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「先ほど左馬チーフから概略の話が行ったと思いますが、社員の光岡さんが、今非常に危険な状況にあります」

「麻薬絡み……だと」

「ええ。でも、それは主目的じゃない。別の目的を達成するために、麻薬『も』利用してる。そういうことなんです」

「あの、中村さんは、なぜそれをお知りになったんですか?」

「光岡さんが退勤されてから帰宅されるまでの間。記憶が飛んでいるからです。それで、その間の自分の素行を知りたいとおっしゃって、うちに見えたんですよ」


 社長さんがぶっ飛んだ。


「ひえええっ!」


 落ち着いた社長さんの驚愕きょうがくアクションは、むっちゃインパクトあるなあ……。


「脳貧血やてんかん。そういう病的なものであれば、記憶欠落を心配した彼女が受診している病院で分かるはずです」

「ええ」

「それに、『時々』発症することがあっても規則性はないはず。でも、光岡さんのはそうじゃないんですよ」

「毎日?」

「ほぼ、ですね。それも二か月前から突然。ですよね?」


 光岡さんに確認を取る。


「はい。そうです。職場を出て、八時前にアパートに着くはずなのに、いつも十時過ぎで……」

「ちょっと。どうしてすぐに言ってくれなかったの?」


 左馬チーフと社長さんが同時にとがめた。


「言えないですよー。勘違いかもしれないし、記憶を失っている間に何があったか分からなければ、合理的な説明も出来ないですから」

「うーん……」

「そしてね。記憶を失っている間に何があったか。光岡さんはなんとなくそれを感じ取った。ただ、それを人には言えない。相談出来ない。それで、自分が記憶を失っている時間に強制的に私を挟み込むことで、事態を打開しようと考えたんです」

「そうか。みっちゃんの後を付けさせれば、みっちゃんが何かされてることを中村さんに知ってもらえる、と」


 社長さんが一発で正解を出した。この社長さんもすごく勘がいいね。業績を伸ばすはずだわ。


「ご明察です」


 俺が具体的に説明しなくても、その間に何があったのかは二人にあたりが付いたんだろう。左馬さんも社長さんも真っ青になった。


「そしてね。光岡さんの記憶空白時間。彼女はたぶん、客を取らされています」

「!!」


 この事実だけは、はっきり認識しておいてもらわないとならない。泣き出した光岡さんも含め、誰も声を出さなくなった。


「女性の弱みを握って無理やり裏に引きずり込む。それは決して珍しいことじゃありません。私のこれまでの仕事でも、素行調査や家出人捜索で、それに絡んだ案件は山のようにあります。でもね、今回のはそういう雑なやり方じゃない。ものすごく時間と手間をかけている。ちょっといたずらしてみましたなんて、生やさしいもんじゃないんですよ!」


 社長さんが無理やり声を絞り出した。


「どうして、分かるんですか?」

「光岡さんがトラップされたミストという店。そこで極めて組織的に行われているからです」


 左馬さんが、ソファーからがばっと立ち上がった。


「えとえとえとっ! じゃあ、もしかしたらみっちゃんだけじゃ……」

「そう。他にも犠牲者が出てる可能性がある。あそこで狩りをしてる連中がいるってこと」


 さっきユニットルームで、俺はミストの連中がえさを撒いてるという話をした。左馬さんは、その話の帰結と深刻さをしっかり理解出来たんだろう。

 どさっ! よろけた左馬さんが、ソファーに崩れ落ちた。


「単純に、万引きや逆美人局ぎゃくつつもたせをネタにしてターゲットの女を恐喝して堕とす。そういうケースなら、私たちは警察を動かしやすい。手を出してる男を特定してタレ込むだけで済みますから。でも、今回のは大掛かりで、関わっている連中の人数が多い上に、それがきちんと役割分担されてて足が付きにくい。警察が臭いと疑えるパーツが出てこないんです。明らかに巧妙な組織犯罪。だからこうやって緊急に伺ったんですよ」


