第10話 松森会議
松森神社は、旧鬼ノ子村小学校の裏山に繋がる坂の上にある。軽トラ一台が通れる程度の疎らな砂利道を登りきると、右手に神社があり、左手に平屋の古びた公民館が建っている。一帯は旧小学校のグランド跡の名残で、通称・松森グランドと呼ばれている空地である。普段は草茫々だが、祭りも近いという事で除草されてきれいになっていた。
この地は古の参勤交代の名残が伝統芸能に残っている。参勤交代を模した行列から繰り広げられる夏祭りの番楽などは、村民の心に最も深く根ざしている行事だ。阿仁地区一帯がそうであるように、鬼ノ子村にも獅子踊り・駒踊り・棒使いなどの土着芸能がある。藩政時代の頃に始まったと伝えられるこの一連の芸能は、参勤交代の長旅の士気を鼓舞するため、佐竹公の家臣によって道中の座興で披露されたのが始まりとされている。参勤交代の座興の題材は、専ら大名行列遠征の途に起こった武勇伝であったにちがいない。伝統芸も、当初はかなり忠実な編成だったようだが、現在は簡略化され、集落ごとの特色を醸している。
この一帯は土器なども発見されているが、歴史発掘に関心のある住人は殆んどいなかった。旧小学校時代の教師たちの中にも、そうした地学堪能な研究者はいなかったようだ。せいぜい子どもらが興味本位で、訳の分からない土器や石器の欠片を掘り起こして、石にぶつけて粉々にして遊ぶ程度だったが、その子どもらも成人し、県外に職場を求めて流出し、何代かの長い年月が経過して、今日、少子高齢化を迎えている。
小学校が集落の中心から鬼ノ子川近くに移転して新校舎になった現在、全校生徒が十数人という少子化で、その数も年々減っている。ここ数年は神社前のグランドが使用されることも少なくなり、年に一、二度の祭事に、近所の老人が除草に来るだけになったが、松森神社の境内周辺だけはいつも小奇麗に手入れされていた。
今夜は神社の脇にある公民館の窓から明かりが漏れている。玄関の
公民館の中では、久々に出席する村の長老・松橋貞八を囲んで松森会議が開かれていた。松森会議とは、青年団を引退した村民有志で結成された老人会のようなものだ。高齢化で若者だけでは青年団を結成する人数に至らない昨今、少ない若者を補佐する形で、青年団 “引退組 ”がそのまま活動に加わっていた…というより、若者のほうが補佐的な立場にあった。それもそのはず、殆んどの老人が心身ともに強固で一筋縄では行かない現役マタギ衆なのだ。マタギを継がず、会社勤めで山に疎遠となった子孫には、この古老たちのサバイバル状況での太刀打ちができるはずもない。マタギ衆の妻たちにしても “家 ”を守る危機感に於いて、現代老婦人のような “なんでも社会依存 ”、 “依存しなきゃ、損 ”などという堕落の欠片もない。今夜もマタギの妻達は、家を守ってこの席にはいない。
寄り合いは毎月第一土曜日の夜と決まっていたが、実際にはその日以外にも青年団引退組は、村に罹るであろう禍の臭気を察知すると、即座に集まっては対策を練って備えていた。老人たちはなぜそこまで外敵に周到なのかは、獲物と対峙するマタギ衆の習性だけではないこの土地の忌まわしい過去に起因していた。若者らは結局、老人たちが決めたことを黙々と手伝うのが常で、普段はめったにその場には顔を出さないのが慣例となっていた。ところが、今夜は第一土曜日でもないのに若者の殆んどが出席していた。それは、普段口出しをしない長老が現れるからだ。鬼ノ子村には一気に緊張感が走った。普段参加しない若い女性ら、松橋千恵子や道の駅で働く村田良子、菅原由美子、内陸線車掌の中村聖子らは今回が初めての参加だった。弘と内縁関係の園子だけはなぜか青年団には拘っていなかった。
「
「やぢらってひば?」
「帰って来たんだよ、あの疫病神の残党が…」
