DAY 13
そして、運命の土曜日。僕は朝から気もそぞろで、何度も中瀬さんにどやされてしまった。でも、今日だけは。今日だけはどうしようもない。わくわくする! どきどきする!
ああ、サンタさんは、受け取る人たちのどきどきを思い浮かべながらプレゼントを配るんだろうなあ。僕にプレゼントを持ってきてくれるサンタさんは、ちょっとせっかちだけどきっとナイスガイだ! 自分が、いつからいつまでどうやって働いていたのか分からないほど浮かれて。終業のベルが鳴り響く瞬間を心待ちにして。そして、とうとうその時は来た。
◇ ◇ ◇
中瀬さんの表情はいつもと何も変わらなかった。特にもったいぶることもなく、油染みの付いた木箱を僕の手にぽんと押し付けた。
「ほらよ。確認してくれ」
「はいっ!」
恐る恐る箱を開ける。
「!!!」
それは。元が端切れの鋼板だということが信じられないほど、完璧に仕上げられたオーナメントだった。鋸跡が全くない切断面。エッジの丁寧なテーパリング。見事な鏡面に仕上げられた表面が工場の蛍光灯をきらりと反射させ、それを天界の光に変えていた。鋼板の中に入れられている切り込み。どんな複雑な形状であっても、美しい曲線を描いてきっぱりと穿たれ、そこには寸分の狂いも迷いも見えなかった。
羊は、動き出しそうだ。星は、天に昇りそうだ。サンタの笑みは、そのあと祝福の言葉に繋がるんだろう。トナカイはきりりと冬空を見上げ、これから力強く橇を引いて天空を駆けるんだろう。夜空に舞い散る雪の結晶が、それを彩る。
たった。たった五枚の小さな鋼板が。中瀬さんの手で魔法をかけられ、物語を紡ぎ出す。きらきら、きらきらと。なんという奇跡! なんという至福! 僕は感動のあまり何も言葉が出なかった。その代わりに僕から出たのは……涙だった。悲しいから出る涙じゃない。素晴らしい作品を見て、その魂に触れて、感動したから流れる涙だ。
「おい、どうした?」
中瀬さんが、作業服の袖で涙を拭った僕を見て心配してくれた。
「こんな……感動があるんですね」
「がははははっ!」
からっと笑い飛ばした中瀬さんは、すかさず苦言に繋げた。
「
う……。
「まあ、俺にはとてもいい経験になった。巧には感謝しとく」
まだ何か言われるのかなと思ったけど。中瀬さんは、本当に言いたいことは飲みの席で話すつもりなんだろう。そこで、口をつぐんだ。
「延長戦をやろう」
「はいっ!」
◇ ◇ ◇
中瀬さんが作ってくれた素晴らしいオーナメント。それは、間違いなく僕にとっての一生の宝物だ。だけど、中瀬さんは延長戦と言った。オーナメントには、まだ付属品があるんだろう。それは、中瀬さんの作ってくれたオーナメントみたいに形のあるものじゃない。たぶん、メッセージだ。僕は、それを中瀬さんに穿ってもらうのではなく、自力で心に刻み込まないとならないんだろう。単なるご苦労様の飲みになんか絶対にならない。それを心しておかないと。中瀬さんのいつもの小言を電車の中で聞き流しながら、僕はそんなことを考えていた。
駅に着いて、揃って改札を出たところで目が点になった。
「あれえ?」
聖野さんじゃん。改札から出てくる人を、ずっと確認していたんだろうか。いつからここに立ってたんだ? 背を丸め、がっくりと肩を落とし、しょんぼりと立ち尽くしているその姿を見て。何があったかは、すぐに想像出来た。
「やっぱり、か」
僕がぼそっとそう言ったのを、中瀬さんに聞き咎められた。
「巧。何がやっぱりなんだ?」
「いえ。すみません、ちょっと……」
僕は、柱に寄りかかって俯いていた聖野さんのところに駆け寄って、声を掛けた。
「聖野さん、どしたの?」
「あの」
俯いたまま。か細い声で彼女が返事をした。
「メールを流したんだけど、返事がなかったから」
「え!?」
慌てて携帯を出して確かめる。
「あっちゃあ」
僕が中瀬さんからオーナメントをもらっていたほぼ同じ時間に、聖野さんからのメールが入っていた。
『ツリー。不要になりました。ご迷惑おかけしました』
単なる事務的な連絡なら、メールの返事を待たなくてもいい。それで終わり。でも彼女がここにいるってことは、独りでいたくないってことなんだろう。
もたれていた柱が彼女の絶望を支えきれなくなって、その背をどんと突き放した。彼女は腰が砕けたようにその場にしゃがみ込み、膝に顔を埋めるようにして嗚咽を漏らし始めた。
「う……ううーっ」
「おい、巧。おまえ、女泣かすようなことはすんな!」
すかさず、中瀬さんからきっつい突っ込みが入った。
「そんなんじゃないんすけど。困ったなあ」
中瀬さんに変な誤解をされたくない。どうすべ?
