第14話 夏の虫
終電の内陸線が鬼ノ子村駅に停車すると、俊晴は数人の乗客に雑じってホームに降りた。スーツ姿の垢抜けた俊晴には誰も気付かず、どの乗客もよそよそしく家路を急いでいた。駅前の国道に向かって坂を上っていると、聞き覚えのある懐かしい声がした。
「火の用心!」
拍子木を叩きながら通る夜回りの連中で、皆覚えのある面々だが、駅舎から出て来たのが俊晴とは気付かずに、そのまま通り過ぎて行ってしまった。何がどうという事もないのだが、年々故郷が遠くなっていく感は否めない。そう思いながら、実家には向かわずに国道を横切り、旧校舎跡の空き地を突っ切って松森神社に向かう山道に歩を進めた。
山道を登りきると松森グランドに出る。深夜の松森グランドはもののけが休息しているのか、夏だというのにひんやりとしている。グランド入口の左手に公民館、右手の奥に松森神社が建っている。公民館の軒先の拝み部に吊るされた裸電球がぼんやりと浮んで、境内の虫たちを遊ばせていた。誰かが電気を消し忘れたようだ。坂の遠くから、懐中電灯を照らして小走りにやって来る男が、息を切らして神社の前に立った。二世市議会議員の佐藤巌である。落ち着きなくウロウロしながら、神社の周囲に懐中電灯を照らしては苛立っていた。
「俊晴! どこにいる!」
「ここだよ」
真後ろからの声に懐中電灯を落とした巌は、慌てて拾い、俊晴の顔を照らした。
「変わってねな、おっかねがり(怖がり)は…」
「こ、こんな時間に何だよ。思い出した重要なことってなんなんだ」
「おまえの親父が廃坑にいるのを見だんだ」
「いきなり何だべな…一年も前の事を今更…誰がと勘違えしてるんだべ」
「一年も前? 一年も前のことだとはまだ言ってねどもな」
「・・・・・」
「勘違いではねえようだな、巌。オレは確かに廃坑でおまえの親父を見だ」
「そんな話をするために呼び出したのか? こんたら時間でなくても明日ゆっくり…」
「おまえはこんたら時間に呼び出されで、なして来た?」
「からむなよ、わざわざ来てやったんだがら」
「おまえだろ」
「何が?」
「これだよ」
送り付けられた差出人のない手紙を出した。
「何だ、それは…」
「おまえが出した手紙だよ」
「知るか」
「とぼけるな…何があったが知らねども、こういう事をするのは、昔からおまえしかいないんだよ」
「わらしの頃の事ば、いつまでも根に持ってるえたな、おめえって。依怙贔屓されだのは、おめえの家が貧乏だったがらだべ。オレの所為でねべ。仕方ねべ、おめえがそういう家に生まれだんだがら。時代のせいだべひ」
「…んだな」
「おまえ、なんだって今頃帰って来たんだ? えっちもより早いんでねが?」
「早ぐ来らえで予定でも狂ったか」
「なにを訳の分がらねごどばり喋ってるんだ」
そう言いながら巌は懐中電灯で時計を照らした。
「駐在でも呼んだか…」
「・・・・・」
「一年前にあった事を、正直に話してけねが、巌」
「何だ、藪から棒に。一年も前の事なんて、ろぐに覚えでねえべな…そんな話なら帰るよ」
「おまえの親父はなぜ廃坑にいたんだ? おまえも一緒だったんだろ」
「人違いだど言ってるべ…おまえ、廃坑に居たのが?」
「ああ…居だよ」
俊晴は、巌のシルエットがほんの僅かだが動揺してると感じた。
「…居だのが…」
俊晴は、手紙を出したのは巌に間違いないと確信した。
何やら話し声のする小沢鉱山跡…
俊晴は怪訝に思い、気取られないように廃坑前に近付いて行った。数人の男達が立話をしていた。内容は聞き取れないが、桜庭土建の社長の桜庭泰治郎、県知事の西根伝蔵、そしてもう一人の薄ぼんやりとしていた男の顔が次第にはっきりして来た。俊晴は思い出した。
「あの男は去年の盆に帰った時に、桜庭土建に雇われたばかりだとかの柄の悪いやつの片方だ…あの男と一緒に雇われた兄貴分の男がもうひとりいたはずだが…」
少しするとそのもうひとりの男が現れたが、どうしても顔が思い出せない…
巌は、国道で見掛けた俊晴が、殺人現場に居た可能性があるかどうかを、確かめたかったのだろう。しかし、巌にはもうひとつやらなければならない事があった。
「こんな所でオレと話してで、ええったが?」
「どういう意味だ」
「おまえ、殺人事件の重要参考人になってるど」
「オレが重要参考人? なんでおまえにそんなことが分かるんだ?」
巌は持っている懐中電灯を消した。
「そんな情報はすぐに入るよ」
「なるほどな…それだけ警察とどろどろの付き合いがあるのか」
「おまえは逃げられねえよ」
自転車を漕ぐ音がした。
「やっぱり呼んでだな」
「ただの定時巡回だべ。兎に角、こっちゃ来い!」
巌は俊晴を神社の裏に連れていって懐中電灯を渡した。
「おれば信用できねべんども、取りあえず逃げろ、俊晴! 今はおれの言うとおりにしてけれ!」
俊晴は巌の促すままに従って裏山の闇に消えた。入れ違いに西根巡査が公民館の前に自転車を停めて、神社の石段を上がって境内に入って来た。神社の縁の下や暗がりに懐中電灯を照らし出した。
「そこに誰かいるのか!」
神社の裏で呻き声がする。
「居るのは分かってる、早く出で来いって!」
巌が頭を押さえて這って出て来た。その “けもの ”らしき陰に驚いた西根は、慌ててあとずさった。
「止まれ!」
西根巡査は懐中電灯と銃のぎこちない二刀流になったが、止まった “けもの ”にオヤッとなった。
「巌さんじゃないか? なんだ巌さんか…熊かと思ったよ。どうしたんだ?」
「やつは殺人犯です!」
「やつって!」
「俊晴にやられた!」
「俊晴が帰って来てるのか?」
「オレの口を封じようと殺しに来た!」
俊晴はまだ神社の裏の繁みに潜んでいた。出て行って西根巡査の前で巌に抗議しようとしたが、巌の狙いをしっかり確かめてからでも遅くはないと思い、堪えていた。
「口を封じる? 穏やがでねえな。どういう事なんだ?」
「去年、役場の仕事を終えで帰る途中、例の小沢鉱山跡で起ごった殺人事件の日、国道を放心状態で歩ぐ俊晴を、偶然に車から見がげだんだ」
「警察に話したのか?」
「忘れでだんだ」
「そんな大事な事を」
「その時、やつもオレに気付いでいだらしぐ、目撃されだオレを殺すために今度の休暇を待ち切れなくて帰って来たらしい」
「俊晴は?」
「逃げだ…西根さんが来てくれだんで助かった」
「あんだが誰がに脅されで松森神社に呼び出されだんで、行って見でもらえねべがって、あんだのオドさんが心配して来られたんでね」
「助かりました」
「俊晴はまだこの辺りさ隠れでるべんて探してみる! 手伝ってけれ!」
「いや、もう居ねべ。俊晴は山さ詳しい上に、山歩ぎは大したもんだ。それにこの暗闇では探ひるもんでね」
「それもそうだな。したら、とにかく県警に連絡取るんて、あんだも交番さ来てけれ」
俊晴は闇の中で、松森神社の坂を下りていく二つの影を忌々しく見送った。
〈第15話「迫る危険」につづく〉
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