DAY 14

 日付が変わって。彼女はまだ僕の部屋にいる。帰る気はないらしい。まあ、気持ちは分からないでもないけど。最後の切り札にするつもりだった、ツリーと手作りのデコ。部屋もそれに合わせて、着々とセッティングしていたんだろう。それが、本番よりもずーっと前にあっけなくぽしゃってしまった。本番をドタキャンされるよりはダメージが小さいって言っても、自分の恋心が散りばめられたままの部屋を見るのは嫌なんだろう。


 彼女の部屋を飾っているであろう小物やリース、オーナメントは、どれもカレシを想って作られたもの。そこには彼女の魂が注ぎ込まれている。その点は、中瀬さんが作ってくれたオーナメントと何も変わらない。でも、中瀬さんの力作は僕が最上のプレゼントとしてしっかり受け取ったけど、彼女のは行き場がなくなったんだ。自分自身にとってすらね。それを今見るのは、確かに辛いだろうな。


 だけど、彼女の失意は失恋だけが原因じゃないように思えたんだ。そもそも彼女から心が離れつつあった彼を全力で引き止めようとしてた動機が、本当に恋なのかどうかも怪しいと思う。

 前にちらっと思ったみたいに、それは寂しさゆえなんじゃないのかな。田舎から出てきて、苦しい生活で、親しい友人もなかなか出来なくて、自分の将来像もよく見えなくて。孤独で。寂しくて、寂しくて、どうしようもなくて。帰りたくないっていうのは、誰からも見捨てられてしまってる自分を見たくないから。どうしても、孤独から目を逸らしたいから。そんな風に見えたんだよね。


 まあ。今日はしょうがないか。これから帰れと言ったところで、駅での状況と何か違いがあるわけじゃないからね。ただ、間が持てないよなあ。


◇ ◇ ◇


 彼女にベッドを譲り、僕は毛布一丁。膝を抱き、ベッドに寄りかかって仮眠を取る。彼女が時折鼻をすすり上げる音で目が開いてしまって、なかなか眠りに入れない。眠れない長い夜。僕はその間に、彼女のことではなくて、ツリーのことをずっと考えていた。オーナメントやモール、イルミ、雪代わりの綿。飾り付けに使うものはだいたい揃った。ただ……。


「どうにもちゃちなんだよなあ」


 明け方。僕が思わず口に出した一言で、彼女を起こしてしまった。


「うにー?」

「なあにがうにーだ。まったく!」


 僕は毛布を跳ね除けて起き上がり、ツリーの箱をばかっと開けた。部材を取り出して、ささっと組み立てる。いきなり何をするんだっていう風に、作業をぼーっと見ていた彼女は、腕組みして考え込んだ僕を見て首を傾げた。


「どしたの?」

「いや、最初の課題がまだ解決してないなあと思ってさ」

「それって?」

「土台だよ」


 ツリー本体の作り込みはしっかりしてるのに、それをぶち壊しにしている、安っぽい土台。でも、それが本体を支持する形になってるから、簡単に他のものと置き換えることが出来ない。うーん。


 ツリーを見ていた彼女が、部屋の隅を指差した。


「あれ、なに?」


 クリスマス柄の包装紙と白い紙箱、そして、結わえられていたリボン。


「ああ、空き箱だけど?」


 もそもそベッドから起き上がった彼女は、部屋をすいっと横切って空き箱を覗き込んだ。


「これでカバーリングすれば?」


 おっ!


「そっか。その手があったか!」


 まるであつらえたかのように、ちゃちな土台は白い紙箱の中にすっぽり収まって隠れた。


「箱の表面を包装紙でくるんで、ポイントをリボンで締めれば行けるんじゃない?」


 うむうむ。それなら追加出資なしで、大丈夫だ。なるほどなあ。昨日中瀬さんからもらったオーナメントを出して、ツリーに下げてみる。


「うわっ、すげえ!」


 とても安売りのツリーとは思えない、重厚な雰囲気になった。それは良かったんだけど。


「ううー、やっぱかあ」

「なにが?」

「これじゃあ百均のオーナメントが釣り合わない。めっちゃ安っぽく見えちゃう。しくったなあ」


 彼女もそう思ったんだろう。まだ裸に近いツリーを見て、じっと考え込んでいた。そうそう。失ったものに囚われてうじうじするより、何か他のことを前向きに考えた方がいい。その方が早く吹っ切れるでしょ。さて。飯にすっか。


◇ ◇ ◇


 まだ帰りたくないって駄々をこねるかと思ったんだけど、彼女はあっさり自分の部屋に帰っていった。気持ちが落ち着いたんかな。それならいいんだけどね。寝不足の分を、昼まで寝直して取り戻す。そのあと洗濯機を回して洗濯物をベランダに干し、スーパーに買い物に行く。弁当と食料を買い込んで。いつもの僕の休日だ。

 今日は夕飯が中瀬さんとの会食になるから、それは考えなくていい。それまでの間にツリーのてっぺんの星をどうするか考えよう。スケッチブックを広げて、ワイヤーワークのデザインを考える。ラフスケッチに没頭しているうちに、呼び鈴が鳴った。


「?」


 誰だあ? 新聞の勧誘か?


