(3)
大迫さんの店から自分のアパートに戻ってすぐ。江畑さんに電話を入れて、情報提供する。
「ああ、江畑さんですか? 中村ですー。この前はお世話になりました」
「ああ、大したこっちゃない。ガキどもにはがっつりヤキ入れたから、少しは大人しくなるだろさ」
「全くねえ。年の瀬も近いっていうのに、ろくでもない連中ばかりで」
「しゃあないね。そういうご時世だ。忙しくてかなわんわ」
「そのお忙しい時に、誠に申し訳ないんですが……」
「……。ネタかい?」
「はい。それも大ネタです」
「現行犯で引っ張れそうか?」
「間違いなく行けます。ヤマはどでかいですよ」
「どこで、何?」
「神社の賽銭箱で、大口の麻薬もしくは覚せい剤の取引です」
「なにいっ?」
江畑さんが色めき立った。
「門前町に大迫木材という材木屋さんがあるんです」
「ああ」
「そこのご主人はとてもまじめな方なんですが、義仁っていう出来の悪い孫が、ヤクザに弱みを握られてるかなんかで、まんまと片棒担がされてますね」
「連中の常套手段だな」
「パシリを挙げても意味はないでしょう。取り引き場所になってる社の氏子の中に黒幕がいますね」
「中村さん。こっちに出てこれるかい?」
「これから伺います。連中、すぐに動きそうなんで」
「分かった!」
急いで署に向かう道すがら、今回の一件を思い返す。麻薬や覚せい剤の売人が客と売買をするなら、時間のかかる面倒なやり方はしない。そこらの路上で短時間で済ませた方が足が付かない。回りくどい方法で受け渡しを設定してるってことは、取り引きがでかくて、しかも一度切りということなんだろう。
大量のブツを持った元売りと大金を持った仲卸が直接接触すれば、万一そこに踏み込まれた時に言い逃れが出来ない。直接取り引きを避ける工夫、すなわち両者が顔を合わせない方法でやれば、発覚するリスクを大幅に減らせる。そのため、ブツの大型取り引きには宅配が悪用されてきた。
だが、警察もバカじゃない。末端の密売人から仲卸、そして元売りへと、芋蔓式に密売ルートが特定されてきて、取り引きの決定的な証拠を押さえようと手ぐすね引いて待ち構えている。目を付けられている時には、取り引きに全く関係ない業者が間に入るとボロが出やすい。どんな荷物が誰からどこに発送され、誰が受領したかが警察から丸見えになる上に、配送禁止品が荷物になっていないか検査すると言われたら、業者は拒めないからね。
取り引きを闇に潜らせるなら、鍵のかかる専用の取り引き場所を作り、そこに鍵を持たせた手下を派遣してブツとカネを出し入れすればいい。駅のコインロッカーなんかを使うのがそれ系だけど、公の場所は監視カメラ網にもろに引っかかる。人混みに紛れることは出来ても、目はかえって多いんだよね。かと言って郊外の空き家とか廃工場とかだと、そこへの出入りを周囲の人に怪しまれてしまう。そういう意味では、寂れた神社の賽銭箱を使うやり方は確かにうまいこと監視網の盲点を突いている。それが、古くてぼろぼろのままならばね。だけど動くブツとカネが大きいことにぶるった仲卸が、安全策を講じたんだろう。
しっかり鍵のかかるごつい賽銭箱に取り替えよう。そうすれば、関係のない第三者に偶然ブツやカネを見つけられた時に、それを勝手に持ち出される心配をしなくて済む。リスク管理の発想としては真っ当さ。でも賽銭箱を新調する手段が、呆れるほどくだらなかったんだよ。黒幕の氏子が自腹で新しい賽銭箱に替えれば、絶対に足が付
かなかったと思う。でも、その銭をケチろうとしたんだ。
賽銭泥を装って寂れた社の賽銭箱を壊し、いつも見回りをしてる宇佐美さんを引っ張り出す。うるさ型の宇佐美さんのことだ。氏子には常日頃、もっときちんと社を管理しろと嫌味をぶちまかしていたと見た。氏子の仲卸は、その偉そうな態度が不愉快だったんだろう。あのじじい、いつかぶちのめしてやる! そう考えていた仲卸は、宇佐美さんの責任感の強さを逆手に取ることを思いついたんだ。こいつなら、きっと賽銭箱が壊れたまま放置しないだろうってね。
そうさ。一番最初にまんまと嵌められたのは、大迫さんの孫ではなく、宇佐美さんだったんだ。案の定、宇佐美さんは賽銭箱の新調を提案してきた。使われもしない賽銭箱に銭なんか出せないと突っぱねれば、宇佐美さんが何とかするしかなくなる。そして取り引きのために賽銭箱を新調するという黒幕の意図は、宇佐美さんのアクションの陰に隠れて見えなくなるんだ。あとは新調された頑丈な賽銭箱を取り引きに使えばいい。
