(4)

 車内で強姦事件があったとか、そういう凶悪犯罪でない限り、痴漢くらいで刑事課が動くことはない。そのくらいは鉄警で対処してくれよっていう意識が所轄署にあるってことだ。


 学校側がどんなに訴えても警察が積極的に動かなかった裏には、痴漢を軽犯罪とみなしてしまう意識の低さが見え隠れしている。取り締まる警察側の倫理観に、すでに男尊女卑の思想が潜り込んでるんだよね。だから性犯罪の増加を深刻視していると言いながら、実際にはその原因を女性の防犯意識の低さに転嫁してしまう。それじゃあ、性犯罪が減るはずなんかないよ。

 でも、警察の上の方を動かす切り札があるんだ。それは『大きな成果』さ。ものすごくしんどい下準備をして、蓋を開けてみたら雑魚数匹じゃあ、とてもまじめにやる気がしないだろう。でも、その逆になれば……。


「……ってことなんですよ。江畑さん」

「ふむ。相変わらず中村さんのアイデアはおもしろいな」

「いや、この件に関してだけ言えば、絶対にアイデアで終わらしちゃダメなんですよ」

「どうしてだ?」

「組織犯罪だからです」


 俺の話を、与太話として聞き流す風だった江畑さんの顔色がさっと変わった。


「なんだと?」

「そうじゃなければ、こんなばかばかしい話を刑事課に持ち込みませんよ」

「……。説明してくれ」

「ええ」


 俺がこの件の厄介さを認識したのは。痴漢被害が広範囲の女子生徒に出ていたということ。つまり大勢の女子生徒が被害に遭うことで、もっと深刻な被害を受けてる生徒がその中に潜ってしまうんだ。


 特定の子だけが集中的に被害を受ければ、それはどうしても誰かの目に着く。加害者と被害者が特定しやすくなり、証拠を保全して検挙に結びつけることはさほど難しくなくなる。それを回避するには、加害者も被害者も増やして、ぼやかしてしまえばいい。痴漢電車と言われる状況を作っている背景は、まさにそれだ。そして、それは痴漢をやらかしてるやつの趣味や嗜好の問題じゃない。明らかに目的がある。


 つまり、痴漢を通して『売り物』を探してるとんでもないやつがいるってこと。名門女子高の現役JKは、クズ校のヤンキー女とはステータスが全く異なる。高く売れるんだろう。痴漢に抵抗出来ないことをいいことに、加害の様子を動画に撮り、それを学校にバラすぞ、ネットで公開するぞと脅されれば、その子は堕ちるしかなくなるんだ。


「聖ルテアの生徒が利用している路線区間を痴漢天国として宣伝してる闇サイトがいくつかあるんです。そこは、重要情報を公開してません。キモをゲットするには、会員になる必要があるんですよ」

「ううむ」

「つまり裏で糸を引いてる連中は、万一ガサ入れされても、そこの登録者をスケープゴートにすることでまんまと逃げおおせる」

「とんでもねえ……な」

「ええ。ですから、作戦は二段構えでやる必要がありますね」

「分かった。裏ぁ取って、根こそぎやるわ」

「お願いします!」


◇ ◇ ◇


 江畑さんが、作戦を広域でやると連絡をくれた。闇サイトの内偵で、ヤマがでかいことを認識してくれたんだろう。よし! あとはこっちの段取りだ。


 電車通学の女子生徒さんには、一週間だけスカートの下に短いスパッツを履いてもらう。当たり前だけど、よほどのど素人以外はスカートの上から尻を撫で回すなんてことはしない。スカートの中、下手すりゃ下着の中にまで手ぇ突っ込んでくるんだよ。スパッツの装着徹底で、被害をある程度軽減出来る。


 でも、今回の場合目的は別なんだよね。スパッツの尻と太腿の部分に、薄いゼラチンシートを貼る。下着じゃ、布の腰がなくてきちんと付かないんだ。ゼラチンシートをセットするのは、加害者の指紋を取るため。証拠があれば、絶対に言い逃れ出来ないからね。あとは、人員配置を固めればオーケー。細工はりゅうりゅう、仕上げをごろうじろ、だ。


◇ ◇ ◇


「釣れた釣れた! 大漁だー!」


  俺は、新聞の三面にでかでかと載ったニュースを満面の笑みで見回していた。


 ゼラチンシート以外は、特殊なことをしたわけではない。聖ルテアの学生さんは、必ず電車の5両目か6両目に乗ってくれ。永井さんを通して、学生にそう指示を出した。そして、その車両にはあらかじめ学校の男性教師と私服警官が大勢乗り込んで要所を押さえてあった。車内はいつも以上に聖ルテアの学生でいっぱいになっていて、後から乗車する人は入り口付近にしか居られない。犯人はそこでしか犯行に及べないんだ。

 加害者の特定が楽で、友達、先生、警官がすぐ近くにいる。サポーターが揃ってる安心感があって、学生は痴漢行為をしでかしたやつをすぐに指摘した。各駅で待ち構えている鉄警の警察官は、駅に着くたびに突き出される痴漢を次々検挙するだけでいい。痴漢が女の子に手を出した証拠が、ゼラチンシート上の指紋として残っているから、絶対に言い逃れは出来ない。会社員やら、大学生やら、中には坊さんまで。闇サイトの扇動に引っかかった大勢のバカどもが、社会的な信用失墜という高い代償を払うはめになった。