「ええと、中瀬さん。このまま彼女を放置することも出来ないので、一緒にメシってことでいいすか?」
中瀬さんも、状況が状況だと思ってくれたんだろう。
「しゃあねえな。めんどくせえ話はまたにすっか」
こう、なんか、気が削げたっていうか。失恋して泣いてる女の子を、大衆食堂のお客さんの好奇の視線に晒すわけにはいかない。僕的にはお財布が厳しいけど、個室のある店に入るしかない。前に社の忘年会をやった
「中瀬さん、個室取れるんで楊に行きません?」
「ああ、そこなら落ち着いて話が出来るな」
「ええ」
僕は屈んで聖野さんに話し掛けた。
「晩飯食いながら、話しよう」
こくん。小さく首が動いた。
◇ ◇ ◇
「カレシ。イブには君のところに行けないって言ってきたんでしょ?」
個室に入り、注文を出してすぐ。僕は彼女にそう確かめた。彼女は無言で、力無く頷いた。中瀬さんは、それでだいたいの事情が飲み込めたと思う。
「なんだ、アドバイザーかい」
「いや、そういうのともちょっと違うんですけどね」
ケリがついてしまったのなら、見切り品のツリーを取り合ったことはもう笑い話だ。もっとも、彼女はまだとても笑えないと思うけどね。中瀬さんに、ここ数日ツリーの帰属をめぐって彼女と交渉してきたことを話して聞かせた。呆れて物が言えないって感じで、中瀬さんにじろっと睨まれる。
「おまえは、れでぃーふぁーすとってえのを知らんのか?」
「でもぉ。僕もほんとに財布に余裕がないんで」
「まあ、それは分かるけどよ。巧のトシだとまだ給料がちょぼちょぼだからなあ」
「そうなんすよ。ホームに贈り物をした関係で、今月は特にぎりで」
「ああ、結局何を贈ったんだ?」
「所長さんに直接電話して、リクエストしてもらいました。味気ないかも知れないけど、やっぱり向こうが欲しいというものを贈りたいので」
「だな。サプライズより、実用品だ」
「サッカーボールとドッジボールを三つずつ。今年はそれで精一杯ですね」
「いや、喜んでくれるだろうよ」
「ははは! だといいですけどね」
「巧は、何かもらったことはないんか?」
中瀬さんに振られて、僕はカバンから自作のオーナメントを出した。不細工なオーナメントを。それから、その横に中瀬さんのオーナメントを並べる。
「僕は、今日生まれて初めて素晴らしいプレゼントをもらいました」
さっきまでずっと顔を伏せてべそべそ泣いていた聖野さんが、ゆっくりと顔を上げた。そして、僕がそのオーナメントを最初に見た時と同じように、まるで雷に打たれたような驚きの表情を浮かべて、中瀬さんのオーナメントを凝視した。
「す……ごい」
「でしょ? これが超プロとアマの違い」
じっと二種類のオーナメントを見比べて、それから大きく深呼吸する。
「ふうっ」
僕は中瀬さんに向き直って、深々と頭を下げた。
「中瀬さん。このオーナメント。僕にとってはまさにゲージです」
中瀬さんが腕を固く組んで、僕を見下ろす。嬉しそうな顔は見せない。厳しい表情だ。
「それは、僕の腕前をここまで上げたいって意味のゲージじゃないんです」
「ふん?」
「作るってことに妥協しないで、自分をきっちり追い込んでいく。そういう生き方のゲージです」
「ふむ」
「僕はね」
自分の不恰好なオーナメントをとんと叩く。
「孤児だから、ここまでしか出来ない。そういう考え方は絶対にしたくないんです」
「うむ」
「自分がいかなる状況、いかなる境遇であっても顔は伏せない。自分の欲しいものを自分で
「そうだな」
エッジががたがたの星のオーナメント。それを手に取る。
「今は、とても中瀬さんのようには作れません。でも、僕は。これが今の僕の実力なんだからしょうがない、これでいいとは絶対に言いたくない」
にやっと笑った中瀬さんが、僕のオーナメントを一つ手に取った。
「こいつは、まだ途中だってことだな」
「はい!」
「よし!」
中瀬さんは、僕の作ったやつを丁寧にチェックしていった。
「鏡面に仕上げる技術は教えてやる。断面はきちんと磨け。これはまだ切りっぱだろ?」
「はい。これから少しずつ仕上げます」
「ワイヤーソー通す時に、押す力がばらばらだと切断ミスが出やすくなる。まず、しっかり練習してから本番をやれ!」
「うっ、そうでした」
「それでもな、やっぱり筋はいい。あとは訓練あるのみだ」