それはすごく巧妙な企みに見えるんだけど、俺に言わせればなんだせいぜいその程度かって感じ。本当に頭のいい連中なら、もっと目立たない方法を選択しただろう。連中は計画を大掛かりにし過ぎて、とんでもないヘマをこいたんだ。
大迫さんの孫の義仁をうまいこと引きずり込んで賽銭箱を作らせ、設置させる。そこまでならいいさ。でも連中は義仁をそれで御役御免にしないで、取り引き時の汚れ役としても使おうとしてる。義仁が賽銭箱設置までで用済みだったら、杉田さんが鍵を返しに行った時にそれをつらっと受け取ったはず。あいつがすごくびびっていたのは、その鍵を自分が使わないとならないからだ。先の行動が丸見えじゃん。本当のプロなら、そこには全く無関係のやつを置くよ。
出来の悪い小心者の義仁は、取り引き期限までに賽銭箱を設置させることや黒幕のアリバイ作り、そしてこれから行われる取り引きの使い走り、全部一人でやらなければならなくなって、プレッシャーで飽和しちまった。汚れ仕事を義仁一人に押しつければ、そらあ黒幕は安泰さ。でもパシリは所詮パシリだよ。最初からやる気も根性もないから、へまばかりやらかしたんだ。義仁は、賽銭箱の注文を急ぎ過ぎ、鍵の扱いをとちり、杉田さんへの依頼を隆晴さんに漏らして宇佐美のじいちゃんの激怒を買い、とうとう俺を核心まで引き寄せちまった。
孫のバカさ加減は論外だけど、黒幕も相当頭が悪い。あれじゃあ、元売りに銭だけ取られておしまいになるだろうなあ。元売りは、金さえ受け取れれば渡ったブツがどうなろうと関係ないんだ。どうせ外国人だろうし。黒幕すら、元売りの連中にとっては体のいい使い捨ての三下に過ぎない。代わりは他にもいっぱいいる。そういうことなんだろう。
◇ ◇ ◇
江畑さんと綿密に打ち合わせ、四か所のうち子安稲荷の賽銭箱の見張りを請ける。幸い昨日はまだ動きがなかったが、もうそろそろだろう。
なぜ俺が張り込み、つまり警察の業務の代行をしているか。警察の内部情報は、裏の連中にかなり漏れてるんだ。連中に面が割れてる警察関係者は、うかつに現場近くをうろつけない。張り込みを覚られたら、連中はすぐに作戦を中止してしまうからね。でも俺がごとき無名の貧乏探偵は、連中からは完全ノーマークなんだよ。それに、俺はタダ働きじゃないし。捜査協力費は安いけど、俺にとっては貴重な収入だからな。俺のノルマは、人とブツの動きを監視して江畑さんに報告すること。現行犯逮捕を成功させるサポートだけなので、プレッシャーがなくてとても楽だ。素行調査の後尾行の方が、よほどしんどい。
子安神社を見下ろせる立体駐車場の物陰で、俺は携帯を開いて再度段取りを確認した。たぶん仲卸が義仁を使って賽銭箱に現ナマを仕込み、それを元売りの手先が取り出して確認し、回収してブツを置く。置かれたブツを黒幕の氏子が直接回収に行く。そういう手はずになっているはずだ。
現ナマを義仁に持ち逃げされる心配はない。大迫さんの孫だということが、連中にとって担保になってるんだろう。万が一の時は、大迫さんを締め上げて全財産巻き上げれば回収出来る額だろうからね。でも、ブツの回収だけは義仁にはさせられないんだ。ヤクに関してはとーしろの義仁は、ブツの真偽をその場で確かめられないからだ。それに、地元民ではない人物が賽銭箱の周りを頻繁にうろうろすれば、どうしても近所の人に怪しまれる。そこだけは、鍵を持っていて賽銭箱を開けることに違和感を持たれない氏子自身がやらざるをえないんだ。
子安稲荷を監視のメインターゲットにしたのは、黒幕と目される氏子がその地区にいるからだ。他の三か所でも同じようなアクションが起こされるかもしれないが、それは捜査撹乱のための陽動。ダミーか、せいぜい少額取り引き止まりだろう。
「ふう……おっけー」
携帯を畳んで、鉄骨に寄りかかる。それにしても、ぎりぎりのタイミングだったな。俺が雅恵ちゃんから依頼を請けた時には、すでに賽銭箱は設置されていた。それがすぐに取り引きに使われなかったのは、設置に伴う人の出入りが落ち着くのを待っていたからだろう。受け子を黒幕自身がやるなら、現場で誰かと鉢合わせする危険を極力回避しなければならないからね。
