DAY 16
ううー。ねみー。ねみーよー。聖野さんも講座のゼミがあるって言ってたけど、目を開けてられるんだろうか? あの後、あーでもないこーでもないってやってるうちに、二人して座卓で寝落ちしちゃって。危なく遅刻するところだった。変な姿勢で潰れてたから、あちこち痛いし。うーん、どうも彼女にペースをかき乱されてるなあ。かと言って、今さら出てけって言うのもなあ。どうしたもんだか。
「おう、どうした? 眠そうだぞ」
「あ、高梨さん、おはようございます! ちょっといろいろあって」
「ぼーっと操作すっと怪我の元だ。気ぃ抜くなよ?」
「はい!」
中瀬さんのように、のっけからがりがり噛み付かれることはないけど、高梨さんもしっかり僕らの状態を見てる。気を抜かないようにしないとね。操作盤の入力は、今日はない。異常が起きてないかどうかの確認だけしておこう。この前、金型の甘いところに不良品出てたからね。リズミカルに上下する金型と、打ち抜かれて落ちる部材を目視して確認して……。
ん? おかしい。音が、なんかおかしい。それはごくわずかな異音なんだけど。僕は慌てて操作盤のところに走って戻り、停止ボタンを押した。
「この前と同じとこかなあ」
また金型が甘くなった? でも、替えたばっかだよ?
「んー?」
なんか、胸騒ぎがする。僕は慌てて高梨さんを呼びにいった。
◇ ◇ ◇
高梨さんが、打ち抜かれた鉄片を手に、何度も首を傾げている。
「うーん、俺にはどっかおかしいっていう風には見えないけどなあ」
打ち抜かれた部材が、前と同じところだけ不良っていうわけではなさそうだった。ただ、どうしても異音が部材の不出来に関わって来そうな気がして。それは何の根拠もない、僕の直感ではあるんだけど。
「どうした?」
僕らの様子を見ていた中瀬さんが、のそっと近寄ってきた。
「この前、中瀬さんに指摘された箇所」
「おう」
「あの後、金型は交換したんですけど、どうも」
「しっくり来ねえか?」
「はい。そこだけ精度が悪いってことじゃないんですけど、なんか引っかかるんですよ」
「動かしてみろ」
制御盤のスイッチを入れて、作業を再開する。中瀬さんが、じっと打ち抜きの様子を見ていたけど、さっと手を上げた。
「巧っ! 止めろっ!」
「はいっ!」
僕が機械を止めて中瀬さんと高梨さんのところに駆け寄ったら、高梨さんが真剣な表情で中瀬さんの話を聞いていた。
「巧。よく異常に気ぃ付いたな。原因は型じゃねえ。フレームだ」
「フレームですか?」
「そうだ。金型据える大元が歪んでんだよ」
「げえっ! そ、それって。しゃれにならないっすよね?」
「論外だ」
ものすごく険しい顔をした中瀬さんは、あっという間に姿を消した。
「さすがだよ。俺はまだまだあの域には届かないなあ」
「高梨さん、中瀬さんはどうしてフレームの狂いに気が付いたんですか?」
高梨さんが、二枚の部材を僕の前に差し出した。
「おまえ、この二枚の違いが分かるか?」
んー。目を皿のようにしてその二枚をくまなく比べたけど、僕には違いが分からなかった。
「分からーん。どこが違うんだろう?」
「だよな。俺の目にも全く同じに見えたんだ」
「ええ」
「でもな」
高梨さんが、その二枚を目の真ん前に掲げた。
「断面の角度が違うんだ」
「!!!」
慌てて僕も部材を透かして見る。
「あ!」
「言われてみりゃあってことさ。フレームが歪んでるから型も曲がっちまう。その状態で押し切りゃあ、断面が九十度にならない」
「そうか」
「型に斜めに力が加わることになるから、どうしてもその型の刃が歪んでくる。そこに不良品が出るってこった」
「すげえ」
「角度の違いって言っても、分かるか分かんないかぎりぎりのとこだ。それを瞬時に見破っちまう。がんちゃんの眼力はこれっぽっちも落ちてないな。さすがだよ」
高梨さんは、悔しそうに二枚の部材をぽんぽんと宙に放った。
「自動機械のことなんか知らないはずのがんちゃんに、あっさり不調の原因を見抜かれちまう。俺はまだまだだな。もっと鍛えないと」
◇ ◇ ◇
午後。工作機械メーカーの技術担当さんが、副社長と一緒に工場にすっ飛んで来た。うちは、生産部の折野部長と工場長の木村さん、中瀬さん、高梨さん、そしてオペレータの僕が対応だ。中瀬さんが口火を切った。
「なあ、河野さんよ。おたくの機械、基本的な出来はすごくいいんだよ」
中瀬さんは技術さんじゃなく、副社長の河野さんに話し掛けた。
「機械ってなあ部品の集まりだ。どっかがダメだと全体いっちまう。だからあんたんとこは、部品のクオリティ確保に細心の注意を払ってんだろ?」
「はい。そのつもりですが」
「実際、うちに納入されてから本体の故障はまだ一度もねえ。そうだろ? 三田」
「ないですね。順調です」
「ただな」
打抜機に近付いた中瀬さんが、型を収めるごっついフレームをがんがんと叩いた。
「こいつが、どうにもまずい」
「えっ!?」
それは、副社長さんには全くの予想外だったんだろう。絶句してる。
「あんたんとこは、安い鋼材の溶接で枠を組まんで、ちゃんと鋳造してる。耐久性も考えて、いいフレームにしてるんだよな」
「それが当社の自慢ですから」
「ああ。でもな。詰めがあめえんだよ。それで全てがぱあだ」
「どこがまずいんでしょうか」
「金型取り付け面の水平がきちんと取れてねえ。でこぼこが残ってんだよ」
「そ、そんな……」
信じられないって顔で、副社長が機械に駆け寄った。
「鋳型から外した枠にフライスかけて、そのあとサンダーできれいに磨いて仕上げる。手順は踏んでる」
「ええ」
「その研磨の工程で、うっかり削り過ぎちまったんだろさ。水糸一本で出来る簡単なチェックすらしてねえだろ? きれいに磨かれていれば、水平は取れてる。そう思ってなかったか?」
中瀬さんは、怒りをぶちまけることなく、あくまでも淡々と事実を突きつけていく。
「機械的な動作の異常はねえ。でも、肝心のフレームがこの有様じゃあしゃれになんねえよ」
拳でフレームをがつんと叩いた中瀬さんは、初めてきつい言葉を使った。
「うちは、ただの部品屋じゃねえ。精密部品屋なんだ。打ち抜いた部材がクソなら、その後どうやっても加工しようがねえんだよ!」
がしん!