「疫病神?」
「新庄だよ、カマスの女衒上がりの…」
「女衒?」
「若衆はあまり聞いだごどねべども、昔、カマスの国がら何人もの商売女どもを連れで来て、この土地で売春宿ば始めだ連中が居ったんだ。土地の馬鹿どもは、次々に女さ入れ揚げで、カマド返して土地がら家屋敷、田畑、山林の果てまで根こそぎぶん取らえでしまったもんだ。それでも懲りないで、高利の借金してまで入れ揚げ続げでだもんだがら、ケッチの毛まで抜がれでしまったバカも居だんだ。女衒の頭が代替わりして今の頭になった時期から重宝されでだのが、当時若造の新庄だったんだよ」
「今の頭はどうしてるべな」
「ちゅうぶ(脳卒中)当だったども、生ぎでるという話だ」
「新庄が帰ってきたのが気になるな」
熊蔵は静かに一点を見つめて黙っていた。
「まだ厄介な事になるべな」
「そうさひねために、今夜みんなさ集まってもらったんだ」
弘が若衆を代弁する形で口を挟んだ。
「オレだぢにはどんた塩梅にしたら…」
「細けごどは追々…兎に角、この村で再び怖ろしい事が起ごるがもしれねって事を肝に銘じてもらいたい」
「そういうごどだな。これがら村どして、どう立ち回るが話っこする前に、昔この村で何があったがどいう事を、今一度みんなに再認識しておいでもらいたい」
「この村を救った孫志郎という人の話っこだしべ!」
足音を忍ばせたひとつの影が公民館に近付き、窓の下に屈みこんで中の様子を窺った。その影を公民館の床下でもう一つの影が捉えていた。
「昔、カマスのバゲモノに村ごと乗っ取られそうになったんだ…今日はそのカマスのバゲモノだぢの 『
「一村一焼一殺…恐ろしがったしな…」
金治がしみじみと呟いた。
「一村一焼一殺どは、一つの村で、一人を殺し、その家を焼ぎ払って、そごの家の主に成り変わるどいうごどだ」
「成り変わるったって顔違うべがら、すぐにバレでしまうようなものだべどもな」
「例えば、かまど返した家どが狙って火事起ごして、親戚面して現れるんだ。その跡に新築した家さ建でで、時々来て住み始めれば住民の関心も薄れで、そのうぢ誰も変だどは思わねぐなる」
「その繰り返しで、カマス人口ば増やひば、家の主どごろが、その土地の主にだって成り変われるんだ」
「そういえば昔はよぐ見ね顔の男が、山林どが小豆どが買いにうろついだ時代があったって話っこ聞いだごどあるな」
「おらえのジッチャもしゃべてだごどある」
「 『
『小豆殺し』とは、小豆買い殺しを略した表現である。かつて全国的に小豆相場が高騰した時代に、この鬼ノ子村のような相場知らずの村々に早々に小豆業者が出向いて、破格の安値で買い付けていた。その小豆業者の膨らんだ懐を狙った殺人事件が起こったのだ。しかし殆んどは犯人が見つからないまま時効を迎えていた。
「カマスのバゲモノの仲間割れでこの村がら前科者が出だって話だな」
「この土地ば乗っ取ろうどするカマスの国のバゲモノ同士の仲間割れでねぐ、新たに密入国した別のカマスのバゲモノどの殺し合いだ。結局、縄張を荒らした小豆買いがリンチで殺されだんだ。誰の仕業がは地元の人間はみんな知ってる…知ってでも知らねふりして何も言わねがったんだ…仕返しが恐ろしふてな」
シカリの良三は、いつも会議の時に持ってくる鉄砲を使い込んだ布で磨いていた。ここ数年前から季節に関係なくあちこちの民家に熊が出没していた。民家の灯りは熊にとって人間がいる証だ。人間が居る所に食料があることを熊は知っている。この公民館にも人の気配を感じると熊が来るようになっていたので、良三は会合のたびに鉄砲を持参していた。
七輪のやかんが勢いよく音を立てて湯気を噴き出した。窓の下で中の様子を窺っていた影がビクリとした。良子と由美子がお茶を入れに立った。
