フレディとの出会い編 第七話 トゥルース
(1)
麻矢さんの行動は早かった。自分の決心が揺るがないうちに、と。そう……思ったんだろう。この前俺の事務所に来た時に言った通り、俺とジョンソンさんが付き添う形にして面会に臨んだ。
トミーが麻矢さんとの面会を拒否すると厄介だったんだが、あれほど執着していた麻矢さんが向こうから会いに来るのはむしろチャンスだと捉えたんだろう。会いたいという返事が来た。俺は余計な感情や言動を一切挟まず、坦々と面会の手続きを整え、無言のまま留置所に出かけた。
毎日毎日勇気を絞り出す必要なんかないよ。野郎が彼女にプロポーズするみたいなもんだろうさ。大事な時に、きちんと自分の意思を示せればいい。そして、今がその時なんだってこと。麻矢さんが告白をどこまできちんと出来るかによって、今後の流れが変わる。俺もジョンソンさんも経緯を見届けるだけでいいし、それしか出来ないんだ。
留置所の面会室。地味な服装で緊張気味に待っていた麻矢さんの前に、安物の
スウェット上下を着たトミーが現れた。所の職員がトミーの両脇を固めるような形で、その横に控えている。アクリルの遮蔽板は、物理的な距離よりも二人の間の心理的障壁を象徴しているように見える。そこにいるのに、姿が全て見えているのに、決して心が通わない。そんな風に……。
きっと顔を上げて、麻矢さんを睨みつけているトミー。その視線に怯えるように、ずっと顔を伏せていた麻矢さん。当然のように、二人の会話はトミーの詰問から始まった。
「何しに来たのさ」
これまでずっとそうだったんだろう。トミーの威圧的な口調には、絶対に逆らうことを許さないという意思がみっちりと充満していた。
数分間。睨み付けるトミーと俯いたままの麻矢さんが、そのままの姿勢を維持し続けた。この光景だけ見たら、どっちが収監者だか分かりゃしない。
うーん……まずいなあ。ジョンソンさんの表情にも、これはまずいという焦りが滲み始めた。でも、俺たちは一切手出し口出し出来ない。麻矢さんの行動をひたすら見守るしかないんだ。
「ふうっ」
小さな吐息が漏れた。その後、俯いていた麻矢さんがゆっくりと顔を上げた。涙もなく。恐れもなく。血の気の引いた青白い顔だったけど、そこにほんの少し笑みを浮かべて。麻矢さんは、答えた。
「謝りに」
「なにを?」
「ごめんね。ちゃんと応えられなくて」
すうっと。麻矢さんがトミーに向かって頭を下げた。
「わたしね。うれしかったの。誰も構ってくれなかったわたしに、話しかけてくれて。うれしかったの」
ああ、そうか。麻矢さんは、最初にトミーに出会った高校入学の時まで。そこまで時間を巻き戻すことにしたのか。
さっきまで敵意を剥き出しにして麻矢さんを睨み付けていたトミーは、麻矢さんと入れ替わるように顔を伏せた。
「だからね。本当はトミーと……もっともっと話を……したかった。いろんなこと、話したかった。でも……」
麻矢さんの顔から微笑みが消えて。目尻から涙がこぼれ落ち始めた。
「わたしね……うまく話せないの。こわくて」
「何が、こわいのさ」
「全部。わたしの……言いたいことは……ちゃんと伝わってるんだろうか。わたしは……トミーの言いたいことをちゃんと理解出来てるのか……自信が……ないの。だから……どうしても……黙っちゃうの」
「……」
「ごめんね」
顔を歪め、喘ぐようにして、麻矢さんが泣き続けた。
「……ごめんね」
ふうっと。大きな溜息を何度か吐き出したトミーは。やれやれという表情で、ゆっくり体を起こした。
「それで?」
感情の波が収まるのを待っていた麻矢さんは、手の甲で涙を拭うと、伏せていた顔を上げてトミーを見つめた。
「わたしね。時間をそこまで戻したいの。あの……トミーと出会った時まで」
やっぱりか……。
「そんなこと!」
激昂したトミーが、がばっと立ち上がった。でも、麻矢さんは冷静だった。
「わたしね。今でも友達がいないの。一人も。だから、もしトミーが友達してあげるって言ってくれるなら、わたしは喜んで受け入れる」
「そ」
トミーが何か口を挟もうとしたのを、麻矢さんがすっと手を上げて制した。
「ねえ、最後まで聞いて」
「……」
