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「これで分かりますよね? 私とジョンソンさんに、異なる依頼者からほぼ同時に同内容の依頼が入って、それを承けることになってしまった。二重依頼の発生です」
もう一度、ぐるっと関係者を見回す。
「実はね、二重依頼自体はそれほど珍しいことじゃないんですよ」
「ええっ? そうなんですか?」
お父さんが目をまん丸にして驚いている。
「お父さんが最初に依頼しようとしたところが、もしJDAではなく私のところだったら、あなたは独立したばかりの貧乏ぺーぺー探偵を信用なさいますか?」
「う……そ、それはー」
「でしょ? でも、私のところは調査料金がうんとこさ安い。じゃあ、ここで保険をかけといて大手にもやらそう。そう考える人がいてもおかしくないんです」
「うーん、たしかにそうですね」
ジョンソンさんが、ちらちらと俺を見ながら頷いた。
「単純な素行調査。たとえば、浮気の事実があるかどうかを夫を尾行して探ってくれという場合、それが二重依頼だろうが三重依頼だろうが、あまり結果には影響しません。他に頼んでいるところがあったと分かった時点で、なんだ信用されてないのかと感じて、私が不愉快になるだけです。そして、多重依頼じゃないか失礼だとクライアントに文句を付けたってしょうがない。だって、実績がなくて信用されないのは、紛れもなく事実なんですから」
ふうっと大きく息をついたジョンソンさんが、床に視線を落とした。たぶん、ジョンソンさんが仕事を始められた時には、とても苦労なさったんだろう。
「でも、今回の二重依頼はそういう性質のものではありません。お父さんはジョンソンさんにしか、永井さんは私にしか依頼していない。それが重なってしまったのは、あくまでも偶然です」
「ええ」
「ただ、その重なり方が非常に危険だった」
「あの……なぜですか?」
お母さんから質問が出た。
「ストーカーを特定出来ないことで、麻矢さんがものすごく怯えていた。それと同じ恐怖を、私たちも負わないとならないからです」
「あ……」
「永井さんに、先ほど確かめましたよね? 相手が分からないことで、恐怖心からストーカーを『作り上げてしまう』と。私たちもそうなってしまうんですよ」
し……ん。
きしっ。俺が床で靴を擦った音で、永井さんとお母さんがきゅっと縮み上がった。ね? そういう感覚なの。分かる?
「私たちは、事実関係を調べるのが仕事です。武装して取り締まりに当たれる警察じゃありませんから、私たち自身に危険が及ぶことは極力回避しなければなりません。ですが、『現れたストーカーが誰か』を調べることは、私たちが承けた依頼の一部なんですよ。少なくとも、そこが明らかになるまでは、危険だからもうやりません、離脱しますというわけにいかないんです。それにね」
「はい」
お父さんが、ごくりと生唾を飲み込みながら俺を凝視している。
「指揮が二系統になってしまった。ジョンソンさんの系と私の系。そして私たちからのアドバイスが、それぞれお父さんと永井さんを介して間接的に麻矢さんに伝わったんです」
「あ!」
ご両親も永井さんも、ぼーぜん。
「私のとジョンソンさんのレコメンドが同じなら良かったんですが、正反対だった」
「あの……どういう?」
「ジョンソンさんは、ストーカーの特定を最優先に据えていました。ですから、麻矢さんに通勤、退勤のルートを変えて欲しくなかったんです。犯人の動きが読みにくくなりますから」
「!!」
「私は、ストーカーの襲撃がありうることをまず念頭に置きました。万一の被害を回避するために、同じルートを使わないようにと、永井さんを通してお願いしました」
「うわ、それじゃ……」
永井さんが、頭を抱えている。いや、一番頭を抱えたのは麻矢さんだろう。
「私としては、心底心配してアドバイスしたことをまるっと無視してしまう麻矢さんが腹立たしくてしょうがなかった。ジョンソンさんも、あれほどルートを変えないでくれと頼んだのをなぜ変えると面白くなかった」
「ははは。そうですね」
ジョンソンさんが、仕方ないという風に天井を見上げた。
「でも、相反する指令を受け取ってしまった麻矢さんも、どうしていいのか分からない。困ってしまいますよね?」
