DAY 19
朝の工場。いつもなら騒がしく機械が動いている一角に重機が入って、打抜機のフレーム交換作業が行われていた。作業の様子を厳しい表情で見つめている中瀬さんが、この前来た副社長の河野さんに話し掛けた。
「どうだった?」
「いやあ、本当に貴重なご指摘をありがとうございます。あの後社員を納入先に回らせて全機点検したんですが、五機フレーム不良が出てきました」
「五機だけか。不幸中の幸いだな」
「ほんとにね。鋳造なら大丈夫っていう思い込み。まずかったです。組み上げ前の部材チェックをきちんとやっていれば防げたことです。再発させないよう、肝に銘じます」
「頼むぜ。ほんとによ」
「申し訳ない。作業に影響させてしまって」
「いや、動いててもクズ作っちまったら全部ぱあだ。止まってる方がまだマシだよ」
それはきつい言い方だったけど、中瀬さんの本音だろう。一日二日止まってても、そのあときちんと作動し続けてくれた方がずっといい。そういうことだから。作業を見ていた僕に、河野さんが話し掛けて来た。
「あの……」
「はい?」
「異常をどうやってお知りになったんですか?」
「あ、なんとなく気になっただけなんです。僕は中瀬さんほど目がよくないので、打ち抜かれた部材では分かりませんでした」
「何が気になったんですか?」
「音です。かすかになんですけど、引っ掻くような摩擦音があって」
「すごいですね。傾いてる金型が板と擦れる音、ですね?」
「だと思います」
会話を聞きつけた中瀬さんが、にやっと笑った。
「なあ、河野さん。おたくんとこも、この三田みたいなセンサーのいいのを仕込まねえといかんぞ」
「わははっ」
「いや、笑ったけどよ。機械でやりゃあ、出来て当たり前でどうしてもセンサーが鈍くなる。勘でも五感でもなんでもいいから、なんか変だってのを探り当てるセンサーを鍛えねえと」
「確かにね。トラブルが起きにくい分、起こるとしゃれにならないですね」
「そういうこった」
◇ ◇ ◇
午後から、修理の終わった打抜機がこれまでと同じように軽快な機械音を響かせ始めた。やっぱりほっとするね。様子を見に来た高梨さんに、異常なしを伝える。高梨さんもほっとしたようだった。
「止まってたのは実質二日だな?」
「はい。遅れを取り戻せる範囲内ですね。工程にはそれほど影響しないと思います。よかったですー」
「ほんとにな」
「あの、高梨さん」
「うん?」
「高梨さんの後の第二の作業長は誰になるんですか?」
「とりあえず、年内いっぱいは俺が兼任だ。年明けから横山がやることになるだろう」
「横山さんかあ」
「あいつも偏屈だからなあ」
苦笑した高梨さんは、その後さらっと言った。
「でも、こういう職場は偏屈もんの集まりだよ。がんちゃんほどの強烈なのはいなくても、小結、関脇クラスはごろごろいる」
「はははははっ!」
「そういう意味じゃあ、おまえは薄味だよなあ」
ううー。そういう跳ね方をするとは思わんかった。
「まあいい。うまくやってくれ。おまえはまじめだから、横山もいじりようがないと思うがな」
「ぐえー」
「はっはっはっ!」
◇ ◇ ◇
「ただいまー」
「おかえりー、たっくん」
たっくん、かあ。どうもくすぐったい。同居しているのに、いつまでも名字で話し掛けるのはあれだよねということで、下の名前で呼ぶことにしたんだけど。慣れないなあ。
「どしたん? 変な顔して?」
「いや、作業長の高梨さんに、おまえは薄味だよなあって言われてさあ」
彼女は、それを聞いて馬鹿笑いするのかと思ったら。僕をじっと見て、黙り込んだ。それから……。
「うん。わたしもそう思うの。そして、それがわたしが分からない一番大きいところなの」
「え? 薄味が?」
「そう」
「どういうこと?」
「晩ご飯食べながら話しよ」
「そうすっか」
今日はおでんだ。どの具も味がしみててすごくおいしい。んまんま。
「どう?」
「うまいよー。ご飯が進んじゃうなあ」
「えへへ」
うれしそうに笑った彼女だけど、その後すぐに真顔になった。
「あのね」
「うん」
「たっくんの今みたいな顔」
「ああ」
「淡いの」
「ああ、それでさっきの薄味って話になるのね」
「そう。ホームセンターでわたしの無礼に怒った時も、その表現が淡かった。だから冷たく感じたの」
「うん。そうかもな」
「普通ね、そういう人はいろんなことに関わりたくない人。達観してるか、積極性のない穏やかな静かな人。でも、たっくんはものすごく熱い」
「うん」
「生き方を自分で作る。妥協したくない。何もかも吸収しようとする。貪欲って言ってもいいと思う。そういうのは、わたしへの説教でもくっきり出てた」
「なるほど」
「それが外からすんなり見えない。中がものすごく熱いのに、それが外から見るとパステルに見えちゃう」
パステル、か。うーん。箸をくわえたまま腕組みしちゃった。彼女は、ご飯をもぐもぐしながら続きを話した。
