DAY 10
「うーん」
ちょっと予想外だったなあ。昨日の晩飯のセッティングは、あの女の子に僕らの世界を見せれば怖じ気付いて引くだろうという作戦だったんだ。見るからに今時の学生さんだし、たぶん僕も含めてそういう人種には関わり合いたくないと思ってくれるだろうと。でも今朝彼女から送られて来たメールを見る限り、ひるんでないなあ。
『今日、仕事が終わって家に帰られたら連絡をください。遅くなってもいいです』
「うーん」
それはそれでなんだかなあという感じなんだけど。
僕は思い切りしかめ面をしていたんだろう。見回りにきた中瀬さんにがっつりどやされた。
「おい! 気を抜くな!」
「あ、すんません」
いかん、いかん。人のことをとやかく言ってる場合じゃなかった。
◇ ◇ ◇
普通番だったから、家に帰着したのは八時過ぎ。それからシャワーを浴びて、着替えて、飯を食って。彼女の携帯にメールを流した時には、もう八時半を回っていた。
『今自室』
すぐに返事が来るのかと思ったけど、数分後に返信が来た。
『これから出られますか?』
ふむ。僕は構わないけど、これからだと間違いなく九時過ぎるぞ? 大丈夫か?
『足のことがあるから、僕のアパートの近くなら出られるけど。大丈夫? 井出町』
駅近くまで呼び出されて話が長引くと、帰りの足がなくなる。バスはそんなに遅くまでやってないからね。高いタクシーなんか論外だし。今度は、すぐに返事が返ってきた。
『隣町だー。よかったー。マーメイドっていうファミレス分かります? 久保田の国道沿い』
ああ、あそこか。入ったことはないけど。
『分かる。時間は?』
即返。
『九時半に。入ってすぐ右の待ち合いのとこで』
九時半? うーん。真夜中ってわけじゃないからいいのか? 微妙に遅い時間の気がするけど……。まあ、それでも短時間ならいいか。
『おっけー』
あとは行ってみて、だな。
◇ ◇ ◇
食事の時間帯には込み合うファミレスも、その時間から外れると客はまばらになる。僕が店に着いた時、待ち合いの席に所在なく座ってる彼女は、どうしようもなく寂しそうに見えた。
「こんばんは」
声を掛けると、ぱっと立ち上がった彼女がほっとしたような顔でぺこっと会釈した。
「昨日は本当にごちそうさま。おいしかったですー」
「でしょ?」
「うん!」
「こんな遅い時間に大丈夫なの?」
「ここでバイトしてるの」
あ、そうか。そういうことね。
「もう上がり?」
「うん。九時までだから」
立ち上がった彼女は、奥まったところにある角の席に歩いていった。
「あの……」
「はい?」
「わたし、お金ないから、飲み物だけでいい?」
「ああ。気にしないでいいよ。もう晩飯は済ませたし。君はもう食べたの?」
返事がないってことは、まだか。
「ちょっと食べといた方がいいね。口じゃなくて、腹の虫がうるさいと話が出来ないよ」
恥ずかしそうに彼女がお腹を押さえた。くーくー鳴ってる。お腹が空いてるんだろう。注文を取りにきたウエイトレスさんに、ハンバーガーとドリンクバーを頼む。
「あ、あのっ!」
「ああ、ドリンクバーを安く頼むには、何か料理頼まなきゃなんない。僕はそっちはいいんだ。君が食べて」
「う……」
昨日も今日もおごってもらって、それなのにツリーまでねだるのは……って。彼女の戦闘意欲は、どんどん減退しているように見える。それでも、チャンスはまだ残ってる。そんな風に、ハンバーガーをおいしそうに食べた彼女が切羽詰まった顔で話を切り出してきた。
◇ ◇ ◇
なるほどね。
僕と同じで一人暮らしをしている彼女。仕送りとバイト代を合わせても、食べることだけで精一杯のかつかつの生活をしてる。その彼女が分不相応なツリーにこだわるとすれば、それは誰かに見せるためだろう。僕は、そう予想していた。そして、その見せたい相手はオトコだろうと。
どんぴしゃ、だ。
彼女が僕に対して強い警戒心を抱いていた理由。それは僕を直接警戒したからではなく、僕と絡むことでカレシの機嫌を損ねることを恐れてたから。でも彼女の心配は、実際にはほとんど杞憂に近かった。なぜなら、付き合ってるカレシの関心が彼女から離れつつあったからだった。たとえ僕と一緒にいるところを見られても、ああ新しいオトコ見つけたんだ、良かったな、ばいばいってカレシに言われかねない崖っぷちにいたってこと。彼女は、そうなるのをどうしても防ぎたかった。カレシを引き止めたかった。
田舎から出て来て、頼れる知り合いがいなくて、お金も余裕がなくて。彼女の夢は、愛情云々よりも自分よりレベルの高いカレシと付き合うことにすり替わっているように見えた。でも都会人でセンスのいいカレシに付いていこうとするだけで、なけなしの生活費が羽が生えたように飛んで行く。彼女がお財布に余裕がないって言ったのは、冗談抜きで本当にぎりぎりだったってことなんだろう。
とびきりの美貌や肉体美があるわけでも、地位や財産があるわけでも、特技や才能があるわけでもない。生活苦がにじみ出た田舎っぺの痩せっぽちの女の子に、女の子を扱いなれた手練れが喜んで食指を動かすはずはない。まあ、そんなタイプも味見してみるか。そんな扱いをされていたんだと思う。
崖っぷちに追いやられた彼女は、自分が切れる札がまだ一つだけ残っていることに気付いた。それが手作りだ。ツリーも料理も精魂込めてオリジナルを作る。クリスマスに彼を招いて、自分の真心をそういう形で見せる。それが彼女の最後の切り札。いや、切り札にならなくても、彼女にはもうそれしか残っていなかったんだろう。
オーナメントや料理はともかく、大きなツリーまで自作するのはしんどい。材料費で結構かかっちゃうし、力技も要るから。だからコスパ的にぎりぎりの線を狙って、あのツリーに狙いを定めてたってことだった。いくつかの店を回ってやっぱりあれにしようって戻ってきたら、土壇場で僕に持って行かれた、と。
「なるほど」
見ず知らずの僕に込み入った事情を全部ぶちまけたくらいだから、彼女の切実感ははんぱなかった。ラストチャンスに賭ける意気込みは充分伝わってきた。だけどねー。
「事情は分かった。でも、その理由じゃ僕はあのツリーを譲れない」
「どうしてっ!?」
血相を変えて、彼女が僕に食ってかかった。
「条件が、僕と変わらないからだよ」
「く……」
「君の事情は分かったけど、君は僕の事情を知らないだろ?」
「たしかに。そうね」
「それは明日話しよう。今日は遅くなっちゃったし。あんま遅くなるのは物騒だからね」
今日でけりをつけたかったらしい彼女は、あからさまに落胆の表情を見せたけど、僕はまだノーと言ったわけじゃない。その可能性にすがるしかない。彼女は渋々延長戦を飲んだ。
「うん」
「じゃあ、明日もこの時間にここでいい?」
「うん。それでお願いします」
「じゃあね」
レシートを持って、先に店を出た。まだ席に残っていた彼女は背中を丸めて。
……どっぷり落ち込んでいた。
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