第6話 地元記者
日の出間近な薄闇の桟橋から、ゆっくりと火葬船が出て行く。短い汽笛が “様の下 ”の崖に反射して、閑村の盆地にふわりと響いた。鬼ノ子村駅舎に集まっている青年団たちが、作業の手を休めて桟橋の方角に向かって合掌した。
「成仏しろ」
一同は再び駅舎の壁に向き直り、黙々とタギングを消す作業に入った。
「車は西根が?」
「ああ、今夜はまた花火だな」
「あとは私がやりますんで」
「そうか、じゃ頼む。終わったら俺んちに来いよ、公園の笠原と」
駅舎の落書きが残り僅かとなって、新米ホームレスの成田は青年団長の松橋弘から掃除道具を受け取った。引き上げていく弘たちの後姿に丁寧にお辞儀をして、ひとり残った成田は、残りのタギングを消し始めた。そこに、どことなく虫のすかない男が話しかけてきた。地元新聞記者の田中である。
「ここでは友引以外は火葬船は毎日稼働してるんですか?」
成田は質問の意図が分からず面喰ったが、そのことを悟られまいと何とか取り繕った。男は執拗に聞いてきた。
「どんだべな」
「火葬に臥すご遺体は、火葬前にはどこに安置されているんでしょうね?」
「あんたは?」
「川下で人灰らしき堆積被害を訴えている集落がありましてね。ちょっと調べさせてもらってるんですよ」
「役場の人だしか?」
「ま、その関係で…」
「したらオレより、あんだのほうがずっと詳しいべ」
「いやいや、やはり地元の声が一番確かなんではないかと…それに、恐ろしい噂もあるようですが、聞いたことありませんか?」
「恐ろしい噂? どんたに恐ろしい噂だべな?」
「聞いたことがあると思うんですがね」
「さあ、どんた噂か知らねしな。それに、どんたら話にしろ、私なんかは噂を話してもらえるほどの付き合いのある立場でもないもんでね」
「住民の手で人が殺されて火葬されている…という噂なんですがね」
成田はドキッとした。動揺を必死に誤魔化そうとタギングを消す作業を始めた。
「何かお心当たりでも?」
「もう一回言ってもらえます? 向こうから先輩が来るのに気がいって、よく聞いでながったもんで。作業終えでないど、あの人に怒られるもんで」
田中が振り向くと、公園のほうのタギングを消し終えた笠原が立っていた。
「おや、確か新聞記者さんじゃながったですか?」
「新聞記者?」
成田は田中の厚顔ぶりを見た。
「…どうも」
「今度は何の取材だしか?」
「この村の住民がどうとか…」
「この村の住民が?」
「地元の方々の声も聞いてみたいと思いまして」
「地元の声ったってみんな話下手なもんで、ハイカラな声っこだば誰も出ひねべ」
笠原は隣の成田に笑った。無理に返した成田の笑顔が不器用に歪んだ。
「おめ、笑うど随分醜い面になるな」
笠原は本気で笑った。
「昨日も深夜に火葬があったらしいですね」
「んだしか? 毎晩、酒っこ呑んで、何も知らねでらえた。火葬だっきゃ、なんぼでもあるべ。全国からご遺体が運ばれで来るんだもの。亡くなってからでなく、生きてるうちに観光に来てほしいんだべどもな」
「ここの土地の方々は火葬船のこととなると皆さん口がお堅いようですね」
「年寄りばりだんて火葬船でなくても口は堅えな。何しろ、しゃべるのが苦手だ年寄りばりだんてな」
「どなたか話上手な方はいませんかね?」
「若衆(わげしゅ)に聞いてみだらええってねが? こんちくたら年寄りさ聞いでもチンプンカンプンで何もなねべ」
「若い方々はどこにおられるんでしょうね」
「この時間だば山が、田んぼが、畑が…あどはみな県外だしな。だんだん若い人(ふと)が居(え)ねぐなって、しじくんでぇ(七面倒臭い)年寄りばりだ」
笠原はまた大声で笑った。
「そうですか…」
「あれッ?」
「はい?」
「あんだ…新聞で見だごどある人でねが?」
「どこにでもいる顔ですから」
「いや~どごにでも居(え)ね顔だ。日本人の顔でねもの。もしかして…」
「私は日本人ですよ」
「したども、目の細さどが、角ばった顎どが…」
田中は非常に不愉快な顔になった。笠原はそれまでの話の途中で気付いた。この男はかつて「マタギ」を題材にした映画の撮影隊が来た折に、シカリの宿の主・松橋良三を取材した田中毅夫という男である。当時、村会議員だった佐藤重松の息が掛かっていた男だ。重松は良三に息子・巌と千恵子との縁談を持ちかけたが断られていた。重松はその腹いせに、若い地元紙記者の田中を半ば雇った形で良三に付きまとわせ、民宿を潰そうとしていた。老練狡猾な田中はそうした重松を見抜いて、未だに強かに金蔓にしているのだろう。若かった笠原はそのころから、既にこの村に居着いていた。
「今度は何調べでるって?」
「火葬船のことです。川下の人灰の堆積被害の件で…」
「ああ、んだったしな。川下に流れでるってが?」
「そういう噂があります」
「噂? 噂が…実際に人灰が見つかってるわげではねったが?」
「川底を回収した土砂を今調べてもらっている最中です」
「役場さ行ってみだらどうだしか? 被害届どがも出でるがもしれねべ」
「そうですね」
「それにしても、おがしい話だな」
「え?」
「お骨の残灰は火葬船がら直接業者の収拾容器に移される仕組みらしいがら、それが川に流れるのは絶対ないどがって…昔、火葬船の説明会で聞いだごどあるしどもな」
「そうなんですか」
「係の人はこうも言ってだな…いつか反対派からの風評被害はあるがも知れねって」
