(2)

 江畑さんがさっと姿を消して、会議室には俺とフレディが残った。


「間に合うかな?」


 フレディが、眉間にぶっとい皺を寄せて呻いた。


「間に合って欲しいけど、分からない」

「ああ……」

「連中が釣り堀を始めた一年前から今までの間に、光岡さん以上の仕込みを受けた女性がいるかどうか、なんだ。もし居たとしたら、すでに『出荷』されてる恐れがある」

「それは……後からは分からないということだな?」

「バイヤーが吐かない限りね。バイヤーは商品が送られてくるのをただ待っているだけ。ほとんど何もしていないと思うよ」

「成功報酬か」

「たぶんな。だから実行部隊に指示を出したり、トレーナーと頻繁に会ったりというリスクは一切冒さないはず。がさ入れが入った時にシラを切れなくなるからね。出来上がった商品にも、自力で出荷場所に来させるんだろう」

「相当場数を踏んでるということか」

「それに、ものすごく用心深くて情報漏れを恐れてる。粗雑な日本の裏社会を、最初から信用してないんじゃないかな」

「バイヤーと実行部隊との関係はどうなってるんだ?」

「分からんよ。今の時点じゃ全部クエスチョンさ。バイヤー主導なら、現場に近いところほどリスクが大きいから高額報酬で釣ってるんじゃないかと思うけど。それこそ憶測の域を出ない」

「カネだけで臭い連中が動くか?」

「さあな。でも、連中は女を選別してる。篩からこぼれたのは自由にしていいぞってことかもしれん」


 鬼のような形相になったフレデイが、固く握り締めた両拳をみしみし言わせた。今、犯人が目の前にいたら、即座に撲殺されるだろう。


「フレディ」

「ん?」

「まず人より自分だよ。フレディは、一味のことより調査員の安全確保を第一に考えて欲しい」

「ああ、そうだな」

「連中が最小単位で出来ている以上、そいつは一瞬で壊れる。壊すこと自体は造作無い。でも、被害者の居場所と状況を把握して、すぐケアに動かないと」

「ああ。悲劇が拡大するってことだな」

「ミストに通ってくる女性はまだいいのさ。裏に移されてしまった人が、どさくさで放り出されてしまったら……」

「破滅……か」

「それだけは絶対に避けたい」

「ああ。俺の裏ルートも開ける。バイヤーの見当を付けないとな」

「江畑さんじゃ、部署が違うから限界があるんだ。助かる」

「じゃあ、俺の方で調査員への説明とレクチャーをする。みさちゃんは左馬さんの方をしっかり頼む。彼女は素人だからな。しくじるなよ」

「そうさ。絶対に」


 がん! 拳でテーブルを殴りつけた。


「しくじるわけにはいかない!」


◇ ◇ ◇


 本当に余裕がない。こんなハイリスクな案件は初めてだ。何せ、敵に関する情報が皆無に近いのに敵の行動を読まなければならない。常識外れもいいところだよ。


 女性を操っている連中が徹底的に裏に潜って目立たなくしている以上、物理的な危険が発生するリスクは極めて低いと思う。そこは過度に心配しなくてもいいんだ。でも光岡さんを含め、複数の女性がすでに相当レベルまで調教されているんだろう。それを人の盾にされると、こっちは全く身動きが取れない。彼女たちを操縦されると、彼女たち自身の意思による行動に見えてしまうんだ。その行動を強制的に捩じ曲げたことで俺らが悪者にされてしまったら、冗談抜きに打つ手が何もなくなる。


 そして、敵だけではなく味方のチーム内にも大きなリスクを抱えている。


 一つは光岡さん自身だ。俺は、立場上ミストへの潜入を頼んだ左馬さんのフォローをしなければならない。光岡さんのフォローはリトルバーズの上条社長に任せるしかないんだけど、社長は光岡さんの極端な変化にひどく戸惑うだろう。その変化が、俺のところに来た時のような穏やかなものだったらいいんだけどな……。


 俺が心配しているのはトリガーだ。俺の事務所に来た時には、たまたまトリガーが起動しなかった。だからぼーっとしているだけで済んだ。でもトリガーが加わった時に光岡さんがどんなアクションを起こすのか、全く分からない。昨日ミストに来なかったことで、光岡さんを操縦するためのトリガーは間違いなく起動すると思う。それがどんな形なのか、それがどういう行動を起こさせるのか……予想が付かないんだ。


 俺は、左馬さん宛にメールを流した。


『光岡さんを保護してくださるお宅では、光岡さんの所持品を全部取り上げておいてください。午後六時から午後十時までの間は、必ず身一つで室内にいるようにセッティングしてくださいね。それと、光岡さんから目を離さないようにお願いします。絶対に室内から出さないようにしてください』