「はい!」
「これは、どうすんだ?」
「ホームに贈ります」
「なるほど」
「これから、毎年そうするつもりです。今年より来年、来年より再来年。僕の作ったものが、少しずつでも向上していくように。それを見たホームの子らが、よーし僕も負けないでがんばるぞって思ってくれるように」
「いい心掛けだ!」
料理が来たので、慌ててオーナメントを片付けた。三人で料理を食べながら話をしたけど。正確に言うと、僕と中瀬さんだけがずっと技術的な話をしていた。彼女は、ずっと無言のまま俯いていた。気にはなるけど、失恋した女の子にどう声を掛けていいものやら。失恋どころか、恋愛経験もない僕にはいかんともしがたい。
あーあ、後で中瀬さんにがっつり突っ込まれるんだろうなあ。この朴念仁が、ほんとに気の利かねえ野郎だって。ちぇ。
◇ ◇ ◇
食事代は、中瀬さんがまとめて払ってくれた。割り勘にしようって言ったんだけど、おまえはちゃんと彼女を送ってけって追い出されちゃった。すんません。ごちそうさまです。
別れ際、中瀬さんにしげしげと顔を覗き込まれる。
「??」
「なあ、巧」
「はい?」
「おまえの話は聞けたが、俺が話そうと思ってたことは今日話せんかった。早い方がいい。明日も晩飯を一緒に食いたい」
「喜んで!」
「店は明日連絡する。じゃあな」
「ごちそうさまでした! おやすみなさい」
「ああ」
遠ざかっていく中瀬さんの背中を見送っていたら。背後から、蚊の泣くような声が聞こえた。
「今日は……部屋に帰りたくない」
げえええーーーーーーっ!?
◇ ◇ ◇
ううー、えらいこっちゃ。どうすべ。駅で、そりゃあ無茶だよってずいぶん説得したんだけど。彼女は帰りたくないの一本槍。無視して放置して、後で首でも吊られようもんなら寝覚めが悪くてしょうがない。かと言って、よく知らない女の子を部屋に連れ込むのもなあ。でも、二人してずっと立ちっぱしててもしょうがない。部屋でお茶でも出して、気持ちを落ち着かせて、それから送り返すか。気は進まないけど、しょうがない。
帰りがけにドラッグストアで、ツリーの飾り付けに使う脱脂綿を三つ、それと朝食用のパンを買ってバスに乗った。
降車して夜道を歩いている間も、彼女はずっと無言。俯いたまんま。くったり意気消沈した彼女を後ろに引き連れてると、まるでドナドナだ。なんだかなあ。なんで僕が彼女の失恋のとばっちりを食わなきゃなんないんだよ。まったく、もう!
ぶつくさ文句を言いながら歩いていたら、路側の植え込みのところに小さな人影が見えた。
「あれ?」
小学生くらいの女の子だ。こんな夜中に物騒だぞ? しゃがみ込んで何やってるんだ?
「どうしたの?」
声を掛ける。女の子は目を真っ赤に泣き腫らし、小さな手を泥だらけにして穴を掘っていた。
「ひぃちゃんが……死んじゃったの」
ぼんやりと見える白い塊。ああ、飼っていたハムスターが死んじゃったんだな。
女の子が摘んできた花。格子柄のピンクのハンカチ。そして、ちょこっとの綿。どれも、暗がりの中では心もとない。
「お墓、作ってるのかい?」
「うん」
寒そうだな。ふと、そう思った。どんなに暖かいものでくるんであげても、もうこの子が生き返ることはないけど。せめて、天国に行くまでは寒い思いをしないように。
「もうちょっと、暖かくしてあげようか」
さっき買ってきた脱脂綿を一つ出して、袋の口を切った。ふわふわの綿を掘った穴に敷き詰めて、死骸をそこに収め、花で飾った。
「お布団。かけようね」
「うん」
たっぷりの綿で覆われて、ハムスターの姿は見えなくなった。それにほっとしたように女の子が土を被せて、そのあと小さな手を合わせた。
「寒いし、お父さんお母さんが心配するから帰りなさい。明日またお参りしにおいで」
「うん。はい」
女の子は土だらけの手で目を擦ると、ぎごちなく笑って僕にぺこっとおじぎをした。
「お兄ちゃん、わた、ありがと」
「いえいえ」
「またね」
僕の後ろに立って一部始終を見ていた聖野さんは、女の子が走り去ってからも小さなお墓に向かって手を合わせていた。
……まるで、自分の恋心の埋葬をしたかのように。
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