(3)

 それより生活をどうするか、だよ。黙っていても腹は減る。寝起きするところも確保しないとならない。


 親から放り出されてしまったトミーには、身元保証人がいない。それが、最大のネックだったんだよね。職はジョンソンさんから斡旋を受けられるかもしれないけど、居住環境を確保するのはそう簡単には行かない。なので、そこは俺がケアした。かつての教え子の醜聞で名門校の看板をこれ以上汚されたくない永井さんを口説き落して、渋々ではあったけど保証人を引き受けてもらったんだ。

 立場上しょうがないとは言え、あのおばはんも意外に体面を気にするんだよね。生徒と面談している目的も、最初俺が好意的に解釈していたほど高尚なものではないかもしれない。まあ、人間だれしも真っ白になんて出来ていない。そう割り切らないと、こういう商売はやって行けないよ。


 ともあれ、トミーの社会復帰が順調に進んだことを確認出来て、俺よりも麻矢さんの方が心底ほっとしたと思う。


「生活が落ち着いたら、あとはモチベーションだろなあ」


 俺が思わず口に出した独り言に、麻矢さんがすかさず食いついた。


「あの……なんのですか?」

「彼女はまだマンガを諦めていないと思いますよ。そこが自分の最大の売りだし、自己表現の方法だからね。きっと、どうやってリベンジするかを考えてるでしょう」

「ふふふ」


 それを聞いた麻矢さんが、口元に手を当てて目を細めた。


「中村さん、さすがですね。その通りです」

「でしょ?」

「はい。新しい題材を見つけちゃったって。すっごい張り切ってました」

「ほう。どんなジャンルだろ?」

「百合探偵物だそうです」


 ずどおん!!


「お、おいおい」

「そのうち、取材に来ると思います」

「とほほ……」


 ジョンソンさんにもアプローチがあったんだろう。やれやれって顔で、お手上げポーズを取った。まあ、しゃあないか。それもケアのうちだ。


 トミーのアフターケアの話の合間に電気ポットでお湯を沸かし、紅茶を煎れて二人にサーブした。紅茶のカップに口をつけた麻矢さんが、俺にちらっと視線を向けて小声で質問。


「あの……伯母から聞いたんですけど、中村さんのところは依頼料がすっごい安かったって……」

「まあねえ。自分で設定した料金なんで、ハードだったからもっと出してくださいとは言えないんですよー」

「そうなんですか?」

「ジョンソンさんも、最初は苦労なさったでしょう?」

「そうですね」


 ぐいっと腕を組んだジョンソンさんが、ずっと昔を懐かしむような遠い目をして、相好を崩した。


「たいしょくきんをごねんでつかいはたしました」

「わあお!」

「でも、ごねんですんだから、わたしはうんがよかったです」


 違うな。五年でその投資を回収するべく、きっちりと計画を立てたんだろう。奇をてらわない堅実で地道な調査は、もっとも時間がかかるようでいて、実は一番早く依頼者の信頼を得ることが出来る。そういう戦略タクティクスがしっかりしているのは、軍務をこなしていたという過去に由来するのだろうか?

 いや、まだ何も分からないね。でも分からないということが興味を呼び覚まし、その人に関わってみたいという原動力になる。きっと、ジョンソンさんとは長い付き合いになるだろう。そういう予感がした。


