(5)

「所長、準備は?」

「オーケーだ」

「じゃあ、出ましょう。車、正面に回します」

「頼む」


 供花を携えた社長が、地味な背広に身を包んで車の後部座席に乗り込んだ。俺も、滅多に袖を通さない黒の礼服を着ている。あれから三か月。ブンさんの退職や事件でごたごたした社内が落ち着くのを待って、俺たちは事件解決の報告をするためにブンさんのお宅に弔問に伺うことにしたんだ。


 一時のドツボを脱したとはいえ、所長はまだ本調子ではない。これまで以上に、業務に没頭して辛いことを忘れようとしている。それが……どうにも痛々しい。江畑さんも、そんな所長を心配してちょくちょく立ち寄ってくれてるんだけど、なかなか浮上出来ない。この弔問を転機にして、所長が心の整理を付けてくれればと心から願う。今のままじゃ、怖くて所長に俺のプランを切り出せない。


「ここかな?」


 ブンさんのお宅は、こぢんまりした平屋だった。決して社交的ではなかったブンさんの家を訪れる人は、普段はいなかったんじゃないかと思う。俺は先に所長を玄関先に降ろし、車を近くのコインパーキングに駐めて走って戻った。俺が戻ってきた時にはすでに玄関のドアが開いていて、小柄な中年の女性が所長と挨拶を交わしているところだった。


「わざわざお越しくださって、ありがとうございます。主人も喜ぶと思います。どうぞお上りください」


 ブンさんの奥さんは落ち着いた穏やかな人で、葬儀の時にも取り乱すことなく、淡々と弔問客の応対をしていた。さすが、デカの奥さんだなあと感心した憶えがある。


 仏間に通された俺たちは、仏壇の前で写真になってしまったブンさんと向き合った。その遺影と言うのがまた……これ以上のものはないだろうってくらいのしかめ面で、思わずツッコミを入れたくなる。ブンさん、もうちょいましな写真はなかったの? 俺の呆れ顔が目に入ったんだろう。奥さんが小さくふふっと笑った。


「写真でしょ?」

「はい」

「これは、主人の指定なの」

「ええっ!?」

「仕事柄、いつ写真になっちまうか分からん。その時は必ずこれを使ってくれってね」


 所長がぽかんと口を開けて、遺影を見つめた。


「優しい閻魔さまじゃ罪人を裁けない。それと同じで、優しい俺じゃ抑えにならない。俺の前に来るやつは、ちったあ俺の面見て反省しやがれ……ってね」

「うわあ……」

「それが主人だったわね」


 奥さんは、遺影を見ながら静かな声で昔話を始めた。


「主人と知り合ったのは、まだ主人が交番勤務の頃。わたしにはそんな深い考えがなくて、堅い仕事だし、まじめそうだし、警察官の妻ってのもいいかなって、それくらいの意識だったの」

「へえー」

「でもね、刑事になるなんて聞いてなかったわ」


 奥さんが苦笑を浮かべた。


「仕事、仕事で家にほとんどいない。帰ってきたら帰ってきたで、世の中ろくなやつはいねえって愚痴ばかり」

「うへえ」

「なあに言ってるのよ。あなたが、そのろくでなしの筆頭でしょ? 何度そう言ってやろうと思ったことか。仕事が忙しすぎて、子供が出来なかった。いつもわたし一人でぽつんと家に居て、つまんなくてね」


 奥さんは仏壇の前に進んでリンを鳴らすと、手を合わせてしばらく黙祷した。


「最後まで、わたしを一人にしちゃってさ……」


 ぽろりとそうこぼした奥さんは、頬に涙の筋を……通した。


 俺も所長も、もう耐えられなかった。仕事の忙しさの後ろに辛うじて押し込んであった悲しさがどっと吹き出して、堰き止められなくなった。二人して泣き喘ぎながら手を合わせ、ブンさんの冥福を……祈った。

 ああ、それでも。もしブンさんがそこに居たら、遺影のような恐い顔で俺らを力一杯どやすだろう。おまえら仕事はどうした! こんなところで何ぐずぐずしてやがる! とっとと現場に行きやがれ! ……って。


 俺たちが黙祷を捧げている間、ハンカチで両目を押さえていた奥さんは、俺たちが仏壇の前から退くと穏やかな表情に戻った。


「それでもね」

「はい」

「主人は、最後まであなたたちを自慢してたの」

「えっ?」


 俺も所長も、驚いて身を乗り出した。


「俺には、出来の悪い息子が二人いるってね」


 奥さんが、ぱちんとウインクした。


「出来が悪いなりに、ちゃんと頑張ってる。もう少しでものになる。それが……主人の口癖だった」


 拳で何度も目を拭っている所長に、奥さんが話し掛けた。


「沖竹さん」

「は……い」

「篭ったらだめよ。探偵さんは現場を見てなんぼ。それは、主人がいつもこぼしていたこと。そして、そのまま沖竹さんへの遺言」


 所長に……重い課題が突き付けられた。


「中村さん」


 え? 俺にも何かあるのかな?


「はい」

「主人はね、あなたを本当に気に入っていたの。もし、デカの時にあいつが部下でいたら、俺は辞めなかった。それが口癖。それはね、あなたが優秀だからじゃないんだって」

「え?」

「仕事を覚えれば覚えるほど心が渇く。本当に必要な心を置き去りにしてしまう。それは刑事でも調査員でも同じ。でも、中村さんにはその心配がない。あいつは懐が深い。見た目には冷めてるように見えるけど、本当は暖かい。俺たちが忘れてしまいそうなものを、いつでも忘れない。それをね……いつも自慢してたの」


 く……。涙が溢れて、全てがぼやけた。


「だから、これからもその心遣いをずっと忘れないでね。それが……」


 奥さんが仏壇の遺影を見て、目を細めた。


「主人からの言付けです」


◇ ◇ ◇


 弔問の帰り道。運転していた俺に、所長が話し掛けてきた。


「なあ、中村くん」

「はい?」

「私は……不具者なんだろうか?」


 ブンさんの奥さんの話。俺への高評価が、所長には当てつけに聞こえたのかも知れない。


「いや、俺はそうは思わないです。所長だけじゃない。ブンさんも俺も。そして、刑事とか探偵とかそういう稼業をやってる人たちは、どっか不器用で、どっか抜けてるんでしょう」

「不器用で、抜けてる……か」

「器用に抜け目なく立ち回れるような人は、こんな辛気臭い商売はやらないっすよ」


 所長が苦笑した。


「ははは。確かにそうかもな」

「ただ……」

「ああ」

「こういう商売をしてると、慣れてスキルが上がるほど自分が不器用の抜け作だってことを認めなくなる。それが……すごい怖いんじゃないかなーと」


 所長が、バックミラーを見つめながら何度も頷いた。


「ああ」

「だから、俺はずーっとへっぽこでいいです。出来損ないのひがみっぽい貧乏人。だから人の何倍もがむしゃらにやらないと、マシにならないっす」

「そうか……」


 よし! 思いがけずチャンスが来た。俺は、前から心に決めていたことを切り出すことにした。


「所長。所に戻ったら、ちょっと話があります。いいすか?」


 それが、軽い話ではないことを俺の表情から読んだんだろう。所長は、顔をしかめながら頷いた。


「ああ」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る