DAY 15

 あの後、二人して中瀬さんにがっつり飲まされて。べろんべろんになって、アパートに帰り着いた。前の日に寝不足だったこともあって、眠くて眠くてたまらなかった。とにかく寝かして欲しい、寝かせてくれーって、それしかなかった。服を脱いだかどうかも覚えてない。倒れこむようにして爆睡した。


 翌朝。


 じゃりじゃりじゃりじゃりじゃりっ!!!

 やかましい目覚ましの音が脳天に突き刺さって、慌てて跳ね起きた。


「やばーっ!」


 今日は早番じゃん! 急いで支度しなきゃ! いつものつもりで、ベッドに手を付いて目覚ましを止めようとして。


 むにっ。


「ん?」


 彼女のムネに手をついてしまった。


「いったあい」


 げ、緒に寝てたんか。まあ、僕も彼女も服着たままだし。うう、そんなことを気にしてる暇がないっ!


「悪いっ! 今日は早出なんだ。先に出るっ! 鍵の予備は机の上にあるから、外出するなら鍵かけてっ」


 超特急で身支度して、口にコッペパンくわえて部屋を飛び出した。


◇ ◇ ◇


「ひぃ」


 更衣室。高梨さんが、心配そうに僕の顔を覗き込んだ。


「三田ぁ。具合悪そうだな。大丈夫か?」

「昨日、遅くまで中瀬さんに飲まされたんで、うっぷ」

「おまえもあんま強くないもんなあ」

「ええ。堪えました」

「それよか」

「はい?」

「がんちゃんの話。聞いたか?」

「昨日、中瀬さんから直接伺いました」

「そうか。俺は、なんか寂しいけどな」

「でも、中瀬さんは根っから職人なんだなあと思いました」

「そうだな。俺にはなかなかああは出来ないなあ」


 着替えた僕らは、朝礼に臨んだ。突然の人事だし、出勤時間にずれがあるから、早出の僕らにだけ直接言って、あとは僕らから残りの人に伝えてくれっていうことなんだろう。いつもの作業服ではなく、窮屈そうに背広を来た中瀬さんが折野部長の横で居心地悪そうにしていた。部長が一歩前に出て、中瀬さんの人事を伝える。


「みなさん、おはようございます!」


 ううーーっす!


「突然ではありますが、統括作業長の中瀬さんが、本日付で職を退くことになりました」


 ええーーっ!? 人事を知らなかった職人さんの間で、驚きと動揺が広がった。


「中瀬さんの後任として、第二生産部の作業長、高梨さんに統括に就いてもらいます」


 僕の隣にいた高梨さんが、緊張した面持ちで部長の隣に並んで、僕らに向かってぎごちなく頭を下げた。


「よろしく」


 部長は、中瀬さんをじいっと見ながら話を続けた。


「中瀬さんは、加工現場一筋四十年。その腕前は、みなさんよくご存知のことと思います。しかし、現場は自動制御機械によるオペレーションに順次切り替わりつつあります」


「それじゃ精密加工の腕は要らないか? そんなことはありません。今おられる加工技術者のみなさんの腕を錆びさせないで、我が社にしか作れない高価値製品をどう生み出していくか。それは、決して大会社ではない我が社が生き残るために、どうしても欠かせない視点です」


「中瀬さんには、新設したシニアアドバイザーに着任していただきました。技術者の視点で我が社を俯瞰していただき、大所高所からの提言とアドバイスを頂戴するつもりです。中瀬さんには、これまでと同じように現場を巡回していただきますが、アドバイザーの中瀬さんには指揮権がありません」


 そうか……。


「中瀬さんからの改善提案や注意事項が、みなさんに直接言い渡されることはありません。それらは工場長と統括に集約されることになります。アドバイザーは、個々の問題は取り上げません。中瀬さんの提言をグループ全体の問題として討議し、みなさんのプロ意識と技能の向上に繋げてもらいます。その分、作業長には今以上の責任感が求められますので、各長さんは、よろしくお願いしますね。それと」