「そういやジョンソンさんは、今日はどうしてこちらに?」

「ははは。みつけさんのごりょうしんから、むすめのことでごめいわくをおかけしましたとでんごんをあずかっています」

「あらら。それなら電話で済んだのに」

「わたしも、おれいをいいたかったのです」

「いや、お礼なら私が言わないとならない。あの修羅場で、ジョンソンさんが素早く男を取り押さえてくださったから、みんな無事だったわけで……」

「いえ。あのときなかむらさんがはんにんをみつけてくれなかったら」


 すうっと大きく息を吸い込んだジョンソンさんが、ゆっくり首を振りながらその言葉を絞り出した。


「みんな、ふこうになっていました」


 そう。なんでも結果論で済めばいいけど、そうはいかないことの方が多いもんなあ……。


「わたしは、しんじないことより、しんじることをがんばらないといけない。それをおしえてくれて」


 でかい体をがばっと折り曲げて。ジョンソンさんが深々と頭を下げた。


「ほんとうにありがとうございます」

「そうですね。お互いに傷はある。でも、それに負けないように」


 ぐいっと手を差し出して、握手を求めた。


「がんばりましょうか!」

「はい!」


 握り返してくれるジョンソンさんの手の温もりと力強さを感じながら。俺は、この稼業をやっていて本当に良かったと。心から思った。


「いいなあ……」


 俺とジョンソンさんのやり取りを指をくわえて見ていた麻矢さんが、ぽそっと。


「え? なにが?」

「いや、男の人の友情って、なんかからっとしてるって言うか……」

「ははは。それはたまたまだと思うよ。ジョンソンさんとはまだ知り合ったばかりだしね。これからさ」

「はっはっは! そうですね。ああ、なかむらさん」

「はい?」

「わたしのことはふぁーすとねーむで、ふれでぃとよんでください」


 ほ? 苗字だと、よそよそしく感じるのかなあ。俺の感覚だと、逆に馴れ馴れしい印象になるんだけどなあ。でも、それがジョンソンさんのリクエストなら、応えよう。


「じゃあ、フレディさんで」

「さん、は、いらないです」


 うひー。呼び捨てにしろってか。そらあ……困ったなあ。


「どうしました?」

「いや、私のも名前で呼んでもらうってことですよね?」

「ええ、そうさせていただければ」

「ううー、どうすべ」

「は?」

「私の操と言う名前は、女性にも使われるんですよ」

「!!」

「私の両親が、男女別々の名前を考えるのをめんどくさがって、どっちにも使える名前にしたんです。この名前、嫌いなんですよねえ……」

「えええっ?」


 麻矢さんが絶句していた。


「そういう理由で名前付けちゃって、いいんですか?」

「とんでもないでしょ? 私の親」


 はあああっ。


「本当に、くそったれな親の存在が、私にとってのでっかいトラウマなんですよ。偉そうに人様のことをあれこれ言えないです」

「なるほど。それでは、こうしましょう」


 にやっと笑ったフレディが、太い指をぽんと突き出して、指揮者のように振った。


「みさちゃん」


 ずどおん!!


◇ ◇ ◇


 裃を脱いだフレディの弾け方は、なかなか強烈だった。きわどいジョークをばんばん飛ばして、俺を試そうとする。俺がそういうのを苦手にしてるならあれなんだが、突っ込み合いは大好きなんだよ。元々口が悪く出来てるからね。突っ込んで来りゃあ、おまけ付きで倍返しだ。

 フレディは、俺を『実にイジり甲斐のある男』と位置付けたんだろう。会話文から丁寧語が消え、飯場のおっさんとなんら変わらなくなった。俺はそういうフレディの変化を歓迎した反面、どこかに空恐ろしさを感じていた。フレデイの実体は、間違いなく今の砕けた姿だろう。だとすれば、それまでフレディに本当に心を開いていたやつが一人でもいたんだろうかと。異国で、知る者も頼る者もない国で……。


 明るく屈託ない姿の向こうに、ものすごく寂しがり屋で孤独な男の姿が見え隠れしている。そのミスマッチは、いつかフレディの心を深く蝕むだろう。麻矢さんが自分を閉ざし、トミーを狂気に駆り立てた孤独と同じ……どのような結末をもたらすか、分からない。そして。俺も同じ病巣を抱えているという事実、トゥルースから決して目を背けてはいけないんだよね。


 それまで礼儀正しく仕事の話をしていたはずのおっさん二人が急にノイジーになったことで、麻矢さんの口が重くなった。俺らの急激な変化が理解出来なくて、ひどく警戒したんだろう。それだけじゃない。温厚で口数が少ないという第一印象から、次に底無しの怖さを焼き付けられ、最後の帰結がこのえげつないジョークおじさん? 一体どれが本当のジョンソンさんなの? それが分からなくなったんじゃないかと思う。

 そうさ。フレディの見せるいろいろな姿は、ばらばらで筋が通っていないように見える。でも、全ては真実の上にあるんだよ。温厚なフレディにも、厳しいフレディにも、茶目っ気のあるフレディにも、それぞれに意味があるんだ。どれも演技なんかじゃなく、フレディなんだよ。麻矢さんがそれを理解出来るようになれば。きっと、友達なんか苦もなく作れるようになるさ。


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