フレディとの出会い編 第五話 スレイブ
(1)
「よろしいですか? 最初のチェックポイントで確かめたことは、脅迫されていたということ以外は新しい事実を含んでいないんです。昨日実際にあったこと、そのままです。そして、麻矢さんが脅迫を受けていたということも、麻矢さんご本人の証言がない限り私の憶測に過ぎないんです。つまり最初のチェックポイントでは、多重依頼の影響を取り除いても私たちが本当に欲しい事実が何一つ出て来ていません。みなさん、それをしっかり認識しておいてくださいね」
永井さんと見附一家をじっと見比べる。
「出てこない事実を明らかにするために、次のチェックポイントに進みます」
俺は自分の席を立って、麻矢さんの前に出た。それから屈んで、ずっと顔を伏せている麻矢さんの顔を下から覗き込んだ。
「ねえ、麻矢さん」
「……はい」
「事件はまだ終わってなんかいませんよ?」
がばっ! まるでアッパーカットを食らったかのように、麻矢さんの顔が跳ね上がった。激しい狼狽と、恐怖、嫌悪の表情。初めて生の感情が出たな。
「犯人は警察に捕まった。ああ、やれやれ。そう思ってませんか?」
「そ、そんな……」
「あのね、麻矢さんは警察でもほとんど事情聴取にまともに答えていないでしょ? 警察は、それは事件のショックのせいだろうと考えてると思います。でも、違いますよね?」
「……」
「警察では、犯人二人からの事情聴取をもとに、この件を殺人未遂ではなく傷害未遂事件として処理するでしょう。だって、あなたは何も言ってない。それじゃあ、連中の言い分しか通らないんです。軽微な犯罪として処理されれば、連中はきっとすぐ出てきますよ?」
「ひ……」
「ひ、じゃないですっ!」
ばんっ! 立ち上がって、両手を麻矢さんの前の机に力一杯叩き付けた。
「いいですか? あなたは幸運にも傷付かずに済んだ。でも、あなたの安全を確保してくれたのは誰ですか?」
「……」
「あなたの盾になったのは沢本さん。男を取り押さえてくれたのはジョンソンさんです。あなたはお二人にちゃんとお礼を言いましたか?」
「う……」
「腐ってますね。あなたはまるで被害者のような顔をしている。でも、紛れもなく加害者なんですよ!」
「……」
「これから、私が知り得た全ての情報を公開します。その中には、あなたがみんなに絶対に知られたくないことが混じっているかもしれない。でも今のうちにきちんと事実共有しておかないと、関係者が次の手を打てないんです。あなたは、すぐ逃げる。なんでも隠してしまおうとする。放置しようとする。それじゃあ、また狙われて」
人差し指で麻矢さんの頭を小突いた。
「今度はなます切りですよ。そうなるのは、全てあなたのせいです。私たちはもう知りませんよ? それでもいいんですね?」
「う……ううー」
泣いたって始まらないよ。くるっと背を向けて、自分の席に戻る。
「いいですか? だんまりは絶対に許しません。今度はあなたのことだけで済まないかもしれない。あなたのご両親や伯父さま、伯母さまにまで被害が燃え広がったら、あなたはそれに責任を取れるんですか?」
「……」
「私は、あなたを糾弾するつもりはありません。次の手を考えるには、必ず事実確認が要る。それだけです。あなたがそれを拒むなら、私たちはもう手を引きます。その後の責任は、あなた一人で全部背負ってくださいね。いいですねっ?」
そこまできついことを言わなくてもいいだろうと、少し不満げな表情を見せていたジョンソンさんに、ぽんとジャブを食らわす。
「ジョンソンさんは、依頼を承けてストーカーにあたりを付ける際にセオリーから入った。違いますか?」
「せおりー、ですか?」
「ええ。一般的に、女性を付け狙うのは男性というセオリー」
「ちがうんですか?」
「違います。今回の主犯は、あの男の方じゃない。トミーというあだ名の女の方です」
「えええーっ?」
ジョンソンさんの剥き出した目が、テーブルの上に転げ落ちそうになった。そうさ。ジョンソンさんは、組み伏せた男が主犯で共犯の女は巻き込まれたと思っていたはず。俺の説明は、まるっきりの予想外だったんだろう。
「男はトミーに抱きこまれて、まんまと利用されたんです」
「うーむ……」
高科さんも、あまりの衝撃で筆記の手が止まってる。もちろん、見附さんも永井さんも顔面蒼白。
「そんなに難しい推察じゃないですよ。小さい頃から今に至るまで、麻矢さんはその対外的な姿勢をほとんど変化させていないんです。人と深く関わること、自分を強く主張することが苦手。誰かが押すと。押された分だけ自分を引いてしまう。その原則から外れた時期が高校の時にだけあった。それが分かれば推論は簡単に立てられます」
ジョンソンさんは、ぐいっと腕組みをして目を瞑った。
「他人との感情的な軋轢をものすごく嫌う麻矢さんがごたごたに関わってしまう出来事があるとすれば、そこしかないんですよ」
俺は、そこで麻矢さんに念を押した。
「いいですか? 麻矢さん。これから私がする話は、ご本人のあなたでなければ肯定も否定も出来ない話です。その真偽は、あなたが意思表示しなければ永遠に分かりません。そして分からないままなら、あなたはこれからずっと誰かに殺されると怯え続けなければならない。あなたがそれで構わないなら、私はここで話を打ち切ります。どうしますか?」
ここできっちり麻矢さんから言質を取っておかないと、後で揉め事の元になる。筆記役の高科さんには、麻矢さんの返事がイエスかノーかをしっかり記録してもらわないとならない。俺は高科さんとアイコンタクトを取った。高科さんは、小さく指を丸めてオーケーサインを出した。よし!