 部長がぐるっと僕らを見渡した。


「中瀬さんの品質チェックの目。それがなくなるわけではありません。みなさんの取り組みが不充分だと、その部門ごと厳しい叱責を受けることになります。心してくださいね」


 立場が変わっても、中瀬さんはまだ現場を巡回するし、指導やチェックが甘くなることはないと思う。それでも、もうあのがみがみが聞けなくなるのかと思うと寂しさがつのる。


「中瀬さん。一言ご挨拶を」


 部長に促された中瀬さんが、一歩前に出た。


「うるせえおやじはさっさと引っ込めってことなので、引っ込むことにしました」


 にやっと笑った中瀬さんが、いきなり毒ガスをぶちまけた。


「でも、俺はまだ生きてるんでね。言いたいことは言うし、おかしいことはおかしいって怒鳴らしてもらう。そこは変わりません。俺がくたばるまでね」


 失笑が広がる。なあんだ、いつも通りじゃないか。そんな感じで。


「だけど、もう俺が全身油に塗れることはねえ」


 し……ん。ざわめきが一瞬で消えて。みんな、俯いた。


「そういう時が来ちまったんだってことを、今じっくり噛み締めてます」


 中瀬さんが高梨さんの側に寄って、肩をぱんと叩いた。


「後、頼むな」

「はい」


 ごつい高梨さんの顔が崩れて、いきなり泣き顔になった。


「おいおい、泣くなよ。泣きてえのは俺の方だ」


 そう言い残して、中瀬さんがみんなに背を向けてすたすたと歩き去った。きっと。堪え切れなかったんだろう。小刻みに肩が揺れる中瀬さんの後ろ姿は、僕の目の中でもじわっとぼやけていった。


◇ ◇ ◇


 中瀬さんの予想通り。新たに統括作業長になった高梨さんは、それまでの温厚な姿

勢をかなぐり捨てて、鬼の形相で現場を見て回った。中瀬さんがいなくなったら現場ががたがたになったなんて風には、絶対に言われたくない。高梨さんもまた、高いプライドを元に現場に喝を入れ続けるだろう。


 午前の作業が終わった時。部長から直に呼び出しがあった。小会議室に急ぐ。


「ああ、三田くん。昼休みにすまんね」

「なんでしょうか?」


 部長は、すぱっと切り出した。


「来年、新規で若いのを三人採る」

「!!!」


 いきなり三人も?


「うわ、大転換ですね」

「そうでもないさ」


 部長は、ぎしっとパイプ椅子を鳴らして立ち上がった。


「今、融通の効く若いオペレータは君一人の状態なんだ。君は勤務姿勢が極めて優秀なので、我が社としては安心して大事な仕事を任せられる」

「はい!」

「でも、がんちゃんと同じで、君の代わりがおらん」

「あ、そうかあ」

「今は、君に休日出勤を頼んだり、いろいろ負荷をかけてしまってる。それに、君に何かあれば工程がふん詰まってしまうんだよな」

「はい」

「オペレータも他の部門と同じチーム制にして、主任ポストを新設する。君も入社してもう三年だ。自分の仕事だけでなく、全体も見渡せるようになってきただろう?」

「そうなんですかね?」

「がんちゃんがほめてたよ。あいつは伸びるってね」

「うひー」

「どういうやつが採れるかは蓋を開けてみないと分からんが、来年からそいつらの指導と統括を引き受けてくれ」


 うわ! 身が引き締まる。


「分かりました! がんばります!」

「頼むな」

「はいっ!」


◇ ◇ ◇


 部長から言い渡されたことで頭がいっぱいになってて、自宅に彼女がいることをすっかり忘れていた。いつものように鍵を開けようとして、鍵が開いてたことに慌てる。か、かけ忘れた? で。部屋の中から物音が聞こえてきて我に返った。そうだったなって。