 俺は、光岡さんをぴっと指差した。


「光岡さんが危機を察して、そういう連中から意識して距離を置こうとすると、手口を知られたと判断した連中から、どういう目に遭わされるか分からない」

「ぐ……」

「しかも、連中による薬物と暗示でのコントロールで、光岡さんの『夜』がもう空白になってるんです」

「どういうことですか?」


 左馬さんから質問が出た。


「夜は、彼女がロボットになってしまうんです。自我がなくなる。昨日も危なかったんですよ。まだ暗示の効果が百パーセントは効いていない。そのわずかな時間と残っていた意思を振り絞って、私を訪ねてきた。光岡さんのラストの賭けが当たったということです」


 ふうっ……。悲痛な表情の社長さんが、何度か細い溜息を漏らした。


「ですので、これから早急に対策を立てなければなりません。私の身体は一個しかありませんので、何もかも私がするのは無理です。どうしてもサポートチームを組む必要があるんです。チーム光岡、チームMをね」

「なるほど」


 俺は、左馬さんと社長さんを交互に指差した。


「光岡さんの上司である左馬さんと社長さんには、ぜひ光岡さんのプライベートサポートをお願いしたいんです」

「プライベートサポート、ですか」

「はい。光岡さんを連中から切り離すところから先は、危険が伴いますから私どもの方でやります。でもね」

「はい」

「光岡さんにかけられた深い暗示と、それに使われた麻薬の影響はすぐには消えません」

「!! そうか!」

「はい。その間は、医療機関の受診やカウンセリングも含めて、心身の状態を元に戻すまで関係者による密接サポートが欠かせないんです」

「うん。そりゃそうだ」


 社長さんが深く頷いた。


「そしてね。事が事だけに、それは光岡さんの同僚やご友人には頼めないんですよ」


 全員のふうっという溜息の音が、社長室に充満した。

 うん。女性がこれだけ多い職場だから、社長さんは女性社員の扱いに常に腐心されているんだろう。俺が過度に心配しなくても良さそうだな。上司二人がしっかりしていれば、光岡さんの心理的負担をうんと軽くすることが出来る。事件のショックからの回復期間を短縮出来る。


「ということで、これからチームMの中心に据える人へアタックしてきます。光岡さんと左馬チーフにはチーム員として同行していただきたいんですよ」

「あ、それで休暇と全キャン……か」


 左馬さんは、やっと俺が最初にぶちかました嫌味を理解したらしい。遅いよ。


「そう。ねえ、左馬さん」

「はい?」

「普段わがままを言わないしっかり者の光岡さんが、突然休暇をくれと言ったこと。あなたは、その背景をしっかり見ないといけませんよ」

「う……」

「ダメを出す前に、理由をしっかり聞く。それだけで、あなたは光岡さんの異変に気付けたはず。私がぐだぐだ説明をする時間をうんとこさ省けたんです」


 左馬さんが、渋々頷いた。


「そうですね」

「ねえ、ひろ」


 社長さんが、厳しい表情で左馬さんに話しかけた。


「今の中村さんの苦言。つらっと聞き流さないでね。後でわたしからもお灸を据える」

「はあい」


 社長さんは、ソファーから立ち上がると俺に向かって握手を求めた。


「中村さん、お手数をおかけしますが、どうぞよろしくお願いいたします」

「承知しました」


 返事はしたが、俺は伸ばされた手を握り返さなかった。握手は拒否した。手を引っ込めた社長さんが変な顔をしたので、苦笑で返す。


「上条さん。光岡さんの件。まだ対策が動いてもいないんです。綱渡りの真っ最中なんですよ。それなのに、他人顔で『よろしく』と放り出されるのは困ります」

「あ……」


 今度は横を向いていた左馬さんが、ざまみって感じでこそっと笑った。ったく、こいつらわ。


「では、光岡さんと左馬さんをお借りしますね。ここからもうミッションスタートになります。連中に勘付かれないよう、私は光岡さんを護衛しませんので、代わりに左馬さんが付き添ってあげてください。行き先は、ここです」


 あらかじめ用意してあった紙片を左馬さんに渡した。


「JDA?」

「うちと同じ、調査会社です。JDAは大手で堅実。実績も文句なしに素晴らしいところです。そこの小会議室に、午後一時にいらしてください。よろしく」


 俺はそれだけ言い残して、先に社長室を出た。



【第十六話 左馬という女 了】

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