「反対派はどのくらいおられるんですか?」
「取りあえず…ひとりだば知ってる」
「誰ですか!」
「あんだだべ」
「え、私ですか? 私は反対派ではありませんよ!」
「あれ? ひば、賛成派だったしか?」
「私は新聞記者ですからどちらでもありません。事実を記事にするだけです」
「んだば、この村にだば、ひとりも居ねな。火葬船が出来でから税金も安ぐなったし、臨時雇用も増えで、ジェンコ(お金)貰えるしな」
「そうですか」
「んだんだ、係の人がこうも言ってだな…報道がわざと騒ぎを大きくするごども考えられるって。報道ってあんだだぢだしべ?」
「・・・・・」
「なしてわざど騒ぎ大きぐするえったしか?」
「わざとということはありません。あくまでも事実を伝えるべく…」
「ああ、んだ! 騒ぎが大きぐなれば新聞売れるべな! 思い出した!」
「え!」
「あんだ…シカリの宿の良三さんば牢屋に入れだ新聞記者だったな」
「私はただ記事を書いただけです」
「無理やり頼んで写真撮るだげだんて、鉄砲持たひでけれって…それが銃刀法所持免許のないあんたが持ったもんだがら、良三さんは刑務所に入る事になったんだったな。その時に、あんだが良三さんど新聞の写真っこに載ったえたよな」
「私は違法かどうかなど知らなかったんです。断っていただければ私も…」
「んだしよな。あんだが裁かれる事はながったしものな。んで? その、なんだ、この村の住民がどうしたって?」
「いや…ちょっとした他愛もない噂なので」
「住民の手で人が殺されで火葬されているってのが、他愛もない話だどは思えねな」
「聞こえてたんですか!」
「あんだの声は通る声だ。立派な声だもの。やっぱり新聞記者という職業だがらだべどもな」
「誰がそんな噂を?」
新米ホームレスが口を挟んだ。居心地が悪くなったのか、記者の田中はもごもごとその場を去ろうとしていた。
「こいつはバカだよな、新聞記者さん。噂を流すのはそれでジェンコになる人だべ。例えばそういう噂を記事にしたら新聞が売れるがも知れねべ」
「私は根も葉もない三流記事は書きませんよ」
「またまたまた」
笠原は大笑いした。
「この世の中は何でもジェンコだしべ。記事に命を賭げでジェンコ稼ぐもんだべ。良三さんの時も計画的だったんでねえの? 大した新聞売れだべんて」
「失礼じゃないか、君!」
「おっかねえな、取材する相手に怒鳴るが?」
「いや…私どもの職業をちゃんと理解していただきたいと…」
「したば、この村の人達の事も理解してもらわねえど。根も葉もない噂を記事にされだら、全国ネットでこの村の評判が落ちて過疎化が益々進むべ」
「それは政治家の方々がお考えになることで私の仕事ではありません」
「んだしよな。新聞はジェンコ稼げればええたしものな。この村の人殺しの新聞売れだら、取材されだオレ達にも少し謝礼どがあるべがな?」
「とにかく今は取材の段階なので記事になるかもわかりませんから」
田中はそそくさとその場を離れて行った。その背中に笠原は叫んだ。
「記事売れだら少しジェンコけれな!」
田中を見送った二人は顔を見合わせて笑った。
「笠原さんは凄いすね」
「なんもなんも。こっちも片付いたようだな。いやー久々のシンナーは効くな、途中何度も吐きそうになったよ」
「あの…松橋団長さんがあとで一緒に来いと…」
「一緒に?」
「…はい」
「そうか! それじゃお前さんもこの土地の仲間入りだ!」
「仲間入り?」
「落書きの馬鹿ガキどものお陰だ。お前さん、旅館のお嬢さんが襲われそうになったのを助けたそうだな」
「薪を投げただけで…」
「それだって大したもんだよ」
「ただ…間違ってどこかのオヤジさんに当たったみたいで…」
「いいんだ、いいんだ。お陰で千恵子さんが襲われずに済んだじゃねえか」
「はあ…でも何だってそんな事まで知ってるんすか?」
「青年団がずっと付けてたんだよ、連中を。落書きする現場を押さえようとしてな」
「そうだったんすか」
「みんなお前さんの様子見てたんだ」
「オレの事を?」
「そう…お前さんが流れて来た時からずっと。この土地にとって善い人か、悪い人か」
「この土地にとって善い人か、悪い人か?」
「オレ、笠原ってんだ」
「・・・・・」
「正直なやつだな。名前なんか適当に言えばいいのによ…言いたくないなら言わなくていいよ。ただ何て呼べばいいかと思ってよ」
「…成田です」
「あんた、昔のガソリンスタンドの廃墟どが駅舎どがに寝泊りしてるようだけど、今夜からでもオレの所に来ないか。田舎は夏が去るのが早いぞ。もうすぐ寒くなっからよ」
「・・・・・」
「オレが今住んでる公園の住まいもな、町の人の計らいで建ててもらったんだよ。この土地の冬は厳しいから。この土地に流れ着いて半ば凍え死にしそうになって公園に倒れていたオレを、この町の人は助けてくれたんだ。したら、後でな」
成田は立ち去る笠原に深くお辞儀をしながら、タギング犯の動かない顔を思い出した…何れにしろ、あの時誰かに助けてもらえなかったら、自分は今頃、この世にはいないのだ。ずっと不安な日々を送ってきた成田は、全身に体温が戻った安堵を覚えた。
〈第7話「カマスの国の女」につづく〉
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