第7話 カマスの国の女

 小沢鉱山跡に隣接して、山の斜面を背にした古い木造の建物がある。ここは阿仁六鉱山繁栄時の飯場を兼ねた資材置き場だった。1978年頃に鉱山の歴史に幕が下ろされ、それまで続いた森林鉄道で活躍した営林署が撤退以降、山は荒れ放題となり、誰が管理するともなく、この資材置き場も、人の立ち寄ることのない廃墟となって久しい。


 深夜、鉱山跡前の県道に一台の黒塗り車が停まった。助手席の男が下り、後部座席のドアを開けると、徐に女が降りてきて、その男に警護されるように資材置き場に向かった。月夜に廃墟と化した建物が浮かび、その前では数人の警護員らしき体格の良い面子が立ち並んで、その女を出迎えた。資材置き場の扉が開き、一同が中に入ると二人の警護員を残して扉が閉まった。真っ暗な資材置き場の中。警護の男は女の足元をライトで照らし、奥に向かった。資材棚の前で止まるとその棚がスライドし、奥に作業用エレベーターが現れた。そこに一人の警護員を残し、一同はそのエレベーターに乗って下降していった。

 一同の乗ったエレベーターの扉が開くと、坑道が補強された10メートルほどの階段があり、その先に錆びた鉄の扉がある。屈強な男がその扉を開けると、賑やかな打楽器が響き “ホエド舞 ”が行われていた。


 カマスの国には14世紀中頃から伝わる妙な儀式舞がある。 “ホエド舞 ”或いは “ホエド踊り ”と呼ばれる儀式舞がそれである。ホエド舞は、身体に先天性の様々な障害がある者をまねた踊りである。障がい者の体には「霊が宿っている」という信仰から来たもので、舞によってその霊を呼びさまし、死者と交流させる意味がある。ホエド舞を踊る者の中には仮面をあてている者がいるが、それは地位の高い者に限られる習わしだ。


 女が案内された空洞の高さは2メートル半ほどの圧迫感があり、所々に補強柱が立っているが、かなり広い空間となっていた。上席らしき位置には、かつて鬼ノ子村との一騎打ちで生き残った残党が並んでいた。彼らをを中心として、その後の密入国者らが一堂に会している宴のようだ。カマスの国の正装で平伏した列が、紅い毛氈の通路を開けた。一人の男が女を恭しく最上席に案内した。女が席に着くと、平伏していた列が散り、再びホエド舞が始まった。

 最上席の女に、二人の仮面の人物が近付いて来て平伏して面を取った。新庄正英と地元記者の田中毅夫である。新庄も田中もカマス国人だった。日本各地の限界集落を目前にした土地に、多くのカマス国の工作員が海外研修や地域おこしボランティア、観光客などの名目で絡んでいた。彼らは入国後、いつの間にか行方を晦ませ、目的の地に潜伏して活動する工作員だった。潜入した集落の独居老人の死や殺人など手段を選ばず、戸籍背乗りを工作し、日本人に成り済まして日本全土をカマスの国化する計画の実戦部隊である。新庄や田中は、鬼ノ子村を拠点として活動を拡げており、その親玉がこの正体不明の女である。


「新庄…連中を呼んだか?」

「はい」

「そう…田中…」

「はい、鬼ノ子村の川下集落に噂を流しました。 “住民の手で人が殺されて火葬されて川に骨粉が捨てられている ” と…」

「そうか…で?」

「今ひとつ反響が鈍いようで…」

「反響が鈍い?」

「はい」

「田中…」

「はい」

「何を呑気なことを言ってるんだ、おまえは?」

「はい?」

「他人事のように身が入らないようだな」

「・・・・・!」


 田中は事態を甘く見ていたと萎縮したが、時既に遅かった。結果を出せない工作員への容赦ない粛清がこの女のやり方。それを今まで嫌というほど見てきている。


「申しわけありません! 今一度チャンスを!」

「何を怯えている、田中。おまえにはまだ働いてもらわねば困る」

「ありがとうございます!」

「今日は我が母国・カマス国の祭りでもある。皆の士気を高めるために、特別の祀事を用意してある。おまえを主役としてもてなす。ここに座って堪能するがよい」


 女が手を挙げた。大男の加賀谷が現れた。この男は現在、桜庭建設の顧問弁護士兼用心棒をしているが、元々、親玉を務めるこの謎の女の情夫だった。加賀谷は部下を促した。部下たちはカマス国最上の正装に着飾った女を連れてきた。


「田中…おまえは幸せ者だな。お前が最も慈しむ愛人の何と美しいことか」

「・・・・・!」

「これより祖国の長に “カエルの解剖” を祀って、皆の士気を高めよ!」


 空洞に楽器や掛け声が轟いた。カエルの解剖とは、カマスの国の拷問のひとつである集団レイプだ。田中の愛人は所謂、このところ停滞した士気高揚の “生贄 ”にされるのである。田中の愛人を遠巻きに円陣が組まれ、再びホエド舞が始まった。その輪の中に、選ばれた男たちが入って田中の愛人の正装を脱がせていった。田中の愛人は覚悟を決めているのか、されるがままに無抵抗を通した。田中は目を逸らし、椅子に座ったままガクガク震えて耐えていた。カエルの解剖に合わせるかの如く、打楽器が激しく鳴り響いていたが、急に止まった。ホエド舞の輪がゆっくりと広がって行った。中心には目を見開いたまま吐血して動かなくなった田中の愛人の裸体が転がされていた。田中はゆっくりと立ち上がり、愛人の元に行き、その体を両手に抱き上げた。事の顛末を凝視する一同の中に隠れて、新庄の息子・映二の無表情な顔もあった。最上席に目をやると、既に女の姿は消えていた。映二は、薄暗がりを急ぐ女の警護の一同に紛れた。


「この後は?」

「急いで頂戴。県知事は朝一番に拉致被害者の会に出席よ。戻らないと」

「それは残念だな…」

「今夜はもう満足したでしょ」


 女は情夫面をする加賀谷に、不快な面持ちで振り向きもせず車に乗り去って行った。


「…ババアのくせに、リップサービスが分からんほど気位だけ高くなりやがって」


 苦々しく毒吐いて一同と共に地下に戻って行った。映二は闇に紛れて資材置場を離れ、車が去った方向に全力で走った。国道の合流地点に用意しておいた単車に乗り、黒塗りの車が向かったであろう鷹巣方向に向かった。それらしい車は数分で視野に入った。ライトを消し、気付かれないように女の車を追った。黒塗りの車は秋田市内の県知事邸に向かうと睨んでいた映二だったが、その読みは外れた。女はかつての遊郭街があった常磐町(現・鉄砲町)界隈の頑強そうな建物の地下駐車場に入って行った。


「…なるほどな」


 駐車場の重厚なシャッターが下りるのを見届け、映二はその場を離れた。


〈第8話「松森神社の儀式」につづく〉

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