だが時間が経つほど、賽銭箱の設置に直接関与した宇佐美さん、大迫さん、杉田さんの影響が薄れ、警察に嗅ぎ回られた時に彼らに責任転嫁出来なくなる。プレッシャーに負けたパシリの義仁が、本番前にとんずらするかも知れないし。賽銭箱設置からせいぜい十日以内の勝負だろうと睨んでいたけど、まさにどんぴしゃり。連中は、俺の読み通り行動を起こした。
義仁が汚れ役を全部押し付けられている限り、アクションの起点は必ず義仁になる。江畑さんが大迫さんの店を見張ってるから、俺は江畑さんの連絡を待てばいい。楽ちんだ。ただ、いつ義仁が動き出すかが読めなかったんだ。根比べになることを覚悟してたんだけど、意外に早く、午後十時に俺の携帯がぶるった。義仁が実家を出て黒幕の家に向かったという、江畑さんからのメールだった。
「なるほど」
神社近傍の
むー……。あまりに綾のない展開で、拍子抜けしてしまう。あの万引き高校生どもの方が、よっぽど頭を使ってたぞ? まあ、江畑さんにとっては棚ぼたのおいしい案件だろうけどね。現行犯なら事前捜査が要らないから。
「それにしたって……なんだかなあ」
俺は暗澹たる気分になる。もうすぐクリスマスだぜ? いくら神社にクリスマスは関係ないっていっても、プレゼントが麻薬や覚せい剤じゃ、八百万の神も呆れてものが言えないだろう。本当にふざけてやがる。
江畑さんからの連絡から一時間もしないうちに、子安神社の粗末な境内に小さな光の輪がちらついた。
「お! 来やがったな」
すぐに江畑さんに『Y着』とメールを飛ばし、暗視装置のスイッチを入れて人影の正体を確認する。間違いない。義仁だ。折り返し、江畑さんから確認の電話が入った。
「中村さん、どうだ?」
「間違いありません。今、義仁が賽銭箱の鍵を開けて、カバンを中に置いたところです。中身は現ナマでしょうね」
「でかいか?」
「小型のアタッシュです。せいぜい八桁ちょい越しってとこでしょう。億金ではないっすね」
「分かった。元売りの連中は、ブツの設置が終わってから追尾する。うまくすれば、上まで一気に挙げられるかもしれん」
「はい!」
「すぐ行く。そのまま偵察を続けてくれ」
「了解です」
暗闇の中を、わたわたぎごちなく動き回るへっぴり腰の男。情けないなあ……。
俺がぶつくさ言ってる間にそそくさと賽銭箱に鍵をかけた男は、逃げるように現場から走り去った。ったく、しょうもない。あいつは、ここからは逃げられても、今回の件からはどうやっても逃げられない。いくらヤの字から脅しが入っていたとしても、それはしでかしたことの言い訳にはならないんだ。ヤクを運んだ当事者でないということだけが、唯一の救いかもしれない。ヤクを手にしての現行犯逮捕でない限り、全責任を押し付けられることはないだろうからね。
義仁が現場を離れたところで、江畑さんからの偵察義務解除のメールが来た。本隊が展開したんだろう。俺はすぐに撤収だ。身を隠していた立体駐車場を出て、近くのコンビニで江畑さんと落ち合う。雑誌をぱら読みしてた俺の背後から声が掛かった。
「よう、中村さん」
お。着いたな。機嫌は良さそうだ。
「その後、どうですか?」
隣でカムフラージュ用に雑誌を広げた江畑さんは、含み笑いを浮かべながら小声で進捗状況を教えてくれた。
「すぐブツが動いた」
「やっぱり。早いですね」
「手際いいよ。連中は、ばっちりだと思ってるだろうなあ」
「カネが置かれてすぐですか?」
「五分も空いてないね。見事な連携プレイだよ」
「大物ですか?」
「いや、カネを取りに来たのは三下だ。そいつにはもう尾行を付けてる」
「なるほど」
「ブツはカネ相応の量だよ。見た目はどこかの土産菓子だ。手にしていても誰も怪しまん。しかも持っているのがここの奴じゃな」
「すぐに回収に来ますかね?」
「来る。さて、捕物だ」
「じゃあ、これで下がります」
「ありがとな」
「いえ」
俺が手にしていた雑誌と暖かい缶コーヒーを買って、コンビニを出た。さて、さっさと離脱しよう。捕物の最中には現場から離れていないと、そこでの関与が裏の連中にバレた途端、俺は連中のブラックリストに載っちまう。これから仕事がやりにくくなるからね。
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