 まあ……光岡さんの系はまだなんとかなる。なにがなんでもミストへ行こうとする光岡さんのアクションだけ、実力阻止してくれればいいから。問題は……左馬さんの方だ。


「ふう……まいったなあ」


 左馬さんは、俺が今まで出会ったどんなタイプの女性とも違う。


 思考パターンはどこまでも真っ直ぐ。すねたりひねたりという俺が抱えているような屈折感を全く感じない。恐ろしいくらいに直球だ。非常にエネルギッシュで、判断や行動にためらいがない。即断即決即実行。まるで男のようだ。いや、あそこまで実行力がごついのは、男でもそうそういないな。その行動力を支えているのは、プライドと修正能力だろう。


 エネルギーが有り余っているやつは山のようにいるけど、それだけなら壁に当たった時に木っ端微塵さ。有事を自力で乗り越えるには、精神力や体力だけじゃ足らない。修正能力、つまり感情や思考が短時間で切り替えられるかどうかが大事なんだ。


 リトルバーズで俺が左馬さんをがっちりどやした時、もし左馬さんにプライドしかなければ、彼女はその時点で感情を害したまま離脱したはずだ。でも左馬さんは、俺にどやされたことよりも光岡さんの窮状に目を向けた。もちろん、上司として部下への配慮が足りなかったという反省はあるだろうけど、それ以上に光岡さんを加害しているやつが絶対に許せない……そういう闘志が前面に出た。今自分が何をしなければならないかを見て、瞬時に思考と感情を切り替えたんだ。

 俺は、その能力に舌を巻いた。優れた修正能力を発揮出来るからこそ、社長が部長格に抜擢して、大事な商談の仕切りを任せているんだろう。


 根性が曲がっていないこと。高い社会性と理性を持っていること。感情をきちんとコントロールした上で、目標に向かって驀進ばくしんすること。思考の切り替えが瞬時に出来て、逆境に強いこと。それらは、ビジネスマンの素養としては極上に近い。ビジネスマンとしては、ね。ただ……。


 修正能力が低いがゆえに挫折や屈折感を引きずっている女性は、何か緊急事態が降りかかった時には防御するところからスタートする。用心深くなるんだ。今の光岡さんが、まさにそう。光岡さんの姿勢が、女性の一般標準型スタンダードってことになる。

 だけど左馬さんには、最初に引くという概念が微塵もない。まず全力で突進して、途中で何かあればその時その場で修正すればいい。切り抜ければいい。そういう処世術なんだ。起きた事態に慌てなければ。そこで冷静さを失わなければ。度胸と機転と行動で事態を切り抜けられる。そんな風に、自分の能力に揺るぎない自信を持っている。でもそれは自信じゃなくて、実際には盲信に近いんだ。過大な自信は、本当の危機が襲ってきた時には裏目に出る。俺には、それが怖くてしょうがない。


 厄介なのは。俺が左馬さんに、自分自身を過信するな、自惚れるなと指摘出来ないことだ。俺が本番前に余計な横槍を入れれば、左馬さんは激しく反発するか、べっこりへこんでしまうだろう。どっちにしても、その異変は外から丸見えの状態になってしまう。敵に付け入る隙を与えるだけになる。


「ちっ!」


 俺が囮になる方が、何百万倍かマシだよ!


 俺が大嫌いなハイリスク。敵にとっては一切のリスクがなく、リスクを負うのは俺らだけだ。しかも、本来そのリスクを負う義務のない人にまでリスクを押し付けることになってしまった。


「最後の案件が、一番味気なくなりそうだな」


 タダ働きの上に誰も得をしない、最低最悪の案件。沖竹所長が今の俺を見たら、鼻で笑うだろうな。相変わらず、身の程知らずのバカなやつだと。しゃあないさ。それが俺だ。俺がもっとスマートに立ち回れるようなら、こんな陰気臭い商売はしてないよ。芸のない俺にこなせて、そんな俺でも満足出来そうな仕事がこれしかなかったんだ。


「ふう……」


 ともかく。リスクを取ってでも、すぐ目の前にある山をなんとか越えるしかない。そいつはあくまで最初の山であって、越せば終わりってことにはならないんだけど。それでもね。


 腕時計で時間を確認する。


「四時半……か。そろそろだな」


 案の定、事務机の上に置いてあった携帯がぶるった。すぐに出る。


「フレディ?」

「ああ、出撃する。左馬さんに連絡を頼む」

「おっけー。決行はそっちが五時半、俺が六時だな」

「そうだ。しくじるなよ」

「分かってる。すぐ出る」


 ぷつ。


 すぐに左馬さんに電話をした。


「左馬さんですか? 中村です。光岡さんは変化なし?」

「今のところ普通に仕事してます」

「光岡さんに、上条社長と一緒に引き上げるようお伝えください。移動中に暗示が動き出すと、上条さんお一人では制御出来なくなる恐れがあります」

「すぐに伝えます」

「左馬さんは潜入の準備をお願いします。六時に決行。私は一時間前にはモールに行き、店の近くで人の出入りをチェックします。付き添いは出来ません。よろしくお願いします」

「分かりました!」


 きりっとした返事の奥に、鋼のような意思の強さがはっきり感じ取れる。ただ……それは俺がもっとも危惧しているリスクなんだけどな。



【第十八話 ハイリスク 了】

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