(2)
麻矢さんは三日続けて留置所に通い、服を差し入れたり雑談を交わしたりと、失われた時を取り戻すかのように積極的に動いた。被害者である麻矢さんが円満解決を望んだことで処分の行方にも見通しが立ち、トミーも安心しただろう。問題は、そのあとさ。しでかしたことの代償は、決して小さくないよ。前科者の烙印を一度押されてしまうと、仕事を探す選択肢が極端に狭くなってしまう。社会復帰が遅れれば、それが再びトミーのコンプレクスを強く刺激して、彼女の劣情を膨らましかねない。
申し訳ないが、そこをジョンソンさんにサポートしてもらうことにした。もちろんジョンソンさんがアフターケアを引き受ける義理なんかどこにもないんだが、俺が推理した真相にかけらもタッチ出来なかったことが本当に悔しかったんだろう。私はサポートで挽回するしかないと、快く承けてくれた。弱小の貧乏探偵じゃ、そこまではとてもサポート出来ないからね。やれやれ。これで一安心だ。
ということで。俺は正式に調査終了ということにして、若干遅くなったが永井さんへの報告と清算を済ませることにした。かかった日数に見合わないほど分厚く膨れ上がってしまった調査報告書。それをぱらぱらめくって見ていた永井さんは、ぱたっと冊子を閉じると大きな溜息を一つ吐いた。
「はああああっ……」
「どうなさいました?」
「いえ……全く予想外の展開だったものですから、まだ心の整理が」
「ははは! そらあ、仕方ないですよ。私にとっても、正直勘弁してくれっていうことの連続でした。でも、終わり良ければ全て良し、です」
「そうなんですか?」
「結果として犯行が未遂で終わったし、再犯の恐れもないでしょう。何より、麻矢さんとトミーの間にでっかい感情のしこりを残さないで済んだこと。それが一番の収穫かと」
「ほほほ。確かにそうですね」
「犯罪が一切起きないってのが理想なんですが、どうしても起きてしまう。加害者が生粋の犯罪者でなくてもね」
「ええ」
「それならば、どうやって被害を軽く済ませるか。犯罪者を捕まえるのが警察の仕事だとすれば、私たちは依頼者やその関係者が犯罪に巻き込まれるのを防ぐのが仕事かなあと」
「なるほど……」
「知らないから起こる。巻き込まれる。避けられない。それなら、ちゃんと目を背けずに真実に向き合えばいい。私はそう思いますけどね」
「確かにそうですね」
ふう……それに今回は両極端だったんだよな。そう、親の役回りが、ね。見附さんは、肝心なところで麻矢さんを囲い込み過ぎた。そして……。
「ねえ、永井さん。今回の騒動。トミーの被害感情をひどくしたのは、麻矢さんだけじゃないんですよ。分かります?」
じっと考え込んでいた永井さんは、すぱっと正解を出した。
「トミーの……高崎さんのご両親ですね?」
「そうです。最後までしっかり娘さんをサポートしようとしていた麻矢さんのご両親と違って、トミーの親はさっさと娘を切り捨ててしまった。そこが麻矢さんとトミーの許容量の差になっちゃったんですよ」
「うーん、なるほどねえ」
「もう娘さんがあらさーくらいの年齢で、何を今さら親が出しゃばるんだって言うならともかく。高校出たばかりの未成年者を、ぽんと裸で放り出す親がどこにいますか!」
俺がぶち切れたのを見て、永井さんが苦笑した。
「あら。中村さん、意外に熱血でいらっしゃる」
「いや、熱血でなくて恨み節です。私の親は、トミーの親以上の外道でしたから」
「あら!」
「だから、どうしても親という立場の人への視線がきつくなっちゃうんですよ」
「あ……」
会議の時に、見附さんのご両親への嫌味やどやしが激しかったことを思い出したんだろう。永井さんが顔をしかめた。
「それは、決して褒められたことじゃないです。私の先入観が、『事実でない事実』を生み出してしまうことになりかねないので」
「そうですね」
「無事解決はしましたけど、私にとっても大きな課題と反省材料が残された案件になりました」
「うーん……厳しいんですね」
「他人に対してより自分にうんと厳しくしないと、こんな商売は出来ませんよ。信用第一の上に、人の秘密や弱みにばかり触るんですから」
「あ、そうか。なるほどねえ」
そうなんだよ。だから大手か弱小かを問わず、調査会社のトップはみんな緻密な人ばかりなんだ。俺が嫌いな沖竹所長だって、緻密さから言えば俺よりはるかに上。
倫理や約束にルーズなのは論外さ。でも、優しいとか人がいいだけでも務まらないんだ。人の陰陽をきっちり細部まで冷静に見通し、それを元に行動や対処を決める。そういう能力が高くないと、自他に降りかかりうる危険を避け切れなくなる。共倒れしかねない。
はあ……。俺は、そこがまだまだ甘いんだよなあ。反省材料ばかりが書き並べられた手帳をぱたんと閉じて、溜息と一緒に愚痴をこぼした。