「今だばこの村にとって、人殺しより恐ろしい事は、水源地あさりの山林買占めだべ。水をひとりじめにするつもりでな」
「水はみんなのものだべ」
「違う…水は本来、山の持ち主のものだ」
「したら田圃はどうなる?」
「山の持ち主に “ジェンコ ”払って水を引がひでもらうしかねぐなるんだ」
「山の水…買うってが?」
「カマスのバゲモノのものになれば、そういう事になるべな」
「この村の山の持ち主は、代々ただで村中の田圃に水を引かせてけでる。んだんて、おれだぢは山の持ち主への感謝も忘れで、水がただだど思ってるども、カマスのバケモノの国では水は宝物だ。日本も段々山が枯れで水が汚染され始めでるっていう話もある」
「鹿だでば。鹿が新芽喰いまぐって木っこが枯れるんだ」
「国の馬鹿どもが営林署をなぐしたがらだ。山だって小まめに手入れさねば荒れ放題で自然の恵みがどうたらってしゃべってらえねぐなる。自然だって手入れを怠れば規律が乱れで “不自然 ”になってしまうんだ。熊が下りで来たのが何よりの証拠だ」
「営林署が撤退してがら、見る見る杉林が枯れでしまったな。山と集落の “緩衝帯 ”は熊さ『ここさ入れば怖い人間が居で、そいづらに殺されるよ』という印の場所なんだ。その境がねぐなってしまったんで、熊も猪も簡単に村さ下りで来るんだ。一旦、村で楽して餌にありつげば、熊は毎日下りで来るようになる。そればりでね。子っこや仲間ば連れで来るんだ。そうなれば、人間はそれを追っ払うしかねえ。熊にしたら、追っ払う人間が敵になる。人間は怖いもんだどマタギ衆に摺り込まれでいた事が、なぜが村に下りでも殺さえね」
「こごさ来て一番害だば動物愛護団体だでば。やぢらは山ど民家の関係だっきゃ知らねものな。人が熊に殺さえでも知らねふりしてる連中が、熊が人に殺さえだら大騒ぎだ」
「とにかぐ、殺さえねどなれば熊は好き放題だ。人間は自分だぢより弱い存在だどいう事を覚えるど、人間を恐れなぐなって、場合によっては襲って喰って人間の肉の味を覚える。人間を襲った熊は、必ずまだ襲う。んだがら殺すしかねんだ」
そう言いながら良三は鉄砲を磨く手を止めた。良三はおもむろに腰のホルダーからカセットマガジンを取り出して装着した。
「どれ、したらそろそろ一杯始めるべが?」
「ブッパだな」
「んだな」
“ブッパ ”とはマタギの鉄砲打ちをいうが、松森会議では緊急事態の隠語として使っていた。金治ら一同は、窓の外の人の気配に気付いていた。狩りで “せこ ”(獲物を頂上に向かって追い出す係)の鈴木富雄が既に窓に近付き、一気に開ける体勢で待っていた。金治は敢えてのんびりした口調で “ブッパだな ”と、行動開始の号令を掛けたのだ。良三が窓の方向に鉄砲を構えた。
「熊だ!」
平川が叫んだ。窓の外の影が “ハッ ”となった。間髪入れず富雄が一気に窓を開けた瞬間 “ドーン! ”と一発放たれた。窓の外の影は慌てて這い出し、一瞬振り向いた。地元新聞記者の田中毅夫である。まさかの一発に、田中は一目散に松森グランドの暗闇に遁走した。
「こら、熊のやろう!」
良三は夜空に向かって更に二発目を威嚇発砲した。
「この次来たら必ずぶっ殺してやるがらな、熊のやろう!」
良三は三発目を威嚇発砲した。田中は発砲されるたびに、全身を硬直させて倒れては、暗闇の中で弾が当たっていないかと必死に体を確認した。悲鳴を抑え、歯をガチガチさせて、口内を咬んで血だらけになり、穴という穴から分泌物を漏らしながら、松森グランドを “脱出 ”して行った。
「新聞屋だな」
「桜庭の犬っころが!」
「こんだだば(今度こそ)あのヤロウ、なんとがさねばな」
「次は鉛でええってねが」
村の長老たちは、昔から取材記者のことを新聞屋と呼んだ。特に村の事を余所者がこそこそと嗅ぎ回る行為に、反感を覚えてそう呼んできた。長老たちはこのところ、桜庭土建の息のかかった新聞屋が、それも田中という男が、村の秘密に関わることに首を突っ込んできていることに、警戒感を持っていた。
