(2)

「防犯カメラとかは?」

「あのじいさんが来るようになってから、必ずチェックしてるよ。店員も張り付けてる」

「げえー……それでも分からないってことすか?」

「分かんねえわけじゃないけどさ。俺はやってねえってじじいが言うのを、どやってもひっくり返せねえんだよ」

「防犯ビデオの画像見せても?」

「あらあ、細かい動作をはっきり写せねえ。それに写ってんのが背中ばっかでな」


 防犯ビデオの盲点を知ってるってことか。


「まあ、そのじじいのいじったもんだけパッケージを換えりゃあいいことだ。店としては大した損害じゃねえんだけど、気分悪いよなあ」


 ぶつくさ言いながら、おやっさんが俺の手にしていた塩鮭のパックを取り上げ、フィルムを剥がして中身を針ごとポリバケツの中にぽんと放った。


「こんなことやるんなら、もっとマシな店でやれよ」


 それは確かにそうだ。場末の激安スーパーでこんなみみっちい嫌がらせをしたところで、何の意味もないじゃないか。だが……。


 一向に治らない所長の不機嫌。どんどん厳しくなるブンさんのど突き。見え見えのちんけな嫌がらせ。何の関係も脈絡もない事柄に、何かが重なってる。共通点を感じる。それが……。


「なあんか気持ち悪ぃなあ」

「あん?」

「いや、おやっさんのことじゃないす。どうもそのじいさん、気になるんだよなあ」

「俺らも気になるさ。でも正直、とっとといなくなってくれって言いたいね」


 病死寸前の鮭が最後に気力を振り絞ってやっとこさ赤くなったような、どうにも食う気がしない塩鮭の切り身をおやっさんに渡す。ひょいと受け取ったおやっさんが、そいつと刺身用にさばかれた赤ヤガラをフィルムでくるくるっと巻いて、三百円のシールをぺたっと貼って俺に寄越した。


「まいどっ!」

「いつもあざあっす」

「また来いや。雑魚って言っても、うめえもんもあるからな」

「そっすね」


◇ ◇ ◇


「うーん……」


 俺は。空になった皿を見据えて、思わず唸った。


「旨いっ! 旨過ぎるっ!」


 まさに主客転倒。塩鮭は石狩鍋風に仕立ててみようと煮てみたんだが、鮭のものとは思えないアンモニア臭が立ち込めて、早々に食うのを諦めた。こんなもんを商品として売っていいのか? 客にカネ出させて生ゴミの処理させるんじゃねえよ。まったく!

 だが赤ヤガラは、刺身もあら汁もべらぼうに旨かった。まさに、見てくれで判断すると損をするの典型だ。見た目は淡白そうな白身なんだが、しっかりこくと旨味があり、脂も乗っている。調理法を調べた時に分かったんだが、水揚げが少ないから市場に出回らないだけで料亭では高級魚の扱いらしく、型のいいものは一尾千円以上するそうな。さもありなん。


「赤矢柄、かあ」


 頭が細長く尖っていて、まさにその名の通り矢のような格好をしているが、こんな美味しい矢ならば大歓迎だ。ここのところもやもやすることが多かったから、思いがけず旨いものを食って、少しだけ気が晴れた。だが、その口福……幸福は、長くは続かなかった。


「む……」


 俺がどうにも気になったのは、売り物のパックに針を刺していくというじいさんだ。店が犯人を特定して警察に相談しているのに、事件が解決していない。あの激安スーパーの鮮魚コーナーに執着していて、まるで見せつけるように嫌がらせを続けている。


 あの店に何か遺恨を持ってる? それなら鮮魚コーナーのおやっさんが、じいさんとの確執に何か言い及ぶだろう。でも、そんな感じじゃなかったよな。動機が分からない。そう言った。あのおやっさんじゃなく、店の誰かに敵意を持っているなら、他の商品にも針を仕込むだろう。だが、じいさんがこだわっているのは鮮魚のパックだけ。それもおかしい。


