第8話 松森神社の儀式

 松橋弘の家に青年団が集まって酒盛りが始まっていた。そこにホームレスの笠原と成田がやって来た。


「おう、来たか…上がれ」


 笠原と成田は恐縮して土間の端に座った。


「何してんだ、上がれ! 今日は新入りの歓迎会だ」

「笠! その新入りの名前は?」

「団長さん、歓迎会って…」

「そいつの歓迎会だよ」

「ありがとうございます! おい、おめえの歓迎会だ!」

「え…あ…」

「なに、ボーっと突っ立ってんだよ! 礼を言え、礼を!」


 成田はかしこまって深々とお辞儀をするばかりなので、笠原は改めて一同に畏まった。


「このたびは…団長さん、ありがとうございます! 皆さん、ありがとうございます! 夕べはこいつの命を救ってくれて、私からもお礼を言います! 本当にありがとうございました! …おい、おめえも何とか言えよ」


 お辞儀をしたまま震えていた成田が、その場に泣き崩れた。


「どうしたんだ?」

「わたしは…今までこんなにあったかくしてもらった事なんて一度もありません。本当に嬉しくて…こんなオレなんかに…」

「おめの不幸な人生はわがったがら、とにかく上がれってば」


 笠原に促されて、泣きながら酒席に入る成田の傍に、頭に包帯を巻いた金治が寄って来た。成田はハッとして金治の前に土下座した。


「その節は…どうもすみませんでした!」

「その節もどの節も、おめさ会ったえたば今初めでだべ」

「えっ?」

「まーほれほれ、呑めって!」と金治は成田のコップにどぼどぼと酒を注いだ。

「あーっ、こぼれます!」

「すぐ呑めばこぼれねべ」


 成田は恐縮しながら緊張の面持ちでコップに口を付けた。


「な~にちびりちびりやってるべが。ごくごく呑めって」


 金治はとっくに空になった自分のご飯茶碗に、手酌で勢いよく注いで一気に飲み干した。


「こう飲めば一番うめったでば」


 と言い終わらないうちに大きなゲップをした。


「ほら、こうやって出れば、これが本物だ」


 成田には意味がよく分からなかったが、金治の勢いに圧倒されて一気にあおった。


「うまい~ッ」

「んだべ! 酒はそうやって呑むもんだでば。はいもう一杯!」


 空きっ腹に急なアルコールで首まで真っ赤になり、すっかり酔いが回っている成田に、笠原は青年団に杓して回るように促した。成田は笠原に渡された一升瓶を抱えてふらふらと弘の傍に座った。


「おう! 酌してくれるえったが?」

「はい、気が付きませんで」

「なんも気遣うな。少しは慣れだが、この土地に…」

「はい…助けてもらって、どうお礼したらいいか…」

「早く慣れでこの土地にとって必要な一員になる事だな」

「はい!」


 火葬船から二つの汽笛が鳴り響く。一同が一斉に立ち上がり出掛けていく様子に、何が起こったか分からない成田は、一升瓶を抱えたまま止まった。


「笠原さん、何があったんすかね?」

「おめえが死ななかったお祝いじゃないか、さあ、悪い人たぢを送りに行くぞ!」


 青年団のうしろに続く笠原のあとを、成田は慌てた千鳥足で必死に付いて行った。弘の家を出ると、遠く松森神社への坂道を登る燭台の列が、狐火のように連なるのが見えた。


 神社の境内に着くと、青年団以下の住民が集まっていた。神社の前では護摩供の準備がなされていた。長老の貞八ていはちが、頭に宝冠、白帷、白袴に脚絆の山伏装束の出で立ちで現れ、境内と村を隔てる結界に立てた太い2本の蝋燭に火を灯すと、神妙に待つ数珠繰りの村人の輪が照らし出された。青年団員たちはその輪に加わった。笠原と成田は境内の片隅に控えた。間もなく護摩壇に火が放たれ、腸に沁み渡る貞八の呪文が始まった。


 時同じく、鬼ノ子川に停留する火葬船の炉に点火された。暗闇の川にボーっと船のシルエットが浮かんだ。デッキからはいつものように “夜想曲第20番嬰ハ短調 ”が小さく流れてきた。火葬技師の平川茂が操作室で、そのお気に入りのフジコ・ヘミングのピアノ曲を無表情に聞き入っていた。


 松森神社の貞八は、燃え盛る護摩檀から結界の蝋燭の前に移った。ゆっくりと9くすん5分のナガサを抜き、大きな気合と共に2本の太い蝋燭を断つと、村民のご詠歌と数珠繰りが始まった。


 火葬船から長い汽笛が響く。それに応えるように松森の丘から二発の空砲が夜空に轟いた。


「これは何の儀式なんですか?」

「だから、悪い人を送る儀式だよ。そして、おまえは善い人なんだ」


 成田は、自分が善い人なんだと言われて不思議な感覚になった。しっかり生きなければと思った。


 火葬船の平川は操作室の窓から煙突の煙を窺った。


「…やっぱし黒いな」


〈第9話「メグミ」につづく〉

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