「もうしばらぐ様子見るべ」
「あのやろうは昔からカマスのバゲモノど関係ある」
「んだな。カマスの娼婦に入れ揚げで自殺する者が出でも、火事になっても、カマスの娼婦どもに関係ある事は一切記事にさねものな」
「さねな」
「無理心中どがもあったな。カマスの娼婦にされだり、売り飛ばされだり…」
「それもまだマシがも知れね」
熊蔵がポツンと口を挟んだ。その声に床下の影が反応した。
「心だ…」
一同が静かになった。
「騙さえでカマスのバゲモノに惚れだ女は大馬鹿者だ」
「熊蔵さん…こごでその話は…」
千恵子が気を利かして一升瓶の栓を抜いて “ドンッ! ”と机に置いた。良子たちが茶碗配りを手伝った。しばらく沈黙が続いたが、金治が頃合いを見計らって話し出した。
「カマスのバゲモノは昔、この村を全滅させるどごだったども、おれだぢのジッチャがみんなで立ち上がってこの村を取り返したんだ」
「金治さんは実際に体験してるしべ」
「わらしであったども、小ちぇふて身軽であったもんだがら、木さ登って見張り役になったんだものな。やぢらは明け方に村に近づいで村全体を囲んだんだ。わらしだがら、眠てえし、寒いし、恐ろしふてな。木の上で小便漏らしたもんだ」
金治は中学に上がる年の出来事を鮮明に覚えていた。カマスのバケモノは、鬼ノ子集落を囲んで夜明けを待っていた。村の長の…つまり金治の祖父・孫志郎の家系を調べ上げ、襲撃計画を念入りに練っていた。隣村の村々で集めたゴロツキどもを小金で手懐けてもいた。孫志郎の家族が揃って朝食をとる時間を待ってゴロツキどもを尖兵として孫志郎の家に乱入させた。計画では、一家を監禁して拷問してでも土地の権利書や現金を押えるはずだった。家財道具などはゴロツキどもの褒美にしてやり、屋敷は焼く段取りになっていた。さらに、ゴロツキどもが孫志郎一家を縛り上げて出て来たら村人を庭先に集め、ゴロツキどもに嘘の証言をさせて、孫志郎を悪人に仕立て上げる裁判を開く…そして村人を煽って 『殺せ! 殺せ! 殺してくれ!』 と叫ばせる。カマスのバケモノのリーダーは 『もう一度みんなに訊く! こいつは殺すべきか!』 すると村人は群集心理でさらに強く拳を挙げて 『殺せ! 殺せ!』 と絶叫するようになる。主の孫志郎が地面に膝間付かされ、即座に銃口から一発の弾丸を放ち、村人の目前で頭を吹き飛ばし、中身が庭先一面に散らばるのを見せ付け、村人を震え上がらせて隷属させる手筈だった。計画ではそうだった。しかし、孫志郎の屋敷から縛り上げられて出て来たのはゴロツキどもだった。カマスのバケモノたちは焦った。カマスの一人が銃を構えたが、逆にそいつの頭が吹っ飛んだ。栢屋根で狙っていた良三の本家筋の祖父である貞八の鉄砲が炸裂したのだ。木の上でその一部始終を見ていた見張り役の金治は、大のほうまで漏らしていた。
「おらえのジッチャの代に、カマスのバゲモノ連中に二束三文で乗っ取らえだ全部の集落を一気に奪い返したんだ」
「バゲモノはどうなった?」
「全員後ろ手に縛りあげで、隠れ家さ案内させだ。シゲの山の中さあった」
「シゲって重松さんの…」
「んだ…重松の父親がカマスのバゲモノに協力したがどうがは、今となっては分がらねども、あの山の中の洞窟から権利書の束やら現金がどっさり見つかった」
カマスのバケモノども全員を樹木に縛り付けて、孫志郎は叫んだ。
「この土地は善い人だげが暮らす土地にさねばだめだ! 悪い人は消える土地にするのがおれだぢの仕事だ!」
孫志郎の号令で山に火が放たれた。カマスのバケモノたちは勢いよく火に包まれていった。焼け死んでいくバケモノどもに村人は合掌したが、孫志郎だけは手を合わせずに呟いた。