俺は、麻矢さんの返事が口から出るのを急かさずじっと待った。しばらく沈黙が続いて。でも、今の恥より永続的な苦痛の方が我慢出来ないと判断したんだろう。蚊の鳴くような声で、イエスの返事が出た。
「聞き……ます」
「私の推論が正しいかどうかを、イエス、ノーで結構ですのできちんと仕切ってください」
「……はい」
よし。これで一つハードルをクリアした。
「それでは、私が調査して得たファクトから組み立てた推論をお話しします。現時点ではそれがあっているかどうかは、まだ分かりません。麻矢さんが、それを確定していってください。いいですね?」
「……はい」
ぐるっと関係者を見回す。
「先ほど申しましたが、麻矢さんが自己保身のガードを下げた期間が、高校の時にだけありました。それは、伯母さまである永井さんにすでに確かめてあります」
「ええ」
永井さんが頷いた。
「ですが、高校卒業後は元の姿に戻ってしまっている。つまり、そこで『いいこと』と『悪いこと』があったとしか、考えられないんです」
「うらぎり、ですか?」
ジョンソンさんに聞かれる。
「いいえ。誰かに裏切られたんじゃない。麻矢さんが裏切ったんですよ」
「えええええーーーーーーーーーーーーーーーーーっ?」
今度は、ご両親と永井さんが椅子を鳴らして飛び上がった。
どうどうどう。そんなに興奮しないで。お座りくださいな。手で三人を制して、話を続ける。
「そうじゃないと、麻矢さんが恨みを買う事態にならないんです。麻矢さんには人を恨むようなエネルギーがない。逃げるだけですから」
「おーう、そうだ!」
ジョンソンさん、ぽんと手を打つ。
「でもね、その裏切りの原因を作ったのは麻矢さんじゃない。今回の女の方ですよ」
「うーむ……全然意味が分からん」
沢本さんが、机に上にべたっと突っ伏した。
「ここまで。麻矢さん、合ってますか?」
麻矢さんは、かすかに頷いた。
「ありがとうございます。トラブルの起点になったのは、部活。漫研です」
「ふむ……」
「麻矢さんは一年の時からずっと在籍していましたが、二年、三年の時には高崎ひとみという女の子とペアで作品を作ってる」
「も、もしかしてっ!」
血相を変えて永井さんが立ち上がった。
「それが?」
「そう、今回の犯人。トミーです」
「そ、そんな……」
自分の学校からそんな犯罪者が出たなんて、絶対に信じたくない。そんな風に、永井さんが髪を振り乱して苦悶した。
「うそ……うそー」
「ねえ、永井さん。麻矢さんとトミーのコンビで描かれたマンガをご覧になりました?」
「ううー、チェックのために私も見てたはずなんだけど、特に印象が……」
「印象が残らないのは、永井さんが女子高の先生だからなんですよ。だってそれは、永井さんが毎日見ている光景そのものなんですから」
「え? それ以外のものが描かれていました?」
「はい。私が見ると、ああなるほどなと」
「どういう……ことですか?」
「百合、なんです。世界観が。今風に言えばGL。ガールズラブ」
「は?」
「女子高には女生徒しかいない。そこでの恋愛は、所詮疑似恋愛にしかならない。先生たちはそう考えて、軽視する」
「違うんですか?」
「甘いです。女子高は、時にレズビアンの養成所になるんですよ」
「そんな……」
見る見るうちに、永井さんの顔から血の気が引いた。
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