DAY 23

 一緒には寝なかったけど、僕がいないと不安だから隣にいてくれって言われて、いおりが寝付くまで一緒の布団に入った。いおりが寝付いてからそっとエアマットに降りたけど……僕は、ずっと違和感に悩まされていた。

 いおりに説明したみたいに、どうも『僕』っていう人格はバランスが悪い。ピンポイントにエゴが強くて、それ以外の部分はあちこちブレーキがかかってる。いい人、好青年。僕はそういう人格を演じているつもりはない。普通に『僕』として振舞ってるつもりなんだ。でも僕に接する多くの人が、そこに違和感を感じてる。不自然、不気味、分かんない人……。うーん。


「ふう……」


 それから来る悩みが。でっかい悩みが。もう一つある。僕はそっと立ち上がって、いおりの寝顔を覗き込んだ。ふっと笑みが浮かぶ。


「うん。かわいいなあ」


 愛おしい。一緒にいたい。離したくない。それは、生まれて初めて僕が覚えた感情。恋心なんだろう。自分の心に嘘は付きたくない。いおりが僕でいいって言ってくれるなら、僕はいおりじゃないとだめなんだって言ってあげたい。彼女の望むことを叶えてあげたい。それは、きっと僕の望むこととぴったり重なるだろう。いや……そうだといいなと思う。

 でも。僕は悩む。不必要に僕を縛っているブレーキ。それががっちり僕の足を止めている。もどかしい。僕はもっと踏み込みたいのに、どうしても足が出ない。それがもどかしい。


「ふう……」


◇ ◇ ◇


 僕の出は遅番だったんだけど、事故の後処理が気になって早く出社した。着替えて持ち場に行ったら。


「おわっ!」


 なにそれ? なにかあったっていうわけ? 何事もなかったみたいに、打抜機が軽快に動いていた。もちろんコイルを支持するアームもきちんと交換され、前よりがっちり補強され、ガードまで付いていた。

 落ちたコイルに潰された宮部さんの旋盤もぴかぴかの新品に換えられていて、ご主人が来るのを誇らしげに待っていた。通路に付いていた擦り傷が、わずかに事故の痕跡を残しているだけ。僕がぽかあんとそれを見回していたところに、高梨さんがやってきた。


「よう。早いな。遅番だろ?」

「あ、おはようございます。これ……」

「ああ、連中が徹夜で修理してったよ。ついさっきまで、向こうさんがここに張り付いてたんだ」


 高梨さんの目の下にも隈が出来てた。その作業をずっと監視してたんだろう。さすがだあ。


「機械本体の欠陥じゃあないからな。向こうさんにとってはそれが救いだ。ただ、故障と事故はまるっきりインパクトが違う。事故で死傷者が出て刑事責任云々になったら、会社が潰れっちまう」

「あ! それでですか」

「そう。前回とは誠意の見せ方が桁違いなのさ。今度は社長直々に来て、陣頭指揮だ。作業に細心の注意を払い、再発防止策も盛り、最短時間で直した上に、壊れたうちの機材もさっと手配した。必死だろうよ」

「部長や中瀬さんは、それで許したんですか?」

「いや」


 やっぱりなあ。今回のはさすがに……。


「前回のこともある。あまりに注意散漫で、ずさんだ。金返せ、だよ」


 ううう。


「もちろん、払っちまったものを返せってのは無理さ。その代わり」

「補償金ですか?」

「はっはっは。それは取れんだろ。今度おたくんとこから買う時には値引きを大きくしろ。そういう確約を取ったんだよ」


 ごおん! 思わずひっくり返ってしまった。


「うわあ」


 高梨さんは、打抜機のフレームをぱんと叩いた。


「最初のも二度目のも、人的ミスだ。機械のせいじゃない。機械の出来が悪けりゃ、二度と使わんよ。でもそうじゃないからな」

「はい!」

「生温い社員教育をやり直せ。根性叩き直せ。ちゃんと危機意識を持たせろ。その勉強代をけちるな。そういうことさ」


 高梨さんは、僕の顔を見つめてふうっと大きく息を吐いた。


「教育ってのは、手間がかかる割に効果が上がんないんだよ。おまえみたいのは例外さ。やる気と能力のあるやつが生徒とは限らんからな。おまえは必ず苦労する。覚悟しとけ」

「はい!」


 中瀬さんと全く同じ警告が出た。ということは、他の人にも、僕が中瀬さんが言ったみたいな人格に見えてるってことなんだろう。うーん……。


「ただな」

「はい」

「教えるってのは、自分が生徒より優れてないと出来ないんだよ」


 あ! 愕然とする。教えることばかりに意識が行ってたけど、それどころじゃない。……寒気がした。

 高梨さんは、僕の表情の変化を確かめて何度か頷いた後で、僕の背中をぱんぱんと叩いた。


「教えることにしっかり向き合えば、必ず自分の腕が上がる。技術も考え方もな。上手いから教えられるんじゃない。教えると、自分も生徒も上手くなるんだよ。そっちの方が、ずっと獲物がでかい。そう思ってくれ」

「はいっ!」


 高梨さんはくたくたに疲れてると思う。でも、それをおくびにも出さずにひょいと手を上げて。ゆっくり見回りに行った。


◇ ◇ ◇


 自分の出までの短い時間。僕はワイヤーソーを動かして、一枚のオーナメントを作っていた。前に作っていたのとは、ちょっと違う。形はシンプル。だけど、そこにメッセージを穿った。書き直すことの出来ない、不変のメッセージ。ああ……これを見たいおりは、そう思ってくれるだろうか?

 一心不乱に作業をして、ぴかぴかに磨き上げて。たった一枚の。いおりにしか意味のない。そして、もう二度と作ることの出来ないプレゼント。僕はそれを手のひらの上に乗せて。


 ……じっと見つめた。


◇ ◇ ◇


 朝礼、点検のあと配置についてすぐ。宮部さんが、冴えない表情でぼんやり旋盤の前に座っているのが見えた。どうしたんだろう? 打抜機は異常なく動いていたから、宮部さんの機械にトラブルかなーと思って確かめに行った。


「宮部さん。新しい旋盤にトラブルですか? なんなら中瀬さんを呼んできますけど」

「いや……」


 じっと目の前の旋盤を見下ろしていた宮部さんが、はあっと深い溜息をついた。


「新品だけに、きびきび動く。機能は問題ないよ。機能はな」

「ええ」

「でも、こいつはまだ俺の言うことを聞かん」

「えっ!?」

「機械にも、個性があんだよ。付き合いが長いと、お互いの癖みたいなもんが見えてくるんだ。古女房と同じだな」

「……」

「どうした? 今日は機嫌悪いじゃねえか、とか。ぐだぐだすんじゃねえ、とか。俺が言ったり、こいつに言われたり。そういうのが……最初っからやり直しになる」


 宮部さんが、ぴかぴかの旋盤をぽんと叩いた。


「この洟垂れぼんずを、そういうところまで鍛えんのは大変なのさ。こいつは、まだまっさらなガキだからな」


 しょうがないっていう風に何度か首を振った宮部さんが、きつい表情で鋼板のコイルを睨んだ。


「フォーク乗りの野郎をぶん殴ってやりたいよ! 俺の女房を返してくれってな!」


 宮部さんの嘆きは痛いほどよく分かった。だけど……僕は宮部さんの言葉の中に、強く引っかかるところがあった。それが……頭から離れなくなった。


「……」


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