DAY 18

 気まずい雰囲気がだらっと続いて。お互い渋面を浮かべたまま時間だけが過ぎて。いつの間にか日付が変わった。分からない? 僕が? 女性の男に対する評価ってかなり直感的、感覚的なものなんじゃないの? その日だけってことじゃないんだし、分からないってのは……。


 ただ。僕は、彼女の言い分にも一理あると思ったんだ。彼女が僕を知らないというのと同じ、いやそれ以上に、僕は彼女のことを知らないんだ。同居を解消するにしても継続するにしても、僕ら自身のことをもっとオープンにしてからじゃないと、僕も彼女も判断材料がない。お互いに身動きが取れないよね。


「明日も仕事があるから、あんま長話は出来ないけど」

「うん」

「もうちょい、自分のことを話そうか。僕らはまだ名前しか知らない。それ以外、ほとんど何も知らない。それっておかしくない?」


 僕に放り出されると思っていたらしい彼女は、ぱっと顔を上げて大きく頷いた。


「うん!」


◇ ◇ ◇


 話は、僕の方が短時間で済むな。先にしよう。


「僕はね……」


 親の分からない捨て子として、三歳から中学までマインホームで過ごした。僕は親の顔を知らないし、僕に残されていたのは、『三田 巧』という名前だけだった。そして、僕はその事実を受け入れざるを得なかった。僕の戸籍の親のところは空欄になっている。そして、それが埋まることは生涯ないだろう。でも、僕はホームの他の子とは感じが違ってたらしい。ホームにいる間は、グレもせずスネもせず手のかからない大人しい子だった。


 高校ではなく高専に入学し、ホームを出て奨学金とバイトでアパート暮らしを始めた。高専の三年までに必要な単位を取って、夜間部のある工大を受験し合格。昼間働きながら大学に通い、卒業と同時に今の会社に就職した。生活で手一杯だから、今のところ仕事以外に特に趣味も特技もない。彼女いない暦イコール年齢の25歳。以上。


「あのー」


 突っ込んでいいんだろうかというためらい混じりに、質問が来た。


「なに?」

「ほんとに、いなかったの?」

「彼女かい?」

「うん」

「いないなー。そんな余裕はないよ。朝から晩までびっしりバイトだったから。今が忙しいって言っても、時間が読める今の方がずーっと楽だ」

「そっか」

「大学やバイト先で、女の子と知り合うチャンスがなかったわけじゃないと思う。でも、本当に生活するだけでいっぱいだったからなー」

「みんなそうなの?」


 みんなっていうのは、僕のような孤児はってことなんだろな。


「いやあ、僕は例外だと思うよ。親がいないとか親から見捨てられてる子は、普通の子より愛情に飢えてる。早くに同棲したり、結婚したりって人はむしろ多いと思う」

「三田さんは、どうして?」


 うーん。


「分かんないなあ。僕はもともと一人でなんかするのが好きで、ホームの先生を困らせてたんだよね。集団スポーツ嫌い。マスゲーム嫌い。一人で砂場でお城作って遊ぶの大好き」


 どてっ。彼女がずっこける。


「ひええ」

「それでも、ホームも学校も集団生活だし、バイトもそうでしょ? 身寄りがないのにひっきーの俺様じゃ生きてけないよ。だから極端な人嫌いとかではないと思うけど、自己表現はあっさりなんだよね」

「分かる」


 彼女が、納得したって言う顔で頷いた。


「俺のとこに来いって言う引力が薄いっていうか」


 思わず苦笑した。


「どんぴ。そういう欲が足んないんだよ。だから男も女も寄ってこない」

「そうなんだあ」


 じゃあ、向こうにマイクを渡そう。


「君は?」

「うん」


 ぼそぼそと。言いにくそうに彼女が自分の過去を語った。


 田舎の、祖父母同居の家の三人兄弟の長女。親は厳格で、躾に厳しかった。女は出しゃばらずに家を守るもんだっていうクラシックな家風で、家事は強制的に手伝わされるけど、遊びごとはことごとく禁止された。それでなくても田舎で娯楽が少ないのに、カラオケもゲーセンもコンサートもダメ。駄菓子屋での買い食いすら禁止される徹底ぶり。門限もきつかった。

 弟たちはのびのび暮らしてるのに、なんでわたしだけ? 高校の時に、我慢の限界に来てぷっつんしてしまった。親は高校卒業と同時に家業を手伝わせようとしてたらしいけど、聖野さんはどうしても都会の大学に行きたかった。大学なんてとんでもないって言われて、そこまでわたしを縛るなら死んでやるってたんかを切った。うん。一途な彼女らしいなあ。


