトゲが多いからね。そういうのをこなせるひとじゃないと無理さ。そんな出来た女はいないよ」

「さっきの人は、今は?」

「結婚して、もう二児の母。おとなしい子だったから、うまくやってるんじゃない?」

「ううー。いいなあ」

「はっはっは。左馬さんも、貧乏探偵いじってないでがんがん婚活しなきゃ」


 俺が茶化したのを聞いて、左馬さんがかちんと固まった。おやあ?


「あの……さ」

「うん」

「わたしと……その……付き合って……くれない?」


 はああ?


「なんと物好きな」


 正直。好き嫌い以前に、俺にはまるっきり余裕がないんだが。さあ、どうすべ。まず、確認しよう。


「てか、なんで俺なわけ? 左馬さんくらい性格も仕事も容姿も高水準なら、彼氏なんか選り取り見取りだと思うんだけど」

「……わたしね」


 くたっと肩を落とした左馬さんが、小さな声で泣き言を漏らした。


「挑んじゃうの」

「ああー、そっかあ。寄り添う女は出来ないってことね」

「うん。自分を折りたくない。でもそういう女って、かわいげなく見えるでしょ?」

「うーん、そういうことじゃなくて、単純なバランスの問題だと思うけどなあ」

「バランス?」

「そう。左馬さんが出来ることと彼氏が出来ること。そのでこぼこがなんとなく埋まればいい。勝ち負けってことではないと思うよ」


 左馬さんがじっと考え込む。


「左馬さんに彼氏が出来ないのは、左馬さんの隙間をちゃんと埋めてくれる人がまだ見つかってない。それだけだと思うけどなあ」

「ありがとう。中村さんが言ったみたいなこと。そういうのを言ってくれる人が……今まで誰もいなかったの」

「ふうん。分かんないもんだなあ」

「でも、わたしは見つけたかもしれない。今チャンスを逃したら、もう二度と出会えない人に」


 ぐんと顔を上げた左馬さんが、真っ直ぐ俺の目を見つめる。


「人の生き方に、損得抜きで全身全霊で関われる。わたしは……やられたと思ったの。言い負かされるとか、力でねじ伏せられるとかじゃない。理屈抜きに生き様を認めるしかない。そういう人を。わたしがずっと探していた人を、見つけたの。このチャンスは絶対に逃したくない。逃したく……ないの」


 左馬さんの全身から吹き出す金色こんじきのオーラ。俺が心から憧れて止まない存在が、今目の前にある。俺はそれを恋と呼んでいいんだろうか? まだ……分からない。俺はあえて、一度ストップをかけた。


「左馬さんの申し出はとても嬉しい。ただ……」

「うん!」

「左馬さんは事務所での俺しか知らない。俺の私生活が何も分からない。でしょ?」

「……そうだね」

「お試し期間を設けよう。もし左馬さんが俺の日常を見てもさっきの印象を撤回しないのなら、俺もまじめに付き合うことを考えるよ」

「分かった。ありがとう!」


 俺が左馬さんのアプローチを断らなかったこと。彼女はそれに安心したんだろう。全身に入りまくっていた力を抜いて、ソファーに寄りかかった。


「さて、と。じゃあ、早速見てもらおうか。最初のハードルが一番高いと思うからさ」

「え? え? ハードル……って?」

「おまんま食い上げ寸前の貧乏探偵の日常生活は、はんぱじゃないんだよ」


 にやっ。


「まあ時間も時間だし、うちで夕飯を食っていってくれ。俺の住んでるアパートも、ここからそんなに離れてないから」

「わ!」


 いきなりそこまですっ飛ぶんですか。そんな感じで、左馬さんが絶句してる。


 ひっひっひ。実態を見て逃げ出さなきゃいいけどな。俺は、自分の生活を隠したりごまかしたりは出来ない。それが、俺そのものだからな。左馬さんが自分を折られたくないと思っているように、俺も誰かに俺のポリシーや生き方を曲げられたくないんだよ。そこだけは、きちんと理解してもらいたいんだ。


「じゃあ、事務所閉めます」

「うん」


◇ ◇ ◇


 事務所から出たら、何か案件を抱えていない限りは俺のプライベートだ。光岡さんの件が片付いたから、しばらく依頼がないだろう。餓死寸前の冷蔵庫に何か食わせてやることにしよう。


 値引きシールのついた食品は、時間が遅くなると選択肢がなくなる。その分、値引き率も上がるけどな。左馬さんを連れてスーパーを三軒はしごし、たっぷり食品を仕入れた。アパートに帰る前にクリーニングを引き取り、ドラッグストアで特売の日配品をゲットする。明日の朝食だ。俺がカバンの中から次々に取り出すチラシの束を見て、左馬さんは絶句していた。ひっひっひ。


 そして、山のような荷物を抱えてアパートに帰着。左馬さんは……絶句を通り越して青くなっていた。


「あの……」

「うん?」

「正直に言っていい?」

「いいよ」

「ここって、人、住めるの?」

「わはは! そうだろなあ。老朽化が激しいからね。だから立ち退けって言われてるのさ。建て替えるんだって」

「そうよね……」


 おっかなびっくり、崩落寸前の階段を上がった左馬さんは、俺の部屋に入る前に胸の前で十字を切った。化け物屋敷に潜入するみたいなもんだろなあ……。


「むさ苦しいところだけど。あがって」


 部屋の明かりが点いた途端。左馬さんの口から、声が漏れた。


「あれ? 外見と印象が……」

「そう?」

「部屋の中がすっごいきれい」

「そりゃそうだよ。狭い部屋なんだから、散らかしたらすぐに俺の居場所がなくなる」

「意外だー」

「ああ、ベッドに腰かけてて。すぐに飯作るから」


 買ってきた食材をぱぱっと冷蔵庫に収めた俺は、米を研いで炊飯器にセットし、食材を切って煮炊きを始めた。部屋の中に、ぷうんと味噌醤油の匂いが漂いだす。


「ううう、いい匂いだー」

「わはは! ちょっと我慢してくれ。飯が炊き上がったらすぐに食えるから」

「毎日、こうやって食事を作るの?」

「依頼がない時はね。外食をぎりぎりまで減らさないと、とても食っていけん」

「そっか……」


 三十分ほどでご飯が炊きあがり、あら汁、金目の煮付け、ほうれん草とにんじんの胡麻和え、肉豆腐と料理が揃って、古い座卓の上に並んだ。


「お待たせー。お疲れさま」

「わあい! いただきまーす!」


 興味深そうに料理に箸を伸ばしていた左馬さんは、お世辞抜きにおいしいと連呼して、汁もご飯もお代わりした。


「もう、絶品!」

「わはは! そうか。嬉しいっす」

「すごいなー。こういうの出来る人、尊敬しちゃう」

「ってことは、左馬さんは料理せんの?」

「料理っていうか」


 くしゅうん。さっきまで元気ハツラツだったのが、いきなりぺしゃんこになった。


「家事、だめなの」

「へ?」

「炊事、掃除、洗濯……一切」


 ぐわ……。


「ちょ。マンション暮らしで、それで大丈夫かあ?」

「う……食事は外で食べるし、掃除は業者さんに頼む。洗濯はほとんどクリーニングかな」


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