独立直後編 第三話 思わぬ贈り物

(1)

 ヤバい。


 とてもじゃないけど、和解協議の流れでさらっと出来るような話じゃなかった。それに……絶対に宇佐美のじいちゃんや雅恵ちゃんを巻き添えに出来ない。大迫さんにはいやが上にも絡んでしまうけど、あの場では話せない。どうしても杉田さんと一対一で、急いで話をする必要があった。


 俺は杉田さんのご自宅の電話番号を教えてもらい、後日電話いたしますと言い残して高嶺神社を後にした。後日どころじゃないよ。そんな悠長なことは言ってられない。その日のうちに杉田さんのお宅に電話を入れ、面会を申し入れた。


「なんだ、そんな厄介なことかい?」

「厄介です。はんぱなく! それも、杉田さんだけに全部とばっちりが行きます」

「な、なにぃ?」

「詳しく説明させてください。近々伺ってよろしいですか?」

「そんなおどかされたら嫌って言えないよ。すぐにでも来てくれ」

「分かりました。明日の夕方、そちらに伺います。よろしいですか?」

「かまわん。俺は楽隠居だからな。ずっと家にいるよ」


 無事にアポが取れた俺は、急いで今回の経緯を頭からざっとまとめ、そこから当事者三人の行き違いで起きた騒動の要素を取り除いていった。そこに残ったのは……。


「……ってことだよな」


 杉田さんに説明する前に、杉田さんから聞き出さなければならないことがいくつかある。それで判断材料が揃い次第、俺がすぐに行動を起こさなければならない。一刻の猶予も……ない。


◇ ◇ ◇


 杉田さんのお宅は、幹線道路に面していながらも歩車道から少し離れた、引っ込んだところにあった。平屋のクラシックな家で、屋敷というほど立派ではないけどそれなりに広さと風格がある。さすがは棟梁の家だ。玄関前には家がもう一軒立ちそうな広さの空き地が広がっていて、それがどうにももったいない感じだった。前には庭かなんかだったんだろう。

 いいよなあ。ある人のところには何でもあってさー。思わず知らず僻み根性がむくむくと起き上がって、ちくちくと皮肉の編み物を始める。いかんいかん、そんな馬鹿げた妄想をぶち撒けてる場合ではない。呼び鈴なんてものはなかったから、玄関前で声を上げる。


「こんばんはー。中村ですー!」

「おお、来たかい」


 すててこ姿の杉田さんがのっそり奥から出てきて、レトロなガラス戸を引いた。右手に箸。左手に飯茶碗。


「す、すみません。お食事中に」

「いやあ、もう終わる。上がってくれ」

「お邪魔します」


 早くに奥さんを亡くされて、その後はずっと男やもめだって伺ってたけど、部屋の中をとてもきれいにされていて荒んだ感じが全くない。さすが、ご近所でうるさ型のじじいと煙たがられてるだけあるなあと思った。大工さんらしく、食事をしていた座卓は重厚で高そう。俺が部屋で使ってる安物座卓とは、見比べる意味もないって感じだ。


「素晴らしいですね……」

「はっはっは! こらあ、元はゴミだよ」

「えええええっ?」


 思わず飛びついて、しげしげと眺め回してしまう。


「う、うそお! これが……ゴミなんですか?」

「木ほど長く使い回せるものはないよ。価値さえ知っていれば、手入れと修理で何代も使える。それぇ分かっとらんバカが多くてな」


 ぎゅいっと、眉の間に深い皺が寄った。なるほどなあ。単にもったいないって話じゃない。まだ現役の木材をゴミ扱いするのは不遜だろうっていう憤りが、くっきり見える。ご近所とも、そこらへんの価値観が合わないのかもね。


「あの賽銭箱も、全部無垢の材でこさえりゃ部材だけで十万越しちまうよ」

「そうか。古材を再生して使ってるってことですね?」

「そう。古い箪笥や机、木の看板、古家の室内材。時間を経てる木は、十分枯れていて狂いが少ないんさ」

「くうっ! 深いなあ……」

「なんでも新しけりゃいいってもんじゃないんだよ。物には何にでも魂があるんだ」


 すうっと立ち上がった杉田さんは、俺を続きの部屋に案内した。八畳ほどの部屋いっぱいに、様々なサイズの木片がきれいに整理され、すらりと並べられていた。


「俺はもう体力がないから建物みたいなでかいものは作れないが、指物の修理なんかは出来るからね。そいつはよく引き受けてんのさ」

「ご商売ですか?」

「はっはっは! もう年金もらってるからね。道楽だよ。実費だけだ」

「そうか……じゃあ今回の賽銭箱の話は、杉田さんにとっては比較的大きな依頼だったってことですね?」

「そうだね。ただ、俺としては条件がきつかったな」

「お金的に、ですか?」

「いや、さっきも言っただろ? 半分は道楽だよ。そっちはいいんだ」

「そうか。納期が……」

「そうなんだよ。じいさんの手仕事を急かされるのは本当にしんどいんだが、大迫さんとこからどうしても頼むって頭ぁ下げられたらしょうがないよ。実際に、壊れた賽銭箱ぉずっと晒しとくわけにもいかないだろうしな」

「ええ」


 懸念していたことが、ぴたりと当てはまる。じゃあ、急いで事実確認をして行こう。


「すみません。いくつか急ぎで確認させていただきたいことがあります」

「ああ」


 手帳を出して、質問事項を確かめる。


「最初の見積もり時点では、大迫のおじいちゃん、隆晴さんとやり取りされてたんですね?」

「そう。八万という額も、そこで話し合って決めた。もっとも、そんなのはあってないようなもんだよ。中村さんは、詰めが甘いって俺らをどやしたけど、俺らの間ではそんなもんだ」

