DAY 5
「ふうっ」
昨日の折野部長の話。僕にはすっごいショックだった。確かに中瀬さんは癖の強い人だ。お世辞やおべんちゃらが大嫌いで、相手が社長だろうが僕らだろうが、同じ口調でずけずけきついことを言う。もちろん、僕だって小言じゃ済まない文句をがつんとぶつけられるのはいい気はしない。でも、中瀬さんの文句にはちゃんと根拠があるんだ。中瀬さんが気分任せに文句を言うなら、冗談じゃないよって反発出来る。でも中瀬さんが僕らに突きつけるのは、いつも事実だ。だから、僕らには逃げ場がない。当たり前だけど、言い負かすことも言い逃れることも出来なければ、それは言われた方に鬱憤として溜まっちゃう。折野部長が心配してるのはそれだ。
そして。厄介なことに、うちの工場には本当に若い人がいない。二十代は僕だけ。三十代もいなくて、あとはみんなベテランさんばかりだ。お互いに気心が知れた仲間で、切磋琢磨しながら盛り上げてきたって感じ。
僕がここに採用してもらえたのは、そういう手作業中心の工程を製作機械に切り替えていく転換期だったから。僕は職人としてではなくて、コンピュータや制御盤の扱いを短時間で覚えられるマシンオペレータとして採ってもらったんだ。この工場のベテランさんとは、立ち位置がまるっきり違う。
職人さんを束ねる頭領としての中瀬さんの仕事は、機械に押されてどんどん減ってる。中瀬さんだけでなく、他の職人さんたちもそういう風潮をなんだかなあと思ってるのかも知れないけど、はけ口がないんだ。そういうのが、無力感や緩みに繋がっちゃうんだろう。自虐的に、仕事が楽になって良かったよな、と。中瀬さんは、職人さんの間に漂ってるダルな空気に苛立ってるんじゃないかと思うんだ。てめえら、機械に仕事取られて悔しくねえのかって。
でも。さすがの中瀬さんも、かつて同じ立場で油まみれになって働いてた仲間を、このぼんくらめと吊るし上げたくはない。だってどんなに怒ったって、それで新しい仕事が生まれたり、製品精度が上がるわけじゃないから。それに中瀬さん自身が、もう最前線には立ってない。いや、もう立てないんだ。そうしたら、まだ半人前の僕のところに来て愚痴るしかない。僕がそれに嫌な顔をしたら、中瀬さんの行き場はどこにもなくなるんだろう。
でも、僕は中瀬さんの頑固一徹が好きなんだ。中瀬さんは自分の生き方にプライドを持っていて、どんなに窮屈でも信念をぶらさない。中瀬さんも、叩かれても簡単にへこまない僕は鍛え甲斐があると思ってくれてるんだろう。変な話だけど、僕が中瀬さんのガス抜き役をやってたってことだと思う。でも、今は僕でガスを抜き切れなくなってる。中瀬さんの怒りが、所構わず溢れてしまってる。ヤバいよなあ。
「おう、三田」
昼休みの休憩室。お握りを持ったまま、ぼーっとしていた僕を揺り起こすようなごつい声が聞こえて、はっと我に返った。社食のないうちの会社では、休憩室が食堂代わりだ。正午ちょうどで上がらずに切りのいいところまでセッティングをしていた僕は、時間が押してたからお握りとお茶だけの簡単な昼飯で済ませるつもりだった。そのお握りを齧らずに考え込んでいたから、奇妙に見えたんだろう。
「あ、なんですか?」
声を掛けてきたのは、高梨さんだった。見かけはすっごいごついんだけど、気難しい中瀬さんとは対極で、とにかく人当たりの柔らかい穏やかな人だ。僕のいる第二生産部の作業長だから、僕の直属の上司ってことになるんだけど、統括の中瀬さんが実質全部仕切ってるから目立たないんだよね。でも、それをぐちぐち言わない。とても誠実な人だと思う。
「どうした? ぼーっとして」
「いえ、ここ二、三日、中瀬さんのご機嫌が悪くて」
「当たられたか?」
「いえ、僕はそうでもないんですけど」
「俺らの方かい?」
「ええ」
「心配すんな。俺らは慣れてるよ」
しょうがないって感じで、高梨さんがテーブル対面のパイプ椅子にどすんと腰を落とし込んだ。腕に下げていたビニール袋から取り出したのは、僕と同じでお握り。それを見て、思わず苦笑してしまった。
「忙しくなってきましたよね」
「ああ。これから本格的に仕事が詰まってくる。余計なことをがちゃがちゃ考えてる暇なんざないよ」
うーん。そうだよなあ。まずいタイミングで、中瀬さんに余計なことを頼んじゃったかなあ。ばりばりとお握りの包装を外した高梨さんは、それを一度に半分以上頬張って、口をもぐもぐ動かしながら話を続けた。
「がんちゃんだけじゃないさ。忙しくなってくりゃあ、俺らだって気が立って来る。この時期はそういうもんなんだよ。あんま気にすんな」
うん。高梨さんみたいな人がいれば、中瀬さんがみんなから浮いちゃうってことはないんだろう。それでも、どうしても気になっちゃうんだよね。中瀬さんの苛立ちぶりが、いつもとはちょっと違うような気がして。
「あの、高梨さん」
「あん?」
最初のお握りをあっという間に完食した高梨さんが、二つ目の包装を外しながら生返事をした。
「来年は、僕みたいのを採用するんですかね?」
「どうだろな。上がどう考えてんのか、下々の俺らには分からないからな」
「うーん」
「ただ、年も年だからもう辞めたいと思ってるやつはいるだろ。その分は補充すると思うけどな」
「そうですか。うーん」
「うちには杓子定規な定年制はないけどよ。だからって、いつまでも油まみれで仕事したいってわけでもないからな」
手にしていたビニール袋にゴミを放り込んだ高梨さんは、固まった肩を解すみたいに何度か揺すって、それから諦めの混じった声で言った。
「俺らが三田くらいの時は、必死で手ぇ動かさないと食っていけんかったんさ。それは、やり甲斐とかプライドとかそういうのとは関係ないんだ。それしか選択肢がなかったんだよ」
「ええ」
「でも、今はそういう時代じゃないんだ」
「……」
「そういうのを見ちまうと。自分の生き方が惨めに感じるんだ。一生懸命やってきたのに、なんだこれかよってな。そんなのもあるんだろ」
俯いてしまった僕を慰めるように、高梨さんの話には続きがあった。
「俺らが若い連中に時代遅れだってバカにされたら、そらあやってられんさ。でも、三田のように俺らの技を継いでやろうって考えてくれてるやつがいれば、俺らはそれで納得出来る」
「でも、それでいいんですかね」
「もちろん、こういう時代だ。俺らと同じ立ち位置で競うことはもう出来ないよ」
「はい」
「そうじゃない。自分の腕で食ってくんだっていう心構えだよ。それがあんたらに渡せりゃ、俺らは満足さ。がんちゃんも、きっとそう考えてくれるだろ」
さっと立ち上がった高梨さんは、にっと笑って僕の作業服の肩にくっきり油染みの手形を押した。
ぱん!
「三田は、それを汚れじゃなくて勲章だと思ってくれる。俺らには、それで充分なんだよ」
そう言い残して。足早に休憩室を出て行った。
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