「私はまだまだ未熟です。へっぽこですね」
さて、清算。ものすごくエネルギーを消費したように思えた、この案件。でも、日数にしてみるとわずか五日間なんだ。基本料二万、プラス日当五日分で二万五千円。あとは交通費がちょぼちょぼだから、全部足し上げても五万にもならない。
最初からものすごく危険を伴うことが分かっているなら危険手当を上乗せしてもらうけど、そういうわけじゃなかったからなあ……。我ながら、良心的を通り越して出血大サービスだよなあと思う。永井さんにも、俺の料金設定が安過ぎるってことは分かるんだろう。受け取った領収書を見回していた視線を、きょろっと俺に向けた。
「あの、中村さん、本当にこんなにお安くてよろしいんですか? これでやって行けるんですか?」
「言わんといてくださーい。骨の髄まで貧乏が染み付いているので、今更料金システムを変えられないんですぅ」
「あらあら。それじゃあ来てくれるお嫁さんがいませんよ? 今の女の子たちは、本当に足元を見るから」
ううう。その突っ込みはごっつ堪えるわ。
「まあ、もうちょい依頼がコンスタントに入るようになったら、料金改定を考えます」
「ほほほ。そうね」
「痛し痒しなんですけどね」
「は?」
「私への依頼があるというのは、それだけ揉め事が多いということ。私が、こんな商売は割に合わんからとっとと止めようと思ってしまう世の中の方が、ずっといいんですよ」
永井さんは、柔らかい笑顔を浮かべて何度も頷いた。
「中村さんは本当にお優しいですね。私は、気持ちよく今回のことを振り返ることが出来そうです。ありがとう」
「ははは……」
うん。儲けのことより、俺にはその言葉が何より嬉しい。
◇ ◇ ◇
永井さんの件が無事に片付いて、俺はまたじいちゃんばあちゃんの持ち込む雑多な案件を処理する毎日に戻った。
「正平さーん、片平さんの探し物、出てきましたよ!」
「お! そらあ、しゅうちゃんが喜ぶわ。早速知らせてくる」
「お願いします」
さっと身支度を済ませた正平さんが、いそいそと母屋を出て行った。
「さて、これで依頼がはけちゃったなあ。バイト探さなきゃ」
本業でなければ楽して高給ってのがいいんだが、世の中そんなに甘くない。俺が目を皿のようにして求人誌を見回していたら、どんどんとドアが景気よくノックされた。
「ん? 誰だあ?」
ひょいと顔を上げたら、ジョンソンさんが俺のプレハブ事務所をおもしろそうに見回していた。慌てて、ぎしぎしと引き戸を開けて中に招き入れる。
「なかむらさん、すみません。あぽなしで」
「わはは! アポ取ってもらうほどの身分じゃないですよ」
「いやいや」
「どうぞ、お入りください」
「しつれいします」
と言ってのしのしと入ってきたジョンソンさんの後ろに、もう一人いた。
「あ、あれ?」
「済みません。どうしてもお礼を言いたくて……」
麻矢さんじゃん。
「あれからどうですか? 落ち着きましたか?」
「はい!」
うん。声にしっかり芯が通ってる。それに、とても表情が明るくなった。いいことだ。
二人にソファーに座ってもらって、すぐジョンソンさんに尋ねた。
「トミーは元気に働いてますか?」
「ええ。はいそうじょしゅのしごとをあっせんしました。とてもまじめにはたらいています」
ほっとする。
そう、捕まったトミーと男。麻矢さんから被害届が出されなかったことで、起訴を猶予してもらえたらしい。立件されるか否かで、その後が天と地の差なんだよ。
当事者の間で和解が成立しているし、人間関係の修復も進んでいる。なによりトミーも男も、逮捕された直後に比べてはっきりと反省の色を示すようになった。それを確認した警察が、もう二度とこんなバカなことをするなと二人に厳しく警告した上で、放免してくれたんだろう。
どんな微罪であっても、履歴書の賞罰欄が一度汚れてしまうと職を選ぶ選択肢が極端に狭くなってしまう。寛大な処分で済んだことは、ラッキー以外の何物でもない。それでも。二人が失ったものは決して少なくない。トミーは、曲がりなりにもずっと続けていたバイトを解雇された。トミーに引きずり込まれた彼氏の方も、勤めていた出版社の職を失うことになった。
彼氏は、トミーがマンガを掲載していた雑誌社の元担当さんで、社から契約をばつっと切られたトミーに同情的だったらしい。同情から愛情へと発展することは、決して珍しくない。それが偏った愛であってもね。トミーが、その彼との関係をどうやって清算したのかは俺の知るところではないけれど。多分……前の恋人……そう麻矢さんのことが、やっぱりどうしても忘れられないと、正直にげろしたんじゃないかな。まあそこらへんは、関係者の間で自力でリセットしてもらうしかない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます