(3)
「それだけじゃありません」
「まだあるんですか?」
「もし逆上した犯人が殴りかかってきたら、どうします? 警察官なら公務執行妨害で現行犯逮捕出来ますが、私が殴られたらただの殴られ損ですよ。私自身が痴漢被害を受けたわけではないんですから」
「それで……ですか」
「ええ。着実に痴漢被害の被害者、加害者を第三者として特定出来る状況じゃない限り、調査会社では引き受けられないんです。それは、警備か自衛で対応してくれっていうことになりますね」
永井さんの肩ががっくり落ちた。警察にも、自衛でなんとかしろって言われたんだろう。
「でもね」
「はい」
「その痴漢被害、どう考えてもおかしいんです」
「?? どういうことですか?」
「プロは、特定の子に狙いを定めます。メンやプロポーションがいいのに、気が小さくて声を出せない。そういう子であるかどうかを実地で何度も確かめて、執拗に付け狙う」
「私もそういうイメージだったんですが」
「でも、今の永井さんのお話を伺うと、そうじゃない」
「ええ」
「つまりね、聖ルテアの女の子がたくさん乗り込む路線、区間が、裏サイトか何かで痴漢入門者向けのお試しコースとして勧められてるんでしょう」
「なんですってっ?」
頭に血が上ったんだろう。永井さんが血相を変えて立ち上がった。
「そこに群がる連中は、プロになるつもりなんかない。バレずにJKに触れるっていう体験が出来れば、それで満足なんですよ。だからターゲットが定まってない。そして加害者が特定個人じゃないから、警察の捜査で犯人が上がらない。足が付かない」
ふう……。
「沖竹の所長も、そこまでは読んでいると思います。でも、所長は対策までは考えないですよ。コスパが悪すぎますから」
「中村さんなら、何か対策が立てられるんですか?」
「簡単ですよ。こんなの」
「ええーーーーーーっ?」
にやっ。俺は、人差し指をひょいひょいと振って見せる。
「コスパとか、そういうことを考えなければいいんですから」
「えと。何か特殊なカメラを使う……とか?」
「いいえ。違います」
「うーん……」
「ことが集団犯罪になっているんですから、その情報と集団を根絶させないと、いたちごっこです」
「そうですよね。じゃあ、どうすれば」
「その前に」
「ええ」
「これを正式に依頼になさいますか? それとも情報提供だけで打ち切りますか?」
「あ……」
「先ほど申しましたように、私は仕事として調査業をやっておりますから、本件もそのように考えています。決してボランティアではありません。いかなる事情があっても、ただ働きはいたしません」
膝の上に握った拳を乗せて、しばらくじっと考え込んでいた永井さんは。うんうんと二度頷いて、俺の顔をじっと見つめた。
「依頼にさせていただきます」
「了解しました。料金ですが」
「はい」
「基本料金が二万円。日当が一日五千円。それに、調査にかかる機器、消耗品類、交通費等の実費を別途いただきます」
「えっ? そ、そんなに安いんですか?」
「てか、うちみたいな弱小が高い料金設定にしたら、誰も依頼なんかしてくれませんよ」
俺は、思い切り苦笑して見せた。
「そうですね。実際には三日あれば片が付くでしょう。四、五万てとこですかね」
「それで解決するっていうのは……信じられないんですけど」
「勘違いしないでくださいね。その値段で済むのは、私が何もしないからです」
「はあっ?」
何が何だか訳が分からない、そんな風に。永井さんは、落ち着きなく俺を見回した。
「お忘れですか? 私は自分に降りかかる危険を避けないとならない。その場には居られないんですよ。私がするのは、段取りだけです。かかる費用は全てそのためのものと考えてください」
「あの。じゃあ、誰が痴漢を捕まえてくれるんですか?」
「警察に決まってますよ」
「でも、警察じゃ……」
「警察では、現行犯じゃない限り逮捕できない。だからこそ、囮の婦人警官を紛れ込ませてる」
「ええ」
「でも、成人した警官が高校生に化けるのは無理があるんです。それで引っかかるのは、どうしようもないバカだけですよ」
「それじゃ、警察なんかあてにならないですよね?」
「証拠がないからでしょう?」
「あ……」
「必要なのは、証拠を残すこと。そして、被害があることをすぐ訴えられる環境の整備。それだけです。そこに私がいる意味は特にないんですよ」
俺が、広げたノートに書き出した作戦。目をまん丸にしてそれを見ていた永井さんだったけど。そうか、を何度も連発して、俺の意図を汲んでくれた。
今回の件。被害抑止のために足りなかったのは学生の自衛でも、学校の対策でも、警察の捜査能力でもない。ただ単に、関係者間の意思、情報の共有と連携が不十分だっただけ。それさえきちんと認識してもらえれば、決して難しい案件ではないんだよ。
粗々の打ち合わせが終わったところで、永井さんに聞いてみる。
「ああ、永井さん」
「はい?」
「私のことは、どこでお知りになりましたか?」
今回の件は間違いなく雅恵ちゃんルートだろうけど、校長と雅恵ちゃんがどういうやり取りをしたのかを知っておきたかったんだ。場合によってはアフターフォローが要るからね。永井さんは、微笑を浮かべながら答えた。
「先日、宇佐美さんという生徒さんと面談する機会がございました。宇佐美さんはご両親と離れてお祖父様のところに下宿なさっているので、面談にお祖父様の同席をお願いしたんですよ」
「ほう。校長先生御自ら面談をなさるんですか?」
「全生徒と、年に一度は面談の機会を作ります。名目はいろいろですけどね」
「うーん、すごいですね」
「女子校にはいろいろございます。それは必ずしも喜ばしいことばかりではありません。実際に生徒と顔を合わせてしっかり話をしないと見えてこないことが、多々あるんですよ」
「今回のこともそうですか?」
「そうです。生徒さんにとって、痴漢に遭うというのは恥ずかしいこと。なかなか友達や先生には訴えられないでしょうから」
「そうですよね」
悩みが我慢の限界を……アッパーリミットを突き抜けてしまうと、学校に行くことが苦痛になってしまう。それが人生を暗転させてしまいかねない。校長先生が先頭に立って、それを防ぐためのセーフティネットになってくれるというのは素晴らしいね。さすが、名門校だ。
「その面談の合間の雑談で先ほどの痴漢の話をさせていただいたんですが、お祖父様がとても立腹されまして」
まあ、そうだろうな。あのじいちゃんのことだ。もし雅恵ちゃんがそんな目に遭ったら、電車に日本刀持ち込んで痴漢を袈裟斬りしかねない。
「警察があてにならないなら適任の男がいると、中村さんのお名前を伺いました」
おわっ! 雅恵ちゃんじゃなくて、じいちゃんの方が発信源だったのか! あたたたた……。
「あーあ、若造のくせにものすごく生意気なへぼ探偵がいるって言ってたでしょう?」
「ほほほほほ。でも、とてもしっかりした方だと褒めていらっしゃいましたよ?」
「まだまだですよー。一人で出来ることには限界がありますから」
「どなたかと組んで仕事されないんですか?」
「私にもう少し経験と調査実績が備われば、誰かに一緒にやろうと声をかけることが出来ると思うんですけどね。まだ駆け出しもいいとこですから。それに……」
「ええ」
「私一人なら、失敗しても自分で責任が取れるんです。でも、自分の責任を相棒に押し付けることも、人のヘマを被ることも出来ないです。それには覚悟が要りますので」
「そうですね。そういうのは、結婚みたいなものなのかもしれませんね」
「ははは。そうですね。結婚かあ……私はまだまだ先ですね。今はまだフリーターとそれほど変わらない生活ですから」
俺の自虐ネタへのリアクションに困った永井さんは、ごほんごほんと咳払いをしてごまかした。
さて、と。
「まず、警察との打ち合わせが必要ですね。これまでは鉄警とお近くの署の生活安全課か地域課の方が窓口だったんじゃないですか?」
「はい、そうです」
「それでは埒があかないです。私の方で、ちょっと別ルートを当たってみます。その段取り次第で作戦が変わるので、明日改めてご連絡させてください」
「分かりました。助かります」
「私の方で段取りを進めている間に、生徒さんと先生の組織化をお願いします。それと、作戦を絶対に外に漏らさないようにしてくださいね!」
俺が強い口調で念を押したことにびびっていた永井さんだけど、覚悟を決めたように頷いた。
「分かりました!」
「くそったれな連中に天誅を下しましょう!」
にっ!
笑みを浮かべた永井さんは、俺のあおりに気を良くして勢い良く椅子から立ち上がった。
「お手数をおかけしますが、どうかよろしくお願いいたします」
「分かりました。再度打ち合わせが必要になりますので、その時にはご面倒でもこちらに出向いていただけますか?」
「ええ。それでは、ご連絡をお待ちしています」
「はい!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます