第11話 じゃっこ獲り
山間の日暮れは、日の長いこの夏場でも4時頃を境に加速する。集落の通りを照らす外灯は無いに等しい。一旦夜になると、自然を満喫しようと都会からやって来た観光客を受け入れない様相となるが、地元で長く暮らす人間にとっては、通りに灯りなど必要ない。真っ暗でも、臭いと音で目的の場所に辿り着くのは当たり前のことである。金治は日暮れ間近の道端で、ちびりと口に含んでは舌で転がしながら、いつもの安酒を楽しんでいた。ふと、一つの方向に気配が行き、頸から下げていたトランシーバーをおもむろに掴んだ。
「来たど」
鬼ノ子村トンネルが、暮れゆく山懐で柔らかな低圧ナトリウムランプの口を開けている。その奥から微かに響く唸りが次第に広がり、鉄砲水の如く暴走族の一団をトンネル出口から吐き出した。道幅を占拠したまま疾走する族が、獲物を追う肉食獣の態で、金治の視線を横切った。道の駅「あに」の駐車場でトランシーバーを持った笠原が、成田に合図した。成田は道の駅で買い物を済ませた家族や夫婦連れを誘導した。
「急いでくださーいッ!」
笠原の緊迫した指示を横目に、のんびりと帰り支度をする買い物客の前に、日頃見たこともない殺気立った塊が、道の駅の駐車場に雪崩れ込んできた。それを見た買い物客らは、やっと事態を呑み込んだ。成田の指示に従って、それぞれの車に駆け込み、一台また一台と駐車場を後にした。
外の様子を伺っていた道の駅の店長・花田公英が受話器を取った。
「あ、松橋さん! 来ましたよ。もう少しで閉店だという時に…」
「了解…好き放題やらひどげ」
駐車場では地元暴走族の中井らが出迎えた。車から降りた総長の宇田川亮太を、駐車場の奥に停車している一台の黒い車に案内した。後部ドアの窓が下りた。
「新庄さん、遅くなりました」
新庄は無言で宇田川に分厚い茶封筒を渡した。窓が閉まり、新庄の黒い車はゆっくりと駐車場を後にした。兵隊幹部の一人・草薙と数人の兵隊が、一団に先行して真っ直ぐ道の駅内のレストランに向かった。
草薙は、四人掛けで食事中の観光客カップルの居るテーブルの前に立った。
「ここ空いてますか…」
まだ食事を終えていない二人は返答に困った。他に空いているテーブル席はいくつもあった。
「この席、空いてるか聞いてんだよ」
地元のパートらしき老店員が間に入った。
「あ…あの…この席…ですか?」
「そう、この席だよ」
「すみません、こちらのお客さんはまだ食事中なので、向こうの好きなテーブルにしていただいていいですか?」
草薙は老店員を無視して食事中の二人にからんだ。
「この席、空いてるよね」
カップルが仕方なく立ち上がろうとすると、老店員が押し留めた。
「なんもなんも、ここでゆっくりしてたもれ。この人だぢはあっちの席さ座ってもらうがら、あんだだぢはここで食ってけれ」
「おや、ばあさんまだ居たのか…そろそろ寿命が来てんじゃねえか? こんなとこで減らず口叩いて寝たきりになるのは嫌だろ。ババアは引っ込んでろ」
「ババアを粗末にしたら祟って出るど。こごが田舎だど思って高括ってだら罰当るど」
「あの、私たち、もう出ますんで」
「んにゃ、あんだだぢは出で行ぐごどなんてねえよ。このバガワラシが出で行げばええったもの」
「このクソばばあ!」
「このバガワラシ!」
厨房から料理長が出てきて老店員を制した。
「お客さん、あと5分程で閉店なんですよ」
「じゃあ閉めろよ。お客様、あと5分程で閉店だとよ」
「こちらのお客さんは、まだ食事中なもんで…」
草薙は料理長を突き飛ばして話を遮った。それをきっかけに食事中のカップルも他の客たちもそそくさと出て行った。中井が陣取ったテーブルに総長の宇田川を案内した。宇田川はゆっくりと椅子に腰を下ろした。
「腹減ったな、ここの名物はなんだ」
中井は、倒れている料理長の胸ぐらを掴んだ。
「おい、ここの名物はなんだ?」
「ラストオーダーは終わりましたので…」
「そうか、ラストオーダーは終わったか。で、ここの名物はなんだ?」
「今日はもう閉店です」
「今日は閉店ね。で、ここの名物はなんだ?」
「・・・・・」
「中井、てめえ地元の頭張ってるくせに随分と舐められてんだな。中坊かよ」
草薙に毒を吐かれた中井は焦った。
「ここの名物はなんだと聞いてんだよ!」
「いいから退け!」
草薙は中井を退けて、いきなり料理長のみぞおちに強力な足蹴りを入れた。そのただならぬ様子に、洗い場の女店員が急いで厨房から出て来て叫んだ。
「名物は “またたびラーメン ”です!」
一団の後方で事態を黙認していた映二が、聞き覚えのある女店員の声に “ハッ ”とした。中退した高校の同級生の村田良子だった。草薙の目は、良子の肉感的な体を嘗め回した。
「そうか、またたびラーメンか…うまそうだな…じゃ早く作れ」
「私はただの洗い場なので…」
良子を庇おうと料理長が起き上がろうとしたところに、草薙のふいの足蹴りが入り、料理長は血を吐いて意識を失った。
「店長!」
「あれ、赤ダシが出ちゃったか?」
「オレがやります」
映二が出て来た。
「兵隊のくせに出しゃばるんじゃねえ!」
怒鳴る中井を、総長の宇田川が制した。
ここは映二の出身地である。かつて映二は家庭の事情もあって、通っていた内陸線沿線の高校を中退して東京に出た。コネのない田舎者の映二は、どうあがいても現実の壁を越えられなかった。、案の定、理不尽の波に押し流されてネット難民になっていた。繁華街であぶれていた頃、このグループの仲間と知り合い、不本意ではあったが誘われるままに族の一員になった。ある日、偶然本部に出入りする実の父・新庄を見かけた。宇田川の背後にいる新庄の存在を知って、映二は運命を呪った。秋田遠征の話が出て、土地に明るい映二は、案内役を買って一足早く下見に来ていた。映二には目的があった。
「ちょっと、手え貸せ」
映二はさりげなく店員の良子を厨房に促した。良子が小声で話しかけてきた。
「あんた…映二さんでね?」
「黙って手伝え」
良子は映二のただならぬ空気を察して黙った。その後は黙々と知らない素振りで手伝った。映二も慣れた手つきで調理を済ませて、食堂との境にあるステンレスのカウンターにラーメンを出した。
「はい、ここの名物のまたたびラーメン! …らしいやつ!」
一同は誰も動かず宇田川を窺った。中井が意気込んで沈黙を破った。
「おめえの作ったものなんか喰えるわけねえだろ!」
どんぶりをひっくり返そうとする中井を、宇田川が制した。ゆっくりと卓上の割り箸に手を伸ばした。草薙の部下のカズがコップに水を装って出した。
「いいから持って来い、中井」
「総長、こんなやつが作ったのを食うんですか? 何が入ってるか分かりゃしませんよ」
宇田川は中井を見据えた。中井は慌てて宇田川の前にラーメンを置いた。
「随分偉くなったもんだな、中井」
宇田川は中井を無視して一口啜って箸を置いた。厨房から映二が出てきた。
「映二…」
「はい!」
「うめえよ」
「オス!」
宇田川は都竹に箸を渡した。
「腹減ったろ。うめえから…」
都竹は女子キックボクシングの選手だったが、運転ミスでバイクの宇田川を撥ねてしまった。そのあと、事故で生死をさまよっていた宇田川を付きっきりで看て以来の腐れ縁だ。
「流石、店主を殴って首になっただけの事はあるな、映二。てめえは腕のいいラーメン職人だもんな。オレにも作れ」
草薙が口を挟んだのをきっかけに一同が我も我もと列を作った。
「草薙…」
「はい」
「買い物はどうした?」
中井が自分の部下に怒鳴った。
「てめえら、お買い物しとけ! おれらはラーメンなんか食ってる身分じゃない!」
「中井!」
「はい、おれらは食わねえス」
「おまえに食えとは言ってねえ…作れ」
「は?」
「今度はおまえがラーメンを作れ」
「はあ?」
「落し前を付けろ」
「・・・・・!」
「おまえの先走りで女が勢い付いたそうだ。議員先生がご立腹なんだとよ」
「…すみません」
兵隊たちを促して地産売り場に行こうとする中井を草薙が止めた。
「中井…そっちじゃねえだろ。厨房に行こうか」
「はい?」
「そっちはカズにやらせる」
草薙らは中井を連れて厨房に向かった。
「映二」
「はい」
「中井にラーメンの作り方を教えてやってくれ」
宇田川が映二を促して厨房に入った。
「最初にどうするんだ、映二?」
「麺を茹でます」
「麺を茹でろ、中井」
中井は言われるままに大鍋で煮え立つ湯に生麺を放り込んだ。
「次はどうするんだ、映二」
「麺をほぐしながら掻き回します」
「掻き回せ、中井」
それを掻き回そうと麺箸を持つ中井に、草薙が怒鳴った。
「おい見習い! 見習いは素手でやれ!」
「・・・・!」
中井は、勢いよく煮え立った鍋で荒れ狂う麺を凝視した。
「麺が伸びる。早くしろ」
「か、勘弁してください!」
「おまえは偉くなったんだ。素手でやれ」
「・・・・・」
「総長の言うことが聞けないのか、中井…」
「・・・・・」
草薙が大柄杓で掬った熱湯を中井の顔面に勢い浴びせた。絶叫を上げた中井のリンチが始まった。
店内の都竹がラーメンを完食した。
「映二、ごちそうさま! 水、頂戴よ!」
映二は厨房から出て来て都竹に水を出した。
「ちょっと見てやったら? なんかヤバっぽいよ」
都竹が小声で映二を促した。倒れている料理長の所に行き、襟首を掴んで起こすと、付添っていた良子が慌てて止めに入った。
「お願い、乱暴な事しないで!」
「うるせえ! ここでぶっ倒れてたら目障りなんだよ!」
映二は良子の首を絞めて壁に押しつけた。良子に顔を近づけ、早口で囁いた。
「こいつを連れてトイレの裏から出て、向かいのシカリの宿で救急車を呼んでもらえ」
良子は頷いた。
「ゲロはトイレで吐かせろ! 早くしろ!」
良子はやっとのことで料理長を肩に抱えた。二人がトイレに向かったのを確認し、映二は厨房に戻った。中井はぐったりして厨房の水浸しのコンクリートの床に転がっていた。
暴走族らは店内の商品を物色し、備え付けの買い物カゴ毎、表の車に運び始めた。
「すいません! お支払いをお願い…」
カズが立ちはだかった。
「つけといてくれや」
「あのー…ツケはやってねしども…」
「じゃ、今からやればいいじゃねえかよ」
兵隊も数人、カズの横に集まり、威圧的にレジのスタッフを取り囲んだ。その間に店の品物はどんどん運び出されていった。
「買い物、終わりました!」
兵隊のひとりが厨房の宇田川に報告に来た。
「よし、撤収!」
良子はシカリの宿に辿り着き、料理長の応急処置をしてもらっていた。マタギの妻である圭子は、傷の手当てには慣れていた。
「一応、診療所か救急車頼みましょうか?」
「いや、このぐらい何でもね。それに今は呼ぶわげにはえがね」
「それもそだな」
主の良三は役場の助役・笠井邦和に連絡した。
「何? 映二が一緒? なにしてるえた、あのワラシ…熊蔵さんは知ってるべが?」
「料理長ど良子ば逃がしてけだんだ。熊蔵さんの孫だがら、何があるべどは思う」
「…んだが…分がった、したらこっちは手筈どおりにやるべ。どっちに向がった?」
「これがら出るみでだ…電話このまま切らねでけれ」
すっかり日の暮れた道の駅「あに」の駐車場から、暴走族の一団が爆音を立てて発進した。国道105号線を北上しながら所定の隊列が整っていった。一団が通り過ぎると、住民は明かりを消したままの台所の窓から静かに塩を撒き、一団の去った方角に合掌した。民家の飼い犬たちの遠吠えが伝播する。
村内放送が流れた。
「青年団の皆さん、青年団の皆さん! 本日予定しております根子(ねっこ)方面のゴミ掃除を間もなく開始します! 本日予定しております根子方面のゴミ掃除を間もなく開始します!」
夕陽に染まった国道105号を、轟音を上げて北上する暴走族の一団が、息の止まった村を通り過ぎていった。映二は案内役として一団の先頭部隊の宇田川と同じ車に乗っていた。国道を走りながら、懐かしい鬼ノ子村駅のホームが見えてきた。映二は思い出していた。幼い頃、母の章子に手を引かれて、あの鬼ノ子村駅のホームに降りた。
映二が今まで見た事もない山また山…
「映ちゃん、ここがお母さんの生まれたところだよ」
「お母さん! あれって全部、山…?」
章子は微笑みながら歩き出したが、すぐに立ち止まった。章子の視線の先を見ると改札の前に無愛想な初老の男が立っていた。
「父さん…」
母の目から涙が溢れているのを見て、不安になった映二は精一杯の作り笑いで叫んだ。
「おじいちゃん!」
熊蔵の顔は見る見る仏のように綻んた。
「腹減ったべ。うめえもの作ってやるんて早ぐ家さ帰ろ」
「うん! お母さん、行こ!」
映二は母の手を引いた。
「子供に気ば遣わひるもんでねえ! 早ぐ家さ行ご!」
章子は唇を震わせて頷いた。笑っている筈の映二の目にもいっぱいの涙が溢れていた。
「…優しいワラシだな、章子」
三人は無言で家路に就いた。
鬼ノ子村駅はあの時のままだ…
鬼ノ子村の民家からポツリポツリと灯りが漏れて、村が息を吹き返した。村民たちは、ひとり、またひとりと玄関から姿を現した。
国道沿いの丸太で組まれた櫓に『根子方面・通行止め』の看板が立てられていた。程なく見晴らしのいい下り坂になる。最先頭を走る単コロのカズが、看板目掛けて飲み干した空き瓶を投げ付け猛加速していった。通行止め看板の櫓の陰から老人が現れた。
「罰当たりめ…三…二…一!」
暴走族の先頭で急ブレーキの音に重なる激突音がした。
「ほら、天罰…」
先頭を走っていたカズがオートバイごと弾き飛ばされ、地面に叩き付けられた。日が暮れて視界の届かない下り坂すぐ先のカーブに、大型トレーラーや耕運機、消防車などが止まって、国道の両方向が通行止めの状態になっていたのだ。何重にもなった柵の前で半回転したり、追突や転倒する車両が続出した。草薙がカズに毒づいた。
「役立たずが!」
映二は小さくて目立たない迂回の案内版を見つけていた。
「映二!」
「旧道を行くしかないスね」
破壊した数台の単車を路肩に放置し、一団の車列は仕方なく旧道を歩く映二の後にのろのろと続いた。しばらく進んで映二の足が止まった。『この先危険の看板』がある。
「映二、どうした!」
すぐ後ろの車から草薙が叫んだ。
「この先、がけ崩れか何かあって通れないかもしれません」
「いいから行けるとこまで行け!」
一団は案内を無視して進んだ。山道は次第に道幅が狭くなり、辺りは真っ暗になった。先頭の車のライトに『この先、行き止まり』 の立て札を浮かんだ。
「映二、どうなってんだよ! ちゃんと下見したのかよ!」
「・・・・」
「どうにかしろ、てめえ!」
そう怒鳴った草薙が車の中で身を引いてビビった。突然、暗がりの藪から人が現れてライトの前に立ったのだ。映二の祖父・西根熊蔵だ。熊蔵は映二に何の反応も見せずに、先頭の車の真ん前に立ちはだかった。草薙が怒鳴った。
「なんだ、てめえ!」
「あんだがだ、迷ったしか?」
「ジイサン、あの道案内違ってんじゃねえか!」
「違ってだが? あららら、まだ観光客がイタズラしたんだな。このごろ性質の悪い観光客が多くて、嘘っこの道案内を書いで行ぐ事があるんだでば」
「ちっきしょう、見つけたらぶっ殺す」
「こねだ (先日)も、こごさ娘(おなご)っこ連れ込んで手籠めにしようどして、逆に熊さ襲われで喰わえだ観光客が居であったんだものな」
「熊…出んのか…」
「んだな。今も二、三頭、こっちの様子を伺ってるべな」
「なんで分かるんだ?」
「臭いだな」
「ジイサン、なんでこんなとこに居るんだ?」
「これからジャッコ漁りだ」
「ジャッコトリ? どんな鳥なんだ? 金になるのか?」
「あはは、鳥でねでば。ジャッコ漁りっていうのは川魚の漁だ。夜にやるもんだたえにな」
「そんなのは後にして村まで案内しろ」
「村さ行っても宿はねえど」
「腹減ってんだよ! 飯ぐらい食えるところはあるだろ!」
「それが一軒もねえんだよ」
「コンビニぐらいはあるだろ!」
「コンビニってなんだ?」
「24時間営業のチェーン店だよ!」
「チェーン? 車のごどだば隣の町まで行がねば駄目だな」
「そのチェーンじゃなくて…24時間やってる店が一軒ぐらいあるだろ」
「そんた店だっきゃ、あるわげねえべ」
「だったら呑み屋ぐらいあるだろ!」
「あるある! 一軒だげある!」
「その店に案内しろ!」
「店はあるども今は閉まってるな」
「開けさせろ!」
「しばらぐ前がら入院してるもの、誰も居ねし、何もねえよ」
「くそ!」
「夜はあっちゃこっちゃ動がねほうがええしよ」
「いいから取り敢えず村まで案内しろ!」
「村でうろうろして熊さ喰われでもええしか?」
「村にも出るのか?」
「この時間になれば、食い物探して村まで出歩くものな。特に人間の味を覚えでしまった熊がうろついでるもんでな」
「この辺にいるらしい二、三頭の熊はどうなんだ?」
「もうかなり近くまで来てるな、あんだだぢの臭いで」
「なんだと!」
「熊は殺気だってる相手を真っ先に攻撃して来るもんだがら」
「・・・・・」
「なんも、オレが居れば大丈夫だ」
「なんでだよ」
「オレはマタギってな、熊狩りしてるんだ。やぢらの仲間が殺されでる人間だもんで、やぢらには恐ろしふて襲って来れねんだ」
「いい加減な事、抜かすなよ、ジイサン」
「んだが…いい加減なごど抜がすジジイに用がねば帰るべ。あんだだぢも気ぃ付けでな」
熊蔵は引っ返して川原に向かって降り始めると、宇田川が止めた。
「すまねえ、ジイサン。こいつらの無礼は謝る。オレらに力貸してくれ」
「んだが…ひば…この下の川原だば比較的安全だど思うしどもな」
「・・・・」
「それより腹減ってねが? 少しだば喰うものあるんて川原に下りねが? ひば、鍋っこ作ってやれるどもな」
「どうします?」
草薙は体裁悪そうに総長を伺った。映二はしばらく熊蔵と対峙した。熊蔵は無表情で映二から目を逸らさないままだった。
「映二、どうなんだ」
「このジイサンの言うように、この時間はもう村のほうがヤバいス」
「そうか…仕方がない。朝まで待とう。おい! 車から少し食料を降ろせ! 歩きだ!」
「ばくたれてる単コロとカズ、どうします?」
「てめえで何とかしろ」
「ピクリともしねえんで…」
「ポリの見えねえとこに転がしとけや! 帰りに回収だ」
草薙の指示で片付けに向かった兵隊二人を尻目に、一行は熊蔵の案内で山道を全員徒歩で下りて行った。
国道に戻る二人の足取りはおぼつかなかった。
「熊、大丈夫かな」
「襲ってきたらどうする?」
「どうしようもねえだろ、勝てねえよ」
「なんか武器ある?」
「なんもねえ」
「こんなとこ住みたくねえな」
「おい、今なんか音しなかったか?」
「冗談辞めろよ、洒落になんね」
「走るか」
「マジかよ」
一人が走り出すと、もう一人も慌てて走り出した。二人は、恐怖の余りいつの間にか真っ暗な山道を全力疾走していた。国道が近付いて来た。人の気配がする。
「誰か居るんじゃないか?」
二人は足を潜ませて国道を窺った。大型トレーラー、ダンプ、消防車、耕運機のエンジンが静かに始動する。雨具や防寒具に身を包んだ影達が車の周囲で蠢き始めた。
「助けを求めようか?」
「…だな…すみませーん!」
蠢く影達の目が光った。
一行は川原に向かって降りていった。
「まだかよ、ジイサン」
「もうすぐだ。夏でも夜だば寒ぐなるべんて、下りだらすぐに火を焚ぐべな」
山道に慣れない一行の息が上がる頃、やっと川原に出た。
プールがなかった旧・鬼ノ子村小学校の時代、夏になると、体育の授業や放課後には、子供たちが競って『雨降り様』と呼ばれる岩肌を目印に川に下りた。その岩肌の下が子供たちの絶好の遊泳区域なので、「様の下」と呼ぶようになった。この岩肌は、鬼ノ子村からよく見える村のシンボリックな風景である。故郷を離れた者は皆、この岩肌だけは忘れる事はない。この岩肌もまた、その姿を変えることなく、何十年もの長い歳月が流れた。古くから土地の人々は、万物には神が宿っていると考えて、この『雨降り様』を崇敬していた。お年寄りは「雨降り様」が訛って『雨降りじゃま』というが、おそらくは舌足らずのかわいい孫が呼んだのをきっかけに、そう呼ぶようになったのだろうか…雨降りじゃまの岩肌は、雨が近付くと湿気を含み、時には水が滴る。その肌具合で急な増水や鉄砲水などの危険を教えてくれる。村にとっての大切な守り神様なのだ。
「足元、気を付けでけれな」
道なき山道を下りて行くと、雲間から煌々と輝く満月が顔を出し、雑木の合間から川の対岸の岩肌『雨降りじゃま』が見えて来た。僅かに広がった川原 “様の下 ”も姿を現した。へたばって砂利の上に座り込む暴走族を尻目に、熊蔵はせっせと枯れ草や流木を集めて、手際よく火を熾している。川の音だけが響く闇が、ボッと朱に染まると暴走族らは歓声を挙げながらボウフラのように焚火に集まって来た。
「てめえらは自分で火を熾せ! さ、宇田川さん、どうぞ!」
草薙が焚き火の前にディレクターチェアを広げた。熊蔵は背負っているリュックからキノコなどの山菜や携帯鍋を出して、慣れた手つきで地元鍋に仕上げていく。いい匂いのする鍋に、遠巻きに群がる兵隊らが、“配給 ”の順番を待って並んだ。
「これを喰って暖まればええ。春先に採って乾燥さひだゼンマイどがも、うめえよ~、喰ったごどねべ」
そう言って熊蔵は映二の顔をじっと見た。映二は微かに頷いた。熊蔵が身支度を整えて川漁に向かおうとすると、宇田川が声を掛けた。
「どこに行くんだ!」
「川猟だでば。おめだぢのお蔭で遅ぐなってしまって、ジャッコ獲れるがどうが…獲れだら持ってきて焼いでけるんて待ってろ。んみゃよ~…したらまじな」
「すまなかったな、ジイサン」
「なんも、なんも…早ぐそれ喰ってあったまれ」
「ところでジイサンよ」
「なんだしか?」
「ジイサンひとりの夜食にしては量が多くねえか?」
「上で夜間作業してる連中に会わねがったがい?」
「誰もいなかったが…」
「近ぐの飯場で休憩でもしてだべが…最近は労働基準法がどうとがで、しょっちゅう作業休んでるものな。仕事になねべ」
「それと夜食の量とどう関係があるんだ」
「あの土建屋だぢの夜食の賄分だども、困ってるおめだぢさ食わひでしまった」
「ジイサンが賄やってんのか?」
「頼まれだ時だげな。孫の小遣い稼ぎだ。オレがこごでジャッコ漁りして夜食喰ってるもんだがら、作業員だぢがひとりふたりって集まって来てな。いつの間にが、みんな来るようになってしまったでば、ははは」
「そりゃすまなかったな」
「なんもなんも」
「ところで、その作業員はここに来るのか?」
「どんだべな。今夜は夜通しの作業だって言ってだがら…」
「・・・・・」
「今夜はジャッコ一杯漁って来ねばなんねぐなってしまったよ、あははは」
「・・・・・」
「なんも、ちゃんとあんだだぢの分も獲って来るんて心配しねでけれ。したら、ゆっくりしてでたもれ」
そう言って熊蔵は川に入り、あっという間に闇に消えた。
「おい、夜明け前にはここを出る! それまで待機!」
宇田川の指揮に雄叫びを上げた一同の宴会が始まった。空腹が満たされると、やがて疲れが出て、ひとり、またひとりと川原の石をどけるなどして寝床を作って横になった。
「熊が出るって?」
「ぶるってんのか、てめえ?」
「なわけねえだろ。どうせジイサンのジョークだよ」
「ジョーク言えるようなジイサンだったか?」
一同がうとうとし出した頃、誰かが大声を出した。
「雨だ!」
蜂の巣を突いたような豪雨である。一同は凌ぐ場所を探して暗がりを右往左往したが川原にそんな場所はない。
大型トラックの貯水タンクに大量の水と粉砕氷が注入されている。そこに突っ込まれた消火用吸水ホースは、川原の下り口に設置された旧式の消火放水機に繋がり、勢いよく川原に放水されていた。その周囲で、てきぱきと動く影、影、影。その横で二人の兵隊が転がって息絶えていた。その傍に遺体収納袋に入れられたカズが、ファスナーの空いた状態で横たわっていた。
川原では夏だというのに “凍えるような雨 ”に襲われ、暴走族らは寒さに震えながら藪の中に逃げ込んでいた。
「くそ! てめえらびびってんじゃねえや!」
突然、草薙が暗がりの川に入ってはしゃぎ出した。
「川の水のほうが温ったけぇぞ! てめえらも来いや!」
「馬鹿かあいつ」
「やっぱ、ここも熊とか出んじゃね」
「何しに」
「魚とかさ」
「北海道の木彫り熊か、ウケる」
「あのジイサン、マタギとかって言ってたな」
「マタギって?」
「熊を狩るとか…そう言えば、道の駅のポスター見たか」
「知るか、そんなの。ただの観光だよ、観光」
兵隊の一人が、川のほうから “助けて…”の声がしたのに気付いた。
「今、助けてって声がしなかったか」
「どこで?」
「川のほうから…」
「…行って見たほうがいんじゃね?」
「なら、おめえが行けよ」
「なんでオレが!」
映二が闇の川に入って行った。
「あいつ、映二じゃね?」
「やめとけ、映二! 熊に喰われても知らねえぞ」
「川の中に熊はいねえだろ」
「じゃ、ピラニアとかさ」
「アマゾンか、ここは!」
大笑いする兵隊らを無視して映二は川に入り、声の聞こえた方角に泳ぎ始めた。流れに沿って泳ぐ映二の姿が一瞬で兵隊たちの視界から消えた。
「やべえっ!」
「大丈夫か、あいつ!」
「心配ならおまえも行けよ」
「るせえな、だれが!」
かなり下った川面に映二が現れた。少し先に溺れている草薙の姿を捉えた。急いで近付いたが、再び沈んで見えなくなった。暫くして草薙の背中が水面に浮いて出た。引き攣った目を剥いたまま、息の根が止まっている。その溺死体を掴んでいる映二がガバと水面に浮び出た。
「クズ野郎が…」
映二は近くの岩場に草薙を引き上げて、暫く心マを試みたが、息を吹き返さなかった。再び草薙の死体を引き摺って川に入り、流れに添ってそのまま泳いで闇に消えた。
草薙と映二が消えてから、予想以上に時間が経ち、族らは騒ぎ出した。
「おい、どうしたんだろ?」
「ほんとにやばくね?」
「知るか…心配ならてめえが助けに行けって言ったろ」
「なんでオレが!」
「てめえが言い出したんだろ!」
草薙の死体が闇の川を流れていく。その背中のシャツにトビが引っ掛けられた。引き上げられた舟のカンテラの灯に熊蔵のシルエットが揺れた。
「あのバカ…死ぬなよ…」
夜明け前、熊蔵が草薙の溺死体を担いで川原に戻って来た。川原には泡を吹いて息絶えている暴走族がゴロゴロと転がっていた。、影たちが川原に下りて来ては、和尚の弔いが済んだ順に死体を背負い、国道との山道を往復していた。目の利く熊蔵は、カンテラの灯りで丁寧に鍋や族の遺留品などの跡片付けをしていると、藪の中の鋭い視線に気付いた。虫の息ながら凄まじい形相の宇田川だ。熊蔵は宇田川の前に立った。
「ひじねが?(苦しいか?)」
「てめ…」
「も少しだな」
臨終の際の攻撃体制とでもいうのだろうか…満身の力で宇田川の体がくの字に折れ曲がった。その懐から分厚い茶封筒が “ガサッ ”と地面に抜け落ちた。熊蔵はヤスで茶封筒を突き射した。ゆっくり手に取って呟いた。
「ええ心掛げだ」
熊蔵は和尚を呼んだ。
「こちらさんは、一同のリーダーでな。これが全員分の御弔い料だそうだ」
「感心なお心がけだ。おやおや、もうこの世のお顔ではないな…では…」
和尚は虫の息の宇田川を弔い始めた。宇田川は間もなく断末魔の痙攣を起こし、そのまま動かなくなった。弔いが済むと、待っていた影が宇田川の死体を運び去った。
国道では、修理工の西根ら別班の影たちが、慣れた段取りで暴走族の車やオートバイを引き上げ、大型トレーラーに積み込んでいた。最後に宇田川の遺体が積まれ、保冷トラックの後部ドアが閉まった。
「よし、羽立橋さ向がう!」
〈第12話「引っ越し」につづく〉
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