「成仏してぐねば、さねてもええ! 祟って出で来ても祟り返して殺す! 何回出で来てもまだ殺す! もしオレがあの世さ行っても、この土地に悪さをする者が現れれば、オレが祟って出で来て殺してやる!」
公民館の一同は金治の話を神妙に聞き入っていた。弘がその沈黙を解いた。
「カマスの連中はその後どうなったしか?」
「バゲモノだもの…影も形も無ぐなったんだ。これがこの村で最後に起ごった『一村一焼一殺』の顛末だ」
千恵子は良子が配った茶碗に酒を注いで回ったが、重い空気の中で口を付ける者はいなかった。弘が再び口を挟んだ。
「したば『ラジオで名前を呼ばれる』って何の事だ?」
「おめだだば今のネットどがの時代の人だんて、ラジオだば聞く機会も殆んどねべども、秋田県ではいつの頃からが、ラジオで名前を呼ばれだ若い娘は、カマスのバゲモノさ提供さねばならね事になったんだ。拒めば娘の一家は拷問されで、ケッチの毛まで抜がれでしまうんだ。一旦、ラジオで名前を呼ばれだ娘は、誰の家の娘でも皆、蒸し風呂送りになってしまう」
「蒸し風呂?」
「カマスの国さ商売女どして売り飛ばされるごどだ。売られる前にやづらは “カエルの解剖 ”と称して、売り飛ばす前の娘っこば集団で慰み者にするんだ」
場の空気が凍った。会議に集まった殆んどの者が、それぞれの先祖から聞かされた不幸に思いを馳せていた。突然、金治が話し出した。
「ラジオのアナウンサーはこう呼ぶんだ…『雪のように肌の白い女の子がいるそうですね…その女の子の名前は家事手伝いの喜代子さんです。喜代子、喜代子、喜代子、喜代子さーん。あなたの事ですよ 』って呼びかげらえるんだ」
「その喜代子さんは…今頃どうしてるべね」
「うぢの喜代子は立派だった!」
「え・・・金治さんの!」
「慰み者にさえる前に喜代子は舌咬んで死んだよ!」
一同はどうしたらいいのかと貞八の顔を見たが、貞八は無表情だった。金治は続けた。
「冷酷だもんだ…祖父の孫志郎ジッチャへの復讐だども思った。それは仕方ねど思った。したども、我慢ならねがったのはそごではねえ。自分の娘の名前ば呼ばれねがったと安心の余り、大声で叫んで喜んだやづが居だ。一年間はおらえの娘は大丈夫だって、その場で叫んだもんだものな。そいづは未だに村八分になってる。オレが村長さ談判して村八分にさひだんだ。今年は呼ばれねがったがらって安心でぎね。半年も経だねで次の娘が呼ばえでな。それも村八分の家の娘が呼ばえで連れでがえだ。ざまあ見ろど思った…んだども、悪いのはそいつではねえんだ。みんなカマスのバゲモノが悪いんだ。やぢらを焼き殺す時、ジッチャが叫んだ言葉っこが聞こえできたんだ。この土地は善い人だげが暮らす土地にさねばならねんだ。村の者同士で憎み合えば、やぢらの思う壺だ。憎み合ったて倒れた者がら、これ幸いど、カマスのバゲモノに入れ変わらえでしまうんだ」
金治は貞八に酒を勧められ、注がれた酒を一気に呑み干した。
「金治さんみだいに酷な話がいくつもあってな。この先の笑内(おかしない)どいう集落にも気の毒な話がある。今ではそごの家は絶えでしまったがら話すども… “いらっしゃい ” とあだ名されでだ娘が居だんだ。その娘は集落一の器量好しでな。蒸し風呂送りにならねで済んだ唯一の女だ。カマスの女衒に見初めらえでしまって、所帯を持づごどになったんだ。娘の一家はそれまでの貧乏暮しがら、一転して羽振りっこが良ぐなってな。隣近所ばりが、村中の嫉妬を買ってしまって、とうとう村八分同然になってしまったんだ。堪りかねだ娘の父親が、亭主の女衒に、『 娘と離縁してくれ 』と頼んだんだ。そしたら亭主は快く『 分がった 』と言って別れの宴まで用意してくれだんだ。