ご両親が顔を見合わせた。俺も苦笑せざるを得ない。
「こんな風に。依頼が二重になったことの弊害ばかりが、全部吹き出してしまったんですよ。関係者がお互いを疑うようになる。注意が本当のストーカーから逸れる。指揮系が錯綜してうまく機能しなくなる」
一度話を止めて、関係者をぐるっと見渡す。さて……。
「私は18、19の両日でだいたいのあたりを付けたんですが、それはあくまでも私の直感でしかありません。麻矢さんに直接確認出来ない以上、私の推察したことが合っているかどうかを確かめるには、麻矢さんを脅しているやつが何らかの行動に出るまで待つしかない。ですから、そこから先の手段はジョンソンさんと同じなんです」
「なるほどね」
ジョンソンさんが何度か大きく頷いた。
「そこから、けはいがにばいになったわけですね?」
「そうです。私と沢本さんのチーム、そしてジョンソンさんのチームですね。どちらもぴんぴんに緊張していますから、互いの視線が敵視に感じるんです」
「そうですね」
「相手をストーカーと疑った私とジョンソンさんは、相手の行動から目を離せません。しかも、依頼を承けるまでは依頼者と私たちの間に何の関係もありませんでしたから、依頼者の類縁関係から遡って互いの正体を割り出すことも簡単には出来ません。その結果疑心暗鬼が膨らんで、私とジョンソンさんを一時的に敵対させてしまいました。それでもし衝突でもしていたら一大事です。最悪の同士討ちになってました」
し……ん。
「でも、それは見附さんや永井さんのせいではありません。お二方とも麻矢さんに余計な心配をさせない形で、ひっそり円満解決させたいという意向だった。そのために行ったことのタイミングが、不運な形で重なっただけです。私とジョンソンさんの間で調査時期や手法が異なっていて、そのズレが事態を悪化させたのも、単なる結果論に過ぎません。いいも悪いもないんです」
「ああ、そうですね」
ジョンソンさんが、大きく頷く。
「そして。私やジョンソンさんには、これからの業務に反映させなければならない教訓がいっぱい出来ましたが、それは見附さんや永井さんには特に意味がないんです。それよりも、先ほど申しましたように今回のどたばたから二重依頼の影響で起こったことを差し引かないと、肝心の事実が明らかにならないんですよ」
ゆっくり、一人一人の顔を、その表情を見極めるように、見回す。
「いいですか? 私たちに必要なのは事実、ファクトなんです。みなさんにここに集まっていただいたのは、あくまでもそのためなんです」
こん! 拳でテーブルを叩いて、一区切りにする。
「話を元に戻しますね。私とジョンソンさんが麻矢さんの監視を始めてから、麻矢さんが察知されたストーカーの気配。そこから、私たちの要素を差し引いてください。後に何が残るでしょう?」
「む……」
顔を真っ赤にして、ジョンソンさんが熟考するモードに入った。俺は、ジョンソンさんの口が開くのをじっと待った。
「わたしは、なかむらさんとさわもとさんいがいのけはいはわかりませんでした。ちょうさいんからも、がいとうしそうなじんぶつはいないとほうこくをうけていました」
「はい! それは私も沢本さんもそうなんです。JDAの関係者の気配しか分からなかったんですよ」
ぐるっとみんなを見回す。
「私がそれ以外のストーカーの気配を察知したのは、あの事件直前の、ほんの一瞬だけなんですよ」
「む!」
ここで、俺がさっき永井さんに振った話に戻るのさ。麻矢さんが『ストーカーを作っている』ってところにね。
「整理しますね。私が確認した第一のチェックポイント。つまり、今回のトラブルから私とジョンソンさんが絡んだ要素を取り除くと何が残るか。麻矢さんは誰かに脅迫されていて、ストーカー被害が危惧される状況だった。でも実際には『ストーカーはいなかった』。ストーカーは『事件の時にだけ現れた』。それは『単独犯ではなかった』です」
俺はここで一度進行を止め、筆記係の高科さんに確認した。
「ここまで、よろしいですか?」
「はい。大丈夫です」
【第十一話 ファクト 了】
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