DAY 21
クリスマス前の、最後の日曜日。寝起きがどうにもすっきりしなかった。中瀬さんの苦言が堪えたっていうより、自分自身に対する違和感がどんどん膨らんできたからだ。それが、朝っぱらから炸裂することになった。もやっとした気分をすっきりさせたくて、シャワーを浴びようとしたんだけど、ユニットバスの前で全裸になってるところを寝起きのいおりに見られた。
「きゃっ!」
慌てて顔を背けたいおり。
「大丈夫だよー。僕にはそんな気はないからー」
ぱたん。ざああああー。ふうー……。そうなんだ。どうして、『大丈夫』なんだろう?
◇ ◇ ◇
すっぱで出て来た僕が服を着替えるまで、いおりは真っ赤になってそっぽを向いていた。
「ちょっとっ! 少しは気を利かせてよっ!」
「んんー、それを転がり込んでるいおりに言われたくないー」
「だけどさあ」
「いや、それもいおりが来たから分かったんだ。どうも僕はおかしいんだよね」
「へ?」
「まあ、朝飯食いながら話しよう」
「うん……」
これまでは僕をトイレに追いやって、その間に着替えをしてたいおり。でも初めて僕の前でパジャマを脱いで裸を見せ、服に着替えた。最初がりがりに痩せてたいおりも、ここ数日しっかり食べてるせいか、少しましになった気がする。自分の裸体を見ている僕の様子が気になっていたみたいだけど、ただじっと見てるだけの僕のリアクションに拍子抜けしたように、そのままキッチンに立った。そして、朝食のおかずにしてはかなり過激な話が始まった。
「あのさあ」
「うん?」
「さっきの……感じないの?」
「何を?」
「何をって、そのう」
「ああ、セックスアピールみたいなもん?」
「う。そう」
「感じない。いや、違うな。感じても、出口がない」
「へ!?」
「そこが、どうもおかしいんだよ」
「どゆこと?」
思わず顔をしかめちゃう。いおりがおかしいと感じてること。それは、僕にとっても違和感なんだ。
「職場でも、職人さんはエロネタが好きだし、僕にもそういうのを振られる。僕はそれには普通に付き合ってるし、それ系の話題が嫌だと思ったこともない」
「うん」
「でも、自分でそうしたいって思ったことがないんだよ。いや、それも違うな。思っても、実行まで行かない」
「ええー?」
「そっち系の欲が全くないなら自分でも納得出来るんだ。いわゆる草食系ってやつなんでしょ」
「うん」
「でも、僕自身は『意識』としてはエッチしたい、女の子を抱きたいと思っている。でも、それに体が連動しないんだ」
「勃たない……とか?」
「うーん、萎えるとかそういうんじゃないんだよね。回路のどっかにブレーキが掛かってるか、発動ボタンが最初からないっていうか」
「ううー」
いおりが、苛立ったように箸で味噌汁を乱暴にかき回した。
「そんなのがあっちこっちにあるんだよ。さっきのもそう。自分の裸を見られて恥ずかしいっていう意識がない。それのどこがおかしいのって思っちゃう」
「小さい頃から?」
「分かんないなあ。高校から先はずうっと一人暮らしでしょ? 部屋に誰かを入れたこともないし。自分の城なんだから、中で僕が何をしようと勝手だろって、そういう感じ」
味付け海苔をくわえて、それをしおりの前でひこひこと動かす。
「たとえばさ。今いおりが僕に抱きついてキスをせがんだとする」
「うん!」
「たぶん、僕はいいよって言うけど」
「あ……中身が」
「そう。それに気持ちや気分が乗ってない。もしキスしても、いおりには美術室のダビデ像とキスしたくらいの意味にしかならないと思う」
どてっ! いおりが派手にひっくり返った。
「うそお!?」
「いや、そうなんだよね。だからさっき、あえていおりの着替えをじろじろ見てたんだけどさ」
「あ、なんか感じるかなあと思って?」
「そう。気持ちとしては、いいよなあ、エッチしたいよなあというところまでは行く」
「うん」
「でも、それが体の反応や行動に結びつかない。恥ずかしいとか、そういうんじゃなくて」
理性でコントロールしているんじゃないし、ヘタレとかでもない。それ以前なんだ。
「いおりはさ。これまで付き合ってたカレシから、体を求められてきたでしょ?」
あまり触れられたくはないんだろう。いおりが顔をしかめた。でも、事実をはっきりさせておきたい。しばらく黙っていたいおりが渋々頷いた。
「それって、いつもカレシの方からだったんちゃう?」
「……うん」
「その要求が僕の方から出ることはない。だから大丈夫って言ったの」
「あ!」
いおりが、持っていたフォークをかちんと皿の上に落とした。
「でも、それっておかしいよね? あからさまに抱かせろってことじゃなくても、それに繋がるアプローチはあってもおかしくない。僕が女嫌いだっていうならともかく」
「うん」
「そこが、どうにももやもやするんだ」
「そっか。これまでずっと一人だったから気付かなかったってこと?」
「そう」
うーん……。それだけじゃない。そんな、表面的なことだけじゃ済まない。僕は、どっかがものすごーく歪んでる。はあ……。
「エッチっていう俗物的なものじゃなくても、心のやり取りもそうなんだよ。僕の側からの好意の表現に、どっかで強いブレーキがかかってる感じがするの。それも、不自然に」
「ブレーキ、かあ。我慢してるとかじゃなくて?」
「我慢してるつもりなんかないんだ。それなのに、普通は素直に出るものが出ていかない。だから、淡いとか薄味とか生臭くないとかって言われ方をするんじゃないかなあ」
なんだかなあ……。顔をしかめた僕に、しおりが突っ込んできた。
「ねえ、それって何か原因があるの?」
「分かんない。ただ……僕は三歳からホームで暮らしてた」
「うん」
「生まれたばかりの捨て子ならともかく、普通三歳って言ったら、親のことを少しは覚えてるだろうし、親を恋しがると思うんだよね」
「そうよね」
「でも、所長に聞いても、そういうのは一切なかったよって言うんだ」
いおりが何度も首を傾げた。
「虐待……とか?」
「だとすれば、なんらかのフラッシュバックがあるはず。でも、僕は気味が悪いくらい大人しくて、手の掛からない子だったってさ」
「いい子ちゃん?」
「ちょっと違う。親を恨むも何も、知らない、覚えてない親なんか恨めない。そんな感じ。僕はその時からもう未来志向だったんだよ」
「へえー。すごいなー」
「でも事実として考えると、それはどうにもおかしい。小さい子供なら、あって当然のものがないのは不満でしょうがないはず。でも、僕にはその手の感情爆発を起こした記憶がないんだ」
「そうなの?」
「そう。じゃあ、僕はそういうネガな感情の塊をどこへやったんだろ?」
「うーん……」
「分かんないんだよね」
よくよく考えてみたら。未来志向も何も、僕には振り返れる過去が最初からなかったんだ。明日をマシにするために『過去』を参照したくても、その在庫が最初からなかった。なかったら明日に向けて今を作るしかない。僕が作るってことに執着するのは、それがものすごく大きいんじゃないかと思う。
ふう。この違和感のことをいくら考えても分からない。それより、僕がこれからどうするか、だ。仕事のことも。
……そして、いおりのことも。
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