「はあい」


 ドアを開けたら、そこに聖野さんの姿が。思わずぶっこける。


「ちょ!」


 僕の返事なんか聞きもしないで、ずかずかっと入り込んだ彼女は、持ち込んだ大量の荷物をまだすっかすかのツリーの横にどかっと置いた。


「お願いっ!」

「へ?」

「クリスマスまででいい! 同居させてっ!」


 ぎょええええっ!?


「おいーっ!」

「お願いっ!」


◇ ◇ ◇


 夕方。中瀬さんとの待ち合わせの場所に、彼女も一緒に付いてきた。それが晩飯だから、来るなとは言えないしなあ。しょうがない。げっそりした表情の僕と、ぶすくれている彼女の顔を見比べて、中瀬さんは苦笑を重ねた。


「おい、巧。押しかけか?」

「こんなの聞いてないっすよ」

「おまえも人がいいからなあ」

「それにしたって……」

「まあいい。おまえが聞かれて困るんじゃなけりゃ、飯は人数が多い方がうまいだろ?」

「ぜにこがあれば、ですけど」

「そっちは気にすんな」

「そうは行きませんよ。昨日もおごってもらったのに」


 彼女も、さすがに今日は自腹を切らないとまずいと思ったんだろう。小さいお財布を出して、胸の前で握り締めた。


「ははは。それは最後に決めようぜ。店はもう予約してある」


 中瀬さんは、ごたくそ言わないで早足で歩き出した。僕らは慌ててその後を追いかけた。すたすた先を歩いていた中瀬さんが足を止めたのは、『しずの』という看板がかかっている小料理さん。


「なんか高そうですけど」

「そうでもねえよ。まあ、入ろうや」


 こんなとこ、来たことないよ。彼女も、僕が阿知良に連れてった時と同じくらいびびっていた。まあ、ここじゃどうがんばっても彼女が支払いに参加することは出来ないだろうなあ。


 からからから……。中瀬さんが引き戸を開けると、女性の柔らかい声が聞こえた。


「いらっしゃいませー」

「よう」


 カウンターの中にいた和服姿の中年の女性に声を掛けた中瀬さんは、店の奥を指差した。


「空いてんだろ?」

「取ってありますよ。どうぞー」

「邪魔するよ」


 ひええ。僕らは客なんだからびくびくすることはないはずなんだけど、思わずへっぴり腰になっちゃう。とほほ。


 小上がりに僕らが着席してすぐ。顔を出したさっきの女将さんに、中瀬さんが注文を出した。


「ちょい、長い話をする。鍋を頼む」

「はい」


 女将さんは、にこっと笑って僕らに会釈すると、すうっと襖を閉めた。


「飯食うと話ががちゃがちゃになるから、大事な話を先にする。一つは俺のこと。もう一つはおまえのことだ」


 中瀬さんがそう言って、僕を指差した。


「だが、今日は俺のことだけで終わりになるだろう。おまえの話は、もうちょい後にしよう」


 僕の話? なんだろう?


 がさっと膝を崩してあぐらをかいた中瀬さんが、開口一番、思いもしなかったことを切り出した。


「巧。俺は」

「はい」

「統括から降りる」

「えええーーーっ!?」


 びっくり通り越して、思わず蒼白になった。


「ど、どして」

「昨日言っただろ? おまえからの依頼は、いい機会になったって」

「ですけど」

「十五でこの世界に入って、ずーっと機械に張り付いて加工の世界で生きてきた。俺は、先輩に馬鹿野郎この愚図がってしばき倒されながら、こんちくしょうと歯を食いしばって腕を磨いてきた」

「はい!」

「だがな。俺のピークはもう過ぎてんだよ」


 中瀬さんが、どうしようもないという表情を浮かべてゆっくり首を振った。


「ゲージを作る。俺が絶頂の時なら、次の日には出来てるよ。それに十日近くかかっちまった」

「あ……」

「指は震える、目はしょぼつく、抑えは効かねえ。こんなはずじゃなかったってことを突き付けられて。がっくり来たんだ」


 ゆっくり顔を上げた中瀬さんの顔には、疲れの色が広がっていた。


「あの休んだ日には、薬師さんに願掛けに行ったんだよ。付け焼き刃の願掛けだったけどな。酒絶って、肉絶って、水ごりして。一度っ切りでいいから、わけえ頃の腕で作らしてくれってな」


 知らな……かった。そうだったのか。それで、やっと分かった。中瀬さんがずっと機嫌が悪かったわけ。そして、中瀬さんが何に苛立ち、怒っていたのか。思うようにならない自分自身に。腕の衰えに対して、だったんだ。