 精神を病んでる? でも、じいさんは店の弱点を知り尽くした上で動いている。店員や警官に決定的瞬間を見られていない。防犯ビデオの死角を知っている。そして確実にターゲットに針を……刺す。キの字にしては、手並みが鮮やか過ぎるんだ。それにじいさんがいかにものキの字なら、店や警察の事情聴取で辻褄の合わない言動をしてその筋が動いているだろう。


「むー」


 なぜ、そのじいさんが激安スーパーにこだわるか。あのスーパーの商品は、食えるかどうか疑わしいヤバいものばかりだ。もちろん俺たち客は、それは承知の上でギャンブルに出ている。だが店としては、扱っている商品のヤバさにはタッチされたくないんだ。じいさんの不法行為を咎め立てて不用意に事を大きくすると、逆に店の衛生管理のずさんさに注目が集まってしまう。だから、店側ではどうしてもじいさんに強く出られない。それをよく分かっているじいさんが、店の足元を見てる。相当頭がいいんだろう。

 鮮魚のパックにこだわるのは、そこにしか常在している店員がいないからだろう。つまりあれは嫌がらせではなくて、デモンストレーションだと考えた方が自然なんだ。分からないのは、その理由だ。なぜ? なぜ、そんなちんけな方法でデモンストレーションをする必要がある? なぜ? なぜ? なぜ……?


「うーん……」


 不可解なことばかり続いてきたが、そのじいさんの行動はその中でも飛び切り不可解。気持ち悪くて吐きそうだよ。せっかくさっき旨い刺身を食ったのに、台無しになりそうだ。


「くそっ!」


 ましてや、それは俺が解決を請けた案件じゃない。どっかのおっさんが、なぜトイレでもないところで立ち小便をするのか分からなくて気になる。それと同じくらい、いくら考えても益のないばかばかしいことだ。所長なら、なぜそんな一銭もゼニにならないことで悩むんだって一蹴するだろう。でも俺はすっぱり割り切れないんだよ。


「俺、やっぱ……商売間違えたかなあ」


◇ ◇ ◇


 授業料の一部免除と奨学金を確実に取りに行ける進学先。それが、無名の私立大学だった。専門学校には授業料の減免制度がなく、奨学金を取るのも難しかったから論外。国公立のいいとこは俺のドタマが無理だし、私立のいいとこは金銭的にダメ。俺のレベルより2ランクくらい落として私立の特待をゲットし、そこで奨学金を取るのが一番現実的だったんだ。

 卒業後の就職時に大学の名前でハクを付けようなんて余裕はまるでなく、名ばかりの親とどうやってさっさと縁を切るかが重要だった。俺の大学選択基準はそれしかなかったんだ。


 大学に入ってからは馬車馬のようにバイトして、学費以外は親からの援助を全く受けずに四年間を乗り切ったが、俺の在籍した大学は就職には何の役にも立たなかった。それが……大きな誤算だった。

 大学の学生課では、カネを積んでくれるぼんぼんには積極的に職を斡旋したが、俺のような貧乏人を放置したのだ。それでなくても無名なのに、大学推薦もないんじゃどの会社も玄関すら開けてくれない。こういうことをやりたいという以前に、どこでもいいから採ってくれっていうレベルで、俺は靴を何足も履き潰して走り回ったが、手応えが全くなかった。


 そこに降って湧いたのが、沖竹エージェンシーの調査員の話だった。沖竹エージェンシーはメディアへの露出が多く、探偵はカッコいい職業というイメージが先に来た。高い知能や特殊な能力、資格等を必要とせず、根気と集中力があれば誰にでも出来るという殺し文句も、三下の俺にはずぎゅんだった。だが応募することを前提に詳しく調べてみると、出てくるわ出てくるわ。叩けば埃が、なんていう生易しいもんじゃない。どこもかしこも、見事なまでに真っ黒けっけのけだった。


 給料は安いし、上がらない。顧客にはべらぼうな調査費用を要求するのに、社員の処遇は最低だ。決まった勤務時間がないってくらい年中休みなしの激務だし、それでいてちょっとヘマするとすぐに首を切られる。調査員は、間違いなく使い捨ての駒だった。当然求職者の間での評判は最低最悪だったが、それでも沖竹では俺を採ってくれるって言ったんだ。