「分かります。そこからもっと具体的な話に進めば、額を調整しようかってことですものね」

「そう」

「でも、もっと時間がかかると思っていた話にいきなりゴーサインが出た。それは、大迫さんのお孫さんである義仁よしひとさんが出した」

「そう。俺は、りゅうちゃんがこの件を孫に任せたと思ってたんだよ。建物じゃない。額の小さな小物の話だからね」

「ですよね。じゃあ、納期や納品の話は義仁さんがずっと仕切っていたってことですね?」

「そう。据え付けの時にも来たよ」

「隆晴さんは、それを何も知らなかったってことか」

「分かってたら大事おおごとだったな。商売の原則を踏みにじってる。勘当もんだよ」

「ですよね……」


 杉田さんが、苦り切った顔のまま箸を動かす。大迫さんのお孫さんに直接怒りをぶちまかすという感じではない。うるさ型って言っても、感情はきちんとコントロールしてる。間違いなく、じいちゃん三人の中では一番人が出来てるなあ……。


「ヨシくんも、そこまでバカだとは思わなかったけどなあ」

「よくご存知なんですか?」

「普段はあまり付き合いがない。仕事の時だけだ。第一、ヨシくんは遊んでばかりだからね。りゅうちゃんがよーくぼやいてるよ」


 なるほど。俺の最初の印象は間違ってない。遊び人のバカ孫は、まともに仕事をしていない。両親が極楽とんぼの面倒なんか見ないと突き放し、お人好しのおじいちゃんが孫の先行きを心配して、店を手伝わせていたんだろう。


 大迫さんは仕事には厳しい人だ。いくら孫とはいえ甘やかしてはいない。実家が隣なんだし、生活費の心配がないんだから、孫には端金しか渡してないだろう。バカ孫は、生活の苦労はなくても遊びで自由に使えるゼニがない。ちぇ、タルいなー、どっかに大金が落ちてないかなーとか言いながらいつもふらふらしていると見た。付け込まれる隙だらけ。


「ヨシくんは悪人じゃあないが、軽薄で根性もないね。世間をなめてる。今回俺に電話して仕事を仕切ったから、少しはまじめに仕事する気になったのかと思えば、これだよ」


 杉田さんは、ほとほと呆れたと言うように残り飯を乱暴に掻き込んで、わしわしと噛んだ。


「そうか……」


 ボールペンのけつで手帳をぽんと叩いて、もう一つ確かめる。


「あの賽銭箱の鍵は、杉田さんが用意されたんですか?」

「はっはっは! そらあないわ。作った俺が鍵まであつらえたんじゃ洒落になんないよ。俺が賽銭かっぱらうぞってなもんだからな」

「ですよね。じゃあ、氏子さんが付けられたのかな」

「いや、ヨシくんが持って来てたよ。俺が当座賽銭箱のメンテをする時に必要になるからって、一応合鍵を預かってる。ヨシくんが残りの鍵を氏子さんに渡すんだろさ」


 やっぱりか。ぱたっと手帳を閉じて、一度深呼吸をする。ふううううっ……。


「杉田さん」

「なんだい?」

「今回の賽銭箱の騒動。これはただの手違いなんかじゃない。最初からきっちり仕組まれている、相当大掛かりなものです」

「仕組まれ……って、誰が?」

「まだ分かりません。でも、あまりに話がうますぎる。宇佐美さんが裏があるって疑ったのは当然なんです」

「む」

「仕組んだやつは表に出ない。何かあった時には、賽銭箱の設置に直接関わった人たちが真っ先に疑われるようになってる。その一番ヤバい位置に杉田さんがいるんです」

「なっ、なんだと?」


 かちん……かちん……。杉田さんの手から箸が落ちた。


「もし、これから起こることで大問題になったら、宇佐美さんと大迫さんから見て、杉田さんはその直接の当事者もしくは関係者になる。そして、今回の騒動で杉田さんに対する二人の心象を悪くしておけば、誰も杉田さんを擁護しない。そういう風に仕組まれていたってことです」


 杉田さんが真っ青になった。


「杉田さんに依頼をしたのは、隆晴さんじゃない。孫の義仁さんです。裏を返せば、実際に賽銭箱を作った杉田さんの意図を、義仁さんだけがいくらでも後で捏造出来る。こっちで、そんなオーバースペックなものを注文した覚えはない。仕様決めは全部杉田さんが勝手にやったんだ……ってね」

「そ、そんな」

「寂れた社には不似合いな、堅牢で高価な賽銭箱。その不自然さの説明責任を、全部杉田さんに押し付けられるってことなんです。鍵もそうなんですよ。いくらメンテに必要だからって、氏子さん以外の人が鍵を持っているっていう状況は、普通はありえない話です。ご自身でそうおっしゃったじゃないですか」

「ああ」

「何かあった時に、賽銭箱を作って鍵を持ってる杉田さんが、当事者として真っ先に疑われるように、最初から仕組まれてます」


 震える手で箸を持ち直した杉田さんが、どもりながら反論した。


「で、でも、でもよ。あんなところに賽銭なんざなんぼも入らないだろ?」

「そうなんです。そもそもそれがおかしいんです。なんで、寂れ果てた廃社寸前のお社にばかり賽銭泥が入ったのか……」

「む」

「目的は金じゃない。そこに新しい賽銭箱を置かせることです。そしてお賽銭が入ることなんか、最初からまるっきり期待していません」


 呆然としてる。


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