(2)

「確かに、今回の事件の起点は高校での友人とのトラブルです。でも、それ以前にもう悲劇の種は蒔かれていた」


 地味なんだけど……麻矢さんは、一種のコミュ障なんだよな。


「中学で男の子に振られたショックは、ブス呼ばわりされたからじゃないですよ。男の子との意志のキャッチボールが全然うまく行かなかったから。そして、トミーとも結局同じ結末になってしまった。それは、強引なトミーに原因があるんじゃない! 相手のボールをうまく受け止められない、受け止めようとしない麻矢さんに原因があるんです!」

「そうか。だから……か」

「一生懸命ボールを投げてくれる相手にとっては、無反応は敵意と同じですよ。加害というのは身体や金銭のことだけじゃない。心を傷つけるのだって立派な加害なんです。ましてや、性的関係まで持った相手からそういう態度を示されたら、そらあ逆上するでしょう。そしてね」

「ああ」

「自分を主張したがらない麻矢さんに表面的な付き合い以上を望む人は、それだけ強いエネルギーを持ってるんですよ。どうしても俺様ばかりになるんです」

「あ!!」


 沢本さんが、がばっと立ち上がった。


「それじゃ……」

「だから、最初に言ったんです。同じトラブルを繰り返しますよ、と。トミーとのことが片付いてもね」


 ふう……天を仰ぐ。


「麻矢さんが、独りを全く気にしない体質ならいいんですけどね。決してそういうわけじゃない。友達や彼氏は欲しい。でも、自分を見せたくない。それは二律背反、無い物ねだりですよ。その解決法としては、孤立に耐えるか、自分を鍛えるかしかないんです」

「そして、たえるというこまんどは、もうつかえませんよね」

「そうなんです」

「なあ、中村さん」

「はい?」

「じゃあ、今回の件、具体的にはどう落とすんだ?」

「麻矢さんが、トミーと直接交渉するしかないでしょう」

「それは……無理じゃないのか?」

「ははは。ご両親や永井さんは、今までずーっとそう考えてたんですよ。だからこそ、この結末になった」

「そうですね」


 まだ自分自身への怒りが収まっていないのか、顔を赤くしたままのジョンソンさんが両手で自分の腿をばんばんと叩いた。


「たいけつしなくてはなりません」

「その女に、ケンカ……売るのかい?」

「それじゃ、だめです」


 ジョンソンさんが、俺の顔を覗き込みながら言った。


「けんかは、じぶんにうらなくてはなりません。なかむらさん、そうですよね?」


 俺は、にっこり笑って答える。


「その通りです」

「なるほどね」


 沢本さんは、それで俺の作戦が読めたんだろう。やれやれという顔で、ゆっくり立ち上がった。


「なあ、中村さん」

「はい」

「あんた、さすがブンさん最後の弟子だわ。そっくりだ」

「はははははっ! 光栄です」

「ブンさんも、あの世で喜んでるだろ。しっかりやってるって」


 俺は思わず苦笑いした。


「沢本さん、そんなのあり得ないですよー。もしブンさんがこの場にいたら、私は原型がなくなるまで殴り潰されてるでしょう」

「えええっ!?」

「このバカ! なんで、こんなクソったれな依頼を引っ張ってきやがったんだ! ドサ回りからやり直しやがれっ! ……ってね」

「わっはっは! それもそうか」

「私はブンさんにがっつり鍛えられましたけど、ブンさんとは違います。コピーじゃない。こういうお節介は私の性分なんで、しょうがないです」

「確かにな。まあ、いろんなやつがいるってことだな」

「はい。そう考えていただければ」

「中村さん、この件が落ち着いたら飲みに行こうぜ。ブンさんをつまみにすりゃあ安上がりだ」

「お、いいですね」

「わははははははっ!」


 屈託無く笑った沢本さんは、俺らにお先に失礼しますと言い残し、上機嫌で帰っていった。うん。沢本さんという人は、ブンさんほどひねてない。ストレートでシンプル、とてもキャッチボールがしやすい。こういう人が麻矢さんの相手だったら、麻矢さんもうんと楽だったろうなと思う。

 でも人が放つ引力というのは、セオリー通りには行かないんだよね。来て欲しい人には無視され、ちょっとなあという人に付きまとわれる。それが現実である以上、自分でちゃんと仕分けが出来ないと、こういう憂き目に遭ってしまうということだ。俺にとっても、決して他人事じゃないんだよな。


