(3)
「私の両親は、私と姉の育児をひどく手抜きしました。動物園の動物にエサをやるみたいに、カネをくれるだけ。日常の家事すら放棄したんです」
「!!」
ジョンソンさんがのけぞって驚く。
「そうなんですか!」
「とんでもない親です。私や姉が身を持ち崩さなかったのは、ただの偶然ですよ。その親への恨みが、私の根幹になってしまってる。示された好意を素直に受け入れられない。何もかも斜めから見て、こき下ろしてしまう」
「しんじられないですけど」
「いいえ。私には仲のいい友達が出来たことがないんですよ。それが紛れもない事実なんです。ぼっちの麻矢さんの姿勢を、偉そうにどやす資格なんかありません」
「うーん」
「そういう歪んだ感情が、いつどんな怖い形で外に噴き出すか、自分でも分からない。だからこそ、私が何かしてあげたことで、依頼人だけでなく自分も良かったなと思えるような結果が欲しい。それが、唯一自分をまともに出来る方法だと思っているんですよ」
「そうですか……」
「永井さんの依頼を完遂するということであれば、事実が明らかになった時点で業務は終わりです。でも、それじゃあ誰もハッピーにならないんですよ。もちろん、私も、ね」
俺はテーブルの上に乗せていた右拳をゆっくり緩めて、開いた。
「こういう商売をやっている以上、疑うことはどうしても必要です」
「ええ」
「疑う必要があれば徹底的に疑いますが、それをクリア出来たら今度は徹底的に信じたい。私は、今回もその原則に沿って行動しています。そうしないと、依頼をこなせないんです。一人で何もかもは調べられませんし、私のモチベーションが保たないので」
俺は、麻矢さんが座っていた席を指差した。
「そして私は。麻矢さんが、自分で作った壁を必ず越えられると強く信じています。だから、本気でどやしたんですよ」
黙って俯いていたジョンソンさんは、ゆっくりとその顔を上げた。
「そこが……わたしとはちがいますね。わたしはだれもしんようしていない」
「そうですか?」
「わたしは、ぐんにいました。わたしのしごとはせんじょうでひとをころすことでした」
「!!」
殺気が尋常じゃないと思ったけど、まぢにプロかよ。よく生きてたな。俺。今になって、どっと冷や汗が噴き出してきた。
「ころしあいがいやになって、だれもしんじられなくなって、へいしをやめました。でも、そのきずがなおっていない。いまでも……なおっていない」
ごっついおっさんが、でかい肩を落としてけしょんけしょんにしょげた。
「そうかなあ」
俺がそう言って首を傾げたことで、ジョンソンさんが恐る恐る顔を上げた。
「そんなことはないと思いますよ。もしジョンソンさんがうすら寒い心の持ち主なら、あの修羅場で真っ先に仕留められたのは私だったでしょうから」
「ああ……そうか」
「武器の有無とかそういうことではなくて、私の意識がどこに向いているかを瞬時に判断してくれた。そして、私を信頼してくれた。愛情のもっともっと手前、人と人とが強い相互関係を築く第一歩に必要なのは信頼、リライアンスでしょ?」
ぐん! ジョンソンさんが大きく頷く。
「はい!」
「ジョンソンさんが信頼をとても大事にされてるのは、すぐに分かりますよ」
「そうですか?」
「そこが出来損ないの人に、でかい会社なんか運営出来ませんよ。ジョンソンさんが社員にしっかり信頼されているからこそ、こんな立派な会社に育てられたんでしょうから」
「はっはっは! なかむらさんは、ほんとうにおじょうずですね」
「私はお世辞は嫌いです」
ぴしっ!