「自分の驕りを片して、無心に板っきれに向かって。それでも俺的には、百点とは言えねえ出来だ。あれしか作れんかった。済まん」


 中瀬さんが僕に深々と頭を下げた。


「そんなことないっすよ! あんな神業」

「いや、そう思って欲しくねえ」


 顔を上げた中瀬さんは、一転して厳しい表情になった。


「それをおまえに言っとこうと思ってな」

「はい」

「誰がどんな風に作っても、完璧なものなんか出来やしねえんだよ」

「ええ」

「それなら、そいつのどこが足りねえかを見抜く目が要る」

「!!」

「俺の作ったものがゲージになってねえってこと。それが分かるまでは、おまえさんはまだ半人前だと思ってくれ!」


 ぐっと……来た。


「はいっ!」

「俺は、もうあれ以上のものは作れねえ。作れねえ以上、現場にしがみつくとみんなに迷惑をかける」


 そういうことだったのか。


「それは、部長は知ってるんですか?」

「もちろんだ。折野にはそう言った。俺がいつまでも現場を仕切れば、俺のクオリティのところまでしかみんなの腕が上がらねえ。それはまずいだろうってな」


 ぱん! 思わず膝を打っちゃった。


「そうか!」

「だろ? だから、俺は統括から降りる。だが、俺の目が腐ってるわけじゃねえからな。俺が言わなきゃならねえことは、これからも遠慮なく言う」

「つーことは」

「統括は高梨が継ぐ。あいつは俺ほどうるせえことは言わねえが、だからってなんでもいいとも言わねえよ。あいつにだってでけえプライドがあるんだ。おまえの仕事が水準を割れば、容赦なくどやされっぜ」

「はい!」

「俺は、シニアアドバイザーってことになる。工場の全工程をくまなくチェックし、おまえらに直接じゃなくて、現場の長を絞る。ぐだぐだやってんじゃねえよってな」


 そうか。退職していなくなるってことじゃないんだ。ものすごくほっとする。


「腕だけじゃなく、目までなまればそれで引退さ。まだまだわけえもんには負けねえけどな。はっはっはっ!」


 中瀬さんはからっと笑ったけど。僕には、中瀬さんの決断がとんでもなくシビアに思えた。中瀬さんが統括なら、いざという時にすぐ手を動かせる。ばかやろう、どけっ! 俺がやる! ちゃんと見とけっ! そう言えるんだ。

 でも現場から離れちゃうと、今度は文句を言われる立場になる。職人さんたちに、自分が出来ないくせに偉そうに口を出すなって言われても、何も言い返せなくなくなるんだ。それでも、職人としての引き際と自分に残されているスキルの使い方を冷静に考え合わせて、すぱっと決断したんだろう。やっぱりすごい人だ。そういう人に目をかけてもらえて、僕は本当に幸せだと思う。目が……潤んじゃうよ。


「失礼いたします」

「お、来たな」


 さらっと襖が開いて、女将さんが土鍋とコンロ、具材を運んできた。


「お待たせいたしましたー。ふく鍋になりますー」


 どええええっ!? ふ、ふぐぅ? 僕の財布にそんな大金入ってないよう。僕が青くなったのを見て、中瀬さんが高笑いした。


「がっはっはっ! あんたらに金がねえことなんか分かってるよ。払いは心配すんな。今日は俺の門出の日だ。しみったれた飯ぃ食いたくねえんだよ」

「う、すんません。ごちになります」


 中瀬さんは、少しでもお金を負担したいって感じでじたばたしてた聖野さんをさらっと諭した。


「あんたぁ、学生さんだろ?」

「はい。R大の三年です」

「学生さんは、自飲み以外はゼニぃ払うな」

「え? どうしてですか?」

「その分、自分が働くようになったら、学生のを払ってやれ」


 うん。そうなんだよね。だから、僕もこれまで彼女の分は払わせなかったの。僕がバイト学生だった時も、払いはいつも先輩が持ってくれたんだ。出世払いだって言ってね。でも中瀬さんのおごりには、強烈なおまけがついてきた。


「あんたぁ、金で苦労してそうだから、あれだけどよ。親のカネで学校行かせてもらってるってことを忘れて、遊びほうけてるクソ野郎が多過ぎる。遊びの分はバイトで稼いでます。親に迷惑かけてませんだあ? ふざけんじゃねえっ!」


 うわ。中瀬さん、大爆発。ちっとも変わってないじゃん。僕は、その姿を見てどこか安心する。肩書きが変わっても、ポジションが変わっても。中瀬さんは中瀬さんなんだよね。さっきの中瀬さんの爆撃が堪えたのか、彼女は身を縮めて控えめに鍋をつついていた。それにしても、ふぐかあ。おいしいなあ……。


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