 思いもよらなかった娘の猛反発に狼狽した両親は、学費と家賃しか出さないという条件付きで上京を許した。そのうち資金が尽きて降参するだろう。そう踏んだ。それに対して、彼女の意地が炸裂した。死んでも白旗上げて帰るもんかって。

 でも。のんびりした田舎暮らしにどっぷり漬かっていた彼女にとって、東京での暮らしは刺激的以上に息苦しかった。忙しく、せわしなく、人との交流が希薄で、心が休まらない。実家に帰ることはイコール敗北だから、それ以外の休憩所がどうしても必要だった。だから、大学の男友だちのアプローチは積極的に受けた。カレシに逃げ込もうとした。そこに大きな落とし穴があった。


 彼女の欲しかったのは、愛情ではなく休憩所だ。いくら男が鈍感だと言っても、付き合っているうちにそれを覚られる。実際のところ、恋愛未経験の僕が考えても逆の方がうまくいくと思う。待っている女のところに男が帰って、そこで安らぎをもらえるっていう風にね。まだ自立出来てない学生の男が彼女に全力で寄りかかられたら、そらあ誰だって逃げるわなー。


 しかも、彼女には強い成功願望があった。グレードの高い男をゲットして、親を見返したい。どうしても自分より高レベルの男に無理にアプローチしようとするから、同性の子には身の程知らずってバカにされ、男にはいいように食い物にされる、と。まあ、絵に描いたような悪循環だ。当然これまでの彼女の基準からしたら、僕なんか論外だ。問題外の外の外さ。無名の大学を出て、しょぼい企業で朝から晩まで安月給でこき使われてる貧乏人だからね。


「でも」


 彼女は俯いたまま、ぼそぼそと話し続ける。


「もうね。疲れたの。バイトでくたくたになって。学校も楽しくなくて。オトコには相手にされなくて。体もぼろぼろで。意地張るのに……疲れたの」

「うん」

「三田さんだって、そうなんじゃないかなーと思ったの。ずっと一人で寂しくないのかなあって。ずっと前向きに頑張ってるって、しんどくないのかなあって」


 僕は、しんどいと思ったことはないなあ。なんでだろ?

 でも、彼女の動機は分かった。他の男みたいな力感やステータスのない僕は、頼る相手にはならない。でも、共感したんじゃないかなあ。僕に興味を持ったきっかけは、たぶんシンパシーだろう。お金に苦労してる同士。見栄も体裁もなく、ホンネでがちゃがちゃやり合って。それが気楽だったのかも知れないね。


 ただ、それだけじゃ同居までは言い出さないはず。そこだけが釈然としないままなんだ。たぶん、それが彼女が『分からない』と言ったことに関係してるんだと思う。僕に突っ込めず、でも手を引くことも出来ない。中途半端な状態か。うーん、でも何が『分かんない』のかなあ? まあいいや。取りあえず、返事だけはしておこう。


「しんどくはないよ。僕はずーっとこうやって生きてきたし、それが悲しいとも辛いとも思ったことはない。僕には、したいことがあるからね」

「したいこと?」

「そう。作ること」

「作る、かあ」

「自分に頼れるものがないなら、自分で頼れるものを作る。それしかないと思わん?」

「あ、そういうことか」

「うん。今の職場に就職決めたのも、そういう理由だもん。ものを作るところで働きたい。何かを作り続けたい。自分を支えるものは、自力で調達したい。義務じゃなくて、自分でそうしたいから、作る。このツリーだってそうさ」


 僕は、まだ作りかけのツリーを指差した。


「買って来たのをただ組み立てるだけじゃつまんないよ。今僕らがやってるみたいに、ああでもないこうでもないって、オリジナル作るのは楽しいじゃん」

「うん!」

「そういうこと」


 僕は彼女に親指を立ててみせた。彼女は、まだ未完成のツリーに目をやって、ふっと笑った。


「少し、分かったかな」

「えー? まだ少しなの?」

「ふふ」


 微かに笑った彼女は、くるっと振り返って。


「まだ、少し、なの。だからもうちょっと居ていい?」


 ちぇ。そういうことか。しゃあないね。


「クリスマスまでね」

「うん!」


 僕だって、彼女の全てが分かったわけじゃない。僕の興味は、彼女が隙間だらけになっちゃった心をどうやって埋めるか、なんだよね。僕は、前のカレシの代用品になるつもりはない。そんなのは、お断りだ。彼女もそれは分かってるだろう。だけど。今夜、僕と彼女はお互いに糊しろを見せた。そこはまだちっとも重なってないし、それがこれからどうなるのかも分からない。


 でも、彼女はここにいる。ここにいるんだ。


◇ ◇ ◇


 そういや、僕らが大事な話をした、その日。僕に一つ喜ばしい出来事があった。

 ボーナスが……出た。


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