「わたしは、こうと思ったら突進しちゃうタイプ。前に、たっくんにやばいよって警告されたけど」
「ああ」
「でも、さすがにわたしも今までの失敗で懲りたの。いきなりたっくんに全力で突っ込んでも、自爆するだけ」
思わず苦笑する。何言ってるんだ。もう、全力で突っ込んでるやん。
「じゃあ、ちゃんとたっくんて人を見て、知ってからって思ったんだけど」
「うん」
「分からないの」
まただ。『分からない』っていう評価。
「草食でも、肉食でもない。ロールキャベツでも、肉巻きアスパラでもない」
「??」
「女性に興味がないとか、逆に興味はあるけど、それを無理に抑え込んでるとか、そういう欲の形と方向がまるっきり見えないの」
「ふうん……」
「気付かない?」
「自分じゃ、そういう意識はないかも」
「でもさ。今までカノジョがいなかったっていうだけじゃなくて、親友とか、なんでも話せる友だちとか、いなかったんじゃない?」
う。その突っ込みはがっつり堪えた。
「たっくんが、ものすごーく癖が強くて、みんなから敬遠されてるいうなら分かるの。わたしだって、そういう男は最初から警戒するもん」
「ああ」
「でも、たっくんくらい温和なら、必ず誰かと仲良くなる機会があったはずよ? でも、そうなってない。なんでだと思う?」
むー。自分じゃこれが当たり前だと思っていたから、改めてそう突き付けられると。
「うーん」
「ものすごーくエネルギッシュで前向きな中身。ものすごーく淡くて分かりにくい感情表現。全然一致してない。それが、どうしてか分からないと、わたしみたいに引いちゃうの。この人、本当に大丈夫なんだろうかって」
「あ、そういうことか」
「たっくんが感情を一切出してないってことはないの。ちゃんと嬉しい、悲しい、悔しい、頭にくる、そういう気持ちは表現してる。でも、それが全部……」
「丸まってるってことね?」
「そう。それだけじゃない」
「他にも?」
「気持ちが、はっきり見えないの。感謝の以外は」
「見えない、か」
「わたしの作ったご飯をおいしいって食べてくれる。その感情はわたしにもまっすぐ伝わる。だから、わたしもよかったなーって嬉しくなる」
「うん」
「でも、たっくんがわたしをどう思っているのか、そのサインがなにも出てこない。好きか、嫌いか、どうとも思ってないのか、興味はあるけど用心してるのか。わたしに近付こうとしてるのか、遠ざけようとしてるのか、そういうたっくんの感情を示すサインが出てこない。見えないの」
「うん」
「それが不安なの」
「だから『分からない』……か」
「そう」
彼女は、俯いてほっと溜息をついた。
「ごめんね。こんなきつい言い方するつもりじゃなかった。でも、たっくんは今のわたしの言い方にも反応してない。いや、反応が見えないの。怒るでも、しょげるでも、開き直るでもないの。それがどんなに不自然なことか……分かる?」
「ああ、確かにそうかもしれない」
今まで自分が他の人から言われてきたこと。能面みたいだとか、ポーカーフェイスも大概にしろとか。でも、自分ではそういう喜怒哀楽はちゃんと示してきたつもりだったんだ。自分と他人の評価がずれてるよなあと思いながら。でも、自分のそういう特徴が知らない間に人を遠ざけてたっていうのは、すっごいショックだ。
「ねえ!」
彼女が、きつい目付きで僕をきっと睨んだ。
「うん?」
「正直に聞かせて。たっくんはわたしのこと、どう思ってるの?」
僕の態度から分からなければ、僕が言葉にするしかない。それが微妙に難しい。
「好きか嫌いかって言われたら」
「うん!」
彼女は、ぐんと身を乗り出してくる。
「分からない」
ずどん! 彼女が箸を持ったまま横転した。
「てか、僕は人をそういう尺度で見たことがないんだ」
「ええー!?」
「いおりのさっきの指摘はどんぴしゃだと思う。好きっていう感情で傾斜したくない。嫌いって感情で排除したくない。自分をどこにもぶら下げずに、いつも自由にしておきたい。……っていうのがぴったりな言い方かどうかも分からないんだ。だって、僕はそういう強い感情を持ったことがないんだもん」
「ううー」
「たださ」
「うん」
「そういうへんてこな僕に、深々と突っ込んでくれた女の子は、君が、いおりが最初なんだよ」
「そうなの?」
「うん。僕は」
食べ終えた食器を持って立ち上がる。コーヒーを淹れよう。おでんの後のコーヒーじゃ、今いちかな。
「そのチャンスは大事にしようと思う。正直言って、まだ気持ちをきちんと言葉には出来ないけど。でも」
まるで裁判官の判決聞くみたいに正座して、かちこちに緊張して。彼女は僕の次の言葉を待ってる。くすっ。
「心が動いてる」
うんうんと何度か頷いた彼女は、目尻の涙を擦った。
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