「なかむらさん」


 ぼやっと考え込んでいたら、ジョンソンさんから声を掛けられた。


「はい? なんでしょう?」

「さきほどさわもとさんと、ぶんさんというひとのはなしをしていましたよね?」

「ああ、ブンさんは、私が前に勤めていた沖竹エージェンシーで調査主任をされてた方です。もう亡くなられました」

「びょうきで、ですか?」

「殺されたんです」

「!!」


 ジョンソンさんが、こちっと硬直した。


「警察を辞められたあと、沖竹の調査員に転職して、私のようなど素人の教育係をしてたんですよ。かつて刑事さんだった人ですから、厳しい厳しい」

「あの、なぜころされたんですか?」

「自分に薬を盛った昏睡強盗を深追いしたんです」

「そんな……ありえない!」

「もし、ブンさんが現役ならあり得ないでしょう。ちょうど、沖竹を辞めたところだった。一瞬、油断したんですよ」

「ゆだんですか」

「相手は女。自分の腕っぷしには自信がある。正義心は強い。そして薬を盛った女は出所したばかりなのに、身元保証人の心遣いをつらっと裏切った。それがどうしても許せない。取っ捕まえて締め上げてやる……ってね」


 ふう……。あの時の、やり場のない怒りと悲しさがまた蘇る。


「激昂して女の後を追っているうちに、薬が回って意識を失った。その後、犯行が発覚するのを恐れた女に川に突き落とされたんです」


 ジョンソンさんは、意気消沈した。


「おんなは……こわいね」

「私は、男女関係なく怖いと思いますけどね」

「む……」

「会議の時には話を出しませんでしたけど、麻矢さんを付けてるストーカーは、ジョンソンさんが調査を承ける前から実在していましたよ。決して麻矢さんの想像の産物じゃない。私たちが気付けなかっただけです」

「えええっ?」

「私も後で分かったんで、しまったと思ったんですけどね」


 ジョンソンさんは、麻矢さんを尾行していた時のことを必死に思い返していた。


「そんな……そんなやつが……いましたか?」

「ええ」


 右拳を固めて、テーブルを二回。こんこんと叩いた。


「あの犯人のカップルは、何度も現場を下見してます。襲撃は思い付きじゃない。計画的ですから。当然、麻矢さんを付けたこともあったでしょう」

「むっ! そうかっ!」

「でも、私たちのストーカーの概念の中に、カップルが入っていなかった。だから見落とした。沢本さんも、後でしまったと思ったでしょうね」

「ええ」

「ストーカーは単独犯であるという思い込み。もし集団であっても、それが男ばかりであるという思い込み。いろんな思い込みが、私たちのアンテナを鈍らせた」

「そうですね」

「だからね、ジョンソンさんも女は怖いと思い込まない方がいいです。それは、ジョンソンさんの推理に負のバイアスをかけます」


 ぐっと詰まったジョンソンさんが、渋々頷いた。


「ジョンソンさんが女性敵視のスタンスでトミーを見る限り、トミーを自分の側に持って来ることはない。ジョンソンさんの敵意を麻矢さんに勘付かれてしまうと、麻矢さんにトミーを敵視しろという強いプレッシャーをかけることになってしまいます」

「ううむ」


 苦渋の表情を浮かべていたジョンソンさんが、ちらちらと俺を見る。


「なかむらさん。ひとつ、きいていいですか?」

「なんでしょう?」

「はんにんがつかまったら、なかむらさんのおしごとはもうおわりのはずです。それなのに、なぜみんなをあつめたんですか?」

「ははは。確かに。依頼人の永井さんには、後でアドバイスをすればいいこと。私が、一銭のもうけにもならない余計なお節介をする必要はどこにもなかったんですけどね……」


 俺はぐったりと椅子にもたれ、天井の蛍光管を見上げて目を細めた。


「ねえ、ジョンソンさん。私たちは神様じゃないんです」

「はい」

「誰からも愛され、誰にもひどいことをせず、トラブルにもアクシデントにも遭わずに順調に育ってきた……そんな人はどこにもいないでしょう」

「そうですね」

「陰の部分は誰にでもある。だから、陰との付き合い方を考えないとならない」


 手をかざして、灯りを遮る。顔に手の影が落ちて、俺には灯りが見えなくなる。


「私は、自分で意識して自分のケツを引っ叩いていかないと、すぐ陰のところに落っこちるんです」

「どうしてですか?」

「私は、心から誰かに愛されていると感じたことが一度もないんですよ」



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