 あまりセンスは良くないがゴキホイと名付けられた作戦によって、一週間に検挙された痴漢の総数は三十人以上。まさに異常事態だよね。マスコミにも大々的に取り上げられ、鉄道の運営会社も被害の再発を防ぐ抜本的な取り組みをすると公言せざるを得なくなった。そして、作戦を指揮した江畑さんは大いに株を上げた。


 だが……。一週間の作戦終了後数日して、四人の男が電車内での強制わいせつ現行犯で逮捕された。実は、そっちの方がもっと大手柄だったんだ。プロである痴漢常習犯どもは、ど素人の大量検挙で警察が作戦を終了したと思ったんだろう。つまり、その直後には警察や車掌の警戒が緩み、盲点が出来ると考えて動き出した。痴漢に間違われたくないがためにその時間帯の男性乗客ががた減りし、ラッシュの混雑率が大幅に低下した車内で、堂々とターゲットの女の子を落としに行ったんだ。

 あほか。そこまで含めてトラップさ。永井先生の丁寧な聞き取りで、連中のターゲットになっていた子は特定されていた。その子の近くには数人の私服警官が張り込んでいて、男たちの挙動を注視していたんだ。嫌がる女の子が場所を変えるたびに、四人で囲い込むようにして痴漢に及ぼうとする様子は、全部記録されていて。最後に、四人同時に取り押さえられた。そいつらには性犯罪の前科もたんまりあるし、当分娑婆には出て来れんだろう。やれやれ、だ。


◇ ◇ ◇


「中村さん、この度は本当にお世話になりました」

「私は何もしていませんよ。お手柄は警察です」

「いえいえ、その警察に話を通してくださったおかげで、とても助かりました」


 永井さんが、俺に向かって深々と頭を下げた。


「そうですね……今回のことが幸運だったのか、不幸だったのか、私にはまだ分からないですけどね」

「え?」


 突然変なことを言い出した俺に、永井さんが言葉を失った。


「今回の作戦は、痴漢を捕まえることが主目的というわけでは必ずしもないんですよ」

「あの……どういうことでしょう?」

「今回の件では、マスコミに被害実態と犯罪者摘発の様子を大きく報じてもらえました。さらに、今後は学校、鉄道会社、警察が連携して機敏に対応し、痴漢犯罪は絶対に許さないという強い姿勢をマスコミを通してアピールしました」

「はい。そうですね」

「それによって、電車の中には大勢の監視の目が作られることになります。犯行を誰かに見られているかも知れないと感じれば、興味本位の模倣犯は発生しにくくなりますよね?」

「ええ」

「それに、マスコミの前で大口を叩いたわけですから、関係者がもう終わったことだって放置出来ないんです。被害再発を防ぐための連携協議と対応策作りが進みます。そういう枠組み作りも今回の成果なんです」

「ええ。それは、本当に助かります」

「でもね、そういう枠組みが出来ると、その下に新たな被害が潜ってしまうんです。私たちはこれだけ防止対策を盛った、頑張った。そういうアピールがただの掛け声倒れで終わってしまうと、最初よりもっと悪い」

「もっと悪い……ですか?」

「ええ。それでも被害を受けるのは、防犯意識が甘いから。そんな風に、被害が被害者の責任に転嫁されてしまうんですよ」

「あ!」


 永井さんの顔色がさっと変わった。


「痴漢に限らず、性犯罪が起こるのは女性側に隙があって自衛意識が低いからで、女性側にも責任がある。そういう偏った見方が、警察にも行政にもまだ潜んでるんですよ。それが根本から変わらない限り……」


 ふう……。


「いつでも、今回のような騒動は起こりうるんです」

「なるほど。それが、不幸……ですね」

「ええ。私は、独立する前に勤めていた調査会社で、未成年者の家出人捜索をいっぱい手がけました。家出はね、二種類あるんですよ」

「どんな?」

「家出する、と。させられる、です」

「!!」


 血相を変えた永井さんが、さっと立ち上がった。


「あ、ああ……」

「まだ未熟な子供の意思や判断力の弱さに付け込む連中が、世の中にはうようよしているんです。今回のケースもそうでした。それは、あなたたち用心しなさいねという啓蒙だけでは防ぎ切れないんです」

「そうか。そうですね」

「はい。ですから、永井先生がされているような丁寧な面談はとても大事です。そこでのSOSを、決して見逃さない。それが、不幸と幸運の分岐点になるかなあと」

「よく分かりました。肝に銘じたいと思います」

「いえいえ、永井先生の真摯な姿勢が変わらない限り、私の杞憂で終わるでしょう。でも、どこか頭の片隅にでも置いといていただければ」

「はい!」


 何かを防ぐ。予防する。口にするのは簡単だが、そのために出来ることには上限値があるんだ。どんなに努力したところで、全てを防ぐことは出来ない。それならば、上限があるということを嫌というほど意識するしかない。だから、永井先生にはこれで解決したとは考えて欲しくなかったんだ。常に被害は発生しうる。それを極力減らすためには、被害が軽微なうちに検知出来るよう、アンテナの感度を上げるしかないんだよ。


 ……上限ぎりぎりまで、ね。



【第八話 アッパーリミット 了】



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