 給料が安くても社員。バイトじゃないなら、基本給がある分これまでよりはマシな生活水準になる。激務って言ったって、俺の大学四年間もずっと激務だったから何も変わらん。クビになるかどうかは俺の決めることじゃない。それなら、クビになるまでは普通に働きゃいい。


 探偵と調査員の違いもろくたら知らないまま、俺は何も深く考えずに沖竹の社員となった。俺と同じように食い詰めて入社した同僚は、まるで所長から機銃掃射を受けたみたいにばたばたと辞めて……いやクビになって行った。

 俺が辛うじて生き残ってこれたのは、俺に調査員としての適性があったってこと、そしてブンさんが居たからだろう。ブンさんは所長以上に厳しい。おっかない。所長に使えないって言われる以前に、ブンさんにダメ出しをされると、それはイコール死刑宣告だ。それはブンさんが嫌なやつだからではなく、調査員という商売が極めてデリケートだからだった。調査員の業務をきちんとこなすには、相当な覚悟とスキルが必要なんだ。


 何せ警察官と違って、調査員には全く捜査権限がない。一般法規を遵守した範囲内でしか動けない。だからと言って、ぼけーっとしているだけじゃ真実は嗅ぎ当てられない。調査員は、いつも違法と適法の間に渡されたロープの上で綱渡りを強いられることになる。

 行動が法規によって厳しく制約されるなら、それを補うには感覚を研ぎ澄ますしかない。センスと訓練。その両方が必要になる。そして訓練で向上する部分はいいけど、センスや適性ばかりはどうにもならないことがある。ブンさんは、そこの判断がものすごく厳しかったんだ。


 最初はなんだかなあと思った。でも、すぐにブンさんの厳しさの理由が分かった。調査には、必ず調査される相手が居る。依頼された調査内容は、その相手が知られたくないことばかりだ。それは、表に出ないように慎重に隠される。隠されたことを暴こうとすれば、そこに強い軋轢が生じる危険性がある。


 被調査者と調査員の間でトラブルが発生したら、調査は失敗。それは調査員を雇っている社の責任になるから、社はヘマこくような無能なやつには早々に辞めてもらいたいってことになる。そして所長は実際に、ヘマこいたやつを問答無用で辞めさせてる。

 それは……所長にとってもブンさんにとっても、本当は望ましいことじゃない。調査員がしっかりスキルを身に付けて、社の業務をちゃんとこなせるようになって欲しいんだ。でも次から次へと入ってくる新入りが、どうしてもその合格基準を満たせないんだろう。


 昔からある大手の興信所なら、知名度があるから安定した依頼をゲット出来る。でも、新興の沖竹にはそんな余裕はない。社を早くでかくするためには、クサい山にどんどん手を出さざるを得ない。条件の厳しい案件ばかりだから調査員には高いスキルが要求されるのに、そのスキルを鍛えている時間的余裕がないんだ。だからと言ってすでに高いスキルを備えたブンさんのようなベテランを呼べば、所長は調査員をこき使えなくなる。どうしても、新入りをどっさり採って、役立たずをざばざば切り捨てていくしかない。

 ブンさんはたくさん応募してくる調査員候補をスクリーニングし、こいつはダメだと思ったら所長より先に肩を叩く。おめえには向いてねえって。だから厳しいんだ。ほとんどマンツーマンで鍛えてもらった俺は、ブンさんの一次審査をクリアした。で、今まで務められてるってことは、所長の二次審査もクリア出来てるってことなんだろう。


 ただ……。俺に才能があって調査員をこなせるってこと。俺が調査員としてやりがいを感じてるってこと。それが、一致してない。俺には調査員を『こなせる』が、調査員の仕事は『好きじゃない』んだ。ブンさんや所長の審査をクリアしたそこそこスキルを持った連中が、長続きせずにどんどん辞めていってしまうこと。その理由は多分、俺が感じているのと同じだろう。


「ふう……辞めたいよなあ」


 仕事がキツいから辞めたいんじゃない。俺がそこに居なければならない理由。それが……どうしても思い付かないんだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る