「悪いな。フレーム取っ替えてくれ。そいで、これぇ磨き直して入れるってのはなしだ」
「どうしてですか?」
向こうの技術屋さんが、納得いかないって顔で突っ込んだ。それを中瀬さんが倍返しした。
「金属のことを少しは勉強しろっ!」
顔を真っ赤にした中瀬さんが大声で怒鳴った。
「フレームがどっか歪んでりゃ、圧と温度で全体イっちまうんだよ! それっくらい分かんねえのかっ! 豆腐切ってんじゃねえんだぜっ!?」
ものすごくシビアな表情でフレームを覗いていた副社長さんは、中瀬さんに向かって深々と頭を下げた。
「在庫はあるんですが、同じトラブルが出ないよう充分チェックして、それから交換いたします。ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
「フレームは外注か?」
「いえ、自社製です」
「じゃあ、そこの担当社員、再教育だ。こんななあ論外だよ」
「済みません。その通りですね。お恥ずかしい」
「それとね」
今度は折野部長が、のそっと前に出た。
「あんたんとこの機械は、性能がいいのにソフト面がからっきしだ。こんなマニュアル、まるっきり使い物にならんぞ」
部長は、書き込みで真っ赤っかになったマニュアルを副社長に手渡した。
「これ、あんたんとこの製品を代々使ってる人向けだろ? うちみたいな新規のユーザーにちゃんと配慮せんと、悪評でこけるぜ?」
「はい……」
「これこそ外注に出して、プロに書かせた方がいい」
それから僕を指差した。
「オペレータが制御覚えるのに苦労してる。俺らは、そういうところに無駄なエネルギー使いたくないんだよ」
◇ ◇ ◇
機械メーカーの二人が帰ったあと。僕は中瀬さんを捕まえた。
「あの、中瀬さん!」
「あん?」
「さっきの欠陥は致命的だと思うんですけど。どうしてうちは、がりがり噛み付かなかったんすか?」
「ああ、そうだな」
機械の横に戻ってきた中瀬さんは、フレームをぽんぽんと叩いた。
「こいつを作ってるメーカーは中堅どこだ。規模がうちとどっこいなんだよ」
「はい」
「大手のきっちり作り込まれた工作機械と張り合うには、値段を安くするか、どっかに付加価値を付けんとならん」
「そうですよね」
「ここは、耐久性が売りなのさ。だから、全体にごつく作られてる。フレームの交換なんかせんでも、何十年もずっと使えるようにってな」
「ええ」
「ただ、手作りゆえの欠点も出やすいんだ」
「さっきの、みたいなやつですね」
「そうだ。そいつはちょっとした改善で防げる。それ自体は致命的なことじゃねえんだよ」
「改善、かあ」
「メーカーが、安けりゃいいのクソメーカーなら俺も容赦しないさ。でも、あすこはまじめなんだよ」
そうか。もの作りの基礎はうちと同じレベルだってことか。違うのは……中瀬さんのような腕利きの統括がいるかいないかなんだろう。
「うちは、ただ使うだけじゃなくて、付き合いのあるところを一緒に鍛えてやらないかん。そうすりゃ、痒いところに手が届くような機械を作ってくれるだろ?」
「はい!」
なるほどなあ。目先のロスより長い付き合い、かあ。
「それとな」
「ええ」
「今、あすこに潰れられると困るんだよ」
「あ……」
「安い買い物じゃねえんだ。保守や修理を含めて、償却が済むまでは向こうさんに保ってもらわんと、こっちが干上がっちまう」
「そうか。確かにそうだあ」
「今頃、副社長が若いのをがっつりどやしてるだろよ」
「ですよね」
「自社製品にプライドを持つのはいいが、客のクレームが真っ当ならそっち優先だ。傷が浅いうちに対処すれば、大怪我しないで済むからな」
「大怪我……すか」
「そう。うちでのトラブルを受けて、サービスが一斉に同型機の点検に走るだろう。いわゆるリコールだ」
なるほど。それで傷を浅く出来るってことなんだ。
「問題が大きくなる前に先回りして備えておきゃあ、信頼度が高まる。あすこはしっかりやってくれるってな」
中瀬さんは、機械をじっと見ていた僕の尻をぽんと叩いた。
「他人事じゃねえよ。うちだってそうなんだからな」
「はいっ!」
「今日はよくやった。その調子で精進してくれ」
僕は思い切り体を前に倒した。
「がんばりますっ!」
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