「ただいまー」

「おかえりー」


 うーん。一人暮らしの時は絶対に口にしなかったセリフを言うことになるとはなあ。部屋に一歩足を踏み入れて。そこが異次元になっているのを見てぎょっとする。


「な、なんだあ!?」


 部屋の隅々まで、完璧にクリスマス仕様になっていた。いや、それがパーティー会場だっていうならあれだけどさ。ここはむさっ苦しい野郎の部屋だぜ? これはちょっと。僕が顔をしかめて部屋を見回したのを見て、彼女は明らかに気落ちした。


「だめ?」

「だめ。これはいくらなんでもやり過ぎ。デコり過ぎ。盛り過ぎ」

「うううー」

「もちっとシンプルに行こうよ。君の部屋ならともかく、ここは僕の部屋だからね」

「分かってる」


 しゅんとしちゃった彼女は、部屋中にセットされたパーツをごそごそと外し始めた。それは後でいいよ。それより飯を食いたい。腹減った。僕が冷蔵庫を漁ろうとしたら、背後から声が聞こえた。


「あ、ご飯は出来てるよ。一緒に食べよ」


 おお! 天の助け!


「そらあ嬉しいなあ!」


 片付けを中断した彼女は、座卓の上に皿を次々に並べた。鳥肉の照り焼き。野菜サラダ。ひじきの煮たのに、ご飯となめこの味噌汁。うおー! こんなまともな夕食、食ったことないぞ。感謝感激! うまいうまいとがつがつ食べる僕を見て、彼女はうれしそうだった。


「ごちそうさま!」

「どうだった?」

「おいしかったよー。絶品」

「よかったー」


 下げた皿を洗い終わった彼女は、お茶を入れて座卓に戻ってきた。


「ねえ」

「うん?」

「これまでどうしてたの?」

「ほとんどビニ弁だよ。上がりの時間がばらばらだし、結構遅いから、この前行ったみたいな店にすらなかなか寄れないんだ」

「そっかあ。自分で作ったりとかは?」

「九時、十時に帰ってきて作る気はしない。休日も、食べるのは一番後回しかなー。洗濯して、片付けして、買い物してそれで一日終わっちゃう」

「そうだよね」


 湯呑み茶碗を持ったまま。彼女は、しばらく考え事モードに入ってた。


「どした?」

「いや」


 言い淀んだ彼女は、はあっと大きな溜息をついて俯いた。


「彼は、こういうのは要らなかったのかなあ」

「さあ」


 それは、彼女を振ったカレシに直接聞かないと分からないね。


「でも、そういうことよりさ」

「うん」

「心の糊しろがなかったんでしょ」

「糊しろ?」

「そう。重なる部分がないと、何をしてもダメだと思うよ」

「うん……そうだよね」


 彼女は、まだ僕に聞きたいことがあるような感じだった。でも、僕がツリーに目を向けたことでまた後にしようと思ったんだろう。それ以上は何も言わなかった。部屋の飾り付けは盛り過ぎだと思ったけど、ツリーはいい感じじゃん。へえー。


「ツリーも……だめ?」

「いや、いい感じだなあと思ってさ」

「えっ!? ほんと? ほんとにっ!?」

「うん。中瀬さんのが金属だから、同じ系統のオーナメントがチープに見えるんだよね。あの布のやつは、聖野さんが作ったの?」

「うん!」

「あれが、いい味出してる。そっかー、素材の違うものの組み合わせだと行けるんだなあ」

「えへへ」


 ちょうどいいや。机の上のブックスタンドに立てかけてあったスケッチブックを下ろして、座卓の上で開く。まだ描きかけのトップスターのデザイン。


「ツリーのてっぺん。まだ星が乗ってないよね?」

「うん」


 ツリーを飾り付けた彼女も、そこをどうするかは決めかねていたんだろう。


「備え付けのはちゃち過ぎて論外だから、ワイヤーワークで作ろうと思ってるんだけどさ。どんなのがいいと思う?」

「あ、おもしろいね!」

「でしょ?」


 二人して、鉛筆片手にいっぱいラフスケッチを書き散らしている間に。しんしんと夜が更けていった。


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