(7)
「そして、残るお一人。俊政さんが全幅の信頼を置いておられる大迫さん。厳しい俊政さんが、ずっと信頼されてきた方です。その大迫さんが、大事な信頼関係を損ねるような初歩的で致命的なミスを犯すなんて、到底考えられない」
完全撃沈状態の大迫さんは、顔が上がらない。
「もちろん、誰もがミスを犯す可能性はあるでしょう。でもそれならば、必ず失態を挽回するよう動くはずです。実際大迫さんは、杉田さんに金銭的被害が及ばないようにちゃんと気を配られています」
「ああ、そうか。それで俺が何も知らなかったってわけか」
「そうです。杉田さんには何も落ち度がないんですから。そして宇佐美さんの経済損失部分も、最終的には大迫さんが全てかぶるつもりだった」
「そうだ」
大迫さんが、がっくり肩を落として頷いた。
「それしかないからね」
「形の上では、大迫さんが四社の賽銭箱を寄付したことになりますよね?」
「ああ、それしかないよ」
「でも、俊政さんの怒りが大迫さんを飛び越えて杉田さんに向かってしまったことが、大迫さんにとってはとんでもなく予想外の事態だったんです。お金のことはともかく、もし俊政さんと杉田さんが直接激突したら、間に挟まっている大迫さん含めて全員沈没しちゃいますから」
しーん……。室内が、完全に静まり返った。
「みなさん、後で雅恵さんにお礼を言っといてくださいね。おじいちゃん思いの優しい雅恵さんが私に声を掛けなければ、分からんちんの因業じじい同士が取っ組み合いの喧嘩をしてたところですよ」
俺の情け容赦ない悪口に、渡辺さんが苦笑してる。
「さて。これで一件落着と行きたいんですが」
平手で畳を思い切り叩いた。ばんっ!
「そうは行きません。大迫さんのお人柄と失態とのズレがあまりに大き過ぎる。それがどうにもこうにもすっきりしないんです」
俯く大迫さんを、雅恵ちゃんのじいちゃんと杉田さんがじっと見据えている。
「大迫さんがご商売に関してどのようなポリシーを持っていらっしゃるか。それを、この前直接伺って確かめさせていただきました」
「あっ!」
ぱっと顔を上げた大迫さんが、俺の顔を凝視した。
「あの時の……」
「はい。私はその時変装していたので、誰だか分からなかったと思います。大迫さんは、とても堅実でしっかりしたご商売をされていました。でも、その時にこの騒動のそもそもの原因が分かったんですよ」
「孫、だろ」
大迫さんが、先に白状した。本当はそれを最後まで表に出さずに、自分の責任として隠し通したかったんだろう。
「そうです」
宇佐美のじいちゃんが、ぱんと膝を叩いた。
「そうか!」
「済まん。あのバカの、ヨシのせいで、二人にとんだ迷惑をかけることになってしまった」
ふうっと弱々しく息を吐いた大迫さんが、ぼそぼそと言い訳した。
「俺は、うーさんが見積もりを見てどうするかを待つつもりだったさ。当たり前で、いつものことだ。それを、あのバカが勝手に正ちゃんに発注掛けやがったんだ。俺は……ずーっと後になって、それぇ分かったんだよ」
杉田さんが、顔をしかめて呻いた。
「うーん、それでか。ヨシくんからの話だったから、あれえ変だなとは思ったんだが……」
「しかも、あいつは出来たのを正ちゃんにすぐ設置してくれって、そこも先走りやがった。全部済んじまってからじゃ、取り消しも後始末も出来やしない」
「うーむ……」
宇佐美のじいちゃんは、やり場のない怒りで顔を真っ赤にしていた。大迫さんの孫を全力でぶちのめしてやりたいと思ってるんだろう。もし本人がここにいたら、ただじゃ済まなかったと思う。実際、とんでもないことをやらかしてるからね。
「今、探偵さんがすっきりさせてくれたから、帰ってから孫をぎっちり絞る。銭のことは全部俺がかぶるから、それで勘弁してくれんか? 済まんっ!」
大迫さんが、這いつくばって頭を下げた。やれやれって顔で、宇佐美のじいちゃんが頭を掻いた。
「しゃあねえな。俺も雅恵にとんだ面倒かけちまったし。これで手打ちにしよう」
杉田さんも、誤解が解けて気が楽になったんだろう。
「俺は頼まれて仕事しただけだからな。そんな、謝んなくていいよ」
ふうっ。やれやれ。これで面倒なじいちゃん三人が血みどろのバトルを繰り広げなくて済んだってことだな。雅恵ちゃんも、三人の仲直りを見届けてほっとしたと思う。宮司の渡辺さんが、俺らをぐるっと見回した後できれいに締めた。
「さすが神前だね。みんな、わだかまりを捨てることが出来て何よりだ。きっといい年を越せるだろう」
足元からしんしんと冷えてはいたけれど、それぞれに心の重荷を下ろせて少しは暖まれたんじゃないかな。ともあれ、これで第二号案件は一応解決ということになる。たかが賽銭箱、されど賽銭箱ってことだね。
和解協議が無事に終わって、一同ぞろぞろと談話室を出た。もっとも、三人ともまだ決して納得はしてないだろうな。立会いの渡辺さんや雅恵ちゃんの顔を立てたところもあると思う。これまでのように快く仕事を融通しあえるかどうかは、俺には分からない。残念だけど、さすがにそこまでは俺の仕事に組み込めないよ。でも……。
最後に部屋を出た俺は、杉田さんを密かに呼び止めた。
「あの、杉田さん」
「お、探偵さん。いい裁きだったぜ」
「お恥ずかしい。駆け出しのひよっ子なんで、あんなもんで勘弁してください」
「いやいや、大したもんだよ」
「ちょっと……いいですか?」
「なんだい?」
少し離れたところに杉田さんを引きずり出した俺は、その耳元で重大なことを囁いた。
「杉田さんの危機は……終わってません。これからです」
「はあっ?」
【第六話 賽銭箱 了】
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