(2)

「疑似恋愛に過ぎないというのは、先生たちの願望です。校則が厳しく男女交際を禁じられていれば、好奇心や欲望が歪んだ形で吹き出すのなんか当たり前ですよ。その程度がいろいろあるというだけ」


 俺は、宙にハートマークをいくつか描いた。


「三年間だけ辛抱すればあとは自由だって割り切れる子は、女の子になんか見向きもしません。ちょっとだけ、それっぽい体験してみたいなーという、形だけなぞって終わる子もいる。でも真似事じゃ済まずに、そのまま同性愛の世界にずっぽりはまり込んでしまう子。いわゆる、カミングアウトしてしまう子もいるんですよ」


 永井さんは、どうしてもその言葉は言いたくなかっただろう。でも、事実は事実だ。そこを通り過ぎないと、話が先に進まない。苦い苦い言葉が、ちぎれるようにして吐き出された。


「麻矢ちゃんが……そうだっていうんですか?」

「そうです。それも、体の関係あり、でね」

「!!」


 お母さんが顔を覆って泣き出した。信じられない大ショックだろう。永井さんも、茫然自失。だが、俺は淡々と話を続けた。


「でもね、それは過去形なんです」

「え?」

「そうでしょう? 麻矢さん?」


 麻矢さんも、肩を震わせて泣いていた。でも、しっかり頷いた。


「あの、なかむらさん。どうしてせいこういがあったことがわかるんですか?」


 憮然とした表情のジョンソンさんから、直球の突っ込みが入った。


「トミーという女は、高校卒業後にエロ漫画家になってるんですよ。百合専のね」

「!!」


 俺以外、全員ぶっ飛び。会議室の中が騒然となった。


「そんなの想像だけじゃ描けませんよ。そして、自作にマーヤという少女を頻繁に登場させてる。そのまんま、だ」


 ジョンソンさんが、がっくり肩を落とした。


「ちぇっくが……あまかったです」

「しょうがないですよ」


 俺は、ショックで打ちひしがれている見附さん夫婦と永井さんを冷ややかに見下ろした。


「いいですか? 私はレズに対しても、女性同士の性行為についても、特段の感情は持ち合わせておりません」


 ぴっぴっ。指を振る。


「私が電車で乗り合わせた隣の人と会話を交わしたとします。あなたの趣味はなんですか? ゴルフです。その『ゴルフ』のところに何が入っても、私にとっては、ああそうですか、それはいいですね……にしかなりません。どうでもいいんですよ。私に何か実害があるわけじゃないんですから。好きにしてくれればいい。私は宗教関係者でも、妙な倫理観で頭をコンクリート詰めしてる時代錯誤のおっさんでもありませんので」


 思い切り突き放す。


「私が問題にしたいのは、そこじゃない。その濃密な接触を通して麻矢さんとトミーという女の関係がどうなったか、そこだけなんですよ」


 ジョンソンさんには、俺の意図したことがじわっと見えて来たんだろう。さっきまでとは別の意味で、ものすごく表情がきつくなった。そう。これは、与太話で終わるような単純なものじゃないんだよ。


「多分、スタートはどちらも単なる好奇心でしょう。中学の時に男の子絡みで嫌な経験をした麻矢さんは、快活でオープンなトミーに理想のパートナー像を見て、憧れた。そしてトミーは、聡明なのに従順で棘のない麻矢さんを気に入った。スタートは良かったんです。それが一年の時」


 くん。麻矢さんが小さく頷く。よし。


「その関係は、学年が一つ上がると同時に一線を越えたんです。そして麻矢さんとトミーとの関係が本当に恋人同士なら、今回のトラブルは痴情のもつれってことになるんでしょう。でもね。少なくとも高校卒業後には、麻矢さんとトミーの直接の接触はないんです。その兆候は私には見つけられませんでした。麻矢さん、いかがですか?」

「あり……ません」

「そうですよね? トミーという女が麻矢さんに求めたのは、恋人としての存在ではない。スレイブ。奴隷ですから」


 ぐん! 初めて、麻矢さんがぎっと唇を結んで大きく頷いた。やっぱりね。思いがけない展開に、永井さんがおろおろし出した。


「あ……の、中村さん、どういうことでしょう?」

「レズの世界にも、普通の男女の仲と同じように、支配と被支配の関係が存在するんですよ」

「支配……ですか」

「そうです」


 独身の永井さんには理解しにくいだろうな。でも、ご両親にはある程度解るだろう。夫婦の間には、多少なりともあることだからね。


「最初は、そんなに強い相互関係はなかったと思います。友達の延長。でもそれが性的関係にまで発展すれば、主従が出来てしまうことがあるんです。リードする側とそれを受け入れる側というようにね。そこで麻矢さんは、トミーに一方的に受け入れ側にはめ込まれてしまった」


 嫌悪の表情を浮かべたまま、麻矢さんが小さく頷く。


「それは、麻矢さんの本意ではありません。麻矢さんが思い描いていたふわふわした甘く優しいイメージの世界には全く合致しませんからね。当然、横暴で強引なトミーに対する幻滅と嫌悪の感情が出て来た」

「じゃあ……そこで終わりに」

「なりませんっ!!」


 俺は永井さんの発言を遮って、大声で怒鳴った。会議室の中がばりんと凍り付いた。


「いいですか? トミーという女は、麻矢さんを完全に支配しようとし始めた。強い嫉妬と束縛、命令。麻矢さんの自我を否定しにかかったんです」

「なかむらさん。どうして、それがわかったんですか?」


 ジョンソンさんが腕組みしたまま横目で俺を見た。


「それも、同人誌の作品から見えてきます。二年の時と三年の時のは、印象がまるで違うんです。画力は明らかに向上しているのに、脚本は逆に劣化してる。明らかに麻矢さんの意欲が低下してる」


 くん、くん、くん。何度か、麻矢さんの首が縦に振れた。


「それは、過激なシナリオに難色を示した顧問の先生と、もっと過激にしろというトミーのオーダーの間に挟まって、麻矢さんがすごく消耗したからですよ。麻矢さんは、もう脚本なんかどうでもよくなったんです」

「……はい」


 お。声が出たな。


「でもね。麻矢さんの性格は、二人の関係にきちんとピリオドを打つには弱すぎた。あんたなんか、もう嫌いだ! その一言が」


 ばんばんばん! テーブルを何度も叩いて、注目を集める。


「どうしても直接トミーに言えなかった。だから麻矢さんは逃げたんです。これまでずっとそうしていたようにね」


 永井さんをぴっと指差す。


「永井さん。麻矢さんが理系の大学に進学した理由」

「ええ」

「あれは……女子の集団に馴染めないからとかいうぼやっとした理由じゃない! 確実に、トミーの追跡を振り切るためだったんですよ」

「あああっ!」


 永井さんが、口元に手を当て、目をかっと見開いた。


「完全に征服すべき存在として麻矢さんを位置付けているトミーが、卒業したからって麻矢さんを手離すはずがないんです!」

「そう……か」

「麻矢さんとトミーとの学力差がうんとあれば、トミーには手の届かないレベルの大学を受験すればいい。でも、それほどの差がなければ」

「そうか、付いてくると……」

「ええ。麻矢さんはそれが絶対に我慢出来なかったんです。ですから、トミーに進路で迷っていると言って、進学先をぎりぎりまで伏せていた。そして、本番で理系の大学に切り替えた。麻矢さんは時間をかけて受験への準備が出来ますが、まさか理系に進むとは思っていなかったトミーが、付け焼き刃の勉強で麻矢さんの出願した大学に合格するのは無理です」

「それで……か」


 ご両親も絶句してる。


「いいですか、ご両親! 親はね、そういう娘の異変をちゃんと読み取らないとダメなんですよ。何年親子をやってるんですか!」


 がっつり嫌味をぶちまかした。それは……俺のたちの悪い鬱憤晴らしに過ぎないんだが、どうしても出て来てしまう。口から出してしまった後で、しまったと思うんだけどね……。いや、反省は後だ。ここから先が核心になる。先を急ごう。


 俺は、ここまでの推論がちゃんと事実にマッチしているかどうかを、麻矢さんに確かめた。


「麻矢さん、ここまで合ってますか?」

「合って……ます」


 よし!


「自分が嫌だと思った人物と別れるには、どうしてもそいつとの距離を空けないとなりません。言葉で絶交を宣言するのは、十分な心理的距離を最短で確保する方法です。そして麻矢さんが選択したような、自然消滅狙いで接触機会を減らすやり方も、確かに距離を空けうるんですが……。自然消滅ってのは、すでに心理的距離が十分空いている場合、つまり互いに冷めかかってる場合じゃないと効果が薄いんですよ」


 じっと麻矢さんを見据える。


「つまり、最初は麻矢さんとトミーとの間で双方向だった心の交流が、トミーから麻矢さんへの一方向になってしまっていた。しかも流れが強くなっていた。その激流を堰き止めて断ち切るには、どうしても決別を言葉にして関係を終わらせる必要があったんです。でも、それは麻矢さんがもっとも苦手にしていること。トミーに面と向かって、あんたが嫌い、もう付いていけないとはどうしても言えなかった」


 麻矢さんが、こそっと顔を伏せた。その時だけではなく、今も変わってないね。面と向かって嫌だとは言えないんだろう。


「麻矢さんの取った手段では、物理的距離を空けることは出来ても、心理的距離を空けることが出来なかったんです。ですからトミーは、麻矢さんへの支配欲はそのままに、麻矢さんに裏切られたという強い不快感情を抱いた。麻矢さんに対する心象が、その時点で真っ黒けになってしまったんです」

「なるほどね」


 ジョンソンさんが、俺の次の発言を先取りした。


「それが、とみーのまやさんにたいするしゅうちゃくを、もっとつよくしてしまったということですね?」

「はい。そう思います」



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