その代り、宴の夜は一晩だけ娘と二人っきりで別れの夜を過ごさひでけれって、宴の途中で娘をどこがさ連れて行ったんだ。次の日、娘が実家に帰ると、家族全員が口から泡吹いで死んでだ。ショックでほじねぐなった(正気を失った)まま、娘はその夜からカマスの集落の歓楽通りで娼婦にさひらえだ。店の前を遊び客が通るたびに “いらっしゃい ”って男ば誘って体を売る度に狂っていったんだ。狂人に客がつくわげねべ。増してや父親が誰かも分からんボテ腹になってしまった娼婦を置いでけるわけもねぐ、しばらぐして誰も居ないあばら家になった実家に帰されだんだ。娘は実家でも毎日これまでどおりに、おしろいを濃く塗って、髪に油付けで、日毎汚くなる着たきり雀の着物を着て、遠くの集落まで歩き回っては男を見ると “いらっしゃい ”って誘うようになったんだでば。誘いに乗った男も狂人だって分がって、粟食ってズボンをづり下げたまま逃げ出したそうだ。毎日毎日、おしろいに油、薄汚い着物の娘が “いらっしゃい ”って歩き回る姿が見掛けられるようになって、その娘に “いらっしゃい ” ってあだ名が付いだもんだんだ」
「孕んだ子どもはどうなったべな?」
「…さあ」
弘が不器用に割って入った。
「今は違う!」
「えっ?」
「今はそういう事は起ぎねし…起ごさね…む、昔の話だ…」
皆、一様に弘の内縁関係の園子の事が浮かんだ。
園子は笑内出身だった。知らぬ間に弘と同居するようになっていた。誰も口には出さないが、もしかしたら “いらっしゃい ”の娘ではないかというぼんやりとした疑惑が以前からあった。児童養護施設で育った園子は、社長の計らいで桜庭土建に就職した。数年後、弘は桜庭土建の請負仕事の現場で園子と出会った。その時、園子は女だてらにダンプの運転手をしていた。カマスの連中の出入りが激しくなって、会社での居心地が悪くなり、園子は親切にしてくれた弘の元に転がり込んできた。その数日後、社長の泰治郎が弘を訪ねてきた。弘の想像とは逆に、泰治郎は “なんも聞がねで面倒見でやってけれ “と頭を下げて高額の金を無理やり弘に渡した。弘は一生、園子の過去には触れないことにした。
「んだな…孫志郎さんだぢが突破口を作ってけだんて、オレだぢがしっかりさねばな」
「んだ…この一帯の住人だけは土地が戻ったもんだがら、孫志郎さんやこの村は特別の存在になったんだ。んで、バゲモノの入り込むのを防ぐために、『鬼ノ子村新組』ば結成したんだ。新組というのは、佐竹藩の特殊部隊の名前(なめ)っこがら取って付けだんだ。佐竹藩は戊辰戦争で、北国では少数派の官軍についた。不利な機動力を補うために、マタギの射撃術に目ば付けで、藩の特殊部隊の任務を命じで結成された部隊でな。そうしたマタギ集団が「新組」と呼ばれだんだ。戦では大した役に立ったもんだがら、その後もマタギ衆だけには藩がら特別に火縄銃を持づごどを許されだんだ。そのご先祖さまに敬意を払って『鬼ノ子村新組』って命名したんだ。鬼の子村新組を結成して、バゲモノどもがそれまで荒稼ぎした資金を奪い返す村の大掃除が始まった。もう二度とこの地域を、カマスのバゲモノの手に渡してはならね。一ケ所が崩れれば全部が崩れる。我々が先頭に立って、全部の村を守ってえがねばならねんだ」
そういって以降、貞八はそのまま口を閉ざし、金治に再び酒を進めて自分も相伴した。良三が貞八のあとを引き継いだ。
「とごろで…例の女衒ヤロウをどうするんだ」
「どうするもこうするも…決まってるべ」
「んだ…決まってるべ」
「したども、熊蔵さんは頭が痛えべな」
熊蔵は隅のほうで無言で座っていた。
「カマスの残党は新庄が帰って来たんでお祭り騒ぎだそうだ」
「あの踊り…気持ち悪いな…ホエド踊り」
突然、金治が怒鳴った。
「しぶとい連中だ! 生き残りがまだ増えでる。相手構わず孕ませる外道の血だ。やつらを一人残らず焼き払っておけばよかったんだ!」