「おっとっと」
「社交辞令がすんなり言える性格なら、私は沖竹を辞めていません」
「……。なかむらさん。おきたけさんのところは、ひどいんですか?」
「ひどくはありませんよ。ただ、非常にドライなんです。解決率を上げ、守秘を徹底する。そのために、案件を単なる事例として割り切ります」
「ほう」
「沖竹で、調査員の仕事は卒なくこなしていましたけど、そこから自分の身になるものが何ももらえなかった。それで窒息したんです」
「そうですか……」
「私一人しかいなければ一人分の調査しか出来ません。でも、一人だから出来ること、踏み込めることがある。逆転の発想ですね」
がりがりと頭を掻いたジョンソンさんが、はあっとでかい溜息を漏らした。
「はああ……わたしのしゃで、すかうとしたかったです」
「わはは! ありがとうございます」
おっさん二人で、じみじみと話をしていたところに、高科さんがひょいと顔を出した。
「所長、百瀬さんが見えていますが?」
「おおう! たいへんだ!」
慌てた様子で、ジョンソンさんが立ち上がった。
「済みません、ジョンソンさん、すっかり引っ張ってしまって」
「いえ、なかむらさんにはとてもたすけていただきました。のちほど、またれんらくさせてください」
「そうですね。打ち合わせが必要になると思います」
「よろしくおねがいします」
がっちり握手を交わして。ジョンソンさんは慌ただしく会議室を飛び出していった。
◇ ◇ ◇
JDAを出て、自分のアパートではなく事務所に戻った。
今日の会議でのやり取りを、きちんと記録に残しておかなければならない。それには、永井さんへの報告には使われないものもいっぱい含まれるが、反省すべき点、改善すべき点を整理して、今後に生かさなければならない。広げた手帳が真っ黒になるまで一心不乱に書き込みをしている間に日が落ちて、気付けば外は暗くなっていた。
「まだ、解決はしてないんだよなあ……」
そう。ここまではいいんだ。問題はここからなんだよ。腕組みして考え込んでいたら、携帯が鳴った。ジョンソンさんだな。
「なかむらさん。やぶんすみません」
「いえいえ。今後の対応ですよね?」
「はい」
「会議の時にも申しましたが、私もジョンソンさんも、問題解決の義務は負っていません」
「はい」
「そして、その義務を負ってはいけないと思います」
「む……」
「ですから、麻矢さんの対応を相談するために見附さんのご両親や永井さんが見えたら、そこで依頼を完了して、もう関わらないようにしてください」
「なるほど」
「これだけどやしてもまだ親や伯母さんが出しゃばるようなら、彼らにタッグを組んでもらって、これから起こることを全部背負ってもらいましょう。そうして彼らに麻矢さんを生涯支えてもらわないと、彼女は保たないです」
「ええ」
「でも、もし麻矢さんが単独でジョンソンさんか私のところに来たら、それで第一ハードルをクリアです」
「まだはーどるがあるんですか?」
「あります」
ジョンソンさんが続きをせっついた。
「つぎは?」
「私たちにアドバイスを求めないこと、です」
「うん。たしかにそうだ」
「私たちが、せっかく突き放してくれたご両親や伯母さんの代わりをしたら意味がありません」
「ええ。それがふたつめのはーどるですね」
「そうです。三つ目は」
「はい」
「トミーに喧嘩を売らないことです」
「ううむ!」
それは、ジョンソンさんには意外だったんだろう。唸ったきり、返事が返って来なかった。
「決別は、敵対とは違うんですよ」
「あ……」
「自分を奴隷にしようとしたトミーのアクションに、明確にノーを出す。それ以上のアクションは要らないんです」
ジョンソンさんの大きな溜息の音。
「はああっ! おおきなはーどるばかりだ……」
「ははは。そうですね。でも、それをちゃんと飛び越えられるようにするために、今日目一杯どやしたんですよ」
「なるほど」
「これまで、麻矢さんを本気でどやした人が誰もいなかった。誰もが腫れ物を扱うように麻矢さんと接してきた。だから、彼女は自分の性格を変えようと真面目に努力したことが一度もなかった。性格がどんなに歪んでいても、ね」
「ええ」
「トミーの性格が歪んでいるとしたら、麻矢さんのも思い切り歪んでいるんです。その自覚はしてもらわないといけない」
「だから、おこったんですね?」
「そうです。あんたは、トミーのことなんか悪し様に言えないよってね」
ジョンソンさんは、麻矢さんの自発性をまるっきり信用していないんだろう。慎重な探りが入った。
「まやさんは……うごきますか?」
「さあ。それは私には分かりません。決意してくれればいいなと思いますが、あくまでも麻矢さんの行動待ちです」
「どっちにきますか?」
「たぶん、私の方でしょう」
「どうして?」
「ジョンソンさんが最後に雷を落とした姿を見て、麻矢さんはきっとトミーとイメージを重ねるでしょうから。最初から最後までがりがり噛み付いた私のイメージは、これ以上変わりませんよ」
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