「でもね。わたし、人形じゃないの。わたしにも、わたしの好きなもの、嫌いなものがあるの。それをちゃんとトミーに言えなかったわたしが悪い。でも、わたしが何でも受け入れるわけじゃないのは、分かって。お願いだから」
麻矢さんが、深々と頭を下げてトミーに謝罪する。
「えっちを受け入れたのは、トミーが友達だから。恋人として好きだからじゃない。もしトミーがわたしに恋愛感情を持っているなら、それは受け入れられないの。ごめんね」
うん。それで……いいんじゃないかな。トミーが長い間待っていたのは、麻矢さんのその言葉なんだろう。進むのか引くのか、その決断に必要な麻矢さんの態度がいつまでもどこかに隠されたままで、ちっとも出て来ない。どうしてもそれを引っ張り出したいから、アプローチがどんどん強引になる。
そうさ。トミーのアプローチは、俺と全く同じなんだよ。俺とトミーとで何が違ったか。トミーの時には麻矢さんの逃げ場があり、俺はその逃げ場を真っ先に潰した。その違いでしかないんだ。
俯いたまま、麻矢さんの告白をじっと聞いていたトミーは、顔を上げると俺たちを見回した。
「ねえ、まーや」
「なに?」
「あんた、後ろのおっさんにそう言えって、知恵付けられてるんじゃないだろね」
まあ、その疑いは当然だよな。
麻矢さんは、泣き笑いしながらそれを否定した。
「違うよ。わたしは徹底的にこき下ろされたの。あんたは、加害者のくせに被害者面してるって」
「うわ……」
ぎょっとした顔で俺とジョンソンさんを見比べるトミー。
「二人がわたしの後ろにいるのは、わたしが今までみたいに逃げ出さないようにするため。今度逃げたら」
ぶるっと。麻矢さんが両腕を抱え込むようにして震えた。
「……わたしは、この二人に殺されるわ」
おいおいおいおいおいおいっ! 俺とジョンソンさんは、思わずぶっこけた。人のせいにすんなようっ!
まあ、この前のジョンソンさんの剣幕はすごかったからなあ。麻矢さんには、それが強烈なマイナスインパクトになったんだろう。
「それより」
麻矢さんが、険しい表情で身を乗り出した。
「トミーと一緒にいた男の人を、中途半端に放り出したらだめだよ!」
「ん……」
「ちゃんとけじめを付けないと。今度はトミーがわたしみたいになるからね!」
自分が犯してしまった失敗は、友達にはさせたくない。それは友達として当然の心配であり、忠告だろう。やるじゃん! 百点満点だ。
俯いたトミーは、唇を噛んで小さく頷いた。
「……分かった」
これまでずっと、二人の間でわだかまっていたこと。それが今日全部溶けて消えたわけじゃないと思う。心は高校の頃に戻せても、二人は今をこなして生きて行かないとならないからね。それでも。一つの区切り、一つのピリオド。それが目を未来に向けるきっかけになるんだ。
長い間心の中に溜め込んだままだった汚泥を全部吐き出して、すっきりしたんだろう。憑き物が落ちたようにうっすら笑顔を浮かべた麻矢さんは、軽く一礼してから席を立った。
「また、明日来るから」
「うん」
「今日はこれで帰るね」
「ばいばい」
◇ ◇ ◇
麻矢さんはトミーに面会に行ったその足で警察を訪ね、事件直後の事情聴取では話していなかった事実を正直に申告したらしい。警察まで付き添ったジョンソンさんから、麻矢さんの申告内容に関する丁寧な報告があった。
高校の時の小さな誤解がどんどん膨らんで、トミーを追い詰めてしまったこと。トラブルの出どころが誤解である以上それを解消することが大事で、事件そのものをこれ以上取りざたするつもりはないこと。被害届を出すつもりはない。寛大な処分を。
麻矢さんは、聴取にあたった警官にそう訴えたらしい。
うん。現行犯逮捕だったから、銃刀法違反と傷害未遂の罪に問われるのは免れない。でも反省していて再犯の恐れがなければ、襲撃が未遂で怪我人も出なかったし、初犯だから猶予付きの刑になるんじゃないかと思う。もしかしたら、起訴猶予ということになるかもしれない。
俺はトミーよりも、まんまとトミーに利用されてしまった男の今後の方が気になる。なかなか……一発で全部すっきりってなわけにはいかないよ。それでも、一つ一つ、心配の種を取り除いていくしかない。地道に、ね。
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