「一番まずかったのは新庄を逃がした事だ」
「そんでもねべよ」
「なして?」
「新庄がのこのこ戻ってきたべ」
「んだがら厄介なんだべ」
「結果的にだ…生き残りの新庄を餌にして、今度こそ根こそぎやればええったべ」
「…確かに、んだな」
「あいつら、どごがにアジトがあるべどもな」
床下に潜んでいる影の目が光った。良三はひとまず話題を変えた。
「巌の親が泣きついて来たよ」
「なんで?」
「都会がら追っ掛げてきた
「何しでがした?」
「何もかにもねえべ、ははは」
「まじ、んだべな」
「ガギの頃がらろぐでもねな…市会議員になっても昔のままだ」
「どうする?」
「放っておげば過保護の親が何とがするべ。下手に顔突っ込まねほうがええべど思ってな。それより、暴走族の一団がこっちさ向がってるって話だ。出張帰りに西根オートが高速パーキングで飯食ってで偶然に連中の話っこば聞いでしまったらしい」
「暴走族? こんな田舎さ何の用だべ」
「ただの通過でねぐ?」
「会話の中に、新庄どが桜庭どがの名前が出だんで、耳がダンボになったって…」
「んだば桜庭が次のカマスのバゲモノの親玉だな」
「んでね…カマスのバゲモノの親玉に仕方ねぐ利用されでるんだよ、桜庭は」
「この村でカマスのバゲモノを全滅さひだどごろで、県の長どもがどいつもこいつも、カマスの女狐に骨抜ぎにさえでるって噂だがら、言い成りになるしかねえべな」
「桜庭はこの村に又ジェンコばら撒く気だな」
「この村だげでも、先祖の失敗を繰り返してはならね。欲長げで新庄の口車に乗ってはならね。女子供がら目を離してはならね。今夜がらはしっかり戸締りをして、鍵を掛げで、身を守るために枕元に鎌でも包丁でも漬物石でも隠して寝るごどだ。カマスの親玉を退治するまでは、枕を高くして寝ではならね」
「ええが、若衆。よぐ覚えでおげ。今、油断すれば、まだ昔のようにカマスのバゲモノどもにこの村を乗っ取らえでしまう。このたび、カマス集落に新庄が戻ってきたがらには、間違いなくこの村を取り返すためだ。今度こそあのバゲモノの息の根を止めねばならね。絶対にあの男の話に乗ってはならね。軒下すら貸してはならね、ええな!」
一同の大きな鬨の声が響いて会議は終了した。公民館の床下の影は映二だった。その目から乾きそうな涙が流れていた。一同が公民館の戸締りをしていると、夜警の西根巡査がやってきた。
「今夜は大勢だしな。何があったしか?」
「今夜は熊が出でな。若衆も来てで大盛り上がりだ」
「さっき新聞記者が交番に駆け込んで来て、公民館で鉄砲で撃たれたって取り乱してだども、鉄砲撃ったしか?」
「したら、熊は新聞記者だったがな? 」
「コソコソコソコソ隠れで動いでだもんだがら、てっきり酒の肴っこ狙ってる熊だどばり思って撃ったしどもな」
「姿を確認しないで撃ったしか?」
「もし熊だら、姿を確認するかしないうぢに、誰ががやられでるべな。姿を確認するというのは、建物の中さ熊が侵入して、電気の光に入るって事だもの、手遅れだべ」
「新聞記者さんで用があったら、コソコソしてねで中さ入ってこえばええってねが?」
「無断で他人の家ば覗ぐのど、熊だど思って空砲で威嚇するのど、どっちが罪になるべね」
「空砲でも、動物愛護団体だば抗議しに来るがもしれねな。熊よりおっかねもんだもの」
「空砲? …でしたか…まあ、何事もなくて済んだがら…」
西根巡査も立場上、苦情が出れば仕方がない。状況的に「緊急避難」あたりで誤魔化すしかないかななどと、そのまま自転車を漕いで夜道を戻って行った。
〈第11話「じゃっこ獲り」につづく〉
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